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櫻花荘に吹く風~205号室の愛~ (21)
しおりを挟む誤魔化せるとは思っていなかったものの、それでも北斗は眉根を寄せて胡乱気に男を見遣ると、わざとらしい溜息を吐いて見せた。
「だからあ、おっさん人間違いしてるんじゃねえの? 離せよ」
肩に掛かる腕を振り払い踵を返し掛けた北斗に、男が舌を打ち鳴らす。
「ああー腹が痛えなあー、今でも時たま傷跡が痛んで困るぜ! なあ?」
「……知らねえよ」
「こっちはよお大輔、あれ以来散々だったんだよ。サツには目付けられるわ、女にゃ逃げられるわで良い事無しだ」
「今も一緒にいるんじゃないのか?」
「けっ! あの女、俺が退院して来た時には姿消しちまってたぜ? 息子の不始末のツケ位払って行けばいいもんをよお、そう思わねえか?」
思わず振り向いた北斗に、男は我が意を得たりとばかりにほくそ笑む。しまったと眉を顰める半面、不思議な事に、男のその言葉に対して、北斗は安堵を覚えていた。
未だ自分を見捨てた親に未練があるのかと呆れもするが、少なくともこの最低な男に振り回される人生をリセットしたらしい事に、少なからずホッとする。
何処かで元気で居てくれているならそれでいいと思える自分に、北斗は改めて、昔の自分とは変わったのだという事を自覚した。
「なあ大輔、お前結構稼いでんだろ? ちっと金回す位、どおってこたねえだろ?」
「知るかよ! 俺があんたの面倒見てやる義理はねえ!」
「慰謝料代わりと思って、出すもん出した方が身の為だぜ?」
「何が慰謝料だよ……あんた、自分がした事忘れてんじゃねえの? 過剰防衛にはなっちまったけど、正当防衛だったって事も認められてんだ。今更だろうが!」
店の看板を撫で擦りながら下卑た笑いを浮かべる男に、苛立つ感情を逆撫でされる。殴り掛かりたい衝動を、ポケットに両拳を突っ込む事で堪えながら、北斗は声だけを荒げて男を睨み付けた。
「……ったく、相変わらず可愛げがねえ野郎だなあ――お前もさっきの聞いてたんだろ? 俺にはバックに怖いお兄さん達が付いてんだ、自分が可愛かったら素直になった方が良いぜ?」
北斗の剣幕に一瞬たじろいだ様子を見せた男が、再び厭らしい笑みを口元に乗せる。
「あんたに払う金なんて一銭も持ってねえよ、さっさと帰れ!」
「そんな口利いてただで済むと思ってんのか? まあいいさ、今日のところは帰ってやるよ。せいぜい身の回りに気を付けるんだな」
「――どういう意味だよ?」
「さあてなあ? まあ、お前が払えねえって言うなら、他にも方法はあるって話だ」
「なっ……」
「また来きてやるから、それまでに考えとけよ?」
男の言葉など信憑性はどこにも無い。一緒に生活をしていた数ヶ月の暮らしで、この男がヤクザになるような度胸など無い事は分かっていた。それでも、もしも……万が一、本当に繋がりを持っていたとしたら?
自分だけならどうなっても構いやしない。
自分が起こした過去が原因だというのなら、仕方がないと諦めも付く。
けれど、ようやく見付けた自分の居場所。櫻花荘での穏やかな生活。将来の夢。そして何より、初めて出来た愛しいと感じる相手を、傷付けるような事があったなら。
想像した瞬間、身の毛がよだつ思いがした。
「――で、その日はホテル泊まって、次の日もつけられてないか様子見ながら一旦帰って、当面の服とか持ち出したってわけ」
「……俺を避けてたのも、そのせいなのか?」
「まあ、そういうこと、かな?」
「馬鹿じゃねえの! おま、お前、マジで頭悪過ぎだろ? 何で自分だけで抱え込もうとすんだよ!」
「みっちゃん……ごめん。でも、俺のせいで皆に迷惑掛けたくなかったんだ。みっちゃんの事も、巻き込みたくなかったから、顔見たいのも我慢してた」
話を聞いて声を荒げた俺に、大輔が寂しそうに微笑んだ。何かを諦めたかのような微笑み方に、胸が締め付けられる。
ろくに寝てもいないのだろう、少しやつれたように見える大輔の表情を見るのが、辛い。
「今日だって本当はさっと通り過ぎようと思ってたのに、キャッシャーのところにみっちゃんの姿が見えて……そしたらさ、馬鹿だよなあ、思わず目で追っちゃったから目が合っちまったし」
「大輔……」
「まずった! って思ったよ……仕事終わって出てきたら、案の定みっちゃんがいるし。あいつに気付かれなくて本当良かった」
「――どっちみち、行ってお前をとっ捕まえてやろうって思ってたんだ。お前が、帰って来ないから……」
「それって、俺に会えなくて寂しかったって事? 俺って結構みっちゃんに愛されちゃってる?」
「なっ、違、そんなんじゃっ」
人の言質を取ったとばかりに嬉しそうな顔をする大輔に、思わず頬が熱くなる。
今のタイミングのでこんな顔は反則だろう?
仕事用の顔をしている時とは違って、こうして素の表情を見せられてしまうと、どうにも落ち着かない気分にさせられる。
言い訳めいた言葉を口にしたところで、赤く染まっているだろう頬は、誤魔化しようが無かった。
「ああもう! んだよ、悪いかよ? 寂しかったならどうだってんだ!」
「え?」
「何だよ!」
「え、あ、いや……マジ、で? みっちゃん、マジで俺の事好きになってくれたの?」
「さあな――この件が片付くまでは教えてやらねえよ」
ここまで来たなら俺も腹を括ろうと、ぶっきら棒に言い捨てる。
顔を染めたまま言い切った俺に、目を見開いた大輔がテーブルの上へと身を乗り出して来るのを、両手でストップと必死で制した。
そうさ、認めるよ。俺は寂しかったんだろうさ。
春海にも指摘されるくらいに、会えないでいる日々は堪えた。
大輔に会えない毎日がこんなに自分を苛付かせるとは思っていなかった。
俺を避けているくせに、仕事とはいえ女をエスコートしている姿を見て、嫉妬した。
ずっと答えを出す事から逃げて来た自身の想いを認めるのは、腹が立つくらい恥ずかしくて。泣きたくなるくらいに照れ臭かった。
「やべえ……俺今、夢見てるんじゃないよな? 空耳じゃないよな?」
「うるせえよ、もうその話は止めだ! 話戻せ、話!」
ぽかんと口を開いて瞠目していた大輔の顔が、見る見るうちに泣き出しそうな笑顔へと変わる。そんな表情を見せられる事すら気恥ずかしくて、俺は無理矢理話を戻そうとした。けれど……。
「はは、やべ、超嬉しい……それ聞けただけで、もう十分だよ」
「はあ? お前、何言ってんの?」
喋りながら、ゆっくりと大輔が立ち上がる。
視界に迫る大輔の顔。そして、ふわりと唇に触れて離れた、柔らかな感触。
「ありがと、みっちゃん……観月に想って貰えただけで、俺には過ぎた幸せだよ。あいつの事は俺自身の問題だから――刺し違えてでも、守って見せる……」
「ッ、大輔っ! ふざけんな!」
一瞬の接触に惚けている間に立ち去ろうとする大輔の腕を、慌てて掴んで怒鳴り付ける。
突然の怒声に驚いたのか、大輔はそのままの体勢で動きを止めた。
「そうやってまた一人で背負い込む気か? お前が俺達を、俺を守りたいって思ってくれてんのと同じように、俺だってお前を守りたいんだって事が何で分かんねえんだよ!」
「――みっちゃん」
「もっと頼れよ! お前は昔とは変わったんだろ? 刺し違えてもなんて、そんな馬鹿な事冗談でも口にすんじゃねえ!」
静まり返った店内に響く俺の怒鳴り声。
次の瞬間、動きを止めたままじっと俺を見ていた大輔の腕の中に、すっぽりと包み込まれていた。
「好きだよ、みっちゃん……俺から手を出したりはしないって、約束するよ――店には絶対来ちゃ駄目だからね? ごめん、観月」
「大輔!」
痛いくらいに力の籠められた腕が緩むと同時に、大輔が背を向けて飛び出していく。その背を追って直ぐに外へと向かったけれど、俺が店の外へと出た時にはすでに、大輔の姿は消えていた。
「あの、馬鹿が……」
悔しさと憤りに、視界が歪む。
これまでずっと一人で生きてきたあいつだから、誰かに頼るという事なんて出来ないのかもしれない。けれど、だからこそ、頼って欲しかった。
俺には何も出来ないかもしれないけれど、それでも……大輔を失いたくない。こんな馬鹿げた事で、あいつがこれ以上傷付くなんて、俺には耐えられない。
「目には目を、歯には歯をだ……早まるなよ、大輔」
取り出した携帯電話を握り締めながら漏らした呟きは、夜の闇へと消えて行った。
その日も結局大輔が櫻花荘へと戻って来る事は無かった。
もやもやとした感情を抱えながら仕事を終えた俺は、自分自身の頬を両手でパシンと叩いて気合を入れると、ネオンの煌く繁華街へと足を向けた。
あの男が連日大輔を訪ねて来ているのかは分からなかったけれど、昨夜の大輔の様子を思えば、もし奴が今日接触してくるようなあったら、何かが起こるかもしれないと気が気じゃなかったのだ。
「――うっわ、ビンゴだよ……」
昨日と同じ路地にあの男がいるのを確認した俺は、自分もまた一本先の路地に身を潜めて携帯メールを一通送った。
祈るような思いで送信終了を示す携帯の画面を閉じる。昨日と同じ時間に大輔が店を出てくるならば、あと一時間半ほどだろうか。
「営業終了まで一時間か……間に合ってくれよ――悪いな大輔。俺も黙って見てるのは性に合わないんだ」
店の前に飾られた北斗の写真に語り掛ければ、写真の中の北斗が、困ったように笑った気がした。
あとは店が終わるまで、あの男が妙な動きをしないように注意を払っていれば……そう思っていたのだけれど。
店から女性客をエスコートした北斗が姿を現した。
甘い笑みを浮かべて女性客を見送る北斗の姿に眉根が寄る。こんな時だというのに嫉妬の感情を抱く自分が情けなくなる。
「あれ? ちょ、おいおい、大輔……」
店へと戻るのだろうと思っていた北斗が、真っ直ぐ道路を横切って来る。
北斗の視線の先には、あの男の姿。
「マジかよ……」
先ほど閉じたばかりの携帯を開き、慌てて新たなメールを送信する。
こんなことならメッセージアプリのIDも聞いておけばよかったと舌打ちをひとつ。
予定よりも大分早い時間での、急な展開。
失敗した、読みが甘かった。
きっとあいつは、昨日の話を聞いた俺が来る事を見越していたのだろう。店が終わる時間に合わせて来ると予測して、俺が鉢合わせる事が無いように、このタイミングで話を付ける気なのだ。
帰って来ない返信を待ってなどいられずに、俺は焦る気持ちのまま、2人の消えた路地へと向かって駆け出した。
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