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原理主義者(原作厨)たちの嘆き
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そんなこんなで数時間後。
なんとも言えない表情をしたオタクたちと、そんな彼らを面白そうに見ている陽キャたちが映画館から出てきた。
「あれが三次元の限界ってやつさ」
「オレの中では推しが最高に推しだったという結論だったが……まあ、映画としてはアレだな」
「みんな落ち着け」
三人のオタクたちの様子から、本当はこの映画の感想や批評を喚き散らしたいのを耐えて冷静でいようとしているのだ。
というのも彼らが見たのはあくまで漫画やアニメからの実写化であり。
それがこういったタイプの邦画にありがちなコスプレ大会――失礼、いささか原作厨には違和感を与えたのである。
「あたし……お腹すいちゃった!」
オタクどもが難しい顔をする中、唐突に稀美が言い出した。
たしかに時刻は昼を少し過ぎた頃だ。腹が減るのは当たり前だろう。
どこかファミレスでも入ったらいいだろうということになった。
「お前はお前でキレてるねェ」
「……」
タガメの軽口にやはりむっつりと返す恭弥。明らかに不機嫌な理由はどうやら映画館での席順にあるらしい。
「オレの隣がそんなにお気に召さなかったのかな」
「当たり前だろ、クソが」
苦虫を噛み潰したような顔とはまさにこれといった表情だ。
「好きな子の隣じゃないからってそんなに怒るなよォ」
「チッ……わざとだろうが」
「まあな」
横並びで一番端が伊織、その隣が稀美。そしてオタク三人が並んでさらにタガメ、恭弥という席であった。
つまり伊織と稀美は恭弥とかなり離れた場所にいたわけだが。
また不貞腐れる彼を眺めながら伊織はそっとため息をつく。
――稀美さんの横がよかったんだろうな。
自分が変わってあげればよかったのだがなぜか言い出せなかった。
つくづく性格悪いなと今さらながら自己嫌悪が湧いてきたのだ。
「映画館でイチャイチャされたら目も当てられねぇもん」
「するかそんなこと」
ヘラヘラとした彼の言葉に恭弥がムキになって言い返す。
しかしせせら笑うように鼻で笑って。
「ヤリチンがよく言う」
とやり込めて歩き出した。
「くそっ……おい行くぞ」
「え? あ、うん」
喧嘩とも言えないやりとりをぽやぽやと見ていた伊織は、またしても乱暴に手首を掴まれうなずく。
そうして彼らは近くのファミレスに入ることになったのだが。
「っていうか性別改変だけはマジでありえない!!!」
と映画の話になって開口一番頭をかかえたのはなんと稀美だった。
「ていうか原作に無い記憶がもう無理ぃぃぃ!!!」
「ま、稀美ちゃん??」
飲食店というのもあって声こそ抑えているものの、顔をしかめて嘆いている姿は立派な原理主義者なオタクそのもので。
「やっぱり二次元最高!」
「ま、それが結論だわな」
「それな」
「誠に遺憾だが同意」
拳を突き上げ宣言 (?)した彼女に力強く賛同するのはアニメオタクの貴田である。
「主役の友人役の子は悪くなかったんだがな」
「篠原、それはお前の推しだからだろ」
しかもこの作品はとあるアイドルグループのメンバーたちが女優として起用されていたのもあって、誤解を覚悟で言うなれば学芸会のようだという批評もあった。
「まあな」
その辺りはいくらアイドルオタクの篠原も素直に賛同する。
「なんかおもろいなァ」
そこから映画の感想や原作を熱く語りはじめた四人の原理主義者たちを、タガメが興味深そうに見ながら伊織に話しかけてくる。
「あの映画、そんなにひどかった? オレ実は寝ちゃってたんだよねェ」
「たしかに寝てたな。つーか、こっちに頭のせてくんな。張り倒そうかと思った」
伊織が何かを返すより先に口をはさんだのは恭弥で、心底嫌そうな顔で彼の肩をどついた。
「え~? オレとお前の仲じゃん。なんなら膝枕してくれてもよかったんだぞ」
「男とイチャつく趣味ない。気色悪ぃこと言うな」
『男とはイチャつく趣味ない』
この言葉は伊織の胸に重いなにかを落とした。
――そっか、そうだよね。
辛うじて笑えているだろうか。でもそんな憂鬱が表情の端に見え隠れしていたのかもしれない。
タガメが一瞬だけ眉をひそめたかとおもえば。
「ひっどーい! オレ悲しいから伊織ちゃんに慰めてもらおーっと」
「えぇっ!?」
とこっちに抱きついてきた。当然驚いてされるがままになってしまう。
「ふざけんな多賀!」
相当頭にきたらしい。恭弥は普段はしない苗字呼びで彼に声をあげた。
しかし怒鳴られた本人は怯むどころか肩をすくめる。
「ハイハイ、冷静になれないお子ちゃまはオレとすこーしお話しましょうね? あ、伊織ちゃんごめん。こいつと連れションしてくるからねー」
「は、はぁ……」
あっという間に彼は肩を組むようにして半ば無理矢理に、恭弥を連れ出そうとした。
もちろんやめろと抵抗されるも、なにやら小声で囁けば彼は一瞬沈黙してから息を吐く。
「……ちょっと行ってくる」
何がなにやらで戸惑う伊織を一瞥すると、二人してトイレの方に言ってしまった。
――なんか気を遣わせちゃったかも。
だとしたら申し訳ない。
幸い、四人は熱量半端ないオタク談義にてこっちのことは気づいてもいないらしい。
中でも稀美の熱弁と造形の深さには彼らも唸り、リスペクトの眼差しを向けている。
「……」
そこで伊織はふと喉の乾きを覚えて目の前のグラスを見る。
――なんだか。
ドリンクバーで飲み物を取りに行こうとそっと立ち上がった。
――場違い、っていうか。
熱心になにかを好きになって趣味としてのめり込む熱心さが自分にはない。目につく情報をダラダラと貪って、ゲームも漫画もアニメもそこそこ楽しんで。
もちろんそのようなライトな楽しみ方が大多数なのも悪いという訳ではないことも知っている。
しかし、特定の者やジャンルを推すというのは実は凄いことなんだと彼らを見て伊織はつくづく思った。
――結局は中途半端っていうか。
そうして結局は居ずらくてドリンクバーに逃げて来てしまったのだが。
「伊織じゃん」
「へ?」
グラスを手にしたところで声をかけられた。
「また会ったな」
「……れ、怜央」
柔らかいくせっ毛を上手にセットした髪型の、韓国アイドルにでもいそうな涼し気なイケメンとなったかつての級友に息を飲む。
先程は観察する余裕こそなかったが、改めて見ると中学の頃とはまったく印象が違っていた。
それに先程通りすがったのもかなり奇遇だというのに、数時間後にここでも出会うとは。
伊織の驚きっぷりに、怜央は満足そうに笑った。
「ほんと相変わらずだよな、伊織は」
「それどういう意味?」
明らかに広がった身長差に伊織は思わず頬を膨らませる。
たしかに中学から伸び悩み、いまや日本人男性の平均値さえいかないくらいの低身長なのだが。
「褒めてるんだけどなぁ」
「嘘だ」
どこか嬉しそうに話しかける怜央をチラリと見ながらグラスに氷を入れる。
「どうせチビとか思ってるんでしょ」
「チビで可愛いじゃん」
「……チビで悪かったな」
「情緒不安定かよ」
「うるさい」
今度はぽんぽんと話が弾む。久しぶりなのにこのやり取りなのは、これがかつて二人の会話のテンポというか空気だった。
まるでイジメが起こる前に時間が巻き戻ったような気分で、伊織は目の前の男を見る。
――これでも本当に好きだった……んだけどな。
今の彼はどこを切りとっても恋愛感情にはなり得ない。
懐かしさもあるし罪悪感もあれども、あの時のようは甘酸っぱい恋の胸の痛みは訪れることがなかった。
むしろ清々しいくらい過去の失恋。
特に二度目の再会というのもあって心に余裕があった。
だから多少ぎこちなくも、軽口もたたけるというもの――だったが。
「……伊織」
低い声でハッと振り返る。
「恭弥くん」
剣呑な目付きをした彼がこちらに真っ直ぐ歩いてきていた。
「おいバカ! やめろ!!」
と後ろからタガメが追ってくるがすでに遅くて。
恭弥は強く伊織の肩を掴んだ。
「そいつが元凶なんだろ」
「…………え」
元凶、という単語が脳内を駆け回る。
「お前が酷い目にあった時、背中向けて逃げ出したのはこいつだろうが」
「それ……なんで……知って……」
あの日の悪夢のような時間が脳裏に蘇る。
絶対に知られたくなかった過去。せめて彼には、片思いしていた相手にだけはこんな事言われたくなかったのに。
「恭弥、落ち着け! ごめんね伊織ちゃん。こいつなんかテンパって訳わかんないことを……」
「好きだったって言っても中学の頃だろ。くだらねぇ」
慌てて割ってタガメが入りフォローを入れようとするも、恭弥がそれにかぶせて声を上げる。
――くだらない……って。
その言葉は伊織の胸に深々と突き刺さった。
ずっと好きだったのだ。
隣にいつもいる友達なのにどこまで手を伸ばせばいいかと悩み苦しみ、そしてうっかり小学校からの親友に口を滑らした。
そんな過去すべてを『くだらない』と一蹴されたような気になったのだ。
「っ、そう、だね……」
氷の入ったグラスを持つ手に力が入る。
「たしかにくだらないかもしれない、君にとっては」
「伊織」
「でも僕にとってはすごく重かったんだ。初恋もイジメも全部、僕にとって……」
そこで気持ちと共に涙まで溢れそうになって、慌ててグラスをその場に置いた。
「ごめん」
そう呟くと小走りで席に戻り、そっと自分の荷物を持って背を向ける。
「あれ? どうしたの」
目ざとく見て声をかけたのは稀美だ。伊織は振り返らなかった。
泣き顔だけは見られたくなかったから。
「ちょっと…………ごめん」
咄嗟に良い言い訳なんてそうそう口から出ないものだ。だから自分でもバカみたいだと思いながら、ひたすらごめんごめんと繰り返しながら千円札二枚をテーブルに置いて立ち去る。
幸いなことに、オタク三人は談義に熱心で余計なことは言われなかった。
「伊織!」
店を出ると言うところで後ろから腕を掴まれる。
声でわかった、恭弥だ。
「どこに行く」
「どこって……帰るんだけど」
「駄目だ」
どこの亭主関白だという言い草だが、その言葉に不安と焦りが滲んでいたのを伊織は気付いただろうか。
「離してよ」
「駄目だ」
「っ、離してってば!」
思わず荒らげた声に恭弥は驚いたのか、掴まれていた手の力が緩んだ。
その間に彼の顔も見ずに駆け出す。
――ああもう。
みっともないし恥ずかしい。恭弥にも恥をかけてしまったし、怜央だって不快に思ったかもしれない。
子どもじみた衝動で飛び出してしまった自分を散々罵っても現状は変わらない。今度こそ大声で泣きわめいてしまいたい気分になって唇をキュッと噛む。
『伊織、待てよ!』
その時後方から声が。
きっと気のせいだと無視して走っていると、今度はもっとハッキリしたそれと共に。
「……っ、待てって……いや、お前、足速すぎ……はぁ……っ」
と息をきらせた様子で後ろから肩に腕を絡めて引き止めてきた一人の人物。
「ごめん、怜央」
呼吸を整えながらも困ったように笑うのは、かつての片思い相手だった。
なんとも言えない表情をしたオタクたちと、そんな彼らを面白そうに見ている陽キャたちが映画館から出てきた。
「あれが三次元の限界ってやつさ」
「オレの中では推しが最高に推しだったという結論だったが……まあ、映画としてはアレだな」
「みんな落ち着け」
三人のオタクたちの様子から、本当はこの映画の感想や批評を喚き散らしたいのを耐えて冷静でいようとしているのだ。
というのも彼らが見たのはあくまで漫画やアニメからの実写化であり。
それがこういったタイプの邦画にありがちなコスプレ大会――失礼、いささか原作厨には違和感を与えたのである。
「あたし……お腹すいちゃった!」
オタクどもが難しい顔をする中、唐突に稀美が言い出した。
たしかに時刻は昼を少し過ぎた頃だ。腹が減るのは当たり前だろう。
どこかファミレスでも入ったらいいだろうということになった。
「お前はお前でキレてるねェ」
「……」
タガメの軽口にやはりむっつりと返す恭弥。明らかに不機嫌な理由はどうやら映画館での席順にあるらしい。
「オレの隣がそんなにお気に召さなかったのかな」
「当たり前だろ、クソが」
苦虫を噛み潰したような顔とはまさにこれといった表情だ。
「好きな子の隣じゃないからってそんなに怒るなよォ」
「チッ……わざとだろうが」
「まあな」
横並びで一番端が伊織、その隣が稀美。そしてオタク三人が並んでさらにタガメ、恭弥という席であった。
つまり伊織と稀美は恭弥とかなり離れた場所にいたわけだが。
また不貞腐れる彼を眺めながら伊織はそっとため息をつく。
――稀美さんの横がよかったんだろうな。
自分が変わってあげればよかったのだがなぜか言い出せなかった。
つくづく性格悪いなと今さらながら自己嫌悪が湧いてきたのだ。
「映画館でイチャイチャされたら目も当てられねぇもん」
「するかそんなこと」
ヘラヘラとした彼の言葉に恭弥がムキになって言い返す。
しかしせせら笑うように鼻で笑って。
「ヤリチンがよく言う」
とやり込めて歩き出した。
「くそっ……おい行くぞ」
「え? あ、うん」
喧嘩とも言えないやりとりをぽやぽやと見ていた伊織は、またしても乱暴に手首を掴まれうなずく。
そうして彼らは近くのファミレスに入ることになったのだが。
「っていうか性別改変だけはマジでありえない!!!」
と映画の話になって開口一番頭をかかえたのはなんと稀美だった。
「ていうか原作に無い記憶がもう無理ぃぃぃ!!!」
「ま、稀美ちゃん??」
飲食店というのもあって声こそ抑えているものの、顔をしかめて嘆いている姿は立派な原理主義者なオタクそのもので。
「やっぱり二次元最高!」
「ま、それが結論だわな」
「それな」
「誠に遺憾だが同意」
拳を突き上げ宣言 (?)した彼女に力強く賛同するのはアニメオタクの貴田である。
「主役の友人役の子は悪くなかったんだがな」
「篠原、それはお前の推しだからだろ」
しかもこの作品はとあるアイドルグループのメンバーたちが女優として起用されていたのもあって、誤解を覚悟で言うなれば学芸会のようだという批評もあった。
「まあな」
その辺りはいくらアイドルオタクの篠原も素直に賛同する。
「なんかおもろいなァ」
そこから映画の感想や原作を熱く語りはじめた四人の原理主義者たちを、タガメが興味深そうに見ながら伊織に話しかけてくる。
「あの映画、そんなにひどかった? オレ実は寝ちゃってたんだよねェ」
「たしかに寝てたな。つーか、こっちに頭のせてくんな。張り倒そうかと思った」
伊織が何かを返すより先に口をはさんだのは恭弥で、心底嫌そうな顔で彼の肩をどついた。
「え~? オレとお前の仲じゃん。なんなら膝枕してくれてもよかったんだぞ」
「男とイチャつく趣味ない。気色悪ぃこと言うな」
『男とはイチャつく趣味ない』
この言葉は伊織の胸に重いなにかを落とした。
――そっか、そうだよね。
辛うじて笑えているだろうか。でもそんな憂鬱が表情の端に見え隠れしていたのかもしれない。
タガメが一瞬だけ眉をひそめたかとおもえば。
「ひっどーい! オレ悲しいから伊織ちゃんに慰めてもらおーっと」
「えぇっ!?」
とこっちに抱きついてきた。当然驚いてされるがままになってしまう。
「ふざけんな多賀!」
相当頭にきたらしい。恭弥は普段はしない苗字呼びで彼に声をあげた。
しかし怒鳴られた本人は怯むどころか肩をすくめる。
「ハイハイ、冷静になれないお子ちゃまはオレとすこーしお話しましょうね? あ、伊織ちゃんごめん。こいつと連れションしてくるからねー」
「は、はぁ……」
あっという間に彼は肩を組むようにして半ば無理矢理に、恭弥を連れ出そうとした。
もちろんやめろと抵抗されるも、なにやら小声で囁けば彼は一瞬沈黙してから息を吐く。
「……ちょっと行ってくる」
何がなにやらで戸惑う伊織を一瞥すると、二人してトイレの方に言ってしまった。
――なんか気を遣わせちゃったかも。
だとしたら申し訳ない。
幸い、四人は熱量半端ないオタク談義にてこっちのことは気づいてもいないらしい。
中でも稀美の熱弁と造形の深さには彼らも唸り、リスペクトの眼差しを向けている。
「……」
そこで伊織はふと喉の乾きを覚えて目の前のグラスを見る。
――なんだか。
ドリンクバーで飲み物を取りに行こうとそっと立ち上がった。
――場違い、っていうか。
熱心になにかを好きになって趣味としてのめり込む熱心さが自分にはない。目につく情報をダラダラと貪って、ゲームも漫画もアニメもそこそこ楽しんで。
もちろんそのようなライトな楽しみ方が大多数なのも悪いという訳ではないことも知っている。
しかし、特定の者やジャンルを推すというのは実は凄いことなんだと彼らを見て伊織はつくづく思った。
――結局は中途半端っていうか。
そうして結局は居ずらくてドリンクバーに逃げて来てしまったのだが。
「伊織じゃん」
「へ?」
グラスを手にしたところで声をかけられた。
「また会ったな」
「……れ、怜央」
柔らかいくせっ毛を上手にセットした髪型の、韓国アイドルにでもいそうな涼し気なイケメンとなったかつての級友に息を飲む。
先程は観察する余裕こそなかったが、改めて見ると中学の頃とはまったく印象が違っていた。
それに先程通りすがったのもかなり奇遇だというのに、数時間後にここでも出会うとは。
伊織の驚きっぷりに、怜央は満足そうに笑った。
「ほんと相変わらずだよな、伊織は」
「それどういう意味?」
明らかに広がった身長差に伊織は思わず頬を膨らませる。
たしかに中学から伸び悩み、いまや日本人男性の平均値さえいかないくらいの低身長なのだが。
「褒めてるんだけどなぁ」
「嘘だ」
どこか嬉しそうに話しかける怜央をチラリと見ながらグラスに氷を入れる。
「どうせチビとか思ってるんでしょ」
「チビで可愛いじゃん」
「……チビで悪かったな」
「情緒不安定かよ」
「うるさい」
今度はぽんぽんと話が弾む。久しぶりなのにこのやり取りなのは、これがかつて二人の会話のテンポというか空気だった。
まるでイジメが起こる前に時間が巻き戻ったような気分で、伊織は目の前の男を見る。
――これでも本当に好きだった……んだけどな。
今の彼はどこを切りとっても恋愛感情にはなり得ない。
懐かしさもあるし罪悪感もあれども、あの時のようは甘酸っぱい恋の胸の痛みは訪れることがなかった。
むしろ清々しいくらい過去の失恋。
特に二度目の再会というのもあって心に余裕があった。
だから多少ぎこちなくも、軽口もたたけるというもの――だったが。
「……伊織」
低い声でハッと振り返る。
「恭弥くん」
剣呑な目付きをした彼がこちらに真っ直ぐ歩いてきていた。
「おいバカ! やめろ!!」
と後ろからタガメが追ってくるがすでに遅くて。
恭弥は強く伊織の肩を掴んだ。
「そいつが元凶なんだろ」
「…………え」
元凶、という単語が脳内を駆け回る。
「お前が酷い目にあった時、背中向けて逃げ出したのはこいつだろうが」
「それ……なんで……知って……」
あの日の悪夢のような時間が脳裏に蘇る。
絶対に知られたくなかった過去。せめて彼には、片思いしていた相手にだけはこんな事言われたくなかったのに。
「恭弥、落ち着け! ごめんね伊織ちゃん。こいつなんかテンパって訳わかんないことを……」
「好きだったって言っても中学の頃だろ。くだらねぇ」
慌てて割ってタガメが入りフォローを入れようとするも、恭弥がそれにかぶせて声を上げる。
――くだらない……って。
その言葉は伊織の胸に深々と突き刺さった。
ずっと好きだったのだ。
隣にいつもいる友達なのにどこまで手を伸ばせばいいかと悩み苦しみ、そしてうっかり小学校からの親友に口を滑らした。
そんな過去すべてを『くだらない』と一蹴されたような気になったのだ。
「っ、そう、だね……」
氷の入ったグラスを持つ手に力が入る。
「たしかにくだらないかもしれない、君にとっては」
「伊織」
「でも僕にとってはすごく重かったんだ。初恋もイジメも全部、僕にとって……」
そこで気持ちと共に涙まで溢れそうになって、慌ててグラスをその場に置いた。
「ごめん」
そう呟くと小走りで席に戻り、そっと自分の荷物を持って背を向ける。
「あれ? どうしたの」
目ざとく見て声をかけたのは稀美だ。伊織は振り返らなかった。
泣き顔だけは見られたくなかったから。
「ちょっと…………ごめん」
咄嗟に良い言い訳なんてそうそう口から出ないものだ。だから自分でもバカみたいだと思いながら、ひたすらごめんごめんと繰り返しながら千円札二枚をテーブルに置いて立ち去る。
幸いなことに、オタク三人は談義に熱心で余計なことは言われなかった。
「伊織!」
店を出ると言うところで後ろから腕を掴まれる。
声でわかった、恭弥だ。
「どこに行く」
「どこって……帰るんだけど」
「駄目だ」
どこの亭主関白だという言い草だが、その言葉に不安と焦りが滲んでいたのを伊織は気付いただろうか。
「離してよ」
「駄目だ」
「っ、離してってば!」
思わず荒らげた声に恭弥は驚いたのか、掴まれていた手の力が緩んだ。
その間に彼の顔も見ずに駆け出す。
――ああもう。
みっともないし恥ずかしい。恭弥にも恥をかけてしまったし、怜央だって不快に思ったかもしれない。
子どもじみた衝動で飛び出してしまった自分を散々罵っても現状は変わらない。今度こそ大声で泣きわめいてしまいたい気分になって唇をキュッと噛む。
『伊織、待てよ!』
その時後方から声が。
きっと気のせいだと無視して走っていると、今度はもっとハッキリしたそれと共に。
「……っ、待てって……いや、お前、足速すぎ……はぁ……っ」
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