ここは血塗れ乙女亭!

景丸義一

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主菜 ただいま営業中!

第48話 伯爵家の食卓

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 どうやら帰りに食べ歩きをする必要はなさそうだ。
 というのも、へっぽこ領主が鬼の居ぬ間にといわんばかりにクレアにひたすらスイーツを与えるもんだから、うちの鬼はすっかり舌を満たして大満足なご様子でくつろぎきっている。
 まだ一晩経った翌日の昼なんだが、ここまででクレアはクッキーにアイスクリームにワッフルにカスタードプリンにチョコレートにフルーツクレープに、今はこの辺では珍しいビワを使ったシャーベットを昼食後のデザートとしてむしゃむしゃ頬張っている。
 おれも食べてるが、こいつはなかなかいけるな。甘すぎないし、一番暑い真っ昼間にはこのさっぱりした冷たさが最高だ。
「私にはちょっと物足りないけど、サッパリ系の氷菓は色んな客層に人気だからうちでも来年はビワを仕入れましょう」
「そうだな」
「じゃ、シメにチョコレートをもってきて。生クリームたっぷり載せで」
「かしこまりました」
 恭しく頷いて引き下がったのは、この昼食を担当した領主お抱え料理人の一人。
 昨日あのあと、領主が自慢の料理人の腕をクレアに(ついでにおれにも)見せたいといって紹介し、おれたちはしばし料理の話で盛り上がった。さすがに美食家を自負するやつだけあって、そしてグストーがいた場所なだけあって超一流揃いだ。
 ただ、そんなやつらでもクレアの美貌には惑わされてしまったようで、誰が一番喜ばせられるかで勝負が始まっちまった。クレアがスイーツ三昧になってるのはそれが理由でもあるんだが、実はもうひとつ、ここの料理人たちの度肝を抜くことをクレアがやってのけたからそのお礼、という事情も働いている。
 なにをしたかというと、魔法陣の書き換えだ。
 うちの店の地下にもクレアお手製の冷却魔法陣があって、そのお陰で品質を保ったまま食材を長期保存できているんだが、この館の魔法陣を見たとき、クレアはこういった。
「よくもまあ、こんなお粗末な魔法陣であれだけの料理が作れるものね」
 はっきりいおう。
 おれの目から見れば、充分に一流の魔術師による仕事だ。
 しかしもちろん、クレアはそんな域を遥かに超越した化け物だからして、その基準でいえば一般的な一流とは三流程度でしかないらしい。
 だから、もっと美味いスイーツを提供させるためにクレアはうちの店のものと同じ魔法陣をその場で作り上げた。性能は世界一、そしてときどき魔力を補充すればいいだけという使い勝手も最高な逸品だ。
 これですっかり料理人たちは頭が上がらなくなって、今では全員が領主に次ぐ下僕となってしまった、というわけだ。

「美しい……」
 表向き夫ということになっているおれの前だろうと、シャルナたち客人がいようと、もはや取り繕うつもりはないらしい領主が、シャーベットの残り汁をすすっているクレアを眺めながらうっとりと呟きやがった。
「ああ、この瞬間を永遠にできないものか……」
 よし、決めた。
 こいつの奥方に会う機会があったら絶対にチクッてやろう。
「なるほど、一瞬の幸福を永遠に……」
 男爵が乗っかりやがった。そういやこいつも女好きなんだったな……
「そういえばシャルナくん、画家を呼んで宣伝用の絵を描かせるという話だったが、誰に頼むのかね?」
「男爵は嫌でしょうけど、ウチが懇意にしているデ・レーウさんのお弟子のアウラーさんって人です。もう決まってるんですから文句いっても無駄ですからね」
「私がなんでもかんでもいちゃもんをつけると思われては心外だな。デ・レーウの一派は想定内だ」
 確か、デ・レーウは本来風景画家で、売れなかったときにゾフォールが宣伝用の商品の絵を描くことを条件にスポンサーになって、今やアンセラでは巨匠の仲間入りをしてる人物だとかいってたな。弟子のアウラーはまだ若いがその幻想的な風景画と写実的な静物画両方の技を受け継いでいるとかなんとか……名前から察するに二人とも北方系移民かな。
 おれが記憶を辿っていると、男爵が悪い笑顔を領主に向けた。
「どうでしょう、伯爵。われわれでヴィンチ家のラファロに依頼を出すというのは」
 その提案を受けた瞬間、領主とシャルナは正反対の反応を即座に示した。
「貴公は天才か!?」
「ずるいっ!!」
「ふははは、なにがずるいものか。これが貴族同士の繋がりというものだ。伯爵、幸い彼は今ブルージュにいます。彼であれば必ずや完璧な絵を描くでしょう、ましてやクレアどのほどの絶世の美女とあれば描かずにはいられないはず。そして美女を紹介する代わりに個人的な絵も描いてもらう、と……」
「ただちに連名で手紙を出すぞ!」
「はっ!」
 二人は連れ立って出て行ってしまった……
 あとにはわけがわからず取り残されたおれたち三人と、一人憤るシャルナ。
「ラファロ・ヴィンチは、ずるい……!」
「そんなにすごいのか?」
「すごいもなにも! 彼の絵は現実を切り取ったといわれるほど寸分の狂いもない、完璧なまでに完璧な写実主義なんですよっ!」
「ほう」
「その技能を生かして小さいころから世界中を旅して、旅先の様子を完璧に描いた絵つきの旅行本まで出してて、世界中で大人気なんですよ、知りません?」
「うーん……?」
 生憎、おれの故郷では有名じゃないんだろうな、聞いたことがない。
「あっ、思い出した!」
 今まで黙ってシャーベットを舐めていたピリムが顔を上げた。
「アレでしょ、『世界の窓』シリーズの作者だ!」
「そうっ!」
「前に旅先で見たよ~! ホントに窓から覗き込んだみたいにリアルな絵だった! あの人にあたしの服描いてもらえるの!? やったああっ!!」
 ピリムまで大はしゃぎし出して、ますますシャルナは落ち込んだ。
「ううぅ……私だって頼めるもんなら頼みたかったよぉ……でもコネがなかったんだよぉ……デ・レーウさんにも悪いしさぁ……」
「ゾフォールでも頼めない相手がいるんだな」
「だってだって、ヴィンチ家ってくせ者揃いだし、貴族のくせに居場所を掴むのも一苦労だし……」
「貴族?」
「そう……ヴィンチ家って、一五〇年くらい前に貴族に取り立てられた、シュデッタの勲功爵なんですよ」
 勲功爵ってのはなんらかの功績があって平民から貴族に取り立てられた身分のことで、普通なら宮仕えになるか、同時に爵位をもらってどこぞの領主となる。しかしそのヴィンチ家ってのはどうやらどちらでもない、特殊な一族のようだな。
「作家だった初代が当時の王さまに気に入られて、それ以来ずっとヴィンチ家は芸術家一門として世界中を転々としながら生きてるんです。まさかあのラファロがシュデッタに戻ってるなんて~……!」
 こいつは完璧に一本取られたな。
 シャルナも若いながらいかにもゾフォールらしいイケイケな敏腕の持ち主だが、さすがに同等の商才をもった人物と地元の貴族が手を組めばまだまだ出し抜かれることはあるらしい。
「その本、おれも見てみたいな。おまえの店で取り寄せられるか?」
「ゾフォールに仕入れられない物なんてありませんっ!!」
「よし、頼んだ」
「うぐぐ……なんだか負けた気がするぅ……! それにアウラーさんになんていえば……」
 苦悩して左右に揺れるシャルナの赤い頭を眺めていると、料理人がクレアのデザートをもって戻ってきた。
「お待たせしました、生クリームたっぷり載せ冷え冷えチョコレートドリンクです」
「待ってました!」
 おれは見ただけで吐きそうなそいつを、クレアは夏の太陽にも負けない輝かしい笑顔でずるずる飲み出した。
 どうやら、今回の一件で一番の貧乏くじを引いたのはシャルナだったみたいだな。
 でもまあ、いいじゃないか。
 お陰で当初の計画以上に巧くいきそうなんだし。

 しかし、窓から覗き込んだように写実的な旅行本か……
 そいつがあれば少しは旅行した気になれるのかね。
 おれにはピリムの服よりそっちのほうが楽しみだ。
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