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Family…幸せになろうよ (27)
しおりを挟む躊躇う素振りを見せる濱田に、思わず語気が荒くなる。ここ数週間の彼の態度に対する鬱憤もあったのだろうけれど、声を張り上げた僕の固い表情を目にした濱田が、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……何、笑ってるんですか」
「いや、別に――あっ、仕事……」
「行けるはず無いでしょ! せめて今日と明日は、昼と夜どっちの仕事も休んで下さい!」
久しぶりに目にした濱田の笑顔にときめく間も無く、不穏な言葉を口にする彼に僕の眦は吊り上がる一方だ。
剣幕に驚いたのか、一瞬きょとんと子供のような顔をした濱田は、次の瞬間瞳を細めて僕を見る。
「……はい」
「薬はあるんですか? 病院に行った方が良いんじゃ……」
「いや、病院は……薬は、苑良の、子供用だけ」
「分かりました」
僕の気も知らずに微笑む濱田の姿に苛立って、落ち着こうと思うのに、口を突いて出るのはキツイ言葉ばかりだ。
そんな自分に自己嫌悪に陥りながらも素直に返事をする濱田に頷きを返し、部屋の入り口引き戸の辺りにいた苑良へと声を掛ける。
「苑良お待たせ、買い物に行こうか」
「とお、ひとりへいき? さびしくない?」
「大丈夫だから、行って来い。成宮さんに、迷惑かけんなよ」
「なるべく急いで戻りますから」
心配そうに濱田を振り返る苑良の手を引いて、アパートを出る。
外へと出た瞬間、膝から下の力が一気に抜け落ちた。
「なぁやくんっ」
「……ごめん苑良、何でもない」
「だいじょうぶ? いたいの?」
「ううん、どこも痛くないよ……苑良、偉かったね」
「なぁやくん?」
突然崩れるようにしゃがみ込んだ僕に寄り添うように、苑良も傍らにちょこんとしゃがみ込む。
心配そうに僕の顔を覗き込む苑良に笑みを向け、小さな頭を優しく撫でてやれば、その小さな頭が説明を求めて傾げられた。
「一人で怖かっただろ? ちゃんと電話出来て……偉かった」
「……そら、えらい?」
「うん。偉かったから、苑良にはプリン買ってあげる。今日のご褒美」
「わぁいっ! なぁやくん、はやくいこっ」
はしゃぐ苑良と、手を繋ぎながら商店街を目指す。
さっきまでべそを掻いていたのに、今や頭の中はプリンで占められているらしい。ぷっりん、ぷっりん、と妙な節を付けた歌を歌いながら、表情には笑顔が浮かんでいた。
(大した事無さそうで、本当に良かった)
苑良からの電話を受けた時、濱田が動かないという言葉を聞いて、一瞬で血の気が引く思いをした。アパートに駆け付けて、布団の上に横たわった彼の姿を見てぞっとした。
僕はまだ、濱田に自分の気持ちを伝える事すら出来ていない。ようやく自分の想いを認めたばかりなのに、伝えられないままになってしまう事が、とても怖かった。
「――ねえ苑良……僕ね、濱田さんの事が好きなんだ……好きでいても、良いかな?」
「そらもなぁやくんがすきっ! とおもなぁやくんがすきだよ!」
「うーん、そういうんじゃなくて……苑良のママみたいに、濱田さんを好きになっても、大丈夫?」
「そらのママ?」
「うん。苑良のママは、濱田さんの事が……パパの事が大好きだったから、苑良が生まれて来たんだよ。僕もそんな風に、苑良のパパの事が好きなんだ」
幼過ぎる苑良には理解出来ないかもしれない。
理解出来る年齢になったら、それこそ僕はあの中学時代のように、辛い思いをする事になるのかもしれない。
今はこうして純粋に慕ってくれている苑良の瞳に、嫌悪の色が浮かんでしまうなんて、想像するだけでも辛いけれど……これは僕の、ケジメだと思うから。
濱田にとって掛け替えの無い存在である苑良。
苑良にとっても同じように、大切な存在である濱田。
だからこそ、苑良の気持ちを聞いておきたかった。後になって騙されたと罵られる事があったとしても、今のこの瞬間、苑良に認めてもらわなければ、前に進んではいけないと思ったのだ。
それが例えエゴだとしても。
そんな決意を胸に、緊張で汗ばむ手で小さな手を繋ぎ歩く僕に、苑良は不思議そうに口を開いた。
「そら、パパいないよ」
「え? 何言ってるの?」
最初は笑い飛ばした答えだった。苑良のママが亡くなって、濱田が一人で苑良を育てている。苗字だって彼と一緒の『濱田』なのだからと。
「いるだろ? 苑良がそんなこと言ったら、濱田さん悲しくて泣いちゃうぞ?」
「んー……だって、いないもん」
「いない、って……とおの事だよ?」
「とおはとおだよっ、パパは、わかんない」
「え?」
進めていた歩みが止まってしまう。
絶句する僕を見て、苑良が唇を尖らせた。
「なぁやくん、ぷりんっ」
「あ、ああ、ごめん……」
小さな手に引っ張られながら再び歩み始めたけれど、僕の頭の中には疑問符が飛び交っていた。
「ねえ苑良……濱田さんは、とおは、本当に苑良のパパじゃないの?」
「ちがうよぉー」
「違う――って」
自分に都合の良いように聞き間違えてしまったのかもしれないと、改めて聞いてみても、帰って来る答えは同じものだった。
「なぁやくんは、とおも、そらも、すき?」
「……うん、好きだよ」
「そらがいいよっていったら、なぁやくんずっといっしょ?」
「苑良……そうだね、ずっと一緒にいたいなって思ってるんだけど、良いかな?」
「いいよっ! なぁやくんといっしょ! うれしいねー?」
気が動転してしまって、先に自分が問い掛けた質問すら忘れていた。
そんな僕とは違って、きちんと尋ねられた事を覚えていたらしい苑良からの、唐突な問い返しだった。
パパじゃない、その言葉の意味は分からないままだったけれど、勿論と頷いた僕に、苑良の表情がぱっと輝いた。久しぶりに目にした弾けるような笑顔は、やっぱり濱田とそっくりで。
商店街のお店を数件回って買い物を済ませ、アパートに帰り着くまで……僕の中にはずっともやもやとしたものが渦を巻いていた。
「……薬、効いたみたいだな」
豆電球の灯りに絞った部屋の中、寝息を立てる濱田の額へと、そっと手を翳す。荒かった呼吸も落ち着いてきたところを見ると、明日の朝には熱は下がっているだろう。
あの後、苑良と一緒に帰宅した僕は、疑問の答えを問い質す事も出来ないまま、これまで経験した事の無い看病という大役に一人てんやわんやしていた。
まともな料理なんて殆どした事が無いから、それだけでも手一杯で。麺つゆの中にうどんと玉子を落としただけの、料理とも呼べないような代物くらいしか作ってあげる事が出来なかった。
苑良にも同じものを食べさせたのだけれど、苑良も濱田も気を使ってか、美味しいと言って食べてくれた。
自分でも食べてみたけれど……ちっとも美味しくなんかなくて。
『無理に食べなくても良いですよ……』
そう告げた僕に、濱田は微笑みながら首を振った。自分の為に誰かが作ってくれるのなんて、久しぶりだから嬉しい。そう言って、食欲が無いと言っていたにもかかわらず、完食してくれた。
僕は自分が情けなくて、少しは料理の勉強もしなくちゃと心に誓った。余り気は乗らないけれど、雄大に頼めば教えてくれるだろうと、小さく溜息を吐きながら。
濱田に薬を飲ませ、眠りに落ちては目覚める彼の汗を拭き、着替えさせた。最初濱田には遠慮されたけれど、立ち上がればふらつく様を見れば、じっとしてなどいられなかった。
後から思い返せば赤面してしまうような行為だけれど、その時は必死だったから。恥ずかしいとか照れ臭いとか、そんな事を思う暇も無かった。
そうこうしている間にいつもの二十時。眠い目を擦りつつ、濱田と一緒に寝たいとぐずる苑良を宥めて、普段は食事を取る為の隣の部屋に、苑良用の布団を敷いて寝かし付けた。
子供に対する苦手意識がずっとあった僕だったのに、こんな風に長い時間苑良と一緒にいることを、苦痛だとは全く感じていない事に内心驚いていた。
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