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放課後に……4
しおりを挟む――どうなるかと思った。
伊織は内心胸を撫で下ろしつつ、目の前に置かれたグラスの水を飲んだ。
「……」
あれから学校を出るまでになんとかお姫様抱っこから解放してもらい、そして連れていかれたのがこのカフェ。
といってもレトロ感のある喫茶店といった佇まいで、かといって別にボロいとかではなく。むしろ周りには若い客もそれなりにいた。
アンティーク調の内装もさる事ながら、ジャズアレンジのBGMや間接照明にいたるまで。まさに人によってはノスタルジックな空気、そして若い客には新鮮さを感じさせるには充分な空間であった。
「あ、あの……」
なんとも気まずいような面持ちで、伊織は目の前の席に座る恭弥を見る。
彼がこんな店を知っているのも意外ではあったが、それ以上になぜ自分を連れてきたのかが不思議だったのだ。
「――あら、恭弥ったら今日は可愛いお友だちを連れてきたのね」
そこへやって来たのは一人の女性。どうやら店主らしい、年齢は二十代半ばといったところだろうか。
栗色の髪はゆるく纏めあげられたお団子で、綺麗なアーモンド型の目が特徴的な美人だった。
「…………じゃない」
――友達じゃない、んだ。
それに対して恭弥は憮然として言い返す。その言葉にそっと衝撃を受けた伊織は、再びうつむいた。
だから彼の表情にも女店主の少し驚いたそれにも気づかない。
「あらあらあら!」
彼女は大きく目を見開いて恭弥を見た。そして。
「あの恭弥がねぇ、伯母さんうれしいわ」
「お、おば……?」
どう見ても若々しくその言葉はそぐわないようだが実は彼女は恭弥の母親の姉、つまり名実ともに伯母さんであるのだ。
妹 (恭弥の母)の嫁ぎ先である一ノ瀬には劣らぬ名家の長女でありアルファでありながら、自由に生きると宣言して今はこうして喫茶店を営んでいる。
恭弥がここへよく来るのはこの叔母、美弥がいるから。
それを聞いて伊織は改めて彼女を見る。
――綺麗な人だな……。
稀美といい美弥といい、やはり自分とはまったく違う世界にいると強く感じさせた。
そんな彼の気持ちは知ってか知らずか、美弥はメニュー表を開いて伊織にみせる。
「ご注文を聞いてもいいかしら」
「あ、えっと……僕はこのコーヒーで」
こう見えてあんまり甘いものは得意ではない。それにここのコーヒーはなんだかかなりこだわっているような気がしたのだ。
彼女は嬉しそうにうなずいて、恭弥の方にも視線を向ける。
「アンタはいつものね」
「コーヒーだ」
「え? でもいつもは――」
「コーヒーがいい、ブラックで」
かぶせるように譲らない彼に美弥は肩をすくめてからニヤリと笑った。
「あらそう? ブラックコーヒー、ね。今すぐご用意しますわ」
そう始終笑いをこらえながら引っ込んでいった。
「?」
「くそっ」
伊織は少し首をかしげてそれを見送り、恭弥は眉間にシワをよせて毒づく。
「美弥さん、綺麗な人だね」
伊織がなにげなくそう言った。
「あ?」
「素敵なお姉さんって感じで憧れちゃうな」
――というか羨ましいというか。
せめて自分が女だったらと考えるのも不毛なのだが。
「お前はああいう女がいいのか」
「へ?」
恭弥のジトッとした視線にようやく気づく。
「ああいう女がタイプなのかって聞いてる」
「えぇ……?」
――もしかしてまた牽制された!?
せっかく稀美のことで警戒心を解いてくれたのに、これじゃあまた嫌われてしまうと慌てて首を横に振った。
「違うよ! ただ単純に綺麗だなって!!」
「……」
「だってその……少し雰囲気が……似てたから」
「似てた?」
とんでもない事を口走ってしまった感はあれどもう止まれない。伊織は小さな声で呟いた。
「恭弥くんに似てるような……だから綺麗……で……その……いいなぁって……」
――あ、終わった。
これは軽蔑される。気色悪いと罵られて、最悪殴られても仕方ないかもしれない。
ひどい想像が頭を過ぎり、ギュッと目をつぶった。
「じゃあ、許す」
「え?」
伊織は、理解できない返答が降ってきて思わず恭弥の方を向く。すると少し頬を染めつつも穏やかに微笑む彼と視線が合った。
「でもあんまり俺の前で他のやつを褒めるのは嫌だ」
「あ、ごめん」
「分かればいい」
――こんな顔、はじめて見た。
優しく愛おしげな表情。きっと誰しもこれをみたら恋に堕ちてしまうだろう。今も伊織の心臓は痛いほど高鳴っている。
「ぁ……」
――僕、やっぱり恭弥くんが好きなんだ。
改めて自覚すると顔が熱くて胸が痛くて仕方ない。
マトモに彼の方を見ていられなくて、視線を外してしまう。
「伊織」
その形の良い唇が名を呼ぶ。それだけで顔に熱がまた集まってしまいそうでたまらなかった。
――いま僕はどんな顔してるんだろう。
きっとここに鏡があれば見るに堪えない状態になってるに違いない。
そう思うとまさに穴があったら入りたい状況であった。
「俺……」
恭弥が口を開きかけた時だ。
「はいお待ちどうさま。コーヒー二つね」
そこに割って入るように現れたのは美弥。
手にしたお盆の上には暖かな湯気をたてる、繊細な花を模様作ったカップが二つ。
よく見れば色違いのお揃いのデザインになっているのだが二人は気付かない。
「あら、いい雰囲気のところ邪魔しちゃったかしら」
「……チッ」
舌打ちする反抗的な甥っ子を気にすることもなく、美弥は伊織に笑みを向けた。
「この子この店に友達だってつれてきたことないの、だから伊織君がはじめてね」
そう言ってウィンクをする長いまつ毛を見つめながら、伊織はふと思った。
「ぼ、僕が……ってなんで僕の名前を?」
疑問を素直にぶつけると彼女は一瞬だけキョトンとした顔をしたあとに吹き出す。
「そりゃそうよ。だって恭弥から話は――」
「おいやめろ」
そこで恭弥が焦ったような声をあげた。
「もういいだろ、もう向こう行けよ」
「あらあらあら~? この前まで美弥ちゃん美弥ちゃんって泣いて私の後を追っかけてきたのに」
「いつの話してんだ! いいから向こう行けってば」
まるで反抗期の息子とそれを受け止める母親のようなやり取りに、伊織は呆気にとられるがなんだか微笑ましかった。
「あ、そうそう。それはサービスだからね」
美弥のその言葉と共にテーブルに置かれたグラスは鮮やかな翠色に爽やかな炭酸の気泡が眩しく、さらに上には甘いはヴァニラアイス。そして頂点を飾るのが敢えての真っ赤なさくらんぼ。
長々と形容したが、つまりのところクリームソーダが二人の目の前にあったのだ。
「え? クリームソーダ……?」
「あくまでサービスよ。そうでしょ、恭弥」
イタズラが成功した子供のような目で美弥が恭弥に話しかける。
しかし彼はふいっとそっぽを向いて。
「ああ」
と一言、でもすぐに。
「ありがとな」
と礼を口にするあたり育ちの良さが出ている。
「ふふ、じゃあごゆっくり」
彼女は満足したのだろう。軽く頭をさげてお盆を持って立ち去っていった。
――やっぱり素敵な人だな。
綺麗で朗らかで、それでいて大人の色気というか。
そんなことを考えながらカップに口をつける。
「あ、このコーヒー美味し……」
「!」
コーヒーの感想を言おうとした伊織の目の前で、恭弥が激しく咳き込んだ。
「だ、大丈夫!? 」
「っ……な、なにもない……ちょっと、苦かっただけ……」
「苦い?」
コーヒーは確かに苦味こそあるがそこまで激しく感じるものではなかったと思うが。
水のグラスを傾ける恭弥を心配しつつ、ふと思いついたことを伊織は口にしていた。
「もしかして恭弥くんってコーヒー苦手だったりする?」
「そんなことねぇよ」
普段の彼を知っていれば驚くような動揺っぷりで恭弥は否定する。
「まぁ……ちょっと熱くて口に合わない、かもしれないが」
――あ。
もしや実はかなりの甘党でコーヒーが飲めないのかもしれないとようやく思い至った。
「恭弥くん」
伊織はメロンソーダをそっと彼の方に押し出す。
――でもここで『これどうぞ』って言ってもダメだよね、プライド的に。
彼自身も一応男である。
こういう時に受ける印象というのは繊細なのだということも何となくわかっている。
だからこう言ったのだ。
「い、一緒にどう?」
その瞬間、恭弥はまるで雷にでも撃たれたかのような顔で軽く仰け反った。
「一緒に……」
「あ、うん。もし良かったらだけど」
お互い混乱していていっぱいいっぱいだったのかもしれない。
二人はしばらく見合ってから無言でうなずき、なぜかすでに二本あったストローを刺して緑色のソーダ水を飲み始めたのであった。
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