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35.停止。ただし異常はなし
しおりを挟む数日後、オレは親父とユキさんと共に朝一さんの店を訪ねた。
親父が既に話を通していたようで、朝一さんはオレ達を認めると、店に入るよう促す。
「朝一さん。ユキさんのことをよろしくお願いします」
「もちろんとも。さ、ユキさん。荷物を置いておいで。君の部屋は二階に用意してある。行けば分かるはずだ」
ユキさんはトラベルバックを抱えて、「お邪魔します」とお辞儀をした。そして、少し寂しそうな笑みを浮かべる。
「……希くん、また、私に会いにきてくれますか?」
「遊びに来ますよ。迷惑じゃなかったら、ですけど」
「迷惑だなんて、そんな。ね、瞬さん」
ユキさんと朝一さんは互いに顔を見合わせて微笑む。
「君が来たい時に来たら良い。とびきりのコーヒーをご馳走するよ」
……それはちょっと、勘弁してほしいかな。
ユキさんが躓かずに二階へと向かったのを確認して、朝一さんはオレ達に向き直る。
「ああ、そうだ高嶺さん。あなたにお伝えしなければならないことが会ったのを忘れていた」
「私に、ですか?」
「うん。ちょっとこっちに来てくれるかな」
朝一さんがちょいちょいと手招きをする。親父は言われるがままに朝一さんへと近づき、そして朝一さんは_____
「!?」
親父に思い切りビンタをした。
乾いた音が響き渡り、呆気に取られた親父が頬を抑えながら、呆然とした表情で尻餅をつく。
朝一さんはそんな親父の真正面にしゃがみ込んだ。
にっこりと作り笑いを浮かべ、親父の頭に手を置いて上を向かせる。
「他人の家庭に口出しをするのはあまり好きじゃなくてね。だが、ユキさんを預かる立場となった今、私はようやく君達の家に介入できる立場になった、というわけだ」
笑みを崩しはしないが、明らかに朝一さんは怒っている。
そんな朝一さんを見るのは初めてで、オレは何と反応すれば良いのか分からず、オロオロと狼狽えることしかできなかった。
親父を起こそうと手を差し伸べかけ、朝一さんに目線で制される。
「ここまで協力してあげるんだ。これからはちゃんと、希君と二人でやり直すこと。分かった?」
「……」
「お兄さん、お返事は?」
親父は一瞬眉を吊り上げた。しかしすぐに俯いて、
「……はい」
と弱々しく返事をした。朝一さんは親父から手を離す。しかし、親父はいつまで経っても立とうとしない。
「どうしたんだい? 一発じゃ足りなかったかい?」
親父はくしゃりと顔を歪め、弱々しく頷く。
「……痛いな」
朝一さんは眉を八の字にして、呆れたように笑う。
「私だって痛いさ。だからこれ以上は勘弁してあげよう。私の手が傷つきでもしたら、私のファンを悲しませることになる」
上の階から「瞬さん」と朝一さんを呼ぶ声がする。朝一さんは立ち上がり、楽しそうにオレに囁いた。
「嫌なことがあったら、君も徹底的に反抗してみれば良い。
はは、見てごらんよ、彼のあの情けない顔を。スッキリするだろう?」
大人って怖いんだな……とオレは思った。
××××
いつのまにか、ユキさんの左手の薬指に嵌められた銀色の指輪。それを見ても、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
ユキさんがオレのことを忘れる日もあった。
それでも朝一さんの隣にいる時は、穏やかだった。
ある日、ユキさんは朝一さんの淹れたコーヒーを飲みたいとせがんだ。オレが喫茶店に来た時にコーヒーを飲んでいるのが、いつも気になっていたのだと言う。
「何だっけ? アルティメットサンダー何とかだっけ? ユキさんに出してあげなよ」
「だが、ユキは_____」
ユキさんは味や匂いが分からない。水を飲むこと自体はできるけど……でも、レイや刹那さんが見たら、きっと眉を顰める。
でも、オレは止めたくなかった。
「ユキさんに好きなことをさせてあげなよ。ユキさんのこと、好きなんだろ」
ユキさんにじっと見つめられ、観念したらしい。朝一さんはコーヒーを淹れ始めた。
湯気を立てるコーヒーカップに両手を添え、ユキさんはそっと鼻を近づける。
香りを嗅ぐ素振りを見せ、それから恐る恐るとカップの端に口を付けた。
「ユキ、味はどうだい?」
不安げに揺れていた表情がほっと和らぐ。
「……はい、とっても美味しいです」
秋が過ぎ、冬が訪れる。
オレが生まれたこの季節に、ユキさんは機能を停止した。
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