ヒロインよ、ヤンデレに愛されよ

A.M.

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 アルフレド。 

 長く伸ばした銀の髪、金色の瞳、淡く光る白い肌。眩しいほどの光の色を纏った宝石のような少年は、かつてはアルフレド・レグルスと言った。
  没落貴族のレグルス伯爵家の、私生児だった。 

「おれはだれの手も届かないところまで上り詰めて、いつかあいつらが助けを求めておれの足元に縋ってきたとき、傍観してやるんだ」 

 アルフレドはことあるごとに言っていた。

 讃えられて然るべき才能を私生児が持つと、ろくなことにならない。レグルス家で壮絶な虐待を受け、伯爵夫人の策略によってアルフレドの母が亡くなったあと、追いやられるようにしてジョンストン侯爵家に奉公に出されたとき、リリアンと出会った。

  アルフレドが来る前から侯爵家にいたリリアンは当時5歳で、アルフレドは6歳であった。そこからリリアンが16歳になるまで共に過ごし、ふたりはかけがえのない親友となった。 

 リリアンは知っていた。 アルフレドにとって、忌み嫌われた魔法の力を公然に認めさせ、必要とされ、大陸の唯一として崇められることは、アルフレドの念願だった。いまだ彼の心で苦しむ、幼いアルフレドを救う方法であり、彼の使命と確信していた。 




 ______ガッシャーン! 

「なあ、いまなにか割れ………なにしてんの!」

  厨房から朝ごはんを運んできたらしいディーノはワゴンを置いて、アルフレドの胸倉を掴んでいるリリアンを止めようとしたが、それより早く彼女はアルフレドを壁に叩きつけた。 

 その勢いに近くのサイドテーブルが倒れ、上に乗っていた花瓶が落ちて割れた。 

 旧友ディーノとの再会、どころではなかった。

「アルフレド、わたしをばかにしてるの」 

「してないよ、馬鹿なやつとは思うけど」
  
「それをばかにしてるっていうの」

  いつにないリリアンの怒気にディーノは真っ青だったが、アルフレドは他人事のように冷静だった。それがリリアンをますます怒らせた。 

「あなた、ずっとわたしをばかにしていたのよ。だからこんなことしたんだわ」

「助けてくれてありがとうって感謝するところじゃないの」

「助けてなんて頼んでない」

「だったらあのまま見捨てれば良かったのかよ」

 アルフレドは首を締め上げるリリアンの手首を掴み、囁いた。

「それとも、魔法使いじゃなくなったおれに価値はないって?」

 銀の瞳が揺れる。

 生まれ持った魔力の量によって変わる瞳の色は、金が一番だったけれど、今のアルフレドの瞳は氷のように透明な、鏡。たしかにアルフレドのはずなのに、目を合わせたときのあの威圧感は微塵も感じられなくなっていた。

「わたしは満足そうだったって、アルフレドが言ったのよ」

「うん」

「だったらっ…!あなたはなにも手放さなくてよかったんだよ!魔法バカのくせに、わたしなんかのためにアルフレドの人生をさし出さないで!」

「ねえ、話見えないんだけどさ!落ち着こうぜ!」

 ディーノが無理矢理ふたりの間に体をねじこみ、距離をあけさせると、アルフレドは舌打ちをしてリリアンの手首をはなした。

「自分の結末までぜんぶ知ってる今なら、欲しいものも手に入れられるし避けたいことも避けられるじゃん。こんな機会、ないんだぞ。おまえのためになるに決まってる」

 わたしのためになる、ですって?

 瞬間、リリアンの手が飛んだ。

 _____バチン!

 盛大に張られたアルフレドの右頬はすぐに赤くなった。

 押しのけられたディーノは口を大きく開けて呆然としたが、リリアンは興奮冷めやらぬまま大声で叫んだ。

「これのどこがわたしのためになるの?十何年もかけてぜんぶ諦めたのに、その苦悩をなかったことにして新たに始めるなんてわたしにはできないわよ!」

 ぶたれると思わなかったのか、アルフレドは間抜けな表情をしていた。リリアンは人を誹ることはあっても手を上げたことはなかった。 

「でもアルフレド、あなたは違うでしょ。あなたにはちゃんと目標があって、目指す状態があって、たくさんのひとから求められていた。念願が叶うまであと一歩だったんじゃないの。なのに、あなたはわたしのせいで自分の夢を永遠に諦めざるを得なくなったの!諦めることがどれほど辛いのか、わたしは想像できてしまうの!わたしは、過去の幼いわたしを捨てるときでさえ吐くほど辛かったのに!アルフレド、あなたのしたことはわたしの心を引き裂くほどに苦しくさせるのよ!」

 そう息を切らして怒鳴り散らかしたリリアンは、しばらく肩で息をしていた。

 なにもかも諦め、投げ出してしまったときも、すべてから逃げ出したときも、アルフレドが友人であることだけは変わらなかった。 ひとり、誰も知らないようなところで死んでいくときも、彼だけがわたしを探しにきて、見つけてくれて、看取ってくれたのだ。それだけで充分すぎたというのに。

 アルフレドの中で魔法の存在はかけがえのない、彼のアイデンティティそのものだったのだから、わたしと天秤にかけることさえ難しかったはずだ。そして虐げられた彼が、魔法使いとして栄光の道を行くことは、彼の命よりも重要なことだったはずだ。勝手に生きて勝手に死んだわたしに、こんなことをする価値はなかった。

 リリアンに睨まれながらアルフレドは平然と、むしろ不服そうに顔を顰めている。

「おれはおれの好きにした。だからリリーはここにいる、生きてる」
  
 アルフレドはふう、と息を吐いた。

 彼の目にはまだ、雪景色が広がっていた。

 息絶えた親友を呑みこもうと血を吸う積雪、吹雪いて、血だまりを、リリアンを隠していく。寂しそうに笑っておいて、どうして穏やかな顔で眠ってしまったのか分からなかった。同じくらい、あのときのおれはどうして涙が止まらなかったのか分からなかった。

 リリアン・ジョンストンは哀れだった。飢えた奴隷のように、家族の顔色を伺って、婚約者の顔色を伺って、伺ってばかりだった。いつからか誰からも見限られたとき、彼女はやっと愛を乞うことをやめた。そうして輝く才能を活かして自由に踏み出したとき、自分が傷ついていることを知らず、傷つけられたことを知らず、死ぬ最期まで結局、彼女の人生は他人のために潰されてしまった。

 リリアンは愚かだったけれど、一途だった。悲しみに耐えられずに罪を冒してしまうほど純真だった。

 彼女の虚を埋めることはできなかったけれど、彼女は生涯おれの親友で、おれも間違いなく彼女の親友だった。

「リリーともうすこし一緒にいたかったんだよ。魔法使いの人生より、親友のいる人生のほうが良いから」

 親友、という言葉にリリアンはぼろぼろと泣き出した。

 わたしが最悪な人生をもう一度繰り返すことと、アルフレドが魔法を永久に失うことは、どう考えても等価ではない。釣り合わない。 

「ごめん。おれの欲のせいでかえって辛くさせた。おれがこんなことしなきゃ、おまえは永遠に悲しむことなく休めたはずなのに」

  アルフレドの静かな謝罪に、リリアンの肩が震えた。

 彼の頬をぶった手のひらが熱かった。手のひらだけが火傷したように熱く、痒くなっていく代わりに、沸騰していた頭がさっと冷却されていった。

 アルフレドの思いやりを無碍にしたかったわけではない。ただ、信じられない現実にむしゃくしゃして、ジョンストンの幼少期に帰ってきてしまって、心の持ちようがなかっただけだ。

 リリアンは自分の右手を恐ろしくおぞましいもののように見つめた。

「どうしたの?」

 最悪の空気に乱入する声に、はっと振り返った。いつのまにかディーノだけじゃない、部屋にはジュラルディンがいた。

 リリアンは急いで涙を拭った。

「リリアン、泣いてるの?」

「う、ううん!」

「わっ、やべっ!」

 侯爵の補佐官として派遣されてきたジュラルディンは、補佐の仕事の他に、執事の仕事を押し付けられていた。きっとガラスの割れた音を聞いて、何事かと駆けつけてきたのだろう。リリアンにとっては懐かしい人だった。

 自分の仕事を思い出したディーノが、急いでワゴンをベッド脇に運ぶ中、ジュラルディンの視線は、リリアンとアルフレドの間を何度も往復した。

「水差しを落としたの?怪我はしてない?ふたりともはなれて、部屋の外で待っていなさい。ディーは、ちりとりとほうきを持ってきてくれるか?」

 言われた通りおとなしく廊下に立って待っていると、掃除道具を抱えたディーノが部屋に飛びこんでいった。さすが兵士見習い、ディーノは俊敏だった。

 ジュラルディンとディーノがガラスの破片を集めているとき、アルフレドの指がリリアンの腕に触れた。

 びっくりして顔を上げると、アルフレドは視線を伏せたまま、小さな声で言った。

「リリーが侯爵邸裏の森で迷子になったときのこと、覚えてる?」 

「う、うん。わたしが木の根につまずいて気絶しちゃったときのことだよね」

 打った手前、気まずくて臆していると、アルフレドはちょっと笑った。

「そう。、おれは時戻りに備えてマークを付けたんだ。その日だけじゃない、おれ以外にだれもいないとき、みんなが寝静まった夜とか、いつか時戻りするときにおれの魔力を辿って確実に戻れるように、マークを付けてた。どの地点まで戻れるか分からなかったけれど、この様子じゃ今日はの翌日だ」

「翌日?」

「ああ。気絶したリリーを見つけて部屋に運んだその夜にマークを付けた地点で、おれは目覚めたから。リリーが起きたのは、太陽が上ったあとだから…理論上、おれとリリーは同じ経路を辿って戻ってきたから、おれと同様に昨夜目覚めるはずなんだけど…」

 思考に耽るアルフレドの横顔を見て、リリアンは目覚める前の出来事を思い返す。

 父と母が事故で亡くなり、ジョンストン侯爵家には10歳の兄と4歳のリリアンが残された。従兄伯父が後見人になり、侯爵代理として権力を振りかざす中、虐待といえる待遇に耐えかねた兄は侯爵家を出て、父の生家である公爵家の養子となった。残されたリリアンは寂しさを埋めるように社交界に入り浸り。唯一得意な剣によって武闘会を優勝し、自分の価値を示し。そして16歳の夜、婚約者のジークハルト王太子殿下に婚約を解消され、激怒した従兄伯父に追い出され、令嬢人生は終わった。

 その後、盗賊崩れの傭兵団に拾われ、武才を買われて彼らと帝国中を回っているうちに帝国騎士に身元がばれた。ストレスからか、息苦しくて満足に呼吸もできないリリアンに対し、気の良い傭兵たちは大国への逃亡を進めてくれ、リリアンは禁足地に旅立った。傭兵団を発った日は、リリアンの19歳の夏だった。

 そして命を落とす雪の朝。これは泣き虫な偵察兵から聞き出したことだが、あの頃、大国では王位簒奪のクーデターが失敗し、反逆者の残党が帝国に流れたのだという。そのため大国の友好国である帝国は、大国の反逆者たちを捜索していたらしい。

 そうして冒頭に戻る。リリアン、享年21歳。

「あれ?」

 そこまで思い返して、違和感に引っかかった。

 19歳で傭兵団を出て、21歳で峠にて死んだ。傭兵団を出た後、わたしは2年間もペルセポ峠で彷徨っていたというの?あの厳しい寒さじゃ、3日以上も外にいたら凍死してしまう。では、19歳夏から21歳の冬に死ぬまでの2年あまり、わたしはどうしていたんだっけ?

 ぼんやりしているリリアンに、アルフレドが視線で問いかけた。アルフレドの口がどうしたんだ、と動いたとき、掃除を終えたジュラルディンとディーノが部屋から出てきた。

「それで、なにがあったの?」

 リリアンとアルフレドは、お互いの瞳を見つめた。ふたりが見つめ合ったまま何も言わないでいるので、ジュラルディンは困った顔でディーノに助けを求めた。

「ディー、ふたりはどうしたの?」

「え!いや、おれは、わかんないです、喧嘩していたみたいで、だったんで」

 思いがけず話を振られたディーノは焦りとも緊張ともつかない、もつれた話し方でジュラルディンに応じた。

 いわゆる文官のジュラルディンは穏やかで親しみやすい青年だが、普段やさしい分、怒りの雷が落ちたときの衝撃と恐怖といったらない。

 ディーノがふざけてリリアンと共に庭の池に落ちたとき、雷どころか隕石落下の勢いだったので、以来ディーノはジュラルディンを唯一の上司として崇めている節があった。

「ほんと?」

「は、い、いやでも、おれがごはん…ワゴンを持ってくるのが遅かったから、お腹が空いてて喧嘩してたのかも?」

 違うだろ、と誰もが思ったが黙っていた。
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