水晶の日

四季人

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水晶の日-下-

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 いつまでも、清らかなままでいたい。




 棚橋たなはし 沙梨さりちゃん。
 私の友だちで、私の……。

 *****

 2人で映画を観て、その帰り道、はじめてキスをした。

「ゆにちゃん、私……もっとあなたと、なかよくなりたいな」

 ……夕暮れに溶け込むような彼女の顔と声が、頭から離れない。
 あの時の私はひどく混乱していて、「ばいばい」と言って離れて行く彼女の背中に、小さく手を振ることしかできなかった。
 私は帰りのバスの中で、あの子が褒めてくれたワンピースと、分けてくれたパスタの味と、映画を観ながら触れ合った手の感触と、この唇に残った熱を……思い出していた。
 私が彼女に向けていた〝好き〟と、さりちゃんが私に向けていた〝好き〟は、見た目こそ似ていたのかも知れないけど、全然別物だった。
 初めて誰かから、そういう好意を向けられて、それが同性だったとき、どう受け止めるのがいいんだろう……?
 私は、まだハッキリと誰かを好きになった事もないから、余計にわからない。
 ……考えれば考えるほどに、私はさりちゃんの事がわからなくなっていった。


 次の日、いつもの教室。
 たまに目を合わせては微笑んでくれるけど、さりちゃんは私に近づく事も、話し掛ける事もしてこなかった。
 その距離の取り方が、私をモヤモヤさせる。
 ……〝なかよく、って……言ったのに。〟……そんな言葉が頭をよぎる程に。
 授業の合間や、休み時間で席を立つ時……そんなふとした瞬間に目が合うたび、さりちゃんに不安な顔を向けてしまう自分が嫌になる。
 もうすぐ、放課後。
 さりちゃんと、話さないと……。


「ゆにちゃん、少し待っててくれる?」
 さりちゃんは、先生の手伝いと、委員会の仕事があるからと言って、私を教室に留めた。
 何かを聞く暇も伝える暇もなく、私を置き去りに行ってしまった彼女の背中を見やって、ため息をつく。
 仕方なく、私はスマホとイヤホンを出して、また適当な映画を探し始めた。
 画面をスクロールさせるだけで、一生掛かっても見切れない程の数の作品がズラズラと流れてくる。
 その時、一つの映画のサムネが目に飛び込み、
「‼︎」
 スクロールさせていた画面を、慌てて少し戻す。
 そこには、二人の制服の少女が、教室の床の上に座り込み、手を繋いで顔を寄せ合っているサムネが映っていた。
 女の子同士の、恋愛映画……?
 私は一度周りを確認しながら、再生ボタンをタップする。
 ……静かな日常。
 たった一つのきっかけで、友だちになる二人の主人公。
 優しい友情に見えた関係が、やがて、相手を欲する恋へと発展してゆく。
 ……小さなスマホの画面の中で、可憐な少女たちが、お互いの温もりを求め、身を寄せ合うようにして恋を作っている。
 そこには大人の恋愛のようなドロドロとした感情も描写も無く、ただひたすらに繊細で、相手を大事にしたい気持ちと、相手に〝好き〟を伝えたいだけの、幻想的とも思える世界が広がっていた。


 食い入るように観ていた私の肩を、誰かの指がトントンと叩く。
 びっくりして振り返ると、優しい笑顔を浮かべてこちらを見下ろす、さりちゃんがいた。
 丸ぶちメガネに、おさげ髪。昨日とは違う、いつもの姿の、さりちゃん。
「また何か観てた?」
「うん、まぁ……」
 イヤホンを外しながら、私はスマホの画面を隠すようにしまう。
「どうしたの? 今日は、なんだかソワソワしてた」
「それは……そう、だよ」
 私は歯切れ悪く、口ごもった。
 どうしよう、と迷いながら……それでも確かめたくて、私は彼女に向き直る。
「……さりちゃん」
「なぁに?」
「さりちゃんは、なかよくしたいって言ってくれたけど……」
「……うん」
 真面目に頷く、さりちゃん。
「私と、どう……なかよくなりたいの?」
 心臓がバクバクする。
 相手の顔が気になるのに、そっちの方を一切見られない。
「ゆにちゃん」
 その呼びかけに、私はやっとの思いで、彼女を見た。
 さりちゃんは、垂れた髪を耳に掛けながら、少しだけ、目を細めた。
「……って聞いてきてるって事は、私がゆにちゃんとなりたいか……もう、わかってるんじゃない?」
 その、同級生とは思えない、色っぽい仕草と声色に、私は息を飲む。
「それ、は……」
 頭の中で、さっきまで観ていた映画の場面と、昨日の唇の感触が混じり合う。
「それじゃあ、私からも聞くね? それを知って、ゆにちゃんはどうしたいの?」
「……私、は」
「私とは、なかよくなれない?」
 小首をかしげる、彼女の潤んだ瞳に、私の気持ちが大きく揺れる。
「なかよくしたいよ……友だちじゃ、ダメ、なの?」
 口をついたその問いは、さりちゃんを傷つけるかも知れないと、どこかで思った。
 でも、
「私は、ゆにちゃんが好き」
 さりちゃんは、とても落ち着いた様子で、ハッキリと、そう答える。
「私たち、女の子同士だよ?」
「私には、そんなの関係ないよ」
 困った顔の私を見て、彼女はクスリと笑う。
「私が好きになった人は、〝ゆにちゃん〟なんだもの」
 私の名前を強調しながら、そう言った。
「わたし……?」
 聞き返す私に、さりちゃんは安心させるように微笑んで、椅子の背に置いた私の手の上に、自分の手を重ねた。
 私の体温より少しだけ低い、心地良い温度と感触。
「そう。私には男の子とか、女の子とか……そんなこと、どうでもいいの」
 さりちゃんの細い指先が、私の前髪を優しくよける。
 そして、その手が私の頬に触れた。
「ゆにちゃんは、そういうなかよくは……イヤ?」
「……私……わたし、は……」
 戸惑っている私の頬を、さりちゃんのひんやりした手のひらが、愛おしそうに優しく撫でる。
 でも、それは今までの少し強引な雰囲気とは違っていた。
 さりちゃんは、私が答えるのを待ってるんだ……。

「私は、さりちゃんが好き……」
 でも、

「──好きだけど、私にはそれが、どういう〝好き〟なのか、まだ……よく、わからないの」
 ……やっとの事で、自分の思いを伝える。

 お出かけの為に、おしゃれしてきた、さりちゃんが好き。
 服装で悩んでた事を察してくれた、さりちゃんが好き。
 似合う服を選んでくれて、褒めてくれた、さりちゃんが好き。
 美味しい食べ物を教えてくれた、さりちゃんが好き。
 映画を観て、感動で涙を流す、さりちゃんが好き……。

 ……その、全部の〝好き〟を下から支えていたのは、私の事が好きな、さりちゃんだから、という事実。
 私を好きでいてくれるから、相手が好き、なのかな……?
 ……ううん、たぶん、それは違う。違うと、思う。
 私は、私の事を好きで、私の事を想ってくれたさりちゃんが、思いやってくれて、優しくしてくれて、心を満たしてくれた事が嬉しかった。
 ──そして、別れ際のキスを、今……少し嬉しいと感じているから。
 きっと、私の〝好き〟は──、

「さりちゃん……」
「……なに? ゆにちゃん」
「……私の〝好き〟を……確かめさせて」
「……うん、もちろん」

 そう言って、私たちはお互いに顔を近づけて、……優しいキスをした。


 *****


 手を繋いで、美術室に入る。
 油絵の具の匂いと、あまり使われない部屋だからだろう、少しだけカビのような匂い。
 今日は部活が休みだから、誰もいないし、ここは校舎の一番奥だから、誰も部屋の前を通らない。
 さりちゃんが、内側から鍵をかける。
 2人だけの、内緒の時間──。
 私は椅子に腰掛けて、彼女が近づいてくるのを待った。
 ……さりちゃんは、緊張しないの?
 なんだか、その気持ちの差が、私を不安にさせた。
 私の正面に椅子を置いて、さりちゃんもそこに座る。
 すると彼女は、メガネを外し、髪を縛ってたヘアゴムを取って、どちらも机の上に置いた。
 綺麗な目、艶々の髪、透き通る肌。
 …昨日のさりちゃんに見た目が少し近づいて、私はドキリとした。
「こっちの方が好き?」
 私の心を見透かすように、さりちゃんはイタズラっぽく笑う。
「……うん」
 ポーッとなっている私は、とても素直に返事をした。
 それが意外だったのか、さりちゃんは一瞬だけ目を丸くする。
「……もぅ」
 そして、照れてるような顔をした。
 その、不意打ちのような表情がかわいくて、私はそっと、彼女の手を取った。
「さりちゃん……」
 顔を近づける。
 また、あなたとキスがしたい。
「うん……」
 それを分かってくれたさりちゃんは、微かに手を握り返して、私に顔を寄せてくれた。

「ん………………」

 唇の先から、頭に届き、全身に回っていく、優しく痺れるような感覚。
 キスって……とても、気持ちいい……。
 よく〝甘い〟って聞くけれど、……こういう事だったんだ。
 私は、その感覚に夢中になった。
 近づき過ぎても、遠過ぎてもいけない、さりちゃんの唇を一番気持ちよく感じられる、ちょうどいい距離を探す。
「………………」
 静まり返った美術室に、二人の吐息の音だけが響いている。
 耳に入ってくる、さりちゃんの息づかいが、私に、もっと、もっと……と求めさせる。
 私は少しだけ唇を開いて、さりちゃんの下唇を軽く喰んだ。
 幸せを感じる柔らかさ。
 さりちゃんの唇から、甘い息が漏れる。
 息苦しくて、一度顔を離すと、さりちゃんはうっとりとした顔で私を見ていた。
 ……きっと、私も同じ顔をしてて、さりちゃんに見られてるんだろうな。
「ゆにちゃん……こっち、きて」
 軽く息を上げながら、さりちゃんが少し膝を突き出す。
 私はコクリとうなずいて立ち上がり、恐る恐る彼女の膝の上に座った。
 一気に近づく距離。
 さりちゃんの両腕が、私の腰と背中を支える。
「……重くない?」
 少し高い位置から尋ねた私に、
「ん……幸せ過ぎて、わからない」
 こちらを見上げながら、さりちゃんは答えた。
 胸が、きゅう…って締まっていくような気分。
「さりちゃん……」
 私は我慢できずに、彼女の唇を奪った。
 ちょっとだけ驚いたように、さりちゃんの手に力がこもる。
 私の身体を心地よく締め付けて、私は唇でそれが〝気持ちいい〟と伝えた。

 ……とても、幸せに満ちた時間。
 透明で、曖昧で、清らかな時間。
 強く触れ合ってしまえば、お互いに割れてしまうかも知れない、優しい時間。
 大人だったら、この〝先〟があるのかも知れないけれど。
 今の私たちには、これで充分だと感じている。


 *****


 長い長いキスの後、
 私たちは夢から覚めきれない目で、お互いを見た。
 見つめ合うだけで、相手の気持ちが分かってしまうような気さえする。
「ゆにちゃん」
 さりちゃんは、不意に悲しそうな顔をする。
「なに……?」
 私も思わず、同じような顔をしてしまった。
「さっき見てた、映画……」
 彼女の言葉に、私はドキッとした。
「えい、が?」
「うん……」
 おうむ返しする私に、さりちゃんは頷いたまま、うつむく。
「……最後まで、見て欲しくないな」
 それは、珍しく彼女が見せた、ワガママだったかも知れない。
 私は、あの映画の美しい場面の数々を思い出した。
 ……その結果が、さりちゃんの望むもので無いのは、確かなのだろう。
 あの2人の恋が、どう変わって、どこに向かっていくのか、幸せな場面までしか見ていない私にはわからなかったけれど……。
「……うん。さりちゃんがそう言うなら、見ないよ」
 私は微笑んで、そう言った。
 ……物語の最後が、気にならない訳じゃない。
 でも、終わり方ありきで、あの幸せを見届けるのは、私も怖かった。
「私たちは、映画じゃないよ」
 私はさりちゃんに近寄って、頬を撫でる。
 さっきまで、彼女が私にそうしてくれたように。
「……うん」
 さりちゃんが、顔を上げた。
 私は、最後にもう一度、彼女とキスをして、
「……分かったような気がするの。私の、〝好き〟の形」
 そう言って、さりちゃんの身体を抱きしめた。



 ……今は、このままがいい。
 結果や、将来なんて要らない。
 私は、さりちゃんが好き。
 今この時に感じたその気持ちは、
 きっといつまでも変わらないから──。
                            了
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