血染めの世界に花は咲くか

巳水

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40話:今生の家族への告別

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 歩き慣れた道を進み、気が付けば俺の目の前には実家の扉があった。扉の隙間からは僅かに声が漏れており、父さんたちも作業から帰ってきていることがわかる。
 俺は扉の前で深呼吸した後、玄関をドアノッカーで軽く叩く。その音はいつもより小さくなってしまったが、それでもしっかり音は中まで届いたようだ。
 そう間を置かずして扉が開き、いつもの人が姿を現す。

「アゼル? こんな時間にどうしたの?」

 扉を開けた母さんは俺の姿を確認すると少し驚いた後、軽く笑みを浮かべて嬉しそうな様子を見せた。

「ごめん、母さん……ちょっと話があって」

 俺の神妙な面持ちに只ならぬものを感じたのか、母さんは不思議そうにしたもののそれ以上深くは聞かず俺を家の中へ招き入れた。
 家のリビングでは先ほどまで談笑していたのか、父さんと兄のダリオンが机を挟んで対面で座り、仕事終わりの酒を楽しんでいた。

「ん? アゼルか。こんな時間にうちに来るなんて珍しいじゃないか」

 俺の来訪に父さんもダリオンも驚くが、すぐに笑顔を浮かべて優しく迎えてくれた。

「皆に大事なことを話さなくちゃならない……聞いてくれるか?」

 俺はダリオンの隣に座り、母さんは父さんの隣に座った。子どもの頃から変わらないこの構図に懐かしさを感じつつ、この光景がもう見られないことに名残惜しさを感じる。
 二人も俺の暗い雰囲気に気が付き、僅かに居住まいを正した。

「随分と暗い顔をしているが、どうした? 何か悩みでもあるのか?」
「実は……えっと……」

 旅に出る、ただそう言うだけだというのに、いざ口にしようとすると俺は言葉が詰まってしまう。
 ……俺という人間はここまでもどかしい人間だったのか? ここまで来ておいて、まだ悩んでいるとは。

「ああ、そうだ……父さんたちの方の作業はどんな感じだ? 俺はほら、皆から離れて作業していたから、進捗についてはよくわかっていなくて……」

 どもった挙句、俺はついつい本題とは関係がない話から始めてしまった。

「……順調だよ。村に帰ったばかりの時は随分と荒れ果ててしまっていたけど、この三日で随分と元に戻った。明日は種を植え直す予定なんだ。今から頑張れば、秋の収穫には間に合うと思う」
「ああ、厄介な瓦礫はアゼルが魔術で片付けてくれたから、俺たちは穴の埋め立てや畝の修復に集中できた。まったく、アゼルの固有魔術ユニークマジックは昔から知っていたつもりだったけど、あんな凄いことができたなんて知らなかったぞ?」

 俺の様子に父さんとダリオンは一瞬だけ怪訝な顔をしたが、言いずらそうな気配を察知したのかそれぞれ状況を説明して話に付き合ってくれた。

「あはは、隠していて悪かったな……実を言うとさ、俺自身はこの魔術あまり好きじゃないんだ」
「そうなの? あんなに格好いい魔術なのに」
「母さんはそう言ってくれるけど、なんていうか不気味だろ? 俺の魔術は、血を用いたものだからさ……」

 昼間の兵士の会話から考えるに、おそらく皆にも俺の魔術が血に干渉する物だということは知られているだろう。
 その予想は当たっていたようで、皆からは特に驚きの表情は見られなかった。

「初めて聞いたときは少しびっくりしたわ。そういう魔術もあるのねえって……ってもしかして、そのことで誰かに嫌なことでも言われたの?」
「ああいや、そうじゃない! むしろ嫌がられるかと思って隠していたんだけど、予想に反して誰にも何も言われないから、逆にこっちが驚いているほどだ」

 心配そうな表情を浮かべた母さんに、俺は慌てて否定する。現状、俺が不快だと思ったことは昼間の兵士の会話も含めてひとつもない。
 むしろ母さんがそう言ってくれたことにより、家族も俺に対して悪感情が生じていないことを知り安堵した。
 しかしこうなると、ますますこの後の話が切り出し難くなったな……。

「アゼル、本題はそっちじゃないんだろう? お前にしては珍しく尻込みしているようだけど、どうか僕たちに打ち明けてくれないか?」

 俺が尻込みしているのを察して、父さんが優しく促す。
 このまま他愛のない話をしたい気持ちに駆られるが、父さんのその言葉に俺はようやく意を決して口を開いた。

「俺、実は……この村を出て、旅をすることにしたんだ」

 俺の言葉に皆は驚愕で目を見開いた。
 まさか俺が村を出るとは思っていなかったのだろう。母さんから息をのむ音が聞こえ、ダリオンはわかりやすく驚きの声を漏らし、父さんは見開いた目をすぐに細め、僅かに鋭くなった視線を向けた。

「村を出るって……なんで急に?」
「やりたいこと――いや、やらなくちゃいけないことができたんだ」
「やらなくちゃいけないことって何だよ? どこに行くつもりなんだ?」
「悪いが詳しいことは言えない。言えるのは、ある物を見つけ出すのが目的だということだ。明確な目的地があるわけじゃない……」

 相変わらず曖昧な説明しかできない自分に嫌気がさす。
 皆の顔から怪訝や困惑といった感情の色が濃くなる。

「なんだよそれ……それも領主様の命令か?」
「いいや違う。これは、俺が自分の意思で決めたことだ。領主様とは関係はない」
「いつ帰るんだ? その旅はどれくらいかかる見込みだ?」
「わからない……だが探している物を考えると、帰れる見込みは少ないだろう」

 その言葉が部屋に落ちた時、気まずい静寂が広がった。
 父さんは変わらず何も言わず、母さんは僅かに目を伏せる。お互いに何と言えば良いかわからない様子だった。

「ふざけるなよ……」

 先に言葉を発したのはダリオンだった。
 その声は低く、どこか怒りのようなものを感じた。

「誰に何を言われたわけでもないのに、なんだってそんな急に……そんな無茶な旅、認められるわけないだろ!」

 彼がここまで感情を露わにして人を怒ったことがあっただろうか。
 あまりの唐突なことだったからダリオンも戸惑っているのだろう。驚きと、困惑、心配といった感情が複雑に混ざって、それが怒りという形で発露したのかもしれない。
 普段は父に似て温和な性格の彼を、ここまで怒らせてしまったことに若干の申し訳なさがあるが、既にこの旅は決めたことであり俺のこの意思を変えることはできない。

「悪いなダリオン。もう決めたことなんだよ。確かに、誰に頼まれたわけでも、命令されたわけでもない……だが、これは確かに俺がやらなくちゃならないことなんだよ」

 碌な説明もできていないのだから、端から皆にわかってもらえるとは思っていない。
 今の俺にできるのはただ真摯に彼らと向き合って、彼らの感情を正面から受け止めることだけだった。

「アゼル…………」
「くっ…………」

 真っ直ぐに見つめる俺の視線に圧されたのか、母さんもダリオンも言葉を詰まらせてしまったようだった。
 俺の頑固さと、こうなった俺を説得することの困難さを、赤子の頃から見守ってきた二人はわかっているのだ。

「――アゼル。その探し物というのはどういう物か、どうしても教えてくれないのかい?」

 沈黙を保っていた父さんが口を開く。その声は驚くほどに静かで、口調と表情からは感情を読み取ることができない。

「ごめん、言えない」

 俺が「夜王の遺物」と「血追いの徒」を追いかけると知れば、家族にいらぬ心労を与えることになるだろう。
 それに夜王の遺物は俺の前世と繋がりがある以上、理由を説明するとなるとかなり複雑なことになるし、俺自身もあまり話したくはない。

「はあ……昔から君は隠し事が多いくせに、それを隠すのが下手だねえ。加えて、絶対に最後まで明かさないんだもんなあ」

 そう言うと、父さんは肩を竦めて力なく笑った。その様からはある種の諦めが感じられた。

「見当違いなことを言うかもしれないけどさ――その探し物って、喰血哭ブラッドハウルが関係しているんじゃないかな?」
「なっ⁉」
「やっぱりね……実はあの時、あの畑の近くで地穿鹿グロヴェリンを追い払っていたんだ。その時に、君が戦っているのが見えたんだ。そしてその後に来た、あの血に溺れたような魔物の姿もね……」

 そのことは母さんもダリオンも知らなかったのか、父さんの話に驚いている。
 あの時は俺も必死だったから、父さんが近くにいたことに微塵も気が付かなかった。ということは、父さんは他の皆よりも先に、俺の力に気付いていたということか。

喰血哭ブラッドハウルを見た瞬間、僕は恐怖を感じて逃げることしかできなかった。だけどアゼル――君は逃げずに、あの凶悪な魔物に立ち向かった。僕たちに見せたことないような、鬼気迫る表情でね。さらには見たこともない大きな槌で殴り飛ばして見せた。無謀だとも、危険だとも思ったが――同時に僕はこうも思ったんだ。もしかしたらアゼルは僕たちが思うよりもずっと凄くて、いつか大きな事を成すんじゃないか、ってね」

 その時から覚悟していた。
 父さんは静かにそう言った。母さんもダリオンも何も言わず、俺はただ父の次の言葉に耳を傾ける。

「君はもう、僕たちが思っているよりも立派に成長した。君が理由を言えないというなら、それ相応の事情があるのだろう……君が旅に出ると決めたのなら、僕たちにそれを止めることはできない。君は昔から頑固だからねえ。最後まで君の信頼を得られなかったのは、親として不甲斐ない限りだよ」
「そんな事はない! 単純に俺が――」
「わかっているさ。たとえ家族でも、どうしたって言い難いことがあるっていうのはね。それに、アゼルが僕たち家族のことを愛してくれているっていうのは理解している。だからさ――すべてが終わったら、帰ってきなさい」

 父さんは親愛に満ちた微笑みを浮かべて俺に言う。その顔は俺に何度も向けられたものであり、いつしか俺の心に入り込み、安心を与えていたものだった。

「父さん……」
「そうね……私も、いつかこんな日が来るんじゃないかって、思っていた。あなたは驚くほど手が掛からなかったけど、とにかく聞き分けの悪い子だったわね。その時から私は、この村はあなたにとって小さいんじゃないかと思っていたの」

 隣に座る母さんが静かに、しかしどこか覚悟を決めて言った。
 その目は潤み声も僅かに震えていたが、しかし涙を流すことなくはっきりと口にする。

「アゼル……あなたがここを出ていくのを、私は止めないわ。だけど覚えておいて。私たちはここで待っている。たとえどこに行ったって、ここはあなたの家なんだから」
「母さん……」
「なんだよ、父さんも母さんも……これじゃあ俺だけ反対しているみたいじゃないか」

 そんな両親の反応にダリオンは溜息を吐き、不満げに自身の頭を掻く。
 不満はあるのだろうし、納得もできていないだろう。しかし彼もまた俺を幼少から見てきた者であり、たったひとりの兄弟ということもあって俺の性格については、ともすれば両親よりも理解しているかもしれなかった。
 俺を最も近くで見守っていたのが母さんと父さんだとしたら、ダリオンは最も身近で触れ合っていた家族と言えた。

「この際だから言ってしまうと、子どもの頃はお前のことを怖いと思っていた。今思い出しても異常なほどに大人びていたし、っていうか今もそうだな……俺や、他の子どもと違って全然はしゃがないし、滅多に笑わないやつだったからな。歳が少し離れていたからその内に気にならなくなったけど、これが双子とかだったら、正直どうなっていたかわからない」
「それは……そうだろうな」

 今も愛想良くするのは得意ではないが、赤子の時は今とは比べ物にならないほどに愛想が良くなかった。なまじ自我がはっきりしていたせいで、人間不信が酷かったのだ。
 用がある時しか泣かなかったし、人に構われても鬱陶しさから小さな手で払ったり、しつこい時は差し伸ばされた手を掴んで軽く噛んだりもした。
 歩けるようになってからは多少愛想というものを理解し利用し始めたが、人間不信は抜けなかったため大して変わらなかったように思う。ダリオンからしてみればさぞ可愛くない弟だったと思う。

「今も昔も、お前を振り回せる人間はフィリア様くらいなもんだが……だけどな、お前のことを嫌いだって思ったことは一度もなかった。歳を取る毎にお前も明るくなってきたし、今なら俺は胸を張って言えるぞ。お前は俺の自慢の弟だって!」
「……よくもまあ、そんな気恥ずかしいことを臆面もなく言えるな」
「当然だ。俺はお前の兄だからな! 正直行って欲しくない気持ちでいっぱいだけど……父さんたちが送り出す以上、兄の俺が駄々をこねるわけにもいかない。だけどこれだけは覚えておけ!」

 ダリオンは俺の眼前に指を突き出して言い放つ。その様は普段のダリオンからは感じない、兄の威厳というものが醸し出しているように見えた。

「必ず帰ってくること! どこまで行って、どんな危険な目にあったとしても、生きることを諦めるな。 お前が帰るべき場所はここなんだからな」

 その言葉は、どこまでも重く、どこまでも優しかった。それでいて、どこか懐かしい温かさもあり、その熱は徐々に広がっていく。

「ア、アゼル……?」
「ん……?」

 ダリオンの戸惑った声が聞こえる。
 気が付けば俺の視界は、眠気が限界に達した時のような靄がかかっていた。
 不審に思いながらも指で軽く靄を拭うと、目に触れた指が濡れていた。

「なんだこれ……」

 ぼやける視界を何度も拭うことで、俺は初めて自分が涙を流しているということを自覚した。だがその原因に心当たりがなく、それのことがさらに俺を困惑させた。
 おかしいな……今の感情は哀しさとは程遠いというのに。

「あらあら、この子ったらもう……ふふ。アゼル、今日は泊っていきなさい」
「え? まだそんなに暗くなっていないから、自分で帰れるけど……」
「もう一緒に食卓を囲えるのは今日と明日くらいしかないでしょ? 母さん、腕によりをかけてご飯作ってあげるから!」

 そう言って母さんは張り切った様子で台所の方へ向かっていった。
 その後ろ姿を呆然と見送っていると、父さんから酒の注がれたグラスを差し出された。

「ほら、少し早い旅立ち祝いだ。今夜はとことん飲むよ」
「お、いいね! せっかくだから秘蔵の酒も出そうよ」

 そうして俺は戸惑いながらも、勧められるがままに酒を飲んだ。
 飲んでいるうちに涙はいつの間にか流れなくなり、代わりに酒精がもたらす心地良さが広がる。
 慣れ親しんだいつもの酒だったが、この日に飲んだ酒は何故だかこれまでに飲んだどの酒よりも美味しく感じた。そうしているうちに母さんの料理が完成し、その懐かしい味を噛み締めながら夜が更けていった。
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