これはひとつの愛の形

らがまふぃん

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アシュカ共和国編 *切ない*

後編

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 イトを見つけてから、三年の月日が流れた。
 八歳になったイトは、やっと年相応の体型になってきた。栄養のバランスなんてわからないが、肉も魚も野菜も毎日食べさせるようにしていた。最初こそ鳥のエサくらいの量しか食べられなかったが、今では人並み程度に食べられるようになった。隙あらば肥えさせようと、ゼヴォがおやつを与えるので、食事が摂れなくなる、返って体を悪くする、とみんなに怒られ、渋々、十時と十五時だけにした。これじゃー足りないよねー、と追加しようとして怒られるゼヴォを見ることも、日常の一コマだった。
 魔力がなくても誰も気にしない。自分たちが仕事に行っている間、水がなくては困るだろうと、大きなかめにたっぷりの水を入れておいてくれた。寒い季節は火が必要だった。暖炉を使用し、そこから必要なときに取り出すよう教えた。取り扱いについて、危ない物だからと何度も何度も手順を叩き込んだ。お風呂もシャワーの使えないイトのためにバスタブを購入し、たくさんのお湯を湛えさせた。
 イトは、とても幸せだった。

 ある日のことだ。
 時刻はもう日付も変わった深夜。
 部屋の外が騒がしくて、イトは目を覚ました。
 眠い目を擦りながら起き上がると、少ししてディーンが慌ただしく入ってきた。
 「イト、起こしちまったな。騒がせてすまねぇ。すぐに着替えてくれ。ここを出る」
 それだけ言うと、ディーンはまた扉の向こうに姿を消した。
 イトはすぐに動いた。大切なものを詰め込んだ、小さなリュックを背負ってみんながいるリビングへ向かった。
 「よし、早かったな。偉いぞイト。行くぞ」
 ディーンはイトの手を引いた。
 ディーンは常々言っていた。人に誇れる仕事をしていない、何があるかわからないから、何かあったらすぐに動けるよう準備をしておいてくれ、と。
 「兄貴、まだ大丈夫だ。急ごう」
 マルが先行して危険を確認する。
 「イト、走れるか?」
 イトはコクコクと頷いた。
 逃亡するのに子どもは足手まといのはずだ。それなのにディーンたちは当たり前のようにイトの手を引く。イトを連れ歩く姿を日常的に見られている。イトの存在は知られているとみて間違いない。置いてなどいけるか。本当だったら、こういうときのことを考えて、イトを隠しておくべきだった。いや、子どもを閉じ込めるなんて出来ない。広い世界を知らずにいさせるなんてダメだ。
 いや違う。わかっている。本当は、一番いいのは、自分たちに関わらせないことだと。
 自己満足でしかない行為だった。それによって、巻き込んでしまった。謝って済む話ではない。だからせめて、無事に逃がさなくては。イトだけは。
 イトは一生懸命走った。街を抜けて、次の街へ続く街道に出ると、脇に群生する森へと入っていく。それでもしばらく走り続けてから、ようやく足を緩めた。みんな息が上がっている。それでも足は止めない。
 「偉かったな、イト。よく我慢した」
 途中でイトを背負って走ってくれたディーンに、イトはもう大丈夫だからと、降ろすよう言った。
 「あ、あり、がと、もう、歩ける。あり、がと」
 「大丈夫か?辛くないか?」
 心配そうに尋ねるディーンに、イトはコクコクと頷く。ディーンは苦笑して降ろした。降ろす一瞬、イトはキュッとディーンを抱き締めた。
 「ありがと、ディーン」
 イトの綻んだ顔に、みんなが微笑んだ。

 少しして、ディーンが不意に立ち止まる。
 「兄貴?」
 「どうしたんですか?」
 マルとカシュバの声に、シッと口に指を当てて静かにするよう促す。
 ディーンは周りを見回すと、一点に向けて魔法の水の矢を放った。
 「ほうほう、よく気付きましたね」
 殺すのは惜しいですよ、と楽しそうに言う男が現れた。
 全員が警戒する。
 「残念ですよ、ディーン。私はそれなりに目をかけていたのですが」
 少しも残念そうではなく男は言った。
 「密輸ルートをひとつ潰すと言うことが、どれだけの損失かわかります?」
 「オレじゃない、と言っても聞いてはもらえねぇだろ」
 「正直どっちでもいいんですよ。貴方だろうが、報告をしてきたザバロだろうが、どっちでも。問題なのは」
 男はノーモーションで風を圧縮した空気砲を撃ってきた。
 「ボスがお怒りということです」
 ギリギリのところでディーンは防御壁を展開したが、たった一発で防御壁は霧散した。
 「チッ!」
 ディーンは思わず舌打ちをする。相手はこの組織最強の男、王族級の腕を持つボスの側近中の側近、クチハ。貴族級程度の自分が勝てるはずもない。それでも何とか四人を逃がそうと考える。
 「無駄ですよ。全員殺せとの命令です」
 「逃げろ、兄貴!」
 「イト、兄貴を頼んだぞ!」
 「頼んだぞー!」
 突如、マルたちがクチハに突進する。
 「やめろ!おまえら!!」
 「早く行け!行ってくれ、兄貴!」
 「後で合流な!」
 「またねー!」
 ディーンは唇を噛みしめた。言い合っている場合ではない。イトを抱き上げ、三人に背中を向けた。
 クチハは呆れたように溜め息をついた。
 「無駄だというのに」
 上空に展開された魔方陣から、夥しい数のこぶし大の石が降ってきた。
 ディーンは咄嗟にイトを抱え込み、小さく蹲って防御壁を展開させる。出来るだけ小さく、密度のある防御壁を。
 どのくらいそうしていただろう。あるいは十秒にも満たなかったのかも知れない。
 石の雨が降った場所は、数十センチほど陥没していた。立っている者はクチハのみ。圧倒的な暴力が止み、辺りは静かだった。
 「ふむふむ、こんなもんでしょう」
 溶けるように、クチハの姿が消えていった。

 「い、イト、だいじょ…か」
 イトはコクコクと頷く。
 「怖…思い…ごめんな」
 ヒューヒューと、ディーンの喉から音がしている。イトはボロボロと涙を零しながら、ブンブンと首を横に振る。
 防御壁と、ディーンの体が盾になり、イトは奇跡的に無傷だった。
 「イト、た、頼み、ある」
 この先に、いざという時の隠れ家があるという。そこまで連れて行ってくれ、とディーンは言った。
 イトには魔力がない。自分たちに何かあったら、一人で生きていかなければならない。あの隠れ家なら大丈夫。近くに飲用に使える小川がある。火をおこしやすい木がたくさん落ちている。街に行けない日が続いても、あまり美味しくはないが、栄養価の高い食用の木の実が手に入る。サバイバルの知識だって教え込んできた。大丈夫。イトは、ちゃんと生きていける。
 ディーンの体はボロボロだった。生きていることが不思議なくらいだ。イトは、グイ、と袖で涙を拭うと、小さな体でディーンを支えて歩き出した。
 何度も倒れそうになりながら、倒れたらディーンはきっともう起き上がれない、とギリギリで踏ん張った。
 ようやく辿り着いた場所は、小さな二階建ての家。今にも朽ちてしまいそうな見た目に反して、中は意外としっかりしていた。二階に連れて行って欲しいというので、一段一段慎重に支えながら上った。
 小さな窓から見える空が、紫色をしている。もうすぐ夜明けだ。
 ディーンをベッドに横たえると、ありがとな、とイトの頭をゆるゆる撫でた。
 ここの部屋から見える朝焼けが、とても美しいのだという。イトと一緒に見たかったのだと。
 「なんか、して欲しいこと、あるか?」
 大したことはしてやれないけれど。
 いつも照れてそっぽを向くディーンが、今日は優しく見つめてくれている。
 おまえを見つけたとき、なけなしの力で俺の手、掴んだだろ?
 あれで、救われた。何でかわからないけど、救われたんだ。
 ほとんど力が入らない手を伸ばし、イトの頬を撫でる。イトはその手を両手で包み込んで、頬をすり寄せた。
 「なまえ、よんで」
 ディーンは笑った。
 「イト、イト」
 みんなは糸目のイトだと思っていた。
 でも知っている。
 本当は。
 「イト



 朽ちかけそうな家の前に、四つの向日葵が咲いている。
 朝日が昇る頃、一人の少女が家から出て来て、その向日葵に水をやる。
 少女の髪を飾るのは、年齢にしては少々幼く感じる、向日葵と同じ色をしたひよこの髪飾りだ。
 数え切れないほどたくさんの愛をもらった少女は、今日も生きる。
 「おはよう、みんな。今日もキレイな朝焼けだよ」
 大切に大切に、思い出あいを抱えて。


 *おわり*

 最後までお読みいただきありがとうございました。
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