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Part 1

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 人間の多くは目を背けている。怪物と呼ぶべき異形の者たちがすぐ傍で当たり前に生活していることを。
 日本人はみな知っている。内閣府陰陽寮とそれに属する怪奇現象対策委員会の職員にも、怪物たちが混じっていることを。
 発端は七五年前の第二次世界大戦末期。日本は散々に打ち負かされ、もはやぐうの音も出ないほどに叩きのめされる寸前だった。それを、日本に住んでいた一部の怪物が哀れに思い、手を貸したのが始まりである。
 彼らはなんと、二発落とされるはずだった原爆を爆撃機ごと消し去ってなかったことにし、奪われるはずだった北方領土に出向いて現代の神風を起こし、ソ連軍を海の藻屑にしてしまったのだ。
 それまでタブーとされていた人間社会への干渉を、彼らはしてしまった。これによってかろうじて保たれていたモラルが崩れ、調子に乗って派手な活動する者が現れるようになり、日本の怪物社会は自由奔放派と秩序維持派に分かれての抗争へと突入してしまうこととなった挙句、日本でタブーが破られたことを知った外国の怪物たちが居場所を求めて押し寄せるようになり、日本各地で怪奇現象が巻き起こった。
 その事態に真っ先に気づいたのは、大昔から彼らと対等に渡り合ってきた退魔師である。ゆえに彼らもなんとか収拾をつけさせようと必死に動いたのだが、これが運命の分かれ目。その動きが首の皮一枚で繋がってなんとか息を吹き返そうと必死になっていた政府に知られ、結局、政府上層部は怪物の存在と大戦の経緯を知ることとなったのだ。
 だが驚いたことに、政府はとんでもない提案を出した。
「協力してよりよい日本を!」
 怪物の力を有益と見て、なりふり構わず手を差し出したのである。
 怪物たちは喜んだ。ついに自分たちもこそこそせずに生きられる時代がやってきたのだと。
 そうして誕生したのが退魔師と怪物で構成された、内閣府陰陽寮である。
 当初この組織は完全極秘の非合法機関だった。その職務は怪物の管理、政府と怪物の仲立ち、怪物の人間社会への貢献、怪物による怪奇現象の解決、一般市民への秘匿処置など、明治三年に廃止されるまで実在した本来の陰陽寮とはかけ離れたものばかりである。しかし、いくら特異な力をもつ陰陽寮職員たちでも日本全国で多発する怪奇現象のすべてに対応することは難しくすぐに国民に隠し続けることが困難になり、さらには国連の議会にまで話題が上がってしまったため、日本政府は陰陽寮の存在を公表した。そしてそれを機に誕生したのが陰陽寮の下部組織、怪奇現象への対策に特化した怪奇現象対策委員会とさらにその下部組織、怪奇事件対策局である。
 この組織は現在の日本にとってもはやなくてはならないものとなっている。なし崩し的とはいえ世界で唯一怪物に居場所を提供した国であるため様々な事情を抱えた怪物たちが押し寄せ、それらを野放しにするわけにはいかないため、陰陽寮は怪物用の法律を作り、人間の国民同様しっかり管理する必要があった。そのための実動部隊が怪奇事件対策局、つまりは怪物専門の警察なのである。
 特に福岡県怪事本部の占める役割は大きい。なにせ福岡はいまや東アジア一の国際都市となっており、人間の外国人はもちろん、外国からの怪物も日本一多い場所なのだ。大抵の者はただ単に居場所や仕事を求めてやってくる穏便な移住者や労働者だが、中には悪さをするためにやってくる輩もいる。もちろんその数も日本一――どころか世界一のため、福岡県怪事本部は日本一の規模と精鋭部隊をもつ大組織である必要があったのだ。
 二〇二〇年五月某日、この日もまた、日本の法律を破った怪物どもをしょっ引こうと、怪事捜査員たちが職務に励んでいた。


 晩春とはいえ夜の海風はまだ少し冷たく、捜査員の半数ほどはスプリングコートを羽織っている。場所は福岡県博多港のとある倉庫。博多港には世界中の人間と商品が集まるため、犯罪が行われていないか警察が常に目を光らせていなければならない場所のひとつである。
 今回、福岡県怪事本部の刑事部捜査一課・三課と博多臨港署の面々が動いたのは、この港の倉庫を利用して怪物――現代では皮肉と親しみを込めてネイバー(お隣さん)と呼ぶ――が組織的に違法な商売を行っているという疑いが浮上したからである。
 取扱商品は、人間。
 この国でネイバーが犯してはならない三大ダブーのひとつ、人間略取誘拐罪に当たる。
 仲間とともに倉庫の入り口についた女性捜査員が襟につけている無線機のマイクに向かって問いかける。
「A班準備完了、B班、C班はどう?」
『B班も今完了した。いつでもいいぞ』
『C班、とっくに待機中』
「了解。早く帰りたいからとりあえず全員ブチのめしてサクっと終わらせましょ」
『初指揮の初指示がそれかよ』
「ネイバー相手の令状なんて殴り込みの許可証でしかないんだからいいじゃない。それじゃ、行くわよ」
 一息置いて、号令を出そうとした寸前、待ったがかかった。
『おいコラ、D班にも返事をさせろ、D班にも』
 出鼻を挫かれて女性は大きくため息を漏らす。
「わかりきってるから省略」
『準備できてなかったらどうすんだよ!』
『うるさいぞ、マサムネ』
 その声に肩を叩くような音が入ったのは、彼もD班だからである。
『それよりいつもいっているが、なぜ鑑識の私がガサ入れに出張らなくてはならないんだ』
 雅宗が答える。
『いつもいってるが、おまえは捜査員向きだからだ』
『組織体制を根本から見直す必要がある』
「ハイハイ、D班も準備完了ね。いい、行くわよ?」
 今度こそ一息置いて、
「突入!」
 号令と同時に捜査員の一人が、縦三メートル、横五メートルはあるシャッターを襖のように蹴り飛ばした。駆け込み、指揮官の女性捜査員が腰に差していた日本刀を抜き払いながら大声を上げる。
「怪事だ! いるのはわかってんのよ、刀のサビにしてやるからとっととかかってきなッ!」
 声が倉庫内を走って不気味なエコーを返すのに続いて、奥からドタバタと足音がした。
「怪事が怖くて日本にいられっかよォ!」
「そういう根性は好きだけどねッ!」
 女性は仲間と陣形を組んで異形の本性を曝け出した犯罪者たちを迎え撃つ。彼女たちもまた、擬態している者は変身を解いて本来の姿であった。
 彼女、藤森静流巡査部長には三本の蒼い尾がある。三本のうち二本が拳銃を操って敵を牽制し、残り一本がマガジンを握って弾切れに備えるという、遠近・攻防に優れた万全の構えである。
 彼女の正体は、人間とネコマタの混血ブリード。猫の性質を顕著に受け継いだ勝手気ままな性格で、凶器フェチという変態嗜好をもちながらも、蒼間流退魔術の中目録という一流の退魔師でもある。かつては自分たちに向けられていた力を本家本元から学び、ともに日本のために力を尽くして戦う――現代日本の特殊事情を体現したような女性といえた。
「やっぱ蒼間ブランドの刀はよく斬れるわ~っ」
「惚けるのはあとにしろッ、何人か逃げたぞ!」
「あ~いい、いい。わざと行かせたのよ。向こうにはD班の乞食が待ってるから」
『誰が乞食だ、コラ!』
「あら、聴こえてたの」
『おまえにもいつもいってるけどな、無線は必要なときだけ繋げ。刀振り回してるときのおまえの声、喘いでるみたいで気持ち悪ィんだよ』
「興奮するの間違いでしょ。ま、そういうわけだから、お駄賃代わりに五人ばかしそっちにやったわよ。どうせお腹空いてるんでしょう?」
『とりあえずダルマにすんぞ?』
「それは困るわね、取り調べためしぎりの楽しみが減っちゃうから」
『……職権濫用って言葉、知ってるか?』
「ええ。エクスタシーって意味でしょ?」
『こんなのが警官で大丈夫か、この国は……』
 怪事捜査員には人間警察とほぼ同等の権限が認められているため一応警官は警官である。
「毎回被疑者をダルマにしようとするあんたにいわれてもねえ」
『チッ……おっ、きたきた。レオンハルト』
『仕方ない、ここまできたら食事をしなければ割に合わないからな』
 そこで無線を切り、雅宗とレオンハルトは通路を塞いだ。
「ここは行き止まりだぜェ」
 不法に設けた排水路をとおって港を出る通路内である。ろくに明かりもないため男たちから二人の顔は確認できなかっただろうが、雅宗の重厚かつ鋭利な迫力と、レオンハルトの揺らめくような妖しい気配は明らかだったに違いない。
「くそッ、なんでこの道がバレてんだ……!」
 獣のように毛で覆われている男が呻いた。
「おまえらの仲間が一人、こないだ捕まっただろう。そいつがよ、ケツにショットガンねじ込まれて泣きながら吐いたんだよ。エゲツねえことするよなァ、それでも女かっての」
「クソッ、あのバカ……!」
「それよりおまえ……なかなかいい体してんじゃねえか。体脂肪いくらだ? そっちのおまえもまあまあだな。あー、そっちのおまえはダメだ、脂肪が多すぎる」
「そうだな、あの毛むくじゃらはおまえにやるから、右の男は私がもらうぞ」
「な、なにいってやがんだ、テメエら!?」
「図星なのは癪だが、あのクソアマのいうとおり腹減ってんだよな、ここしばらくロクな事件がなかったもんで死んだ肉しか食ってねえからよ。だから大人しく捕まるんなら痛くしねえでやるが、どうする? ン?」
 男たちは固唾を呑んだ。
「こ、この野郎、まさか、シケンギ族か……ッ!?」
「喰人系のネイバーでも一番ヤベエっていわれてる、アレか?」
「び、ビビってんじゃねえ! 相手は二人だ、囲んで畳んじまえ!」
「お、おおッ!」
 ネイバーには様々な種族がある。人が好きな者、嫌いな者。好戦的な者、穏やかな者。姿も気性も生態も実に様々なれど、同じネイバーからも怖れられる種族もある。そのひとつが、日本にのみ存在する喰人鬼の一族、シケンギである。
 理由は簡単。人間は人間を喰らわない、人間より弱い生き物を喰らう。しかしシケンギは、人間も、ネイバーも、シケンギすらも喰らう。己以外のすべての命が彼らの食糧なのだ。
 いわば、生態系の頂点ともいえる、すべてを喰らう者。
 そのような存在を前にしたとき、あらゆる生物は本能で怯えるのだ。
「てめえら夜食決定!」
 一番脂肪の多い男を金的蹴りで悶絶させ、左の男の頭を掴んで壁に叩きつけ、本命男の右腕に、かぶりついた。
「うぎェッ!」
 という男の悲鳴は、腕が引き千切られ歯が肉を裂き骨を砕く音にかき消された。続いて硬質と粘着質の混じり合う異様な咀嚼音が響き、最後に、ゴクッと豪快に喉が鳴った。
「うめえッ! やっぱ男は筋肉だな、体脂肪率五.八パーぐらいか? 血の味もいい、見かけによらずタバコやってねえんだな。感心、感心」
「うぐぉおお……うっ、腕ェ……ッ!」
「どうせまた生えてくんだろ、ムショの中でゆっくり養生するんだな。出てきたらまた喰いに行ってやるからよォ」
 いって、二口目も笑顔で咀嚼する。
 残った二人は、戦意を喪失していた。
「た、頼む、見逃してくれよ、二度とやらねえからよ……!」
「そういいながら腰のうしろに握っている物はなんだ?」
 レオンハルトの指摘で男たちの顔は引きつった。
「改造スタンガンとは準備のいいことだ。銃が効かないネイバーはいても、肉体をもつ限り電撃が効かないネイバーは滅多にいないからな。私も苦手だ」
「くっそォーッ!」
 二人は同時にスタンガンを突き出し、レオンハルトを襲った。
 襲った、はずだった。
「な、なんじゃこりゃあ!?」
 地面から生えた赤い蔓のようなものが男たちの足を這い上がって、壁に縫いつけてしまったではないか。
「血! 血か!」
「まさか、てめえはヴァンパイアかッ!」
 相棒が究極の肉食怪物なら、こちらは究極の吸血怪物。夜でなくとも日光のまったく当たらない場所でヴァンパイアと遭遇することは、即ち蜘蛛の巣にかかった小虫を意味する。
「気をつけることだ、眠らない街にも必ず夜は訪れる。いまやこの街には移住を嫌う種族も多く隠れ住んでいるのだよ」
 腕をひねり上げてスタンガンを奪い取り、その手首に口を近づける。
「人間略取誘拐罪、及び公務執行妨害の現行犯で逮捕する」
 口を大きく開くと上の犬歯が肉食獣の牙のように変形し、動脈を貫いた。
「ひぎッ!」
 牙の吸血口から吸入される血液は直接血管に入り、全身の血管を浮き立たせて怪物らしい不気味な姿へとレオンハルトを変貌させる。それに伴い、男のほうは見る見るうちに血の気を失っていった。
「まあまあだな」
 死なないていどに吸い終えると、隣の男にも牙を立てる。
 雅宗はその光景を肴にしながら無線を繋いだ。
「おう、こっちは終わったぞ。ガリッ」
『こっちも動かぬ証拠を押収したわ。それにしてもやっぱりいい音ねえ、なにかが壊れる音って』
「だったらヘドバンしてみろ。いくらでも聴こえるだろうぜ」
『……今日の雅宗くんはやる気が感じられませんでしたって局長に報告してほしいの?』
「あ、いや、それだけは……」
 こうして今日も、怪事捜査員たちの活躍によりひとつの犯罪が潰され、ネイバーの正しいあり方を社会に知らしめたのであった。
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