アルファが僕を選ばない10の理由

田中 乃那加

文字の大きさ
48 / 52

逃亡教唆

 伊織は長い長い悪夢を見ている。
 
『おはようございます、伊織さん』

 目の細い看護師がいつも同じ貼り付けた笑顔で病室をノックと同時に入ってきた。

『検温と、あと点滴変えますね』

 そんな言葉に返事なんてしない。する気力もないのだ。
 針とチューブで繋がれロクにトイレも行けやしない。文字通りベッドに縛り付けられた状態で絶対安静のプレートがベッドの上に掲げられていた。

 定期的に食事は与えられるが自分で食べるのも億劫で (身体を起こすことすらしたくない)ついにはこちらも点滴となってしまった。

 それでも徐々に痩せていく身体はなんとなく自覚がある。

 あと見舞いに来てくれる姉の綾萌が泣く姿もまた辛かった。

 彼女は彼が無反応で廃人にでもなったと思っているようだが、これは薬の副作用で極度の倦怠感と精神的な問題の結果であろう。

 別に声だって聞こえているし意識もないわけではないが (ところどころ飛ぶものの)喋ったり動いたりはどうも億劫だし、とにかく自暴自棄になっていたのだ。

 そんな日々がしばらく続いた、のだが。

 ――っ、なんだよあれ。

 いつもながら何を考えているか分からない透龍に、こともあろうに妙なところをまさぐられた挙句にキスまでされて困惑しつつも寝たフリ (動く気力もなく)するしかなくて。

 ――てかあの人、僕がいつも嫌な顔してる知ってたの!?

 確かに多少胡散臭く思っていたものの、すっかりあの爽やかイケメンっぷりに騙されていたことにむしろ脱力する。

 ――絶対にあんな人を義兄なんて呼ばないぞ!

 ざめざめと泣く姉を見たあとの反動か、こちらは怒りがふつふつ湧いてきた。

「っ、う……」

 まずはあのセクハラ行為を今度こそ詰めて、ビンタのひとつやふたつも食らわせてやりたい。

 そんなことを考えていると、透龍がそっと何かを枕元に置いて出ていった。

 なにやらブツブツ言っていたがそこはよく聞き取れなかったからスルーするとして (変にカッコつけていた気がするので尚更)置かれたに最初に反応したのは彼自身の『嗅覚』だった。

「!?」

 ふわりと鼻腔をくすぐる感覚に息をのむ。

 たしかに覚えのある匂いに身体が震えた。

 ――これ……まさか。

 数日前、稀美が自分の名前入りのハンカチを持ってきた時にした香り。そして息も絶え絶えになるほどの熱を思い出したのである。

「ぅ、あ」

 掠れた声が漏れたがすでに立ち去ってしまった透龍の耳には入らない。
 ただひたすら一人白いベッドの上で身悶えるだけ。

 ――これがフェロモン……。

 すでに番持ちのオメガである伊織がこのような発情状態になるのは、その相手である恭弥の身につけていたものだからに他ならない。

「あ゙ぁ゙っ、あ、はぁ……っんぅ」

 低かった体温が一気に上がり、心臓が痛いほど高鳴り始める。
 そのせいか薄らとしていた意識はハッキリと輪郭を帯び始め、さらに大きく目を見開きながらもがいた。

「っ、これって」

 元凶ともいえる枕元に置かれたそれを手繰り寄せてみる。
 するとなんと一着の体操着。しかもよく見ると自分のもので、そこではじめて思い出した事。

 ――まさかあの時の!?

 ずっと前に体操服を失くした (というが恐らく盗まれた)ことがあった。
 中学の頃のイジメを彷彿させてトラウマを刺激されたが、実際はすぐに返ってきたのだ。

 しかし今思えば返してきたのも恭弥で、渡されたものもどこか新品のようなものだったような。
 というか。

 ――誰が返してくれたっけ……?

 ぶっきらぼうに突っ返してきた手。その持ち主の記憶がやはりすっかり抜けている。
 一生懸命に記憶の底を探り続けるも、ただ思い出せない気持ち悪さだけが残るだけで。

「くそっ」

 頭を掻きむしりながら大きくため息をついた。
 なぜかここ数ヶ月の記憶が虫食い状態だ。
 
 まるで途中で席を立った映画のワンシーンのように断片的な映像は、辻褄さえ合っていない。

「ああもうっ!」

 身体の疼きと共にそんな居心地の悪さに思わず声を荒らげた。

 きっと一ノ瀬 恭弥となる人物のせいだと伊織は結論付ける。
 普段あまり怒りをあらわにする事のない伊織だったが、今はなぜか感情が抑えられられなかった。

 これは記憶の欠如が関係していたが、本人は知る由もない。

 ――文句のひとつでも言ってやらないと。

 仮にも(記憶はなくとも)番相手なのだ。すべての事情を聞き出さないと納得も出来なければ、このまま廃人同然の病院生活するつもりもなかった。

「一ノ瀬 恭弥……」

 その名前を口の中で転がす。
 まったく記憶にないはずなのに、どこか落ち着きのない気分になるのはなぜだろう。

 気付けば、体操着に顔を埋めながら息を荒らげていた。

「あぁ」

 ――本当に番なんだ、この人と。

 フェロモンの香りにクラクラする。なぜ自分の名前入りの体操着に彼の匂いがついているのか考えたくもないけれど。

「あ……れ?」

 本能的に脚をすり合わせると違和感。
 少し躊躇った末にそこに手を差し混んでみると、冷たく硬い感触が指先に触れる。

「か、鍵……」

 ご丁寧に鈴飾りまでついたそれは、固く閉ざされた病室の鍵。

 透龍の言ったの意味はこれだったのだ。

 番持ちオメガの本能で彼を目覚めさせること、そして逃亡に必要なモノをこんな所に隠すなんて。
 まったく趣味の良い話ではない。

「……」

 伊織の喉がごくりと鳴った。

 
感想 2

あなたにおすすめの小説

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。 完結しました!ありがとうございました。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

僕はお別れしたつもりでした

まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!! 親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。 ⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。

推しにプロポーズしていたなんて、何かの間違いです

一ノ瀬麻紀
BL
引きこもりの僕、麻倉 渚(あさくら なぎさ)と、人気アイドルの弟、麻倉 潮(あさくら うしお) 同じ双子だというのに、なぜこんなにも違ってしまったのだろう。 時々ふとそんな事を考えてしまうけど、それでも僕は、理解のある家族に恵まれ充実した引きこもり生活をエンジョイしていた。 僕は極度の人見知りであがり症だ。いつからこんなふうになってしまったのか、よく覚えていない。 本音を言うなら、弟のように表舞台に立ってみたいと思うこともある。けれどそんなのは無理に決まっている。 だから、安全な自宅という城の中で、僕は今の生活をエンジョイするんだ。高望みは一切しない。 なのに、弟がある日突然変なことを言い出した。 「今度の月曜日、俺の代わりに学校へ行ってくれないか?」 ありえない頼み事だから断ろうとしたのに、弟は僕の弱みに付け込んできた。 僕の推しは俳優の、葛城 結斗(かつらぎ ゆうと)くんだ。 その結斗くんのスペシャルグッズとサイン、というエサを目の前にちらつかせたんだ。 悔しいけど、僕は推しのサインにつられて首を縦に振ってしまった。 え?葛城くんが目の前に!? どうしよう、人生最大のピンチだ!! ✤✤ 「推し」「高校生BL」をテーマに書いたお話です。 全年齢向けの作品となっています。 一度短編として完結した作品ですが、既存部分の改稿と、新規エピソードを追加しました。 ✤✤

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです ※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

【本編完結】才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。

ホマレ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。 その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。 胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。 それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。 運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。 様々な形での応援ありがとうございます!