元奴隷商人は逃げ出したい

田中 乃那加

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脳筋剣士と異形クエスト2

 さっきまでべそべそ泣いていた奴とは思えぬ俊敏さで、彼は魔物に飛びかかっていく。

 ゴツゴツと節だった巨大蜘蛛の手足から繰り出される棘の雨をかわしながら、縦横無尽に駆け回り地を蹴り迫る姿にメルトは目を見張った。

 ――こいつ……もしかしなくても、結構強い!?

 カッコつけたと思ったら勘違いで求婚したり、はたまた力加減がおかしく剣を消耗品のように破壊しまくり。挙句の果てに、少しのことで涙ぐんだり。
 そしてこれだ。

「すげぇ、 なんか力があふれてくるぞ!!」

 ルークスはそう叫びながら、襲ってくる蜘蛛の脚を薙ぎ払うように剣を叩きつけた。
 鈍い音とともに魔獣は大きく傾き、土煙と地響きを上げて倒れていく。次の瞬間。

「!?」

 耳障りで甲高い鳴き声が森全体を震わした。
 途端にバサバサバサッ、と鳥たちが木々からいっせいに飛び立ち一気に混沌とした空気に拍車がかかる。

「な、なんだ」

 どろり溶けかけた蜘蛛の半身から、おびただしいほどの異臭が放たれた。思わず顔をしかめ、鼻と口元をおおうほどに酷く。

「!」

 慌てて上空を見あげる。

「チッ……また欠けやがった」

 ここからでも分かるほどに大きく亀裂の入った剣。しかし容赦なくそれを振り上げ、なおも飛んでくる攻撃を真っ向から受け流していく。

「馬鹿ッ、無理をするな!!」

 折れかけた剣はどこまで耐えられるのか。
 確かに魔獣を追い詰めている。大きく傾いた身体になおも奇声をあげ続けている様は断末魔とも言えるだろう。
 しかし油断は禁物なのだ。

「くっ!?」

 ルークスの身体が突然、大きく跳ねる。脚から血しぶきが弧を描き降り注いだ。
 バランスを壊しかけたが魔獣の蜘蛛の足を掴み、転倒からの落下を防いだらしい。

 身軽にもそこを足がかりに、再び剣を構え一撃を喰らわせようと飛びかかった。

 刹那。

「がッ……はァ、ぐっ!!」

 硬直し痙攣。そして糸の切れた人形の如く、呆気なく落下するのがスローモーションのようにメルトの目に映る。

「ルークス!」

 反射的に駆け寄ろうとした。
 しかし足が思うように動かない。目の前の出来事がまるで夢の中のようなのだ。懸命に走ろうにも、前に進めない。
 汗だけが服の下からでも分かるほどダラダラと流れ、口の中が異様に乾く。

 ――あの脳筋馬鹿。

 無理するな、と言ったのに。折れた剣で一体何ができるのか。
 嫌な想像が頭を駆け巡る。

 ようやく這うようにたどり着いた先に、投げ出された四肢。

「る、ルーク……ス?」

 恐る恐る触れる。
 まだ体温が残っていることに安堵する己がいた。

「……」

 だから彼が照れくさそうに笑って身体を起こすのを待っていた。大したことない、大丈夫だと飄々と応えるのを一発でも殴ってから一旦退避するぞと引きずって行ってもいい。

 ――だってこいつは冒険者だ、あの時だって。

 街中が混乱と恐怖に包まれた中、颯爽と現れた男。見た事すらない巨大で忌まわしい魔獣を一撃で仕留めたのだ。

 まるで伝説の勇者のように。
 幼い頃、屋敷の書庫でみつけた本に描かれた若く強い英雄。
 それはこことは違う異世界から召喚された一人の青年が、魔王に支配されたこの世を剣ひとつで救ったというものだ。

 幾多の苦難を仲間たちと乗り越える、心おどる冒険譚。
 まだ幼いメルトは文字が読めるようになるまでは侍女に毎晩読み聞かせてもらい、いつか自分もこのような冒険がしたいのだとキラキラした瞳で語った。

 ――いつの間に忘れてしまっていたのだろう。

 勇者を支えて共に戦う存在になりたい。魔法使いとして時に仲間を癒し援護するのだと、拙いながらに夢を持った。
 だから成長し文字が読めるようになるとすぐに書庫に入り浸るようになる。

 地下にひっそりと隠すように貯蔵していた書物には、魔法に関するものも多くあった。
 それらを読むことおろか、手にすることは何故だか禁じられていたのだが。それでも彼はがむしゃらに読み漁ったのだ。

 そしてある日、

「め……メ……ルト」
「ルークス!?」

 無意識に強くにぎっていた手が、小さく反応したことに気づく。さらに呻くような声に慌てて彼を抱き起こそうとした。

「ぺん、ダント」
「え?」
「エル婆さんが、くれた、やつ……これ……お前を、守ってくれる、から。まだ時間が、ある。だから、今のうちに……」
「何言ってんだよ。そんなことより、早く逃げるぞ! ほら、立てるか? くそっ、無駄にデカい図体しやがって」

 自分より大きな身体を必死に起こそうと足を踏ん張る。
 萎えたように動かぬ彼の両脚、右の腿に攻撃を受けたのだろうか。紫色に変色し、ジクジクとした膿を伴う傷口に目を覆いたくなる。

 だがその間にも魔獣は体勢を立て直そうともがいているらしく、地響きと共に耳をつんざく奇声をあげ続けている。

「メルト。頼みがある」
「ムダ口叩いてんじゃない! はやく起きろってば!!」

 自分だけ逃げればいいのに。きっとこの男はそれを非難しない。
 そしてさっきまで命の恩人であるのにも関わらず、亡命するのに利用する事しか頭になかったではないか。
 苦手なタイプで、関わることすら面倒だと思ってきたのに。

 ――なんでだよ。

 あの瞬間。
 真っ青になって、それでも笑っているような泣いてるような情けない顔で自分を見つめた男に何かを感じてしまった。

 決して認めたくは無いのだけれども。

「もういちど。キス、させてくれ」
「…………は?」

 キス、と言ったのか。
 思いもよらぬ言葉に思考停止をし、目が点になる。

「キスしたい」
「いやいやいやいや、なんで!?」
「キスする」
「だからなんでだよ! っていうか断じてんじゃねえよ!! ……っ、ぅえ!?」

 途端、視界が少しだけ回った。

「な、な、なに、え」

 しっかり立っていたはずの足はへたりと崩れ、地面に座り込む形に。そして見下ろすような影。

「メルト、キスさせてくれ。今すぐ」
「ちょっ……意味が、意味がわから……っ、まて……ッ……んぅ!? んん゙ぅぅ……!!」

 ――うわぁぁぁっ!?!?!?

 どこにそんな力が残っていたのかと思うくらい、強引に顎をつかまれて口付けられた。
 抵抗する暇さえ与えられず、湿った舌を咥内こうないにねじ込まれる。

「ゔぅぅっ……ん、ぐ……ぅ゙……ふ……ぅ」

 ぴちゃぴちゃと水音を立てながら、歯列をなぞっていく熱に頭の中が真っ白になるしかない。

 ――なん、で。なんで、こんな。

 こんな状況でキスされている。
 この男が突拍子も無いことをしてくるのも経験済みだ。
 しかし過去二回とはまったく違う、こんな濃厚に苦しいほど貪られるなんて。

「ふ……ぁ……っ、う、んん゙、ッ!」

 懸命に逃れようとするがそれも一瞬だけ。
 舌を絡められ吸われ、唾液すらすすられるディープキスに酸欠状態で意識が白んできた。

「んぅっ……ぅ……ぁ……ふ……」

 身体の力まで抜けてきた。もはやお互いにすがるような格好で抱き合う二人。
 
 ――なんかっ、これ、ダメな気がする。

 キスなんて今までセフレ達や商売女達と共にしてきた夜に比べればきっとどうってことないことだろう。
 それなのに、なんというかは未知のもので。

「っ……ぁ……は、ぁ……うぅ」

 ようやく解放されたらしい。
 くたりと弛緩した身体を支えるルークスの腕は、反対に力強かった。

「ありがとな、メルト」
「んぇ?」

 さっきまで死にそうな顔色をしていたはずの男は目を細めて笑う。

「お前とキスするとさ。すごく元気になるんだ」
「……」

 元気になる、なんだかひどく意味深な言葉だが勘ぐりすぎなのか。
 しかしツッコミをいれることも、この無体に怒り殴りつけることも出来なかった。そんな気力すらないのだ。

「よしっ。じゃあもう一丁、行ってきますか!」

 優しくメルトを地面に座らせると、ルークスは勢いよく立ち上がった。

「じゃ、今度こそぶちのめしてくるからな。待ってろよ」

 そう言ってまた魔獣に向かって駆け出した。

「あ、ああ……?」

 気だるいというか。やけに疲労がひどく、メルトは生返事しかできない。

 ――ど、どうなってんだ。あの馬鹿。

 まるでこっちの体力を吸われたかのような現象。
 あんなキスひとつでヘロヘロになるほど、ヤワな人生送ってないはずなのだが。

 ――それにしても。

 さっきまであった足の傷も棘の毒に侵された箇所も、不思議なことに何もなかったように綺麗になっていた。

 相当な回復魔法や薬草を使ってしても、ここまで短時間で傷は癒えまい。

「あっ!」

 ガキンッ、と嫌な音を立てて刃が砕け散った。
 煌めくような破片とともに、メルトの心が再び不安と焦燥で鼓動を早める。

「まずい!」

 咄嗟に立ち上がろうとした時だった。

「食らえッ、黄金の一太刀アルム・モルティフェラァァッ!!!」

 雄叫びとともに繰り出されたのは、光のごとき一撃。
 とはいえよくよく見れば。

「す、素手で!?!?」

 なんと武器も使わずあの巨大な魔獣を殴りつけていたのだ。しかも。

 ――嘘だろ……連打ラッシュ叩き込んでやがる。

 目にも止まらぬ早さで何十、いや何百発も打ち込んでいる。

「ゔぉ゙ぉ゙ぉぉぉッ!!!!」

 地の底から響く咆哮めいた叫び。そして次々と繰り出される、常人外れた攻撃。それはもはや人間の姿をした魔獣のようで。

「……」

 容赦なくグロテスクな巨大魔獣の半身に撃ち込まれる拳の連続。そして最後には。

「これでっ、最後だァ゙ァァァッ!!!!」

 ひときわ強い一撃を見舞ったのだろう、血肉の爆ぜる音が森に響きわたった瞬間。
 魔獣がしゃがれた断末魔をあげ、大きく砂煙とともに崩れていく。
 びちゃびちゃっ、と潰れた肉片が辺りに降り注ぐ。

「うそだろ……」

 倒した。剣士なのに剣もなく、その拳ひとつで巨大な化け物をたった一人で倒したのだ。
 
 呆気にとられるしかなかった。

「ひえぇ、汚ねぇなあ。あとで水浴びしないと」

 呑気にぼやきながら戻ってくる男の身体は、返り血以外に傷一つついていない。










【※ごく一部、修正いたしました】


 



 
 

 


 




 


 
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