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元カノとの気まずい再会
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社会の荒波というものは覚悟していた以上に厳しいものだというのを嫌というほど実感したのは、入社して三ヶ月経とうとした頃だった。
「庶務サン! に営業部前の廊下の電球が切れてんだけど!!」
「あっ、すみません。今替えにいきます」
「ったく。ちゃんとしてくれよ、お前らそれくらいしか仕事ないだろ」
「……」
庶務三課、通称庶務サンはいわば会社の雑用係である。
社内の掃除は外部の清掃会社に委託しているものの、そこで手が回りきらない所は彼らの仕事として呼び出されるのだ。
しかもここは派閥争いで敗れたり、人間関係でトラブルを抱えて左遷された者たちの島流し先ということもあり周りからの目も厳しい。
そんな中でも、皇大郎は懸命に仕事を覚えこなした。
いくら怒鳴られようが嘲笑されようがセクハラめいた下品な言葉を投げかけられようが、腹の底で怒りを滲ませながらも歯を食いしばって頭を下げ続けた。
それもこれも意地である。
「田荘先輩、総務部のコピー用紙とインク、そろそろ切れるので補充してきます」
一緒にいた彼女にそう言って立ち上がった。
確かにこの仕事は雑用係だ。パシリと言ってもいいだろう。生産性のない仕事だと落胆するものもいるのは分かる。
しかしそれでも懸命にやればいくらでも効率的に出来るし、他部署からの苦情を減らせるのではないかと思っていた。
しかし物事はそう簡単ではない。
「あら皇大郎」
小走りしていたら突然呼び止められた。それが知った顔で、かつ苦手な相手だったが無視する訳にはいかず立ち止まる。
「……楠木さん」
そこには若い女性がいた。
ブランド物のスーツを着こなした美人で、華奢な肩をすくめがちにくすりと笑う。
「秘書課から庶務三課に内線入れようかと思ってたの」
「なにか御用ですか」
「だって貴方、私を避けてるでしょ?」
「別に……そういうわけじゃないです」
固い声と敬語で応じる。
彼女は秘書課に所属している楠木 櫻子。そして皇大郎のかつての恋人、つまり元カノということになる。
気まずいなんてものじゃない。
一番最初に顔を合わせた時、その場から逃げ出そうかと思ったくらいだ。
「そんな怖い顔しないでよ」
「……」
「もしかして怒ってる?」
上目遣いに覗き込んでくる顔は昔よりずっと大人になったと思う。色付いた唇を少し尖らせて、でもイタズラっぽく微笑む姿は当時まだ十代だった彼女とは別の女のようだった。
「だってみんなが聞いてくるんですもの。私たち同じ高校だったでしょう? 当時、貴方がアルファだったこと。別に口止めされてないからうっかり言っちゃったの」
ビッチングした元アルファは生まれつきのオメガより偏見の目に晒される。それは常識のはずなのに、敢えて吹聴したのだろう。
皇大郎はため息をついて首を振る。
「いや、怒ってなんていないよ」
怒りより少し悲しかった。そこまで嫌われたのか、と。
しかしこうして変わってしまった彼女を見ると諦めに似た気持ちになるのだ。
「あ、そう。じゃあよかった! それにしても全然変わってないようにみえるわね。アルファからオメガになったのに」
良くも悪くも無邪気な口調。付き合っていた頃は可愛く思っていたはずなのに、今では妙に悪意を感じてゾッと背筋が寒くなる。
異性を見る目ではない、おなじオメガを見る目だ。同類として品定めをし、暗い嫉妬を覗かせていた。
――なんで。
「そういえば皇大郎、あの社長と婚約したのよね」
――なんで。
「貴島家とは懇意にしてたんでしょう?」
「僕ではなく、父がだけど」
「ふふ、でしょうね。そうでなければこんなお手付きなんて嫁にもらうはずないでしょうから」
他の男に身体を開いた事を揶揄されたのは充分理解した。
ビッチングとはそういうものだ。しかも転化させた相手と番にすらなっていないという事実は、これほどないくらいの醜聞なのである。
「皇大郎さんも気の毒にね。昔はとても素敵なアルファでしたのに」
顔こそ笑っていたが意地の悪い口元に目を逸らした。
過去の恋人にさえこの仕打ち。これも彼が貴島 高貴の許嫁となったからだろう。いわゆるやっかみなのだが、皇大郎とて別に好きでその立場になったわけではない。
「高貴さんも可哀想ね」
「……え?」
小さなつぶやきに思わず顔を上げれば。
「じゃ、またね。彼の婚約者さん」
やけに甘ったるい色の唇を歪めて微笑む櫻子はこれ以上なにも言うことなく、さっさと歩き去ってしまった。
「なんなんだよ、あいつ」
なにか嫌な予感がする。女の勘に似たようなものなのかもしれない。
――どうしてこうなっちゃったかなぁ。
順風満帆だった。あの日までは。
「あっ」
はやく行かないとまた田荘にドヤされる。
深々とため息をついて両手に持った荷物を抱え直した時だった。
「なに油売ってんだァァァッ!」
「うわぁ、来た」
廊下の向こうから怒声とドスドスとした足音と共に、田荘が走って来るのが見える。
「やべ……逃げるか」
ここ三ヶ月ほどですでに学んだこと。
田荘という先輩社員は派手メイクの見た目通り気が強くて怖く、度々雷を落とされていた。
そしてこういう時は説教も長くなるから逃げる方が得策であるということ。
「御笠ァァッ、逃げるなァァ!!」
「説教は後で聞きます! 仕事っ、してきます!!」
そう叫んで総務部まで必死に走った。
「庶務サン! に営業部前の廊下の電球が切れてんだけど!!」
「あっ、すみません。今替えにいきます」
「ったく。ちゃんとしてくれよ、お前らそれくらいしか仕事ないだろ」
「……」
庶務三課、通称庶務サンはいわば会社の雑用係である。
社内の掃除は外部の清掃会社に委託しているものの、そこで手が回りきらない所は彼らの仕事として呼び出されるのだ。
しかもここは派閥争いで敗れたり、人間関係でトラブルを抱えて左遷された者たちの島流し先ということもあり周りからの目も厳しい。
そんな中でも、皇大郎は懸命に仕事を覚えこなした。
いくら怒鳴られようが嘲笑されようがセクハラめいた下品な言葉を投げかけられようが、腹の底で怒りを滲ませながらも歯を食いしばって頭を下げ続けた。
それもこれも意地である。
「田荘先輩、総務部のコピー用紙とインク、そろそろ切れるので補充してきます」
一緒にいた彼女にそう言って立ち上がった。
確かにこの仕事は雑用係だ。パシリと言ってもいいだろう。生産性のない仕事だと落胆するものもいるのは分かる。
しかしそれでも懸命にやればいくらでも効率的に出来るし、他部署からの苦情を減らせるのではないかと思っていた。
しかし物事はそう簡単ではない。
「あら皇大郎」
小走りしていたら突然呼び止められた。それが知った顔で、かつ苦手な相手だったが無視する訳にはいかず立ち止まる。
「……楠木さん」
そこには若い女性がいた。
ブランド物のスーツを着こなした美人で、華奢な肩をすくめがちにくすりと笑う。
「秘書課から庶務三課に内線入れようかと思ってたの」
「なにか御用ですか」
「だって貴方、私を避けてるでしょ?」
「別に……そういうわけじゃないです」
固い声と敬語で応じる。
彼女は秘書課に所属している楠木 櫻子。そして皇大郎のかつての恋人、つまり元カノということになる。
気まずいなんてものじゃない。
一番最初に顔を合わせた時、その場から逃げ出そうかと思ったくらいだ。
「そんな怖い顔しないでよ」
「……」
「もしかして怒ってる?」
上目遣いに覗き込んでくる顔は昔よりずっと大人になったと思う。色付いた唇を少し尖らせて、でもイタズラっぽく微笑む姿は当時まだ十代だった彼女とは別の女のようだった。
「だってみんなが聞いてくるんですもの。私たち同じ高校だったでしょう? 当時、貴方がアルファだったこと。別に口止めされてないからうっかり言っちゃったの」
ビッチングした元アルファは生まれつきのオメガより偏見の目に晒される。それは常識のはずなのに、敢えて吹聴したのだろう。
皇大郎はため息をついて首を振る。
「いや、怒ってなんていないよ」
怒りより少し悲しかった。そこまで嫌われたのか、と。
しかしこうして変わってしまった彼女を見ると諦めに似た気持ちになるのだ。
「あ、そう。じゃあよかった! それにしても全然変わってないようにみえるわね。アルファからオメガになったのに」
良くも悪くも無邪気な口調。付き合っていた頃は可愛く思っていたはずなのに、今では妙に悪意を感じてゾッと背筋が寒くなる。
異性を見る目ではない、おなじオメガを見る目だ。同類として品定めをし、暗い嫉妬を覗かせていた。
――なんで。
「そういえば皇大郎、あの社長と婚約したのよね」
――なんで。
「貴島家とは懇意にしてたんでしょう?」
「僕ではなく、父がだけど」
「ふふ、でしょうね。そうでなければこんなお手付きなんて嫁にもらうはずないでしょうから」
他の男に身体を開いた事を揶揄されたのは充分理解した。
ビッチングとはそういうものだ。しかも転化させた相手と番にすらなっていないという事実は、これほどないくらいの醜聞なのである。
「皇大郎さんも気の毒にね。昔はとても素敵なアルファでしたのに」
顔こそ笑っていたが意地の悪い口元に目を逸らした。
過去の恋人にさえこの仕打ち。これも彼が貴島 高貴の許嫁となったからだろう。いわゆるやっかみなのだが、皇大郎とて別に好きでその立場になったわけではない。
「高貴さんも可哀想ね」
「……え?」
小さなつぶやきに思わず顔を上げれば。
「じゃ、またね。彼の婚約者さん」
やけに甘ったるい色の唇を歪めて微笑む櫻子はこれ以上なにも言うことなく、さっさと歩き去ってしまった。
「なんなんだよ、あいつ」
なにか嫌な予感がする。女の勘に似たようなものなのかもしれない。
――どうしてこうなっちゃったかなぁ。
順風満帆だった。あの日までは。
「あっ」
はやく行かないとまた田荘にドヤされる。
深々とため息をついて両手に持った荷物を抱え直した時だった。
「なに油売ってんだァァァッ!」
「うわぁ、来た」
廊下の向こうから怒声とドスドスとした足音と共に、田荘が走って来るのが見える。
「やべ……逃げるか」
ここ三ヶ月ほどですでに学んだこと。
田荘という先輩社員は派手メイクの見た目通り気が強くて怖く、度々雷を落とされていた。
そしてこういう時は説教も長くなるから逃げる方が得策であるということ。
「御笠ァァッ、逃げるなァァ!!」
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そう叫んで総務部まで必死に走った。
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