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1話〜出会いは突然に、そして必然に〜
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いや、そりゃね。今朝の俺は思いましたよ。
何なら男でもいいから助けてくれと。
でも、あれは冗談みたいなものだ。現実になるとは露ほども思っちゃいない。
本当に、ただの冗談じゃねえかよ。
冗談だったのに。
何故俺は今、男に壁ドンをされているのでしょうか。
何故、見目のよい男が俺をじっと見つめてきているのでしょうか。
そして何故俺の体は魔法をかけられたみたいに固まって、男を押し除けることも突き飛ばすこともできないのでしょうか。
「……本気だって言ったら、どうする?」
男の形のいい唇が言葉を紡ぐ。俺は、色素の薄い灰色の双眸に映る己の呆然とした顔を、じっと見つめることしかできない。
今日は金曜日だった。姉ちゃん達は仕事先で打ち上げがあるから帰るのが揃って遅くなる。
久々の自由時間。嬉しくないはずがない。
姉ちゃん達の帰ってくる時間に合わせて料理を作る必要もないし、姉ちゃん達が帰ってくるまでに猶予があるからどこかに出かけることだってできる。
昨晩の俺は、遠足を翌日に控えた小学生みたいに、そわそわと、放課後は何をして過ごそうかとベッドの上で考えていた。
放課後、電車に乗って繁華街まで繰り出し、CDショップやゲームショップ、古着屋なんかを見て回った。
音楽は今時サブスクで聴けるけど、俺は店の前に置かれた試聴用のヘッドフォンで、自分の知らない音楽と何気なく出会うのが好きだった。古着屋も同じ。有名なブランドでなくたって、素敵な服はたくさんある。
ゲームはオンラインショップの方がラインナップも多いしインディーズゲームも充実してるから好きかな。店には、目当てのものが安く売られていないか確認するために来ている。
俺達の住むちょっとした田舎とは違い、電車に1時間ほど乗って都会に出れば、そこはもう芸能人の街だ。芸能人が歩いているのは珍しくも何ともなく、その家族だからといって驚かれることも噂されることもない。そういったのもまた、俺がここを素敵に感じる理由なのかもしれない。
背中に羽が生えたような軽い気持ちで彼方此方を散策した。貰っている小遣いでジャケットとスキニージーンズを購入し、着替えてから店を出た。
日暮れにはまだ時間はあった。あったんだけど……姉ちゃん達との奴隷生活に慣れきってしまったせいか、俺の体は早く家に帰らなければと焦燥感に駆られた。
姉ちゃん達には生活費込みで小遣いを少し多めに貰っている(この点は感謝してるぜ。いい加減こき使うのはやめてほしいけどな)。
帰る前にスーパーで食材を一通り買った。学校から出ている課題を終わらせ、CDショップで出会った新たな曲をスマホで聴きながら……結局俺は、料理を作っていた。
どうせ明日になれば家事をしなくちゃいけないのは同じだ。だったら、早めに済ませていた方が気分もいい。
ヘッドフォンを耳にあて、音楽を流す。リズムに合わせて包丁で具材を切り、炒める。美容と健康にうるせぇお姉様方は、そのうえ食の好みにもうるさい。そして、3人は好きなタイプの料理も違う。普段はそれぞれが好きな料理を毎日ローテーションで作るけど、今日は一気に作ってもいいかなと思った。
時間はたっぷりあるしな。
いつもだったら文句ばっかり言ってくる姉ちゃん達が、顰めっ面で、だけど照れくさそうに感謝を述べる場面を想像して、口元に笑みが滲む。
これを切っ掛けに、ちょっとくらい待遇改善してくんねえかなあ。なんて思いながら肉に下味をつけていると、突然音楽が止んだ。
手を洗い、ズボンのポッケからスマホを抜き取る。音楽が中断され、代わりにユリ姉ちゃんからの着信を知らせる画面に切り替わっている。
「もしもし、どうしたの姉ちゃん」
『ああ! やっと出た!』
スピーカーから聞こえてくる、甲高い声。思わず耳を塞ぎ、片目を瞑りながらため息を吐く。
「……何だよアヤメ。俺、今忙しいんだけど」
『あんたの忙しいなんて、どうせ遊んでるだけでしょ』
なんて言い草だ。カチンときて、言い返そうかと思ったけど、わざわざ向こうから掛けてきたってことは用件があるんだろう。それを先に聞くことにした。
そっちこそ何で電話掛けてきたんだよ。そう尋ねると、アヤメは声を潜めて言った。
今、居酒屋に来ているけど、お姉ちゃんが酔い潰れてしまったから迎えに来てほしい。男手が必要。お姉ちゃん以外は未成年だし、これを理由に飲み会を抜け出したい。
とのことらしい。
俺は、調理道具が出されたままのキッチンを眺め、どうしたものかと考える。
「アヤメとスミレで何とかできねえの?」
ユリ姉ちゃんが酔っ払ったのはこれが初めてじゃない。以前も電車で迎えに行き、ぐでぐでの姉ちゃんを宥めすかしながらタクシーに詰め込んだことがあった。
その時もアヤメとスミレは居て、あいつらは俺が呼んだタクシーにさっさと乗り込むと、俺を置いてさっさと家に帰ってしまった。酔い潰れた姉ちゃんが座席の殆どを占領していて、俺が乗るスペースがなかったのだ。
仕方なく、電車に乗って帰った。何やってるんだろう、俺。なんて思いながら。
翌日、酔いの醒めたユリ姉ちゃんには死ぬほど謝られた。
あの時の記憶が蘇り、苦々しい気持ちになる。
『ふらふらのお姉ちゃん抱えるなんてあたし達には無理。言ってんじゃん、男手が必要なんだって』
「……じゃあ一緒に参加してる人に手伝ってもらったら?」
『はあ? あんたそれ、本気で言ってんの!? あたし達有名人なんだよ。ゆーめいじん。他の人と一緒にタクシーなんて乗ったらスキャンダルになっちゃうし、もしかしたらお持ち帰りさせられちゃうかもしれないじゃん! いいの? あんたはあたし達が酷い目に遭わされても!』
あーもう、うっせえなあ。スキャンダルなんか気にしてたら、何もできなくなるだろ。つか、男の俺が迎えに行ったって問題になるのは同じなんじゃねえの? 肉親だってことは隠して、顔にモザイク掛けて写真載せりゃ、それなりにセンセーショナルな話題にはなる。
「お前みたいな乱暴女、誰がお持ち帰りなんてするかよ」
『何よその言い方! いいから早く迎えに来なさいよ!』
「……あーもう分かった。行きゃいいんだろ、行きゃ」
店の住所を聞いて、電話を切る。出来上がった料理には取り敢えずネットを掛け、下味状態で放置された肉は冷蔵庫に押し込んだ。
買ったばかりのジャケットに袖を通す。こんな鬱々とした気持ちを抱えてお前を着たくはなかったよ。
持ち物をチェックして、いざ家を出ようとした時だった。また、スマホが鳴る。今度はスミレからだ。
「どうしたスミレ」
『おにいごめん! さっき迎えに来てって言ったけど、やっぱりナシにしてくれない?』
「え? なんかあったのか?」
『飲み会参加してた人がもう帰るから、ついでに家まで送ってくれるって。せっかく準備してくれてたと思うけど、ごめんね!』
「あー……そうか。えっと……その人って男? 大丈夫? 家に帰ると見せかけてどっかのホテルに連れ込まれたりしない?」
さっきアヤメに言われたことを思い出し、なんとなく尋ねる。
するとスミレは途端に声色を変え、
『は? おにい、それ下ネタ? 妹にそんなこと言うなんてサイッテー』
とにかくもう迎えはいいから。と、冷たい声と共に電話が切られてしまう。
「……っんだよ!」
俺はただ心配しただけなのに、そんな言い方しなくたっていいだろ!
つか、そもそもの話、全てアヤメのせいじゃねえか。アヤメがあんなこと言わなければ、俺もよく分かんねえ杞憂なんてせずに済んだのに。
「あー、もう……っ、料理なんて止めだ、やめ」
その場にしゃがみ込み、頭を掻きむしる。気分は急降下。料理なんて作る気にもなれない。
俺はリビングに戻り、料理に掛けていたネットを取り払った。そして、姉ちゃん達に作ったはずの料理を全部自分で食べた。
美味しかったけど、気分はそれでも晴れなかった。むしゃくしゃしながら、怒りをぶつけるみたいに黙々と口に詰め込む。
全て食べきった頃、玄関の鍵が開く音がした。俺は慌てて目元を服の袖で拭い、キッチンに皿を置いた。
「わざわざここまで送ってきてくださってすみません。ほら……ユリねえ、起きて」
「はー、疲れたあ。もう寝ちゃおっかなあ」
賑やかな声が近づいてくる。そして、リビングのドアが開いた。
俺は何食わぬ顔で振り返り、そして固まった。
そこにいたのは、それはもう、どえらいイケメンだった。
何なら男でもいいから助けてくれと。
でも、あれは冗談みたいなものだ。現実になるとは露ほども思っちゃいない。
本当に、ただの冗談じゃねえかよ。
冗談だったのに。
何故俺は今、男に壁ドンをされているのでしょうか。
何故、見目のよい男が俺をじっと見つめてきているのでしょうか。
そして何故俺の体は魔法をかけられたみたいに固まって、男を押し除けることも突き飛ばすこともできないのでしょうか。
「……本気だって言ったら、どうする?」
男の形のいい唇が言葉を紡ぐ。俺は、色素の薄い灰色の双眸に映る己の呆然とした顔を、じっと見つめることしかできない。
今日は金曜日だった。姉ちゃん達は仕事先で打ち上げがあるから帰るのが揃って遅くなる。
久々の自由時間。嬉しくないはずがない。
姉ちゃん達の帰ってくる時間に合わせて料理を作る必要もないし、姉ちゃん達が帰ってくるまでに猶予があるからどこかに出かけることだってできる。
昨晩の俺は、遠足を翌日に控えた小学生みたいに、そわそわと、放課後は何をして過ごそうかとベッドの上で考えていた。
放課後、電車に乗って繁華街まで繰り出し、CDショップやゲームショップ、古着屋なんかを見て回った。
音楽は今時サブスクで聴けるけど、俺は店の前に置かれた試聴用のヘッドフォンで、自分の知らない音楽と何気なく出会うのが好きだった。古着屋も同じ。有名なブランドでなくたって、素敵な服はたくさんある。
ゲームはオンラインショップの方がラインナップも多いしインディーズゲームも充実してるから好きかな。店には、目当てのものが安く売られていないか確認するために来ている。
俺達の住むちょっとした田舎とは違い、電車に1時間ほど乗って都会に出れば、そこはもう芸能人の街だ。芸能人が歩いているのは珍しくも何ともなく、その家族だからといって驚かれることも噂されることもない。そういったのもまた、俺がここを素敵に感じる理由なのかもしれない。
背中に羽が生えたような軽い気持ちで彼方此方を散策した。貰っている小遣いでジャケットとスキニージーンズを購入し、着替えてから店を出た。
日暮れにはまだ時間はあった。あったんだけど……姉ちゃん達との奴隷生活に慣れきってしまったせいか、俺の体は早く家に帰らなければと焦燥感に駆られた。
姉ちゃん達には生活費込みで小遣いを少し多めに貰っている(この点は感謝してるぜ。いい加減こき使うのはやめてほしいけどな)。
帰る前にスーパーで食材を一通り買った。学校から出ている課題を終わらせ、CDショップで出会った新たな曲をスマホで聴きながら……結局俺は、料理を作っていた。
どうせ明日になれば家事をしなくちゃいけないのは同じだ。だったら、早めに済ませていた方が気分もいい。
ヘッドフォンを耳にあて、音楽を流す。リズムに合わせて包丁で具材を切り、炒める。美容と健康にうるせぇお姉様方は、そのうえ食の好みにもうるさい。そして、3人は好きなタイプの料理も違う。普段はそれぞれが好きな料理を毎日ローテーションで作るけど、今日は一気に作ってもいいかなと思った。
時間はたっぷりあるしな。
いつもだったら文句ばっかり言ってくる姉ちゃん達が、顰めっ面で、だけど照れくさそうに感謝を述べる場面を想像して、口元に笑みが滲む。
これを切っ掛けに、ちょっとくらい待遇改善してくんねえかなあ。なんて思いながら肉に下味をつけていると、突然音楽が止んだ。
手を洗い、ズボンのポッケからスマホを抜き取る。音楽が中断され、代わりにユリ姉ちゃんからの着信を知らせる画面に切り替わっている。
「もしもし、どうしたの姉ちゃん」
『ああ! やっと出た!』
スピーカーから聞こえてくる、甲高い声。思わず耳を塞ぎ、片目を瞑りながらため息を吐く。
「……何だよアヤメ。俺、今忙しいんだけど」
『あんたの忙しいなんて、どうせ遊んでるだけでしょ』
なんて言い草だ。カチンときて、言い返そうかと思ったけど、わざわざ向こうから掛けてきたってことは用件があるんだろう。それを先に聞くことにした。
そっちこそ何で電話掛けてきたんだよ。そう尋ねると、アヤメは声を潜めて言った。
今、居酒屋に来ているけど、お姉ちゃんが酔い潰れてしまったから迎えに来てほしい。男手が必要。お姉ちゃん以外は未成年だし、これを理由に飲み会を抜け出したい。
とのことらしい。
俺は、調理道具が出されたままのキッチンを眺め、どうしたものかと考える。
「アヤメとスミレで何とかできねえの?」
ユリ姉ちゃんが酔っ払ったのはこれが初めてじゃない。以前も電車で迎えに行き、ぐでぐでの姉ちゃんを宥めすかしながらタクシーに詰め込んだことがあった。
その時もアヤメとスミレは居て、あいつらは俺が呼んだタクシーにさっさと乗り込むと、俺を置いてさっさと家に帰ってしまった。酔い潰れた姉ちゃんが座席の殆どを占領していて、俺が乗るスペースがなかったのだ。
仕方なく、電車に乗って帰った。何やってるんだろう、俺。なんて思いながら。
翌日、酔いの醒めたユリ姉ちゃんには死ぬほど謝られた。
あの時の記憶が蘇り、苦々しい気持ちになる。
『ふらふらのお姉ちゃん抱えるなんてあたし達には無理。言ってんじゃん、男手が必要なんだって』
「……じゃあ一緒に参加してる人に手伝ってもらったら?」
『はあ? あんたそれ、本気で言ってんの!? あたし達有名人なんだよ。ゆーめいじん。他の人と一緒にタクシーなんて乗ったらスキャンダルになっちゃうし、もしかしたらお持ち帰りさせられちゃうかもしれないじゃん! いいの? あんたはあたし達が酷い目に遭わされても!』
あーもう、うっせえなあ。スキャンダルなんか気にしてたら、何もできなくなるだろ。つか、男の俺が迎えに行ったって問題になるのは同じなんじゃねえの? 肉親だってことは隠して、顔にモザイク掛けて写真載せりゃ、それなりにセンセーショナルな話題にはなる。
「お前みたいな乱暴女、誰がお持ち帰りなんてするかよ」
『何よその言い方! いいから早く迎えに来なさいよ!』
「……あーもう分かった。行きゃいいんだろ、行きゃ」
店の住所を聞いて、電話を切る。出来上がった料理には取り敢えずネットを掛け、下味状態で放置された肉は冷蔵庫に押し込んだ。
買ったばかりのジャケットに袖を通す。こんな鬱々とした気持ちを抱えてお前を着たくはなかったよ。
持ち物をチェックして、いざ家を出ようとした時だった。また、スマホが鳴る。今度はスミレからだ。
「どうしたスミレ」
『おにいごめん! さっき迎えに来てって言ったけど、やっぱりナシにしてくれない?』
「え? なんかあったのか?」
『飲み会参加してた人がもう帰るから、ついでに家まで送ってくれるって。せっかく準備してくれてたと思うけど、ごめんね!』
「あー……そうか。えっと……その人って男? 大丈夫? 家に帰ると見せかけてどっかのホテルに連れ込まれたりしない?」
さっきアヤメに言われたことを思い出し、なんとなく尋ねる。
するとスミレは途端に声色を変え、
『は? おにい、それ下ネタ? 妹にそんなこと言うなんてサイッテー』
とにかくもう迎えはいいから。と、冷たい声と共に電話が切られてしまう。
「……っんだよ!」
俺はただ心配しただけなのに、そんな言い方しなくたっていいだろ!
つか、そもそもの話、全てアヤメのせいじゃねえか。アヤメがあんなこと言わなければ、俺もよく分かんねえ杞憂なんてせずに済んだのに。
「あー、もう……っ、料理なんて止めだ、やめ」
その場にしゃがみ込み、頭を掻きむしる。気分は急降下。料理なんて作る気にもなれない。
俺はリビングに戻り、料理に掛けていたネットを取り払った。そして、姉ちゃん達に作ったはずの料理を全部自分で食べた。
美味しかったけど、気分はそれでも晴れなかった。むしゃくしゃしながら、怒りをぶつけるみたいに黙々と口に詰め込む。
全て食べきった頃、玄関の鍵が開く音がした。俺は慌てて目元を服の袖で拭い、キッチンに皿を置いた。
「わざわざここまで送ってきてくださってすみません。ほら……ユリねえ、起きて」
「はー、疲れたあ。もう寝ちゃおっかなあ」
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