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お客様は神様……なわけあるか馬鹿野郎
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飲食店バイトが最初に回されるのはだいたいホールである。
「いらっしゃいませ」
平日ということで緩やかではあるが、かと言って客足が極端に少ないわけでもない。
同じような大学生やサラリーマン、または子供連れの家族など。あらゆる客層がある意味安心して来られるのがチェーンの居酒屋かもしれない。
「先にドリンクうかがってもいいですか」
席に案内して注文を聞く。あとはキッチンで作られた料理は運び、ドリンク類をつくる。会計の際はレジに立って金を受け取り釣りを出して、ありがとうございましたと送り出す。
だいたいがその繰り返しだ。
「今お持ちしますので少々お待ちください」
特別に愛想良くとまではいかずとも、それでも笑顔くらいは浮かべるものだ。
「店員さん、可愛いね」
――きたか。
とある席の酒を持って行った時、そんな言葉で客の一人にからまれた。
三十代後半以上、下手すればもっといっているだろう。スーツを着ているサラリーマンに見える数人で、すでに酔いが回っているみたいだ。
そして悲しいかな、彼はこの数ヶ月でこのような酔っぱらいのあしらいに慣れてしまっている。
「あー、ありがとうございます。こっちの皿をお下げしてよろしいですか?」
さらりと流す、あくまで笑顔だけは崩さず。これで大体はなんとかなる。
日本人というのは酒で多少気が大きくなっていても、そのDNAというか国民性は人畜無害な羊のように大人しいものだと奏汰は思っている。
もちろんそうでないのもいるのだが。
「ねえねえ。君、大学生? βかな、いやこんなに可愛いんだからΩじゃないの?」
「あー……」
今回はそうでないパターンだったか。
彼は内心、深いため息をつく。
「僕はβですよ。他に注文ないなら――」
「もっと話しようよ」
空いたグラスを持った手をするりと触られた。
「!」
「なんならこのお酒飲んでもいいし。ねえ、どこの大学? 恋人はいるの。いても関係ないか、連絡先教えてよ」
「あの、すいません。仕事中なもんで」
奏汰がやんわりと身を引こうとするが。
「少しくらい良いでしょ。オレ、君みたいな子が好きだし。それにΩなのにちゃんと働いてるのも偉いよね」
「だから僕……って。え?」
まるでΩは労働ができない、という言い草に引っかかり顔をしかめる。
すると客の中のもう一人が。
「たしかに。Ωなんて発情期とかですぐ休むもんなぁ、去年にも新人で入ってきたけどすぐ辞めちまった」
「ああ、総務部にな。なんか顔は良かったけど、それだけって感じだったよな」
「そうそう。ちょっと触っただけでキーキー言いやがってよ。営業の若いヤツらに生意気いってマワされてたって話だぜ」
「うっわ、えぐ」
「いや本当のことは知らねぇよ? ただその後に会社辞めたし、本当じゃないかって」
聞いていて吐き気のする話に奏汰は奥歯を噛み締めた。
いくら酔っ払い相手とはいえ、聞くに耐えない。しかしここで言い返すわけにもいかないのが接客業の辛いところである。
「じゃあ僕はこれで」
だからせめて一刻も早くその場を去ろうと頭を下げたが。
「だから待ってってば」
「ちょっ……!」
今度は伸びてきた手が腰を引き寄せようとする。咄嗟に足を踏んばったが、危うく手にしたグラスや皿を落としてしまうところだった。
「だから連絡先、教えてよ」
「すみません。こういうの怒られちゃうんで」
「大丈夫大丈夫、自由恋愛じゃん」
――なおさら嫌だよ。
そう怒鳴りつけてやれたらどれだけ楽か。
しかも堂守のようにΩであればキッチンに最初から回してもらうことが可能だが、奏汰のように特殊かつ、中途半端な体質だとそうもいかない。
そもそもバイト先に自己申告していないのだ。
「てかなんかスポーツしてる? 引き締まった身体してる。ますます良いね」
「あの、困ります」
「いいからいいから。きっとここの具合もいいんだろうなぁ」
「っ、やめ」
腰から尻にかけて撫でられる。酒臭い息が至近距離でかけられ、思わず顔を背けてしまうほど不快である。
しかしこの客、欠片ほど悪びれもせず。
「そんな怖がらないでよ。お兄さん、もしかして男とシたことないって訳じゃないでしょ」
「あ、あるわけ……」
「えっ? じゃあオレがはじめてになるんだ、やべぇ。興奮してきた」
この男は酒で脳のどこか麻痺して、羞恥心もモラルもすべて機能停止したのだろうか。
仲間も下品極まりないヤジを飛ばしつつ、止める者すらいないのがタチ悪い。
――クソ共が、死ね。
強ばった笑顔もそろそろ限界である。テーブルの下の足でも踏みつけてやろうとした時だった。
「失礼しまぁす!」
通常のサイズの倍以上ある巨大ジョッキを持った山尾が、割って入ってきた。
「メガジョッキ虚無deadボンバー! お持ちしましたぁ~!」
どうやら商品名らしいものをにこやかに告げる男の登場に、一瞬唖然となる酔っ払いども。
「え……こ、これオレたち注文してないんだけど」
「いやいやいやいや。お客さん注文して――って、こりゃあ失礼! オーダーミスでした。もし良かったら飲んでってください。サービスしますんで!」
「お、おう?」
ドンッ、とテーブルに置かれたそれはビールかと思いきや何やら色がおかしい。
カラフルといえば聞こえはいいが、妙に毒々しい色をした酎ハイのようだ。
「はいはいごゆっくり~っ!」
実に明るく元気よく、嵐のように来て立ち去る山尾はさりげなく奏汰を客から引き離していた。
「ほら行くぞ」
小声で言って手を掴まれる。
「あ……」
大股で歩いていく彼の表情は分からない。
そのまま一旦バックヤードに連れていかれたあと。
「大丈夫か、奏汰」
振り返ったその表情はいつもよりずっと真剣で。そのまま顔を覗き込まれるものだから、思わず心臓が跳ね上がる。
「あ、はい。ええっと、ありがとうございます……」
わざわざ助けに来てくれたらしい。オーダーミスだってわざとだろう。
しかも今だってセクハラを受けた彼を心底心配してくれている。
ほんの少しだけドキマギしながら礼を口にした。
すると。
「気にすんなや」
山尾かようやく笑った。
「女にモテない者同士やないか」
「山尾さんと一緒にしないでください」
「ひどっ!」
「……」
可愛くない返しをしながらも奏汰は、図星にグサグサやられていた。
男にモテる半分くらいでいいから、女にもモテたいというのが正直なところ。
でもこうやって助けてもらえたのはありがたいことだ。そうでもなかったらあの後、奏汰がブチ切れてトラブルになっていたかもしれない。
「ま、今度からはあのテーブルはオレが行ってやるから」
「すみません。お願いします」
「おっ、素直やん」
今度はガシガシと少し乱暴に頭をなでられた。
「山尾さん」
「可愛い後輩が困ってるのを颯爽と助けにいくオレ、めっちゃカッコイイやろ?」
突然のキメポーズとドヤ顔でチラチラ見る先は。
「え?」
バイト仲間の女の子の姿が。しかし山尾の思惑とは裏腹に、スッと視線を逸らされているが。
「と、まあオレを引き立てるために奏汰はせいぜい男にからまれまくってくれや!」
「……山尾さんってやっぱりバカだな」
「おい奏汰! 先輩をバカ呼ばわりすんな、そして敬語ォ!!」
「はいはい」
――感謝して損した。
それどころか少しイケメンに見えたのに。
やはり女好きは伊達じゃない。ホッとしたやら少しムカつくやら、妙な気分だった。
しかし奏汰は知らない。同じく意図せずドキッとしてしまい、慌てて誤魔化した男の心情を。
「いらっしゃいませ」
平日ということで緩やかではあるが、かと言って客足が極端に少ないわけでもない。
同じような大学生やサラリーマン、または子供連れの家族など。あらゆる客層がある意味安心して来られるのがチェーンの居酒屋かもしれない。
「先にドリンクうかがってもいいですか」
席に案内して注文を聞く。あとはキッチンで作られた料理は運び、ドリンク類をつくる。会計の際はレジに立って金を受け取り釣りを出して、ありがとうございましたと送り出す。
だいたいがその繰り返しだ。
「今お持ちしますので少々お待ちください」
特別に愛想良くとまではいかずとも、それでも笑顔くらいは浮かべるものだ。
「店員さん、可愛いね」
――きたか。
とある席の酒を持って行った時、そんな言葉で客の一人にからまれた。
三十代後半以上、下手すればもっといっているだろう。スーツを着ているサラリーマンに見える数人で、すでに酔いが回っているみたいだ。
そして悲しいかな、彼はこの数ヶ月でこのような酔っぱらいのあしらいに慣れてしまっている。
「あー、ありがとうございます。こっちの皿をお下げしてよろしいですか?」
さらりと流す、あくまで笑顔だけは崩さず。これで大体はなんとかなる。
日本人というのは酒で多少気が大きくなっていても、そのDNAというか国民性は人畜無害な羊のように大人しいものだと奏汰は思っている。
もちろんそうでないのもいるのだが。
「ねえねえ。君、大学生? βかな、いやこんなに可愛いんだからΩじゃないの?」
「あー……」
今回はそうでないパターンだったか。
彼は内心、深いため息をつく。
「僕はβですよ。他に注文ないなら――」
「もっと話しようよ」
空いたグラスを持った手をするりと触られた。
「!」
「なんならこのお酒飲んでもいいし。ねえ、どこの大学? 恋人はいるの。いても関係ないか、連絡先教えてよ」
「あの、すいません。仕事中なもんで」
奏汰がやんわりと身を引こうとするが。
「少しくらい良いでしょ。オレ、君みたいな子が好きだし。それにΩなのにちゃんと働いてるのも偉いよね」
「だから僕……って。え?」
まるでΩは労働ができない、という言い草に引っかかり顔をしかめる。
すると客の中のもう一人が。
「たしかに。Ωなんて発情期とかですぐ休むもんなぁ、去年にも新人で入ってきたけどすぐ辞めちまった」
「ああ、総務部にな。なんか顔は良かったけど、それだけって感じだったよな」
「そうそう。ちょっと触っただけでキーキー言いやがってよ。営業の若いヤツらに生意気いってマワされてたって話だぜ」
「うっわ、えぐ」
「いや本当のことは知らねぇよ? ただその後に会社辞めたし、本当じゃないかって」
聞いていて吐き気のする話に奏汰は奥歯を噛み締めた。
いくら酔っ払い相手とはいえ、聞くに耐えない。しかしここで言い返すわけにもいかないのが接客業の辛いところである。
「じゃあ僕はこれで」
だからせめて一刻も早くその場を去ろうと頭を下げたが。
「だから待ってってば」
「ちょっ……!」
今度は伸びてきた手が腰を引き寄せようとする。咄嗟に足を踏んばったが、危うく手にしたグラスや皿を落としてしまうところだった。
「だから連絡先、教えてよ」
「すみません。こういうの怒られちゃうんで」
「大丈夫大丈夫、自由恋愛じゃん」
――なおさら嫌だよ。
そう怒鳴りつけてやれたらどれだけ楽か。
しかも堂守のようにΩであればキッチンに最初から回してもらうことが可能だが、奏汰のように特殊かつ、中途半端な体質だとそうもいかない。
そもそもバイト先に自己申告していないのだ。
「てかなんかスポーツしてる? 引き締まった身体してる。ますます良いね」
「あの、困ります」
「いいからいいから。きっとここの具合もいいんだろうなぁ」
「っ、やめ」
腰から尻にかけて撫でられる。酒臭い息が至近距離でかけられ、思わず顔を背けてしまうほど不快である。
しかしこの客、欠片ほど悪びれもせず。
「そんな怖がらないでよ。お兄さん、もしかして男とシたことないって訳じゃないでしょ」
「あ、あるわけ……」
「えっ? じゃあオレがはじめてになるんだ、やべぇ。興奮してきた」
この男は酒で脳のどこか麻痺して、羞恥心もモラルもすべて機能停止したのだろうか。
仲間も下品極まりないヤジを飛ばしつつ、止める者すらいないのがタチ悪い。
――クソ共が、死ね。
強ばった笑顔もそろそろ限界である。テーブルの下の足でも踏みつけてやろうとした時だった。
「失礼しまぁす!」
通常のサイズの倍以上ある巨大ジョッキを持った山尾が、割って入ってきた。
「メガジョッキ虚無deadボンバー! お持ちしましたぁ~!」
どうやら商品名らしいものをにこやかに告げる男の登場に、一瞬唖然となる酔っ払いども。
「え……こ、これオレたち注文してないんだけど」
「いやいやいやいや。お客さん注文して――って、こりゃあ失礼! オーダーミスでした。もし良かったら飲んでってください。サービスしますんで!」
「お、おう?」
ドンッ、とテーブルに置かれたそれはビールかと思いきや何やら色がおかしい。
カラフルといえば聞こえはいいが、妙に毒々しい色をした酎ハイのようだ。
「はいはいごゆっくり~っ!」
実に明るく元気よく、嵐のように来て立ち去る山尾はさりげなく奏汰を客から引き離していた。
「ほら行くぞ」
小声で言って手を掴まれる。
「あ……」
大股で歩いていく彼の表情は分からない。
そのまま一旦バックヤードに連れていかれたあと。
「大丈夫か、奏汰」
振り返ったその表情はいつもよりずっと真剣で。そのまま顔を覗き込まれるものだから、思わず心臓が跳ね上がる。
「あ、はい。ええっと、ありがとうございます……」
わざわざ助けに来てくれたらしい。オーダーミスだってわざとだろう。
しかも今だってセクハラを受けた彼を心底心配してくれている。
ほんの少しだけドキマギしながら礼を口にした。
すると。
「気にすんなや」
山尾かようやく笑った。
「女にモテない者同士やないか」
「山尾さんと一緒にしないでください」
「ひどっ!」
「……」
可愛くない返しをしながらも奏汰は、図星にグサグサやられていた。
男にモテる半分くらいでいいから、女にもモテたいというのが正直なところ。
でもこうやって助けてもらえたのはありがたいことだ。そうでもなかったらあの後、奏汰がブチ切れてトラブルになっていたかもしれない。
「ま、今度からはあのテーブルはオレが行ってやるから」
「すみません。お願いします」
「おっ、素直やん」
今度はガシガシと少し乱暴に頭をなでられた。
「山尾さん」
「可愛い後輩が困ってるのを颯爽と助けにいくオレ、めっちゃカッコイイやろ?」
突然のキメポーズとドヤ顔でチラチラ見る先は。
「え?」
バイト仲間の女の子の姿が。しかし山尾の思惑とは裏腹に、スッと視線を逸らされているが。
「と、まあオレを引き立てるために奏汰はせいぜい男にからまれまくってくれや!」
「……山尾さんってやっぱりバカだな」
「おい奏汰! 先輩をバカ呼ばわりすんな、そして敬語ォ!!」
「はいはい」
――感謝して損した。
それどころか少しイケメンに見えたのに。
やはり女好きは伊達じゃない。ホッとしたやら少しムカつくやら、妙な気分だった。
しかし奏汰は知らない。同じく意図せずドキッとしてしまい、慌てて誤魔化した男の心情を。
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