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35話:魔法界域
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天に掲げた槍から血と夜闇の魔力が離れ、天高くへと昇り赤い球体を形作る。血の水球は膨らんでいき、背後に浮かぶ蒼白の月と完全に重り――そして爆ぜた。
血は急速に広がり、夜空を、森を、大地を染め上げ、球体があった場所には血の如き赤に染まった満月が浮いていた。
「世界が……赤く……」
「待たせたな、コーネル。これが血塗れ夜王の奥の手……魔術の最奥たる魔法界域だ」
呆然と呟くコーネルを俺は冷たく見据える。
魔法界域――それは己の魔力と精神を媒介にして、現実世界を一時的に異界へと置き換える魔術だ。
これは世界の法則そのものが魔力によって変質する。気温、空気、色彩、時には命の在り方すらも、術者の意思によって変容する。
魔法界域は術者によって異なり、その性質はその人物の内面を反映する。記憶、信念、執着、狂気――そういった強い念が世界を描き換える絵筆となる。
その絵筆を執る資格は魔術を使う者であれば誰にでも持っている。固有魔術使いであっても属性魔術使いであってもだ。
例えば二人の火属性魔術の使い手が魔法界域を生み出したとする。一方は好戦的で、もう一方は保守的な性格と仮定した時、好戦的な者の魔法界域は「世界が火に囲まれ、四方から敵を焼く世界」になり、保守的な者の魔法界域は「新緑が広がる常春と、治癒をもたらす暖かな太陽が浮かぶ世界」となる。
魔法界域はいわば世界の再創造、神の奇跡に近い行いだ。それ故に魔法界域は最上級に分類され、魔術の最高にして究極と呼ばれている。これを習得することが魔術師においての生涯の目標とされている。
「あ、ありえない、魔法界域だと⁉ 最上級魔術だぞ⁉ それをお前のようなガキが使えるわけがないだろうが⁉」
「ははっ、随分と口調が崩れてきたじゃないか。それがお前の素か?」
俺の魔法界域である【血染めの月下舞踏】の核は空に浮いている赤い月だ。一見すると世界が赤く照らされている意外に、景色に大きな変化がないように見える。しかしここは確かに俺の魔術によって理が塗り替えられた異界である。
この魔法界域によって書き換えられた理は「死者の不死骸化」と「血の浸食」だ。赤い月は象徴であると同時に、血と呪いが無尽蔵に湧き出る泉。血の月光が降り注ぐこの世界では、すべてが血に染まっているのだ。
だからこんなこともできる
「【血骸操:血骸群葬宴舞】」
糸を引くように左の五指を軽く曲げると、木々の葉がガサリと揺れた。否――葉ではなく、森そのものが大きく揺れる。
――メキメキメキメキイイィィィ……
裂けるような音を鳴らしながら、俺たちを囲う木々がまるで動物が如く、自らの力で根を引き抜きそれを足として立ち上がる。枝は何本かが束ねられ腕のようになり、生い茂る葉は鋭く固まり、触れる者を傷つける無数の刃へと変容する。
「あ、ああ……」
紅い月の影響は地上だけにとどまらない。地面が軽く揺れたかと思うと、土が盛り上がり大小さまざまな骨が飛び出す。その数は一本、また一本と増えていく骨は互いに集まり、やがて歪な形状の無数の骨屍者となって蠢く。
【夜闇呪文】の権能は不死骸の創造だ。【血濡魔術】では地中まで影響を及ぼせないものの、月と闇を支配する【夜闇呪文】の権能で地中に埋まった動物の骨を不死骸化し、それを地上へ引っ張り出す。そして地上に出てきさえすれば不死骸も【血濡魔術】の影響下に置くことができ、更なる強化を施すことができる。
「グゥ……ヴォォ……」
「ひっ……」
コーネルの足元にいた地穿鹿の死体もピクリと動く身体を震わすと、骨屍者たちと同様に立ち上がり蹴り飛ばされた頭を探して歩き回る。
崩れた頭部が身体を呼び、その首を求めて身体は彷徨う。その様は地穿鹿の首無し騎乗者のようだ。
「お、お前は――いえ、あなたは、まさか……」
俺の正体に気が付いたのだろう。コーネルはすっかり腰を抜かして、恐怖で呼吸を乱しながら俺を見上げる。その瞳には赤い月を背にし見下す俺の姿が映っていた。
「長い茶番も終わりだ、コーネル。安心しろ、俺にいたぶる趣味はない。たとえ憎い仇だとしても、苦しませずに殺してやる」
「ア、アゼル様――いいえ、我が主「月血聖帝」よ! これまでの数々の非礼をお詫び申し上げます! 知らなかったのです! ま、まさかあなた様が既に復活なされていたとは!」
コーネルは跪き両の掌を上にしてこちらに突き出した。恐怖で震える両手は器の形をしており、首を垂れる姿まるで金品や食料を欲する物乞いのようだ。
「わ、私はあなた様の忠実なる僕、敬虔なる信者にございます! 今日に至るまであなた様への祈りを欠かさず、復活のために血の贄を捧げてまいりました! ど、どうか、御慈悲を! これまでの働きに免じ、どうか! 御慈悲を!」
「……勘違いしているようだが、俺は血追いの徒なんて教団は作っていないし、血を集めろなんて命令を下したことなんてない」
なにが祈りだ。なにが祝福だ。人を殺して不死になれるのなら誰も苦労しない。本当に血塗れ夜王の力に愛する者を蘇らせる力があったなら、俺はグラディア帝国を滅ぼすという凶行は冒さなかった。
【夜闇呪文】に、【血濡魔術】に、彼女を蘇らせる力さえあれば、何十万、何百万という人間を殺し尽くすほどの狂気には呑まれなかった。
「どれだけ謝罪したところで、お前の――お前らの罪が消えることはない」
跪くコーネルの姿が、記憶の中のグラディア皇帝の姿と重なった。財も、地位も、国も差し出して許しを乞うていたが、そんな怨敵の惨めな姿を見ても俺の意思は変わらなかった。
きっと何百、何千回と繰り返そうが、俺はその選択を変えないだろう。
「い、いやだ……許して――」
コーネルが哀れに許しを請うが、復讐対象に慈悲を与えるつもりは毛頭ない。命を奪われたならば命を奪う。それが俺の絶対の法だ。
今や世界は血に染まり、無尽蔵の血液がこの場に在るのと同じ状態にある。
俺は地中から引っ張り出した死体を骨屍者を地穿鹿の死体に集め、【血骸操】でひとつに束ねる。やがてそれは、無数の骨に覆われた巨大な獣の形を取った。
大小さまざまな生物の脚の骨で造られた手足は長く伸び、トカゲのように胴の横に付く。種の異なる生物の牙と頭蓋が寄せ集まった頭は、耳のない狼のように口が長く伸びており、その額には一つの窪みがある。そこには身体から離れた地穿鹿の頭が添えられており、その様はまるで眼球のようであった。
少しばかり形は違うが、そこには先ほどまで戦闘を繰り広げていたあの魔物の姿があった。
「名付けよう、この魔術は――【血骸哭獣】」
強いイメージとして俺の脳内にその形状が定着した。
魔術として昇華し、形となった【血骸哭獣】は俺の命令に従い、その腕を天高く振り上げ、そして――――
「いやだああああ――‼」
コーネルの絶叫がそう続かぬ内に拳は振り下ろされた。
嫌に大きなグシャリッという音と振動が森の中に響き渡る。叩きつけられた手の下からは、真っ赤な血が広がっていく。軽く手を退けてもらうとコーネルだった肉塊が、臓物をはみ出しながら絨毯のように広がっていた。
「ん……魔力が尽きるか」
俺の呟きと同時に【夜闇呪文】の魔力が尽き、世界を染める赤が血染めの月に向かって後退していく。
カンバスに描かれた絵を洗い流すが如く、動き出した木々はその形を薄れさせ、初めから何もなかったかのように、元の景色へと戻っていた。
喰血哭も赤のベールが消えると同時に力を失い、無数の骨も同様に消えていき、あとに残ったのは頭の取れた地穿鹿の死体のみだ。
実は魔法界域に引き込んだ対象は、コーネルと地穿鹿の死体だけだ。それ以外の木々や地中の骨は、現実世界の景色を転写した魔術で構築された仮初の世界だ。魔法界域が解ければ、動き出した木々も掘り起こした死体も元に戻る。もちろん周囲の木々も対象として魔法界域に引き込むこともできたが、そうなると後片付けに時間がかかる。今の俺にそんなに長い時間魔法界域を維持できる自信はなかった。
喰血哭が二〇〇年集めた大量の血液も、【血染めの月下舞踏】の使用と維持のために魔力に変換したため残っていない。
後に残ったのは夜の静寂だけだった。
「……まったく。いざ終わると喜びも感じないとはな」
復讐を成した後はいつも虚しさだけが残る。復讐を果たすことを考えている間は、狂うほどの情念が燃えているというのに、いざ終わってみると一瞬の開放感があるだけで、仇を取ったことに対する喜びが微塵も湧かない。
わかっていた。所詮、復讐なんてものは自己満足でしかないことを。なぜなら、いくら仇を殺したところで、失ったモノは二度と戻らないからだ。
もし俺が、仇に天罰が下ることを祈るだけのただの無力な人間だったならば喜びも湧いただろう。しかし、凶刃を振るい復讐を生きる糧として生きる人間に残る物は何もない。
大切な物も憎い物も……何もかもを失った者に与えられるのは、どこまでも深い虚無感だけだ。
「それでも復讐を止められないんだから、俺は本当にどうしようもないな……これじゃあ、世の未練で動き回る不死骸共と何も変わらないじゃないか……」
不死骸の王――と誰かが言った。なるほど、この異名こそが血塗れ夜王の核心に触れた、最も相応しい名前かもしれない。
そう考えながら俺は、村に戻るでもなくふらふらと歩き始める。
喰血哭との戦闘で、俺は【血濡魔術】を全力で使用した。少しでも魔術に明るい者が見れば、俺の魔術が血を媒介としたものだと気づいただろう。こうなっては俺の魔術が無から武器を生み出す【武具製造】ではないことにすぐ気付くはずだ。
そしていずれは、血塗れ夜王の伝承と俺の魔術を皆が関連付けてしまうだろう。あの他者の命を糧とする悍ましい力と俺自身を……。
「これからどうするかなあ……」
ふらふらと彷徨った挙句、俺はいつの間にか「あくびの大木」の下へ来てしまったようだ。少し疲れたから丁度良いと、洞に入り腰を落ち着かせる。
村に戻るのは難しい…………いや、心の内を隠さずに言うと、恐ろしいのだ。
クロウ・アルヴィンがそうであったように、村の皆から悍ましいモノを見るような視線を向けられるんじゃないかと考えると、恐怖で心臓が締め付けられる。
いつかは秘密が露見するかもしれないと思い、深く入れ込まないように周囲の人とは一歩引いて接していたが……どうやら俺は、自分で思っていたよりもロスウェル村のことを好いていたようだ。
いやあるいは、好きにさせられたのかもしれない。
「……はは。俺がここまで入れ込んじまったのは、お前のせいなのかね……フィリア」
最初は家族にすら距離を置いていた。しかしそんな俺を相手に、フィリアは怯むことなく近くに寄ってきた。
彼女のように物怖じせず寄ってきた人間は初めてでどう相手していいかわからず、当初は何度も突き放す言動をした。今思えば子ども相手に大人げなくも厳しい態度を取ったと思うが、それでも彼女は諦めず俺に付きまとってきた。
次第に突き放すのも面倒くさくなって、彼女の我が儘に付き合うようになったが、思い返せば彼女の存在が橋渡しとなってくれたおかげで、村の人との交流が増えたのだ。今の俺が村の人と良い付き合いができるのは、フィリアのおかげといっても過言ではない。
あのおてんばな性格には手を焼いたが……まあ、悪い気分ではなかったな。
そんな風に昔を思い返していると、洞の中に影が落ちる。
「――――アゼル?」
声につられて視線を上げると、そこには赤褐色の髪を揺らし琥珀色の瞳でこちらを覗き込むフィリアの姿があった。
血は急速に広がり、夜空を、森を、大地を染め上げ、球体があった場所には血の如き赤に染まった満月が浮いていた。
「世界が……赤く……」
「待たせたな、コーネル。これが血塗れ夜王の奥の手……魔術の最奥たる魔法界域だ」
呆然と呟くコーネルを俺は冷たく見据える。
魔法界域――それは己の魔力と精神を媒介にして、現実世界を一時的に異界へと置き換える魔術だ。
これは世界の法則そのものが魔力によって変質する。気温、空気、色彩、時には命の在り方すらも、術者の意思によって変容する。
魔法界域は術者によって異なり、その性質はその人物の内面を反映する。記憶、信念、執着、狂気――そういった強い念が世界を描き換える絵筆となる。
その絵筆を執る資格は魔術を使う者であれば誰にでも持っている。固有魔術使いであっても属性魔術使いであってもだ。
例えば二人の火属性魔術の使い手が魔法界域を生み出したとする。一方は好戦的で、もう一方は保守的な性格と仮定した時、好戦的な者の魔法界域は「世界が火に囲まれ、四方から敵を焼く世界」になり、保守的な者の魔法界域は「新緑が広がる常春と、治癒をもたらす暖かな太陽が浮かぶ世界」となる。
魔法界域はいわば世界の再創造、神の奇跡に近い行いだ。それ故に魔法界域は最上級に分類され、魔術の最高にして究極と呼ばれている。これを習得することが魔術師においての生涯の目標とされている。
「あ、ありえない、魔法界域だと⁉ 最上級魔術だぞ⁉ それをお前のようなガキが使えるわけがないだろうが⁉」
「ははっ、随分と口調が崩れてきたじゃないか。それがお前の素か?」
俺の魔法界域である【血染めの月下舞踏】の核は空に浮いている赤い月だ。一見すると世界が赤く照らされている意外に、景色に大きな変化がないように見える。しかしここは確かに俺の魔術によって理が塗り替えられた異界である。
この魔法界域によって書き換えられた理は「死者の不死骸化」と「血の浸食」だ。赤い月は象徴であると同時に、血と呪いが無尽蔵に湧き出る泉。血の月光が降り注ぐこの世界では、すべてが血に染まっているのだ。
だからこんなこともできる
「【血骸操:血骸群葬宴舞】」
糸を引くように左の五指を軽く曲げると、木々の葉がガサリと揺れた。否――葉ではなく、森そのものが大きく揺れる。
――メキメキメキメキイイィィィ……
裂けるような音を鳴らしながら、俺たちを囲う木々がまるで動物が如く、自らの力で根を引き抜きそれを足として立ち上がる。枝は何本かが束ねられ腕のようになり、生い茂る葉は鋭く固まり、触れる者を傷つける無数の刃へと変容する。
「あ、ああ……」
紅い月の影響は地上だけにとどまらない。地面が軽く揺れたかと思うと、土が盛り上がり大小さまざまな骨が飛び出す。その数は一本、また一本と増えていく骨は互いに集まり、やがて歪な形状の無数の骨屍者となって蠢く。
【夜闇呪文】の権能は不死骸の創造だ。【血濡魔術】では地中まで影響を及ぼせないものの、月と闇を支配する【夜闇呪文】の権能で地中に埋まった動物の骨を不死骸化し、それを地上へ引っ張り出す。そして地上に出てきさえすれば不死骸も【血濡魔術】の影響下に置くことができ、更なる強化を施すことができる。
「グゥ……ヴォォ……」
「ひっ……」
コーネルの足元にいた地穿鹿の死体もピクリと動く身体を震わすと、骨屍者たちと同様に立ち上がり蹴り飛ばされた頭を探して歩き回る。
崩れた頭部が身体を呼び、その首を求めて身体は彷徨う。その様は地穿鹿の首無し騎乗者のようだ。
「お、お前は――いえ、あなたは、まさか……」
俺の正体に気が付いたのだろう。コーネルはすっかり腰を抜かして、恐怖で呼吸を乱しながら俺を見上げる。その瞳には赤い月を背にし見下す俺の姿が映っていた。
「長い茶番も終わりだ、コーネル。安心しろ、俺にいたぶる趣味はない。たとえ憎い仇だとしても、苦しませずに殺してやる」
「ア、アゼル様――いいえ、我が主「月血聖帝」よ! これまでの数々の非礼をお詫び申し上げます! 知らなかったのです! ま、まさかあなた様が既に復活なされていたとは!」
コーネルは跪き両の掌を上にしてこちらに突き出した。恐怖で震える両手は器の形をしており、首を垂れる姿まるで金品や食料を欲する物乞いのようだ。
「わ、私はあなた様の忠実なる僕、敬虔なる信者にございます! 今日に至るまであなた様への祈りを欠かさず、復活のために血の贄を捧げてまいりました! ど、どうか、御慈悲を! これまでの働きに免じ、どうか! 御慈悲を!」
「……勘違いしているようだが、俺は血追いの徒なんて教団は作っていないし、血を集めろなんて命令を下したことなんてない」
なにが祈りだ。なにが祝福だ。人を殺して不死になれるのなら誰も苦労しない。本当に血塗れ夜王の力に愛する者を蘇らせる力があったなら、俺はグラディア帝国を滅ぼすという凶行は冒さなかった。
【夜闇呪文】に、【血濡魔術】に、彼女を蘇らせる力さえあれば、何十万、何百万という人間を殺し尽くすほどの狂気には呑まれなかった。
「どれだけ謝罪したところで、お前の――お前らの罪が消えることはない」
跪くコーネルの姿が、記憶の中のグラディア皇帝の姿と重なった。財も、地位も、国も差し出して許しを乞うていたが、そんな怨敵の惨めな姿を見ても俺の意思は変わらなかった。
きっと何百、何千回と繰り返そうが、俺はその選択を変えないだろう。
「い、いやだ……許して――」
コーネルが哀れに許しを請うが、復讐対象に慈悲を与えるつもりは毛頭ない。命を奪われたならば命を奪う。それが俺の絶対の法だ。
今や世界は血に染まり、無尽蔵の血液がこの場に在るのと同じ状態にある。
俺は地中から引っ張り出した死体を骨屍者を地穿鹿の死体に集め、【血骸操】でひとつに束ねる。やがてそれは、無数の骨に覆われた巨大な獣の形を取った。
大小さまざまな生物の脚の骨で造られた手足は長く伸び、トカゲのように胴の横に付く。種の異なる生物の牙と頭蓋が寄せ集まった頭は、耳のない狼のように口が長く伸びており、その額には一つの窪みがある。そこには身体から離れた地穿鹿の頭が添えられており、その様はまるで眼球のようであった。
少しばかり形は違うが、そこには先ほどまで戦闘を繰り広げていたあの魔物の姿があった。
「名付けよう、この魔術は――【血骸哭獣】」
強いイメージとして俺の脳内にその形状が定着した。
魔術として昇華し、形となった【血骸哭獣】は俺の命令に従い、その腕を天高く振り上げ、そして――――
「いやだああああ――‼」
コーネルの絶叫がそう続かぬ内に拳は振り下ろされた。
嫌に大きなグシャリッという音と振動が森の中に響き渡る。叩きつけられた手の下からは、真っ赤な血が広がっていく。軽く手を退けてもらうとコーネルだった肉塊が、臓物をはみ出しながら絨毯のように広がっていた。
「ん……魔力が尽きるか」
俺の呟きと同時に【夜闇呪文】の魔力が尽き、世界を染める赤が血染めの月に向かって後退していく。
カンバスに描かれた絵を洗い流すが如く、動き出した木々はその形を薄れさせ、初めから何もなかったかのように、元の景色へと戻っていた。
喰血哭も赤のベールが消えると同時に力を失い、無数の骨も同様に消えていき、あとに残ったのは頭の取れた地穿鹿の死体のみだ。
実は魔法界域に引き込んだ対象は、コーネルと地穿鹿の死体だけだ。それ以外の木々や地中の骨は、現実世界の景色を転写した魔術で構築された仮初の世界だ。魔法界域が解ければ、動き出した木々も掘り起こした死体も元に戻る。もちろん周囲の木々も対象として魔法界域に引き込むこともできたが、そうなると後片付けに時間がかかる。今の俺にそんなに長い時間魔法界域を維持できる自信はなかった。
喰血哭が二〇〇年集めた大量の血液も、【血染めの月下舞踏】の使用と維持のために魔力に変換したため残っていない。
後に残ったのは夜の静寂だけだった。
「……まったく。いざ終わると喜びも感じないとはな」
復讐を成した後はいつも虚しさだけが残る。復讐を果たすことを考えている間は、狂うほどの情念が燃えているというのに、いざ終わってみると一瞬の開放感があるだけで、仇を取ったことに対する喜びが微塵も湧かない。
わかっていた。所詮、復讐なんてものは自己満足でしかないことを。なぜなら、いくら仇を殺したところで、失ったモノは二度と戻らないからだ。
もし俺が、仇に天罰が下ることを祈るだけのただの無力な人間だったならば喜びも湧いただろう。しかし、凶刃を振るい復讐を生きる糧として生きる人間に残る物は何もない。
大切な物も憎い物も……何もかもを失った者に与えられるのは、どこまでも深い虚無感だけだ。
「それでも復讐を止められないんだから、俺は本当にどうしようもないな……これじゃあ、世の未練で動き回る不死骸共と何も変わらないじゃないか……」
不死骸の王――と誰かが言った。なるほど、この異名こそが血塗れ夜王の核心に触れた、最も相応しい名前かもしれない。
そう考えながら俺は、村に戻るでもなくふらふらと歩き始める。
喰血哭との戦闘で、俺は【血濡魔術】を全力で使用した。少しでも魔術に明るい者が見れば、俺の魔術が血を媒介としたものだと気づいただろう。こうなっては俺の魔術が無から武器を生み出す【武具製造】ではないことにすぐ気付くはずだ。
そしていずれは、血塗れ夜王の伝承と俺の魔術を皆が関連付けてしまうだろう。あの他者の命を糧とする悍ましい力と俺自身を……。
「これからどうするかなあ……」
ふらふらと彷徨った挙句、俺はいつの間にか「あくびの大木」の下へ来てしまったようだ。少し疲れたから丁度良いと、洞に入り腰を落ち着かせる。
村に戻るのは難しい…………いや、心の内を隠さずに言うと、恐ろしいのだ。
クロウ・アルヴィンがそうであったように、村の皆から悍ましいモノを見るような視線を向けられるんじゃないかと考えると、恐怖で心臓が締め付けられる。
いつかは秘密が露見するかもしれないと思い、深く入れ込まないように周囲の人とは一歩引いて接していたが……どうやら俺は、自分で思っていたよりもロスウェル村のことを好いていたようだ。
いやあるいは、好きにさせられたのかもしれない。
「……はは。俺がここまで入れ込んじまったのは、お前のせいなのかね……フィリア」
最初は家族にすら距離を置いていた。しかしそんな俺を相手に、フィリアは怯むことなく近くに寄ってきた。
彼女のように物怖じせず寄ってきた人間は初めてでどう相手していいかわからず、当初は何度も突き放す言動をした。今思えば子ども相手に大人げなくも厳しい態度を取ったと思うが、それでも彼女は諦めず俺に付きまとってきた。
次第に突き放すのも面倒くさくなって、彼女の我が儘に付き合うようになったが、思い返せば彼女の存在が橋渡しとなってくれたおかげで、村の人との交流が増えたのだ。今の俺が村の人と良い付き合いができるのは、フィリアのおかげといっても過言ではない。
あのおてんばな性格には手を焼いたが……まあ、悪い気分ではなかったな。
そんな風に昔を思い返していると、洞の中に影が落ちる。
「――――アゼル?」
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