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櫻花荘に吹く風~201号室の夢~ (27)
しおりを挟むそんな顔をされても……知らなかったのだから仕方が無い。
もうすぐ公演があるって事は聞いていたけど、いつから始まるかとかは知らなかった。そのくらい、まーくんとはずっとゆっくり話す時間も持てていなかったのだ。
「昨日の昼の回に由野さんと行って来たんだけど、結構面白かったよ。まーくんも頑張って演技してた」
「うっそ! 春ちゃん見て来たの?」
「うん。昨日の夜の回には北斗くんとみっちゃんも行ったんじゃないかな? まーくんがチケットくれたから、無駄にしちゃ申し訳ないでしょ?」
「……何だ……皆に渡してたんだ――」
俺だけに特別なのかと思っていたから、すごく嬉しかったのに。俺より先に、他の皆はチケットを貰ってて、しかも先に見て来ていたなんて。
何かちょっと……いや、かなりがっかりしてしまった。
「もう、そんなことで落ち込まないの! 舞台って、千秋楽のチケットが一番貴重だって聞くし、だからまーくんも良くんにはそのチケット用意してたんじゃない?」
「……貴重、なの?」
もろに感情が顔に出てしまっていたのだろう。春ちゃんが笑いながらフォローの言葉をくれた。半信半疑で春ちゃんを窺えば、疑われるのは心外だとばかりに、春ちゃんが両頬を膨らます。
「由野さんがそう言ってたよ」
「由野さんが?」
春ちゃん情報かと思いきや、何のことは無い。由野さんからの受け売りだったらしい。
「うん。再演っていって、もう一回そのお芝居をやる事が無い限り、二度と同じお芝居は見れないだろ?」
「ん? うん」
「だからこそ、最後の上演っていうのは人気が高いんだって」
「へえ……まあ、由野さんが言うなら本当か」
自慢気に由野さんから仕入れた知識を語る春ちゃんが、ちょっと可愛くて。からかい口調でにやけて見せると、膨らんだ頬がほんのりピンクになった。
うーん……いいなあ。俺もまーくんにこういう顔をさせてみたい。
「とにかく! そういう事だから、良くんもチケット無駄にしないようにね!」
「もっちろん行くよ! 決まってんじゃん!」
ニヤニヤしながら見る俺に恥ずかしくなったのか、話を切り上げた春ちゃんが、お昼の支度に席を立った。その背にチケットを振って答えながら、久々のまーくんとの交流に、早くも気が急いて仕方ない俺だった。
日も傾き始めた雑踏の中、俺は一人目的の場所を目指して歩を進めていた。
ジーンズにタンクトップを重ね着し、足元はお気に入りのサンダル。ヒップバッグのショルダー部分に、半そでのシャツを引っ掛けて持っていた。バッグの中には、財布と携帯を突っ込んだだけの身軽な格好。
本当はシャツも持って来ないつもりだったのだけど、帰りに寒くなったらどうするの、と春ちゃんにしつこく言われ、渋々ながら持って出て来た。
口煩いと思う事もあるけれど、誰かに心配してもらえるってのは、やっぱり嬉しい。母親の顔なんて知らない俺だけど、お母さんってやつがいたなら、こんな風に心配されたりするんだろうか。
「っと、ここ……だよな?」
手に握り締めていたのは、まーくんからの手紙と一緒に入っていた、一枚のチラシとチケット。
チラシに描かれていた地図を頼りに、普段は余り足を運ぶ事の無い街を歩く。以前一度だけ、稽古場まで送り迎えをした事があったけれど、どうやらその場所の近くだったらしい。
「ライブハウスか何か……だったのかな?」
地下へと続く階段の下り口に、イーゼルに立てられた看板が設置してあった。
目立つようにという配慮からなのか、アチコチにべたべたと、俺が手にしているのと同じチラシが貼られている。
「やっべ、緊張する」
演劇なんて、小学校だったか中学校だったか、子供の頃に文化鑑賞会とかいうのを見せられたきり。まさか自分がこんな風に、足を運ぶ日が来るなんて、思ってもみなかった。
「遅いよーっ、始まっちゃうよ!」
「ごめんごめん、花束作ってもらってたら遅くなったの!」
「池上さん今日で最後なんて寂しいー」
あと一歩を進み出せず、看板を前に立ち止まる俺の横を、可愛らしい花束を抱えた女の子達が急ぎ足で駆け下りて行く。
「池上……あ、あいつか」
以前まーくんが居候させてもらっていたという男。
まーくんを心配してなのだろうけれど、結構きつい言葉を投げ付けられた。恐縮するマーくんを宥めるうちに、俺の過去話を聞いたまーくんが、感情を露にしてくれたのだ。
その日の事を思い出すと、ほんのり胸が温かくなる。自分の事のように憤り、悔しそうに顔を歪めていたまーくん。俺の為に怒ってくれている事が、すごく嬉しかった。
昔の俺にも聞かせてやりたい。今俺の周りにいる人達が、どれだけ温かい人達なのかを。
そんな人達に囲まれて、恋を覚えて、俺は今幸せだって、教えてやりたい。
「よし……行くか」
俺も何か差し入れのひとつも持ってくれば良かったかと、さっき俺の横を駆けて行った女の子達の姿を思い出したけれど、どうやら買いに走るほどの時間は残っていそうもない。
自分の気の利かなさに少しばかり後悔しつつ、薄暗い階段をゆっくり下る。
「いらっしゃいませ、チケットはお持ちですか? 当日券もありますが……」
「あ、はいっ、えっと……コレ」
「ああ、昌樹の――案内お願い。彼に付いて行って下さいね」
会場の入り口に即席で作られた受付で、数人の男女がチケットの確認をしていた。
まーくんに渡されたチケットを差し出せば、その内の一人に席まで案内される。
余り広いとは言えない会場の中は、多くのお客さんで埋まっているように見えた。連なって置かれたビールケースの上に、板と座布団を重ねて乗せただけの即席イスが、少しずつ段差を付けて設置されている。
その隙間を縫いながら進み、俺が通されたのは、ステージ近くのパイプ椅子の席だった。
「こちらが関係者席になってるので、空いてる所にどうぞ」
「ありがとうございますっ」
今まで味わった事の無い独特の空気が漂う場所の中、俺は小さく深呼吸をしながら、指示された椅子へと腰を落ち着けた。
さほど広くは無い空間の中、既に席は大部分が埋まっている。
ステージに目を向けても、よくテレビで目にするような緞帳とかいう幕もない。大道具らしいものすら見当たらないすっきりしたステージには、舞台装置なのだろうけれど、幾つかの四角い箱がまばらに置かれているだけ。こんなセットだけで舞台が成り立つなんて、俺には想像すらつかない。
演劇なんて物に対する造詣も全くと言っていいほど無いから、この劇団の劇が面白いのかどうかも分からないけれど、客席は大賑わいだ。
先ほどの女の子達が話していたように、池上にとって最後の舞台と言うことが、この客入りに繋がっているのだろう。入り口で渡された薄いパンフレットにも、それらしき事が書いてある。
「へえ……主役なんだ」
引退するわけでは無いようだけれど、今後暫くはメインとして舞台に立つことは無いらしい。これは以前、まーくんがチラッと話していた気がする。
当面はちょい役程度で、お呼ばれで舞台に立つと。何だっけ……そうそう、客演とか言ってたかな。
『池上さんが演じてるのを見て、凄く彼が輝いて見えて……それで僕は、この世界に憧れを持ったんだ。自分もやってみたいって思ったんだ』
まーくんが彼の事を語る時は、大抵言葉に力が籠もっていて。
尊敬しているだけなのだと思うけど、それでもちょっと、面白くない気持ちになる。そんな自分に気付いては、自分の小ささにへこんだりもするんだけど。
「あっ、まーくん発見……ふ、ははっ、すっげ緊張した顔」
パンフレットの隅の方に、小さな顔写真が載っていた。
他の人達が、皆笑顔だったりする中で、一人だけ無表情に顔を強張らせているまーくん。小さな小さな写真だけれど、俺にとっては一緒に並ぶ人達の中で誰よりも目を惹かれた。主役の池上の写真ですら、霞んで見えるほどに。
「っ! び、びびった……始まるのか?」
まーくんの写真に気を取られているうちに、突如会場内にブザーの大きな音が鳴り響いた。同時に客席の照明は徐々に絞られ、非常口を示す緑のランプだけが光を放つ。
照明が落ち切る前に振り返り見た客席は、空いている席を探すのが難しいくらい、沢山のお客さんで埋め尽くされていた。
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