櫻花荘に吹く風~205号室の愛~

柚子季杏

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櫻花荘に吹く風~205号室の愛~ (2)

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 そうして迎えた、待ちに待った引越し当日。

 先に俺の分の荷物を全てトラックに積んだ後で、春海の荷物を取りに行く。母親の再婚によって、今まで二人で住んでいた部屋に一人暮らしていた春海の荷物は、思っていた以上に少なかった。
「春海、お前の荷物ってこれだけか?」
「うん、源じいが家具とか殆ど置いて行ってくれるっていうし、布団と着替えがあれば後は別に……処分出来るものは昨日までの間にリサイクルに出しちゃったしね」
「テレビも無くて良いのか? 引き継ぎ終わるまではじいちゃんの荷物もらえないんだし、なきゃ困るだろ?」
「ダイニングルームにあるんでしょ? 部屋では本とか読んで過ごせば良いし、そんなに必要性感じないかな」
 レンタルの軽トラックの荷台を半分以上占拠した状態の俺は、春海の荷物の少なさに驚いた。下宿とはいえ、初めての一人暮らしに浮かれてあれこれ買い漁った自分が、少しばかり恥ずかしくなる。
「みっちゃん、これマニュアル車だよ? 運転出来るの?」
「ばあっか、舐めんなよ? 免許はちゃんと持ってる!」
「……運転した事は?」
「――教習所以来? し、心配すんなって! ここまでちゃんと運転してきたんだからさ」
「ゆ、ゆっくり行こうね? 急がなくていいからね?」
 不安げな春海を助手席に乗せて、途中何度かエンストを繰り返しながらも、俺達の新しい住処となる櫻花荘を目指して、俺はアクセルを踏み込んだのだった。


 今はまだ俺の祖父が管理人を勤めている櫻花荘。
 建てられたのが一体どの位昔なのかも分からないほどの、古い木造作りの二階建て物件。何度かリフォームは行っているけれど、古臭さはどうしても取っ払えないままだ。
 共同の玄関に各部屋6畳一間の畳敷きの狭い部屋。全室庭のある面に窓を取った南向きで建築されている事が、せめてもの救いだろう。
 二階に4部屋と納戸があり、共用の手洗い場にトイレとシャワールームがひとつずつ。一階には管理人室を含めて2部屋と、洗濯機が2台置かれた広めの洗面所。お風呂も大人二人は楽に入れる広さがある。
 後はトイレと台所。台所は共用のリビングダイニングと繋がって作られていて、住人達は基本的にその場所で揃って食事をする。

 春海が一緒でなければ、俺としては絶対住みたくは無い物件だ。
 古くて狭くて、何より他人との共同生活なんて本当ならば御免被りたい。櫻花荘唯一の取り得は、春になると庭に咲き誇る巨大な桜の樹がある事くらいだろうと思う。

 初めて一人暮らしをするなら、お洒落なデザイナーズマンションで……そんな淡い夢は、春海との生活を天秤に掛ければ、羽の様な軽さで飛んで行った。
 俺も春海と共に引っ越してくると告げた時の、じいちゃんの驚いた顔は笑ってしまうほどだったけれど、俺の趣味には合わないこの物件の名義は、いつの間にか俺の名前へと書き換えられていたのだった。



「良く来てくれたね春ちゃん。今日から宜しく頼むよ」
「源じい! 一生懸命頑張るから、色々教えてね」
「春海ー、荷物降ろすぞ!」
「あっ、今行く! じゃ源じい、また後で」
 じいちゃんに出迎えられて、ほんのちょっと照れ臭さを感じながら、大量の積荷を降ろしていく。まあ、大半が俺の荷物なわけで……この後荷解きする事を考えるだけでゲンナリしてしまう。
「春海……荷解き、手伝ってくれよ?」
「ふふ、分かってるよ。こんなに荷物あるんじゃ、みっちゃん一人でやったら半月は掛かるもんね」
「うぅ……反論出来ねえし、半月で終わる自信も無い」
 拗ねながら言葉に窮する俺を見て、春海が笑う。その笑顔が嬉しかった。これからは毎日この笑顔を傍で見ていられるんだと思えば、自然と心も弾んで来るというものだ。

 昼前には引越しを済ませてしまおうと、この日は午前中の早い時間から動き出していた。全ての荷物をトラックから降ろし終わる頃でも、ようやく9時を回ったかという時間。
 これなら多少休憩を交えながら荷物を整理しても、今日中に寝る場所は確保出来そうだとホッとする。

「みっちゃん、荷物これで最後ー?」
「うん、ラスワン! 俺先にトラック返して来ちゃうから、運んでだけおいてくれるか? 春海は自分の荷物先に片付けちゃえよ?」
「分かった、行ってらっしゃい」
 春海に見送られてトラックへと乗り込めば、やっと座れたことに思わず溜息が出る。
 軋む階段を春海と二人で何往復したか分からない。さすがに汗の浮かんだ額を、トレーナーの袖口でひと拭いしてから腕まくりをした。
「行ってらっしゃい、か……へへ」
 バックミラー越しに小さくなる櫻花荘をチラリと見ながら、玄関先で掛けられた春海からの言葉を思い出して頬が緩む。
 汗ばんだ肌に心地良い風を、開け放った窓から感じながら車を走らせていた俺は、その頃櫻花荘で起こっていた事件には気付くはずも無かった。




「階段から落ちたあ?」
「ぅ、そんな大きい声出さないでよ…ボクだって反省してるし……」
 トラックを返して戻った部屋で、ひとつだけ妙にひしゃげた状態の段ボール箱に首を捻っていた俺は、恐る恐るといった様相で事の次第を告げる春海に目を剥いた。大声を上げた俺に、角の潰れたダンボールを見る春海は益々項垂れてしまう。
「壊れ物だったりした? 大丈夫かな?」
「いやいやいやいや……荷物なんてどうだっていいよ! 春海は? 怪我とかしてねえ? ごめんな、俺が最後の荷物押し付けちゃったからだよな?」
「ボクは全然平気! あのね、103号室の由野さん、って人がね、ボクの事庇ってくれて……だからかすり傷ひとつ無いよ」
 荷物なんてどうでも良い。あまりにも驚き過ぎると人間って動きが止まるんだなと初めて知った。
 一瞬のフリーズから解放された俺に詰め寄られて焦る春海は可愛いけれど、そういう問題では無い。怪我無いのは何よりだけれど、春海に限らずまたいつ同じような事故が起こってもおかしくは無さそうだ。
「そっか――良かった……ここの階段危ねえって思ってたんだよな。直ぐにリフォーム会社手配するから」
「あっ、それなんだけど……さっき源じいと話して、明日ゴム止めとか必要なもの買って来て、ボク達で修繕しようって思ってて」
「へ? 春海が? 出来んの?」
「大丈夫! 源じいと二人で駄目な時は由野さんも手伝ってくれるって言ってくれたし」
 そう言ってほにゃっと笑う春海の少し照れたような表情が、何となく癪に障る。
 103号室の由野、か。
 さっきも名前が出て来たコイツのおかげで、春海に怪我が無かったことだけは高評価だけれど。
 確かじいちゃんから渡された店子の資料には、小説家とか書いてあったはず。在宅での仕事となれば、必然的に春海と共に過ごす時間が一番多くなるのは由野だろう。
 嬉しそうにその時の様子を語る春海の様子に、春海自身気付いていないような感情の片鱗が見えた気がした。ざわめく胸の奥の方にチクリと刺さった棘を、見ないふりで思考から追い出す。
「さあて、まずはベッドの組み立てからだな。俺はそっち片付けちゃうから、服関係は春海、お前が適当に押入れに突っ込んでくれるか?」
 気持ちを切り替えて部屋の中を見渡せば、足の踏み場も無いほど散らかった状態に眩暈がしそうだ。
 運び込んだ荷物も少なかった春海の部屋は、布団さえ出せれば後は時間を見ながら一人ででもあっさり片付く。ということで、まずはこの荷物に溢れた俺の部屋の片付けを手伝ってもらう事にした。
 とてもじゃないけれど、この量を俺一人で片付けるなんて事が出来るとは到底思えない。
「分かった。でも……ボクが勝手にやっても平気?」
「俺より断然片付けは上手いからな、任せるよ。マズイとこあったら後で直すし」
「了解。じゃあ下の段は使わない荷物とか置けるように、服関係は上の段に仕舞うようにするね」
 会話を交わしながら荷物を片付けて行く作業が、何だかちょっと新婚夫婦の引越しを連想させる。独りにやけそうになる頬を引き締めながら、寝る場所の確保へ向けて動き出した俺だった。


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