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幻惑の森【後篇】
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惑いの森の中には、魔物の寄りつかない場所がある。
女神マスケティアの祝福を受けた泉がそうだ。
澄み切った湧き水は、病や傷を癒す効果もあり、邪悪を遠ざけるとも言われる。
斜陽でキラキラと輝く泉の水を両手で掬い、上品に喉を鳴らすカティンカを見やりながら、レイフはゴクリと唾を飲む。
「ぷぁ……この水でお酒作ったら美味しそう」
「カティの頭の中はそればかりだな」
見張りを交代しながら、レイフは笑う。
そして泉の水に直接口をつけると、ガブガブと音を立てて飲んだ。
「ねね、水浴びしても良い?」
「やめておけ。危険なのは魔物だけではない」
グイ、と口を拭うレイフに、カティンカは「ふゥん…」と曖昧な相槌を打った。
「さっきから、妙な気配がする。魔物でも、人でもない……粘つくような視線だ」
レイフの鋭い目付きに、カティンカはぞわりとした。
「でも、ここなら安心でしょ?」
「……ああ、他の場所よりはな。……とにかく、少し早いが野営の準備をしよう。念の為、魔女の香も焚いておく」
「えぇー。あれ高いのに……」
「さっきカティが言った通りだ。命には換えられん。……だろう?」
膨れっ面のカティンカに優しく微笑むと、レイフは尻尾を振りながら荷解きを始める。
はじめはその様子を遠巻きに見ていたカティンカだったが、彼が携行食の堅パンと干し肉とブドウ酒、そして木の実とドライフルーツを並べる頃には、すっかり機嫌を直していた。
2人は交代でそれらを口に運び、ささやかな夕食を楽しんだ後、カティンカはコイントスで仮眠の順番を決めようとしたが、結局いつものようにレイフが先を譲った。
カティンカは「もう、またぁ?」と頬を膨らませる。
しかし、大きなケープを毛布がわりにして包まると、そのまま静かに寝息を立てはじめた。
その素直さを見て、レイフは穏やかな笑みを浮かべたのだった。
……夜になると、心がザワつく。
それは、種族としての習性なのだろう。
レイフは焚き火の近くで剣を抜き、ゆらめく炎の上を、そっと撫でた。
鋼に閉じ込められた炎の緋色は、彼の心を落ち着かせてくれる。
ギシリ、と黒い爪を伸ばす。
その艶のある漆黒の表面が、炎のゆらめきを映し出していた。
生命をもったような光を愛でながら、レイフは瞼が重くなるのを感じた……。
ふと……甘い匂いが漂ってきた。
レイフは眼を開き、鼻をヒクつかせる。
熟れた果実と、薔薇を混ぜたような、妖魔の誘惑にも似た香り。
夕刻に焚いた魔女の香の匂いはすっかり消え失せているが、効果は朝まで続く。つまり、この事態は魔物とは無関係なのだ。
辺りの空気はしっとりとして、焚き火の炎は、何かに怯えるように小さくボボ…と、燻りだした。
レイフは剣を携え、ゆっくりと立ち上がると、闇の中に眼を凝らす。
足元には、雲海のように濃い霧が忍び寄り、
「カティ……⁉︎」
彼は慌ててカティンカの姿を探した。
毛布がわりのケープはそのまま、彼女の姿は無い。
ドクン、と心臓が跳ねる。
魔物の仕業でなけれは、疑わしいのは香に耐性のある、自分たちと同様の亜人だ。
すると……まさか、この一瞬の隙に攫われたのか……⁉︎
レイフは胸の上から心臓を押さえつけて、剣を抜く。
暗闇に強い彼の眼でも、この霧の果ては見通せない。
油断したつもりはないが、この事態を招かずに済む手段なら、この焦燥の中でも幾らか思いつく。
そうしなかったのは、コストを抑えようという驕りがあったからだ……。
歯噛みつつ、そんな無意味な思考を振り払い、レイフはカティンカの痕跡を探す。
しかし、足跡や匂い、気配を探ろうにも、濃霧に視界や意識を邪魔されて、思うように掴めない。
──と、そこへ、
ざりざりと砂を擦るような足音が響き、彼は耳と尻尾を立て、剣を構えた。
3人の獣人のパーティが、遠巻きにレイフを取り囲んでいる。
前に1人、後方に2人……。
武器を構え、にじり寄るその動きを、物音や気配を頼りに暴いていく。
彼らの足運びと、その時の重心移動から、先手を取らせるべきだろうと判断し、レイフは構えた剣を僅かに下げた。
それを合図に、3人は一斉に襲いかかる。
レイフは迷う事なく前方に大きく踏み込むと、逆手に構えていた剣を順手に持ち替え、横薙ぎに振り抜く。
ザシュッ──‼︎
その疾風のような一閃に、前方の敵は武器を振り被った姿勢のまま、崩れ落ちた。
刹那、レイフは地面を蹴り付け、後方に向かって大きく跳躍する。
夜の闇の中を火球のように飛翔しながら、彼は身体を反転させ、後方から襲いかかってきた2人に飛びかかった。
バッギィンッ──‼︎
剣と爪を2人の後頸部に振り下ろして同時に仕留めると、彼はゆらりと立ち上がる。
そして僅かにも乱れない自身の呼吸と、狩猟者としての本能に、レイフは少しだけ落ち着きを取り戻していた。
その時、
「レイフ──」
耳馴染みのある、艶やかな声が響く。
ハッとして彼が振り返ると、そこには全身傷だらけになり、立つのもやっと、という格好でこちらに近づいてくるカティンカの姿があった。
「カティ⁉︎」
レイフは慌てて自身のケープを剥ぎ取ると、彼女に近寄り、肩に掛けてやった。
「何があった⁉︎」
「わからない…突然誰かに襲われて……」
彼女は何かに怯えながら、そっとレイフに身を寄せる。
胸の辺りから、柔らかな体温と共に、彼女の香りが立ち上ってきた。
レイフはゴクリと唾を飲み込み、彼女の両肩に、そっと手を乗せる。
彼の柔らかな腹の毛の中に、カティンカのふくよかな胸が沈み込んだ。
「………………!」
レイフの顔に緊張が走る。
「よかった…。ここは危険だよ。早く逃げないと」
カティンカの言葉に、
「あぁ、そうだな……」
短く返事をした直後、
ズグッ‼︎
レイフの黒く輝く爪が、カティンカの腹を非情に貫いた。
「レぃ……ふ……? なん、で…………?」
唇から、搾り出される彼女の声に、レイフは表情を暗くした。
するりと爪を引き抜いて、レイフはふらついている彼女の身体から数歩引き退がる。
「……すまんな」
呟くようにそう言うと、彼は彼女に背を向けた。
妖しげな霧が晴れるのと、東の空が白み出したのは、ほぼ同時だった。
レイフの周囲の散らばった亡骸は、くしゃりと木の葉や枝に姿を変えて、その場で朽ちていく。
カティンカの身体も同様に崩れ去ったが、その残骸の中に、深い紅色の光沢をもった、手の平程の大きさの宝玉が転がっていた。
それを爪の先で拾い上げ、レイフはフン、と一つ唸った。
透き通る紅の中に、軟体動物のように形を変えながら揺らめく、金属めいた物体が閉じ込められている。
そこへ、
「コレが例の神造遺物かな?」
ヒョコっと顔を覗き込ませてきた少女の姿に、レイフは思わず「うわァ⁉︎」と悲鳴を上げた。
「か、カティ⁉︎」
レイフはバクバクと暴れる心臓を落ち着かせようと、深く息をついた。
「どしたの? カティが居なくなって心配した?」
彼の手から宝玉を奪い取ってコロコロと笑う彼女を、思わず半眼で見る。
「……それどころじゃない。今しがた、ソレが作り出した幻の君の腹を突き破ったところだ」
溜め息混じりの言葉に、カティンカは「ありゃ」とびっくりしてから、まじまじと宝玉を見つめた。
プリムローズ。
精神を意のままに操る遺物だとは聞いていたが、使用者もなく幻惑術を発動し、近づく者たちに取り憑いて触媒とし続けるとは、まるで災厄だ。
「……ふゥん、なるほどォ……」
そして、一人納得した様子で、それを〝宝物庫の印〟が刻まれた革袋に仕舞い込む。
「……なんだ?」
「うん、この先の川辺で、例の回収対象の持ち物を見つけたの。遺体は……多分魔物の腹の中だろうね。おおかた、この遺物の幻惑にヤラれたんでしょ」
言いながら、彼女は雑嚢に革袋を納め、代わりにクシャクシャになった封筒を取り出した。
無言で突き出されたそれを受け取って、レイフは渋々中身を検める。
中からは、便箋と一緒に宝石の埋まった指輪が一つ転がり出た。
嫌な予感に顔をしかめながら、レイフは手紙に書かれた文字に目を滑らせた。
その様子を、カティンカはニヤニヤしながら見守っている。
……手紙は、捜索対象であるガナールが書いた物らしく、彼が〝林檎のキミ〟と呼ぶ誰かへの、熱烈な思いが綴られていた。
「フフッ、ねぇねぇ! 彼の目的は、この神造遺物の魔力か、それともコレを保存局に引き渡して貰える報奨金か……レイフはどっちだと思うー?」
カティンカは意地悪く笑いながら、彼に訊いた。
手紙からはガナールが不貞に走っていたことは間違いなさそうに見えたが、場合によっては、依頼者である彼の妻パールもそれを知っていた可能性もある。
依頼書の内容は、捜索対象がすでに命を落としていると知っているかのようであったし、……ともすれば、彼がここで命を落としたことでさえ、妻の差金である可能性だって……。
「………………」
レイフは、封筒に入っていた指輪を見つめながら、押し黙る。
「レイフ? どーしたの?」
カティンカが首を傾げた。
「いや………」
よそう、とレイフは思った。
自然と、手にした手紙を、くしゃり、と丸める。
──この世には、取り戻すべきものと、残された者たちにとって、葬られたままである方が幸せな事実もあるのだ。
「帰ろう、カティ」
指輪とガナールの筆跡が踊る封筒だけを握り締め、レイフは朝焼けの中を歩き出した。
「あれ? 他の持ち物は回収しなくていいの?」
「金目の物は、もうカティの懐の中なんだろう?」
「あらァ……バレてたの」
少し恥ずかしそうに、カティンカは笑う。
「あ、そう言えばさ、レイフって幻惑耐性無いのに、よく幻のカティを見抜けたね? ……どして?」
横を歩きながら、カティンカは彼の横顔を見上げる。
「胸だ」
「むね?」
「……本物は、もっと大きい」
もごもごと、レイフは言いながら、歩くスピードを上げた。
カティンカは一瞬だけキョトンとした顔で歩みを止めたが、尻尾をブルンと振り、振り返らず逃げるように歩き去っていく相棒の背中を見つめ、ニヤァと笑うと、
「レイフの、えっち……!」
わざと聞こえるように呟いて、後を追った。
* * * * *
レイフ=〝ザ・レッド・レトリーバー〟と、
カティンカ=〝ザ・ベルベット・ローグ〟……。
気分次第で依頼を受ける、さすらいの〝取り戻し屋〟……。
〝勇者〟と〝魔王〟を失ったこの世界で、
彼らはこれからも〝取り戻し〟続けていく。
それが、自らの〝役割〟だと信じて──。
了
女神マスケティアの祝福を受けた泉がそうだ。
澄み切った湧き水は、病や傷を癒す効果もあり、邪悪を遠ざけるとも言われる。
斜陽でキラキラと輝く泉の水を両手で掬い、上品に喉を鳴らすカティンカを見やりながら、レイフはゴクリと唾を飲む。
「ぷぁ……この水でお酒作ったら美味しそう」
「カティの頭の中はそればかりだな」
見張りを交代しながら、レイフは笑う。
そして泉の水に直接口をつけると、ガブガブと音を立てて飲んだ。
「ねね、水浴びしても良い?」
「やめておけ。危険なのは魔物だけではない」
グイ、と口を拭うレイフに、カティンカは「ふゥん…」と曖昧な相槌を打った。
「さっきから、妙な気配がする。魔物でも、人でもない……粘つくような視線だ」
レイフの鋭い目付きに、カティンカはぞわりとした。
「でも、ここなら安心でしょ?」
「……ああ、他の場所よりはな。……とにかく、少し早いが野営の準備をしよう。念の為、魔女の香も焚いておく」
「えぇー。あれ高いのに……」
「さっきカティが言った通りだ。命には換えられん。……だろう?」
膨れっ面のカティンカに優しく微笑むと、レイフは尻尾を振りながら荷解きを始める。
はじめはその様子を遠巻きに見ていたカティンカだったが、彼が携行食の堅パンと干し肉とブドウ酒、そして木の実とドライフルーツを並べる頃には、すっかり機嫌を直していた。
2人は交代でそれらを口に運び、ささやかな夕食を楽しんだ後、カティンカはコイントスで仮眠の順番を決めようとしたが、結局いつものようにレイフが先を譲った。
カティンカは「もう、またぁ?」と頬を膨らませる。
しかし、大きなケープを毛布がわりにして包まると、そのまま静かに寝息を立てはじめた。
その素直さを見て、レイフは穏やかな笑みを浮かべたのだった。
……夜になると、心がザワつく。
それは、種族としての習性なのだろう。
レイフは焚き火の近くで剣を抜き、ゆらめく炎の上を、そっと撫でた。
鋼に閉じ込められた炎の緋色は、彼の心を落ち着かせてくれる。
ギシリ、と黒い爪を伸ばす。
その艶のある漆黒の表面が、炎のゆらめきを映し出していた。
生命をもったような光を愛でながら、レイフは瞼が重くなるのを感じた……。
ふと……甘い匂いが漂ってきた。
レイフは眼を開き、鼻をヒクつかせる。
熟れた果実と、薔薇を混ぜたような、妖魔の誘惑にも似た香り。
夕刻に焚いた魔女の香の匂いはすっかり消え失せているが、効果は朝まで続く。つまり、この事態は魔物とは無関係なのだ。
辺りの空気はしっとりとして、焚き火の炎は、何かに怯えるように小さくボボ…と、燻りだした。
レイフは剣を携え、ゆっくりと立ち上がると、闇の中に眼を凝らす。
足元には、雲海のように濃い霧が忍び寄り、
「カティ……⁉︎」
彼は慌ててカティンカの姿を探した。
毛布がわりのケープはそのまま、彼女の姿は無い。
ドクン、と心臓が跳ねる。
魔物の仕業でなけれは、疑わしいのは香に耐性のある、自分たちと同様の亜人だ。
すると……まさか、この一瞬の隙に攫われたのか……⁉︎
レイフは胸の上から心臓を押さえつけて、剣を抜く。
暗闇に強い彼の眼でも、この霧の果ては見通せない。
油断したつもりはないが、この事態を招かずに済む手段なら、この焦燥の中でも幾らか思いつく。
そうしなかったのは、コストを抑えようという驕りがあったからだ……。
歯噛みつつ、そんな無意味な思考を振り払い、レイフはカティンカの痕跡を探す。
しかし、足跡や匂い、気配を探ろうにも、濃霧に視界や意識を邪魔されて、思うように掴めない。
──と、そこへ、
ざりざりと砂を擦るような足音が響き、彼は耳と尻尾を立て、剣を構えた。
3人の獣人のパーティが、遠巻きにレイフを取り囲んでいる。
前に1人、後方に2人……。
武器を構え、にじり寄るその動きを、物音や気配を頼りに暴いていく。
彼らの足運びと、その時の重心移動から、先手を取らせるべきだろうと判断し、レイフは構えた剣を僅かに下げた。
それを合図に、3人は一斉に襲いかかる。
レイフは迷う事なく前方に大きく踏み込むと、逆手に構えていた剣を順手に持ち替え、横薙ぎに振り抜く。
ザシュッ──‼︎
その疾風のような一閃に、前方の敵は武器を振り被った姿勢のまま、崩れ落ちた。
刹那、レイフは地面を蹴り付け、後方に向かって大きく跳躍する。
夜の闇の中を火球のように飛翔しながら、彼は身体を反転させ、後方から襲いかかってきた2人に飛びかかった。
バッギィンッ──‼︎
剣と爪を2人の後頸部に振り下ろして同時に仕留めると、彼はゆらりと立ち上がる。
そして僅かにも乱れない自身の呼吸と、狩猟者としての本能に、レイフは少しだけ落ち着きを取り戻していた。
その時、
「レイフ──」
耳馴染みのある、艶やかな声が響く。
ハッとして彼が振り返ると、そこには全身傷だらけになり、立つのもやっと、という格好でこちらに近づいてくるカティンカの姿があった。
「カティ⁉︎」
レイフは慌てて自身のケープを剥ぎ取ると、彼女に近寄り、肩に掛けてやった。
「何があった⁉︎」
「わからない…突然誰かに襲われて……」
彼女は何かに怯えながら、そっとレイフに身を寄せる。
胸の辺りから、柔らかな体温と共に、彼女の香りが立ち上ってきた。
レイフはゴクリと唾を飲み込み、彼女の両肩に、そっと手を乗せる。
彼の柔らかな腹の毛の中に、カティンカのふくよかな胸が沈み込んだ。
「………………!」
レイフの顔に緊張が走る。
「よかった…。ここは危険だよ。早く逃げないと」
カティンカの言葉に、
「あぁ、そうだな……」
短く返事をした直後、
ズグッ‼︎
レイフの黒く輝く爪が、カティンカの腹を非情に貫いた。
「レぃ……ふ……? なん、で…………?」
唇から、搾り出される彼女の声に、レイフは表情を暗くした。
するりと爪を引き抜いて、レイフはふらついている彼女の身体から数歩引き退がる。
「……すまんな」
呟くようにそう言うと、彼は彼女に背を向けた。
妖しげな霧が晴れるのと、東の空が白み出したのは、ほぼ同時だった。
レイフの周囲の散らばった亡骸は、くしゃりと木の葉や枝に姿を変えて、その場で朽ちていく。
カティンカの身体も同様に崩れ去ったが、その残骸の中に、深い紅色の光沢をもった、手の平程の大きさの宝玉が転がっていた。
それを爪の先で拾い上げ、レイフはフン、と一つ唸った。
透き通る紅の中に、軟体動物のように形を変えながら揺らめく、金属めいた物体が閉じ込められている。
そこへ、
「コレが例の神造遺物かな?」
ヒョコっと顔を覗き込ませてきた少女の姿に、レイフは思わず「うわァ⁉︎」と悲鳴を上げた。
「か、カティ⁉︎」
レイフはバクバクと暴れる心臓を落ち着かせようと、深く息をついた。
「どしたの? カティが居なくなって心配した?」
彼の手から宝玉を奪い取ってコロコロと笑う彼女を、思わず半眼で見る。
「……それどころじゃない。今しがた、ソレが作り出した幻の君の腹を突き破ったところだ」
溜め息混じりの言葉に、カティンカは「ありゃ」とびっくりしてから、まじまじと宝玉を見つめた。
プリムローズ。
精神を意のままに操る遺物だとは聞いていたが、使用者もなく幻惑術を発動し、近づく者たちに取り憑いて触媒とし続けるとは、まるで災厄だ。
「……ふゥん、なるほどォ……」
そして、一人納得した様子で、それを〝宝物庫の印〟が刻まれた革袋に仕舞い込む。
「……なんだ?」
「うん、この先の川辺で、例の回収対象の持ち物を見つけたの。遺体は……多分魔物の腹の中だろうね。おおかた、この遺物の幻惑にヤラれたんでしょ」
言いながら、彼女は雑嚢に革袋を納め、代わりにクシャクシャになった封筒を取り出した。
無言で突き出されたそれを受け取って、レイフは渋々中身を検める。
中からは、便箋と一緒に宝石の埋まった指輪が一つ転がり出た。
嫌な予感に顔をしかめながら、レイフは手紙に書かれた文字に目を滑らせた。
その様子を、カティンカはニヤニヤしながら見守っている。
……手紙は、捜索対象であるガナールが書いた物らしく、彼が〝林檎のキミ〟と呼ぶ誰かへの、熱烈な思いが綴られていた。
「フフッ、ねぇねぇ! 彼の目的は、この神造遺物の魔力か、それともコレを保存局に引き渡して貰える報奨金か……レイフはどっちだと思うー?」
カティンカは意地悪く笑いながら、彼に訊いた。
手紙からはガナールが不貞に走っていたことは間違いなさそうに見えたが、場合によっては、依頼者である彼の妻パールもそれを知っていた可能性もある。
依頼書の内容は、捜索対象がすでに命を落としていると知っているかのようであったし、……ともすれば、彼がここで命を落としたことでさえ、妻の差金である可能性だって……。
「………………」
レイフは、封筒に入っていた指輪を見つめながら、押し黙る。
「レイフ? どーしたの?」
カティンカが首を傾げた。
「いや………」
よそう、とレイフは思った。
自然と、手にした手紙を、くしゃり、と丸める。
──この世には、取り戻すべきものと、残された者たちにとって、葬られたままである方が幸せな事実もあるのだ。
「帰ろう、カティ」
指輪とガナールの筆跡が踊る封筒だけを握り締め、レイフは朝焼けの中を歩き出した。
「あれ? 他の持ち物は回収しなくていいの?」
「金目の物は、もうカティの懐の中なんだろう?」
「あらァ……バレてたの」
少し恥ずかしそうに、カティンカは笑う。
「あ、そう言えばさ、レイフって幻惑耐性無いのに、よく幻のカティを見抜けたね? ……どして?」
横を歩きながら、カティンカは彼の横顔を見上げる。
「胸だ」
「むね?」
「……本物は、もっと大きい」
もごもごと、レイフは言いながら、歩くスピードを上げた。
カティンカは一瞬だけキョトンとした顔で歩みを止めたが、尻尾をブルンと振り、振り返らず逃げるように歩き去っていく相棒の背中を見つめ、ニヤァと笑うと、
「レイフの、えっち……!」
わざと聞こえるように呟いて、後を追った。
* * * * *
レイフ=〝ザ・レッド・レトリーバー〟と、
カティンカ=〝ザ・ベルベット・ローグ〟……。
気分次第で依頼を受ける、さすらいの〝取り戻し屋〟……。
〝勇者〟と〝魔王〟を失ったこの世界で、
彼らはこれからも〝取り戻し〟続けていく。
それが、自らの〝役割〟だと信じて──。
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