愛を知らない者たちの愛

らがまふぃん

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 暗い水の中にたゆたっている。時々外から音が聞こえる。その音は、まったく意味がわからないが、不快な音であった。
 どのくらいそこにいたのだろう。ある日変化が訪れる。急に苦しくなり、何とかそれに耐えていると、暗い水の中から明るい外へ出た。
 それが、覚えている一番古い記憶。
 胎内の記憶だと知ったのは、いつだったか。
 大人は一人しかおらず、いつもヒステリックに喚いている女だった。体内で不快だと感覚があったのは、この女の声だったようだ。食事は碌に与えられず、暴力と暴言はお腹いっぱい与えられた。繰り返される暴力に、ある日ふと気付いた。
 ああ、これはこの女の愛情表現なのだ、と。
 時々大人の男を連れてくると、女は自分に向けたことのない顔をする。部屋に籠もって自分には聞かせたことのない声をあげている。いろいろな男にそうしていた。だから、そいつらに見せない顔を自分に見せるということは、自分は特別なんだと思った。
 それなら、自分もその愛に応えよう。
 「や、やめて、あやまる、あやまるから」
 女は怯えている。頭から流れる血を止めようと、傷口を懸命に押さえながら泣いている。意味がわからない。なぜ泣いているのか。その愛に、応えているだけなのに。
 「どうして泣くの。ボク、ただ応えているだけだよ。あっ」
 首を傾げる。そして唐突にわかった。
 「そっか。嬉しいんだね」
 女は顔を引きつらせて首を振っている。
 「ボクも嬉しいよ」
 やっと愛を返せるんだから。
 「愛してるよ、母さん」
 気付くのが遅くてごめんね。
 でも、ほら。
 これでずっと、ボクの愛を感じられるでしょ。
 ボクの心にずっといられるんだから。



 六歳から施設で育った。保護する者がいないかららしい。ここでは毎日三食食べられた。でも、ここにいる大人たちは、誰も自分を特別に扱ってくれない。他の子どもたちと一緒くたにされている。なかでも、何人かの大人は、母さんが連れて来た男たちを見るような目で、ボクを見ていた。綺麗ね、可愛いね、と体に触れてくる。特別どころか、あんな有象無象と同じ扱いをされることが、不快で仕方なかった。
 だから逃げた。
 ボクを特別に扱ってくれる人を探して。
 すると、すぐに別の大人に捕まった。
 「うわ、極上の子どもじゃねぇか。すげぇ高く売れるぞこりゃあ」
 そう言って、娼館に売られた。娼館の主に、おまえは一番になる、と言われ、あらゆる教養を叩き込まれた。九歳になる頃、初めての客を取ることになった。まだ子どもだなんて通じない。そういう店だからだ。初めての客は、贅肉がほどよくついた貴族の女だった。こんな子ども相手に何を欲情するんだろう、そう思っていた。しかし、その女はボクを性欲の対象として見ていなかった。ただ、誰の目も気にせず話がしたかったと言った。女は自分の話を楽しそうにしていた。そうして時間までおしゃべりを続けた。帰りに、また来るわ、話を聞いてくれてありがとう、と言った。
 それから、一週間に一度くらいの頻度で女は来るようになった。女が来ない日は、別の客を相手にしている。一日一人の相手をするだけなので楽ではあるが、あの女と比べてしまう自分に気付いた。あの女以外の客は、容赦なくボクを性対象としている。ボクの気を惹こうと、たくさんの貢ぎ物をしてくる。どれにも興味を惹かれない。ボクは穏やかに話すあの女との時間以外、価値のないものと判断した。
 しばらくすると、女が店に来なくなった。約束をしていたわけではない。けれど、気持ちが落ち着かなかった。
 女が来なくなって一月余り経った頃だ。娼館の主がこっそりボクを呼んだ。そこで聞かされたのは、最初に来なくなったあの日には起き上がれなくなっており、昨日、あの女が死んだということだ。病気を患っていたらしい。
 ボクは初めて後悔した。
 これではずっと一緒にいられないじゃないか。
 ボクの手で殺さなくちゃ、ボクの心で生きられないのに。
 最期に見たモノがボクじゃないなんてあり得ない。
 あの女を、ボクのモノに出来なかった。
 ボクは価値のなくなった娼館を辞めた。主は引き留めたけど、売上げやら女たちの貢ぎ物やらで、ボクを買い取った額と教育費併せても、優に超える金を儲けさせたのだから、好きにさせてもらう。邪魔をするなら殺すだけだ。
 主は渋々受け入れた。命拾いしたね。
 この顔は目立ちすぎる。だから隠そう。あの貴族の女が綺麗だと言った、赤い目と共に。
 さあ行こう。たったひとつ、貴族の女がくれた、ボロボロの一振りの剣だけを持って。
 この剣が、あなたを守ってくれますように。
 貴族の女は、そう言って笑っていた。


 *つづく*
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