水晶の日

四季人

文字の大きさ
1 / 2

水晶の日-上-

しおりを挟む


 大人になるのが怖い。




 それは、物心ついた頃から、漠然ばくぜんとした恐怖として、私の心に居座り続けていた思いだ。
 ごつごつした身体の、大人の男の人。
 ふわふわした身体の、大人の女の人。
 生き続けていれば、そのどちらかになる…いや、なってしまうという決定事項は、私を絶望させた。
 私は、私の身体を気に入っていたのだ。
 細くて、しなやかで、お風呂場の鏡に映る全身の輪郭も、公園の地面に伸びる影の形も、とても美しいと思っていた。

 やがて、私は性別の違いが、下着の種類と、トイレのどちらに入るのかという区別だけでないことを知った。
 現実から逃げたくても、日常を生きているうちに、私の身体は徐々に〝女性〟になっていく。
 腹痛と頭痛と気分の悪さに耐えなければいけない日がくると、人一倍憂鬱ゆううつで、それが子を成す為の準備であるという事実も、私を絶望に追い込んだ。
 だから私は当然のように、現実からの逃避先として、本や映画や音楽といった創造物の世界にのめり込んでいった。


 教室の窓際、一番後ろの席。
 昼休み、私は春の雨の音を聞きながら、スマホで恋愛映画を観つつ、ぼんやりと過ごしていた。
 すると突然背後で、
「あ…」
 という声がして、私は振り向いた。
 丸いセルフレームの眼鏡を掛けた女の子が何か言いたげにこちらを見ている。
 おさげにしてる髪は艶々つやつやで、すっぴんの肌もとてもキレイだ。
「ご、ごめんなさい! 覗くつもりじゃなかったんだけど」
 慌ててそう言う彼女は、目を逸らしながら手を振る。
「…私もその映画、好きなの」
「あ……そう、なんだ」
 つられて私も、妙に緊張した喋り方になってしまう。
 初めて観る洋画で…しかも、そんなに面白くないな…と思っていた矢先だったから、少し面食らってしまったというのもある。
「突然ごめんね!私は、棚橋たなはし 沙梨さり。……ええと、樫野かしの 由仁ゆにさん、だよね?」
「え、うん」
 私は答えながらも、見た目のイメージに反して距離を詰めてくる彼女…棚橋さんを、少し警戒していた。
「樫野さん、映画好きなの? 私、趣味の話が出来る人探してたんだ」
「そう、なんだ。…うん、よく観るよ、映画」
「本当⁉︎ あ、ねぇねぇ、この前公開された〝恋逃げ〟の映画版、観た⁉︎」
 恋逃げ? …ああ、〝どうやったって恋から逃げられない〟の略か。
「あ、それはまだ観てない」
「そうなの? すっごい良かったよ! 私また観に行こうと思って」
「え? 映画館に?」
「そうだよ、もちろん」
 棚橋さんは、ニコッと可愛らしい笑顔を浮かべる。
 私は、同じ映画を映画館で何度も観る人って、本当にいるんだ…なんて事に感心していた。
「良かったら、一緒に行かない?」
「えっ⁉︎ えぇと……」
 私が戸惑ったのを見て、棚橋さんはハッとして、
「あ、そ、そうだよね! いきなり過ぎだよね、ごめんね」
 しゅんとした様子で、肩を落とす。
 その時、昼休み終了のチャイムが鳴り、棚橋さんは、そのまま席に引き返して行った。
 私はその瞬間、つきり、と胸に小さな痛みを感じた。
「た、棚橋さん、あとで話そ!」
 気がつくと、私は彼女の背中にそう声を掛けていた。
 棚橋さんはびっくりして振り向いた後、私を見て、「うん!」と跳ねるような声で返事をしてくれた。


 次の土曜日の朝、私たちは映画館が入ってるショッピングモールで待ち合わせをした。
 劇場入口に現れた棚橋さんは、白いブラウスにベージュのジャンパースカートを可愛く着こなしていた。…まるでデートに挑む女子みたい。
 対して、パーカーにデニムスカートという普段着の私は、彼女に隣に立たれた瞬間、言いようのない恥ずかしさを覚えた。
 二人で先にチケットを買いに行ったが、並んで取れる席が端っこしか無いので、真ん中付近の席が取れる午後の上映回のチケットを買う。
 上映時間まで数時間、私たちは暇つぶしに、お店を見て回る事にした。
 歩きながら、ふと横を見やると、可愛い格好の棚橋さん。
 隣を歩く私の事を、彼女はどう思ってるんだろう…と、少し不安になる。
 そんな私の気持ちの揺らぎに気づいたのか、棚橋さんは、こっちを向いて、にっこりと笑う。
 そして、おもむろに私の手を取った。
 私はビックリして、頭の中が真っ白になる。
 棚橋さんの、少しひんやりとする、なめらかな手に引かれて、歩いた。
 誰かと手を繋いで歩くなんて……何年振りだろう。
「ねぇ、服見に行かない?」
 その言葉に、ドキリとする。
 どうして、私が考えてる事が分かったの?


 彼女と手を繋いだまま、ファストファッションの店に入った。
 流行りの服は、基本どこのお店も高いけど、ここで買えば、質はともかく同じようなアイテムが安価で手に入る。
 棚橋さんは、あちこちから手当たり次第に服を取っては、楽しそうにわたしの体に当ててみていた。
 その雰囲気にのまれて、若草色のワンピースと白の細ベルトを試着し、買ってしまってから、はたと我に返る。
「かわいい! ゆにちゃん、そういう服似合うね」
 その一言が、私の記憶に強烈に残っていた。

 紙バッグにパーカーとデニムスカートを畳んで入れ、私はワンピースに着替えて歩く。
「ミュールかサンダルもあわせられれば良かったんだけどなぁ」
 ニコニコ笑いながら、残念…と棚橋さんは言う。
 私は足元を見る。いつものスニーカー。
 いくら安い店とはいえ、流石にサンダルも一緒に買ってしまったら、今日のお昼ご飯代も無くなってしまう。
 ……とはいえ。
 私は、自分から歩くたびに広がり、揺れるワンピースの裾に正直心を奪われていて、小さな頃、ドレスに憧れて可愛いワンピースを親にせがんだ事をぼんやりと思い出していた。
「少し早いけど、お昼ご飯食べる? ちょうどいい時間は、どこも混んじゃうよね」
 棚橋さんは、慣れた感じで私をフードコートまで誘導する。
「お買い物させちゃったもんね。あ、ここのパスタ、安くて美味しいよ」
 お店の一覧のボードをピッと指差して、彼女は言う。
「あ……」
 知ってる。そこ、私が好きで、よく食べるワンコインのパスタ屋さんだ。
 私は、次々と合わさっていく棚橋さんとの好みに、ドキドキする気持ちが収まらなかった。
 パスタ屋さんに二人で並んで、私はボロネーゼを、棚橋さんはジェノベーゼを頼んだ。
 ……ジェノベーゼ。
「それ、美味しいの?」
 テーブルに向かい合わせて座り、彼女の前にあるお皿に盛られた緑一色のパスタを見て、私はふと訊いてみた。
「うん。あれ、ゆにちゃん食べた事ない?」
「うん、知らない食べ物に挑戦するの、少し苦手……」
「ちょっと食べてみる? まだ手をつけてないから」
 言うなり、彼女は立ち上がり、「あ……」と声を掛けそびれた私を置いてお店に戻ると、子ども用の小さい器を持って戻ってきた。
 そして、そこにいそいそと一口分をキレイに盛って、笑顔で私に差し出す。
 まいったな……これ、断れないやつだ。
 棚橋さん、結構強引なところがあるみたい……。
 私は仕方なく、その一口分から半分だけをフォークに絡め、口に運んだ。
「………。………!」
 数回噛んで、私は思わず棚橋さんを見る。
「美味しい…!」
「良かった!」
 彼女も、にっこり笑う。
 ……びっくりした。
 見た目に反して凄く食べやすい。バジルの香りも程よく、チーズのコクと風味がクセになりそう。
 器に残った分をフォークで取っていると、
「………ふふ」
 不意に棚橋さんが笑った。
「え、どうしたの?」
「んーん。でも、ゆにちゃん今、緑が大好きな人みたいになってる」
 言われて、はたと気づく。
 若草色のワンピースに、深いグリーンのジェノベーゼ。
「……ほんとだ」
 私も、思わず吹き出した。
「ゆにちゃんのも、少し貰っていい?」
「え、うん」
「あ、いいよ、そのままその器で」
 私はボロネーゼのソースごと、一口分、器によそって、棚橋さんに差し出した。
 ……なんだか、凄い仲良し同士がするような事を、棚橋さんはスッと自然な振る舞いで誘ってくれる。
 その感じが心地よくて、私は思わず微笑んだ。
 棚橋さんは上品な手つきでパスタを絡め、口に運ぶ。……なんて言うか、すごく、きれい。
「美味しいね。私、いつもコレだから、違うのを久しぶりに食べた」
「そうなんだ。今度きたら、それ頼んでみようかな」
「気に入った?」
「うん」
 私が言うと、彼女はにこにこ笑う。
 ……こんな楽しいご飯、はじめてかも。


 入場時間になり、二人で映画館に入る。
 ……教室で声を掛けられた時は、そんなに乗り気じゃなかったのに、今はなんだかすごくワクワクしてる。
 座席に座ろうとした時、右隣の棚橋さんと目が合って、私はなんだか心地良い気分に包まれていた。
 映画が始まる。
 目の前に大きく広がる物語。
 画面を見るというよりも、その中に入っていくような錯覚が、とても心地いい。
 〝どうやったって恋から逃げられない〟──。
 去年のお正月明けから始まったドラマの最終回の、その後を描く、ありがちな劇場版。
 ゲストは、人気グループのメンバーと、去年の秋に主演映画が大ヒットした熟年俳優。
 作品のファンも納得のいく、贅沢だが冒険のない映像と物語……。
 ……わかってはいたけど、ああ、やっぱりか……と落胆する自分はごまかせない。
 そんな時、
「………!」
 椅子の手すりに乗せた私の右手に、少しひやりとした、柔らかな手が被さった。
「棚橋さ………」
 そちらを向いて、私は息を飲む。
 彼女は、スクリーンの青白い光を浴びながら、静かに涙を流していた。
 その透明感のある横顔に、胸を打たれた私は、前に向き直る。
 主人公と、その彼氏が、震えながら抱き合い、お互いの気持ちを確かめていた。
 棚橋さんには、とても美しい情景シーンに映っているのだろう。
 その純心さに、私は今までにない胸の高鳴りを感じていた。


 ……重ねられた棚橋さんの手、その指が、戸惑う私の指の間に、するん、とおりてくる。

 私は迷いながら、それでも手を引っ込める事はせず、彼女の指を、きゅ、と挟む。


 それはまるで、スクリーンの中の、ふたりの身体のような、甘い絡まり。

 ……やがて、物語はクライマックスから、余韻を残すラストシーンへと繋がっていく。
 エンドロールが流れ、劇場全体が明るくなるまで、私たちは絡めた指を解かなかった。

「面白かった!」
 棚橋さんは、映画館を出るなり、とてもスッキリした顔と声で、そう言った。
「うん、そうだね」
 私は、まださっきのドキドキが残ってる。
「2回目だけど、やっぱり良かったなぁ。また泣いちゃった」
 しみじみと言う彼女は、そのシーンから私と手を……。
 その時の事を思い出し、私は顔が赤くなっていくのを感じた。
 どういうつもりだったんだろう?
 映画のストーリーに飲まれていない今、私は気持ちを少し落ち着かせながら、考えていた。
 隣を歩く彼女の想いが、知りたい……。

「そろそろ帰ろうか」
「え⁉︎ あ……うん……」
 突然切り出された私は、驚きながらも、頷くしかなかった。
〝棚橋さん、どういうつもりだったの?〟
 その言葉を口から出せず、私はもやもやした気持ちを抱えながら、彼女と二人、ショッピングモールを出た。
 辺りは暗くなり始め、駅やバス停に向かう人の流れもピークを迎えている。
 彼女は電車、私はバス。
 ここでお別れになる前に、確かめたい。

「あの………」
 私の呼び掛けに、
「なぁに?」
 彼女は微笑んで、私の方を向く。
「棚橋、さん………」

〝さっきの、は………なんだった、の?〟

 胸の中にだけ響く、頼りない言葉。

 それを、見透かすように、棚橋さんは私の前に来ると足を止め、私を制止した。
 夕暮れの紫を背負って、彼女は少し大人びた笑顔を浮かべながら、私を見る。

 そして、正面から私の両手を静かに取って、そのまま半歩近寄ると、私の唇に、優しく唇を重ねてきた。

 それは、一瞬の出来事過ぎて、私が気がついた時には、彼女はもう私から離れていた。

 まぼろし?
 ……いや、そんなわけ無い。
 だって、この唇には、彼女の感触と体温が残ってる。

「──ねえ、ゆにちゃん」
 棚橋さん。

「……私の事は、沙梨さりって呼んで」
 ……さり、ちゃん。

「ゆにちゃん、私……もっと、あなたとなかよくなりたいな……」

 愛おしげな目でそう言った沙梨ちゃんに、
 私は、生まれて初めて、恋をする、という気持ちを知ったのだ。

                           了
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合短編集

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

せんせいとおばさん

悠生ゆう
恋愛
創作百合 樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。 ※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

春に狂(くる)う

転生新語
恋愛
 先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。  小説家になろう、カクヨムに投稿しています。  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...