バ美肉オレと、ガチ恋弟。

雷仙キリト

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1章〜バ美肉俺と、ガチ恋弟。〜

1-1

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「バ美肉(ばびにく)」という言葉がある。

 バーチャル美少女受肉、略してバ美肉。
 簡単に言うと、バーチャル世界の女装みたいなものだろうか。可愛らしい女の子のアバターをまとった男を、インターネットの世界ではそう呼んでいる。

 ほんの一年前まで、雨崎千尋(あめさきちひろ)はバ美肉の存在どころか、その名前を聞いたことすらなかった。そんな千尋が今では立派にバ美肉Vtuberをやっているのだから、人生とは実に不思議なものである。

 千葉類(せんばるい)。愛称は「ちば」「類ちゃん」「チハル」などなど。千尋のVtuberとしての姿だ。
 ふわふわとした柔らかなピンク色の髪と、前髪を留める星型のヘアピンが特徴の、可愛らしい女の子である。
 平凡な男を自称する千尋とは裏腹に、千葉類はVtuberの中でもかなり人気があった。
 活動歴はわずか一年でありながら、チャンネル登録者数は既に二桁万を抱えている。
 
 配信ボタンを押せば、瞬く間に人が集まってくる。流れるコメントに目を通しながら、ゲームに対してリアクションを取ったり、会話を楽しんだり。
 時間はあっという間に過ぎていく。

「みんなっ、今日も来てくれてありがとうっ☆」

 語尾に星を付けたような元気な喋り方と共に、体を揺らす。パソコンのモニターに映る類は、千尋の動きに合わせてぶんぶんと激しく左右に揺れた。

「次回の配信は明後日の21時から、今流行りのあのホラーゲームをやっていくつもりだから、楽しみにしててねっ☆ それじゃ、ばいばーい☆」

 配信終了のボタンを押して、ちゃんと配信が切れていることを確認する。
 ふう、とため息を吐いて、千尋は椅子の背もたれに勢いよくもたれかかり、大きく伸びをした。

「……んーーーっ、今日も疲れたあ!」

 ヘッドフォンを外し、机の上に置く。疲れがどっと押し寄せてきたけれど、残念ながらやることはまだたくさんある。
 スマホを取り出してSNSを開く。配信を見てくれた人へのお礼と共に千葉類の自撮りの写真をポストすると、数十秒も経たないうちにいいねがどんどん増えていく。

「へへっ、俺ってば人気者~」

 思わず頬が緩みかけたが、すぐに表情を引き締める。パソコンの電源を落とし、真っ暗になったモニターに映る自分の顔が顰めっ面であることを確認して、席を立つ。
 防音室の扉を開けると、ソファで脚を組んで優雅にハーブティーを飲んでいた航(わたる)が顔を上げた。

「お疲れ様。ちーくんの分のお茶も入れてるけど、飲む?」
「ちーくんって呼ばないで。……飲みますけど」

 航の隣に腰掛け、湯気の立つ水面に息を吹きかける。
 航の家に来るまで、ハーブティーなんて洒落たものを飲むような習慣はなかった。それが今ではすっかり、配信を終える頃にはこの落ち着く味を欲している。冬はもちろん、夏も。空調の効いた部屋で温かい飲み物を飲むのは、背徳感があって何だか良い。

 テーブルの上に置いたスマホがひっきりなしに通知を鳴らす。

「ちーくんったら、すっかり人気者ねえ」
「おかげさまでね」
「君に『アルバイト』を頼んでから、もう1年が経つんだね」
「まさか俺も、こんなに続けることになるとは思ってなかったよ」
「そんなこと言って、なんだかんだ楽しんでるんじゃなーい?」
「俺はただバイト代が欲しいだけ。航兄とは違ってね」

 千尋は悪戯っぽく舌を出した。航は楽しそうにからからと笑いながら、ティーカップの縁に付いた口紅の跡を指でなぞる。

「ところで、バイト代は何に使ってるの?」
「普通だよ。貯金したり、服買ったり、ちょっと贅沢して高い食材を買ってみたり。大したことには使ってないかな」

 航がじぃっと意味ありげに千尋を見つめる。

「何?」
「……いーや。何でもない」

 航は千尋よりも先にハーブティーを飲み終え、空いたカップをキッチンに戻すと、ハンガーラックにかけていた薄手のコートを羽織った。背中の辺りまである長い金髪がゆらゆらと揺れる。女性用の甘い香水の香りがふわりと漂ってきた。

「家まで送るよ。あんまり遅くなったら弟君も心配するだろうしね」
 コップの底に残っていた最後の数滴を喉に流し込み、千尋は部屋を後にした。
 車の助手席に乗り、カーステレオから流れる音楽を聞き流しながら、窓の外の景色を頬杖をついて眺める。

「弟君とは最近どう?」

 夜のあえかな空気に溶け込むような静かな声で問いかけられる。千尋は視線を窓の外に固定させたまま、苦笑を溢した。

「相変わらず、かな」

 相変わらず。たったそれだけの言葉から、航は千尋の言いたいことを察したようだった。

「お兄ちゃんも大変だねえ」
「本当に。あいつ、いっつも愛想悪いんだ。まるで『何でここにいるんだよ』って言うみたいに睨みつけてくるしさ。反抗期って嫌だよなあ」

 両親が海外で働いているため、千尋は現在弟と二人暮らしをしている。
 本来なら親に向けるだろう反抗的感情をダイレクトに千尋へと向けてくるせいか、兄弟仲はあまり良くはない。
 家に帰ればまたあの弟と顔を合わせなければならないのかと思うと、千尋は少し憂鬱だった。

 ライブ配信で高揚していた気分が、じわじわと下降していくのを感じる。
 ふと、千尋はあることを思いつき、航の方を向いた。

「航兄、良かったらウチに泊まってかない?」

 航は目をぱちぱちと瞬かせた。

「僕が? ちーくんの家に?」
「そんなに不思議そうにすることないじゃん。昔はしょっちゅう俺の家に遊びにきてたろ。それに、航兄がいたら、あいつもちょっとはしおらしい態度になるかも。部屋も空いてるしさ、どう?」
「うーん、悪くないかも」
「でしょ?」
「でも、ごめんね。今日は先約があるから、無理」

 千尋はがっくりと肩を落とした。

「配信をすっぽかすわけにはいかないよ。それに……」

 航は片手で、金色の長い髪を掬い上げる。

「こんな格好でお邪魔したら、弟くんもびっくりしちゃうだろ?」
「……ううん、確かに」

 千尋は既に航の格好に慣れているけれど、他の人がそうとは限らない。

「だったら、逆にちーくんが僕の部屋に泊まるのはどう? ベッドはひとつしかないけど、ソファもあるし最悪僕はそっちで寝れば良いよ」
「それは無理。あいつを家に一人残しておいたら親に怒られちゃうよ」
「うーん。そかそか。それは残念」

 さほど残念でもなさそうな声色でそう言って、航は揶揄うように千尋の肩を小突く。

「過保護なお兄ちゃんだねぇ」
「……親に頼まれてるから、面倒見てるだけだし」
「そんなこと言って、なんだかんだバイト代も弟君に注ぎ込んでるんじゃないのぉ? 豪華な食材を選んでるのも、弟君を喜ばせたいからだったりして」

 何も言わずに黙り込む千尋を見て、航はクスクスと笑う。

「まあ、いつか仲直りできるよ。そのうちご両親も帰ってくるんでしょ? その頃になったら、以前の態度に戻ってるんじゃない?」
「だったら良いけどねぇ」
「困ったことがあったら僕に言いな。できることだったら力になるよ」

 二人で話し込んでいるうちに、車はあっという間に家の前に着いた。

「次の配信はいつ?」
「明後日。ちゃんと今月の分の給料振り込んどいてね」
「分かってる分かってる! じゃあ、また明後日!」

 別れの挨拶の代わりに軽く頷くと、航は千尋に手を振り返した。



 車が到着した時、二階の窓、カーテンの隙間から二人の様子をじっと見つめる一人の少年の姿があった。航がその方に目をやった瞬間、少年は奥へと引っ込んでしまった。千尋は家に背を向けていたから、きっと「彼」に気がついていないだろう。

「兄弟喧嘩、か。……全く。二人とも、もっと素直になれば良いのにねぇ」

 サイドミラー越しに、遠ざかっていく千尋の姿を見遣りながら、航は一人呟いた。
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