世界を救った勇者ですが童帝(童貞)の嫁になるようです

田中 乃那加

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形勢と傾城

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 それは、死神に愛された少女が託した物である。
 アレックス自身、それがなんなのかは知らない。
 ただ彼女はこう言った。

『死と生は、コインの表裏よ。産まれれば死に、死ねば産まれる。そして、その間に横たわる時の流れを人生というの。そして私達、死を悼む者達はその時の流れとも密接に関わっている――この意味が分かるかしら』

 そうして手渡されたのが、この懐中時計。
 鈍く金色に光るそれは、彼の大きく不器用な掌にはとても小さく見える。
 時計といっても、その繊細な作りの針はピクリとも動かない。
 長針も短針も、秒針すら。時を刻むことなく沈黙していた。
 そして何よりも特徴的だったのは、文字盤である。
 小さな余白に、これまた微細な単語がいくつか綴られているだけ。しかも、どの国でも使われていない奇妙な文字が。
 そんな時計が、今の彼らのたった一つの切り札なのだ。

(しかし)

 轟音を響かせ、迫り来る火竜を間一髪で避けながら。アレックスは舌打ちした。
 魔王が放つ魔法は、どれも隙がない。しかも、わずかでもかすれば重症まぬがれない程の威力だ。

「さっきから、逃げてばかりじゃないか」

 嘲るような眼差しも、この際気にしていられない。
 ぐったりとしたシセロを肩に背負い、彼は機会をうかがっていた。

(少しでも、あの魔力が弱まれば)

 大きなダメージのひとつも与えれば、チャンスが出来るかもかもしれない。しかし、この状況では絶望的だ。
 既に走ることすらままならない片足も、痛みを通り越して感覚麻痺が起こっている。
 
「おい、シセロ」

 目を閉じて動かない男に向かって、小声で呼びかけた。

「……」
「くそっ」

(駄目だな)

 鼓動はかすかに感じるが、やはり意識を失っているらしい。
 妙に軽い身体はおろか、瞼もピクリとも動かないのだから。

「アレックス、取引しようか」

 魔王が四頭の火竜を従え、口を開いた。

「この、ぼくの前に引き出せ」
「なんだと」

 脱力し血の気を失った彼を、ぞんざいに視線で指し示す。
 
「シセロ……こいつだけは許せない。思いつく限りの、残虐な死をもって償わせてやる」

 多くの煮え湯を飲まされてきた、騙し合いの相手は嬲り殺したいのだろう。陰鬱に輝く瞳を細め、猫のように笑う。

「そうすれば、お前の命くらいは助けてやっても良い。ただし二度と、アレンの前に姿を見せないのならね」
「ふん、そりゃあ魅力的なご提案だな」

 この男のことだ。そんな約束、単なるジョークのようにあっさりと破り捨てるだろう。
 そんなこと、子供でも分かる。きっと次の瞬間には楽しげな表情で自分を殺しにかかる、と。
 アレックスとて、魔王の言葉を信じるほど純粋でも愚かでもない。
 しかし彼は、その場に彼を地面に横たえさせた。

「おやおや。やはりお前は、勇者にもなれない出来損ないの転生者だ」

 勝ち誇ったような声も、今の彼には何も響かない。
 ただ無表情で魔王を見据えた。

「勘違いしているようだが。俺にとっては、コイツも単なるいけすかねぇ奴だ」

 しかもいわゆる恋のライバルである。だから、別に助ける義理もないということか。
 
(もう、動けねぇな)

 立っているだけで精一杯。蓄積されたダメージは、回復魔法の効かぬ身体には厳しい。
 薬草だって魔法効果のないもの以外、受け付けないのだ。
 しかし大抵の薬草や、それに準じた薬は多少なりとも魔力を帯びている。
 それらを手にするだけで、まるで食物アレルギーのアナフィラキシーショックのような症状を引き起こしかねない。
 だから常に傷は自身の治癒力に頼る他ないのである。

「まあ、ぼくにとってはというものさ」

 魔王は左手をかかげた。
 足元に黒く描かれた魔法陣が映る。具現化したのは、巨大な炎。全てを呑み込む闇の劫火が、そこにあった。

「さあ、永遠のさよならだよ」

 やはりそうだ。その後、歌うように口にしたのは闇の呪文と呼ばれるもの。
 ここで骨も何もかも残さず、葬り去るつもりらしい。
 大蛇が獲物をぬるりとした舌で舐めるような。ぬるりとした感触さえ覚える、漆黒の火焔。
 大きく口を開けた闇が、アレックスを呑み込まんとした時。
 
「――おい。いい加減にしろ。待たせすぎだぜ。あとでぶん殴る」

 目の前の闇魔法にも何の反応も示さず、ボソリとつぶやいた男のコメカミには青筋が立っていた。

「は? お前は何を言って――」
「仕方ないでしょう。今の私の魔力では、あのゴーレムを倒すのにもそれなりの時間がかかるのですから」
「なっ!?」

 いつからそこにいたのだろう。魔王の後ろにピタリとくっつくようにたたずんでいた男。
 長い銀髪を手ぐしで整えながら、人の悪い笑みを浮かべている。

「お前、俺がやられんのを楽しんで見てただろ」
「気付きましたか」
「まったく。最低な野郎だ」
「あんな低級魔法ひとつも、まともにかわせない貴方が滑稽でね」
「……てめぇ、あとで覚えてろよ」

 呆気にとられた表情の男を間に挟んで、人をくったような物言いをするのはシセロだ。
 では力なく横たわった身体は、いったい誰のであろうか。
 首元に杖を突きつけられた男は、先程の余裕は一転。焦燥に青くなった顔で、視線だけを背後に向けた。

「な、なぜ。お前は、そこに――」
「何故って、種明かしすればくだらない事ですよ」

 対して、冷ややかな表情のシセロが肩をすくめる。

「契約時のを支払ったのは、私だけでないということですよ」
「!」

 魔王ファシルは、彼の魔力を奪った。
 しかし同時にシセロは、同等のモノを奪ったのだ。

「貴方、知らなかったんですか。魔力の一方的な与奪は摂理上、成り立たないと」
「な、なに!?」

 魔法と魔力に深く精通している者が知っている、いわゆる不文律ふぶんりつ。もしくは、暗黙の了解ルールとも言うべきか。
 基本的に、魔力を吸い取ったり与えたりという魔法も術も存在しない。しかし一部の例外で、それが成されるのことがある。
 それが【契約】だ。
 互いの同意を持っての魔力の扱いは、高位な魔法使いにおいてのみ有効である。
 しかし、それにもまたルールがあった。

 ――それは『等価交換』
 何かを得れば、その分失う。とても簡単で単純、そして原始的な原理だ。

「貴方が私の魔力を奪った代わりに、私は貴方の能力の一部を得ました」
「そ、そんな」

 信じられない、と震えた唇がつむぐ。
 魔王が魔力を少しずつ取り込んだのと同じく、彼もまた奪ったのだ。
 
「ったく。それにしても、お前も酷い事しやがるな」
「さて、なんの事でしょう」

 彼らの前に気絶して地に伏せているのは、シセロでなくニアである。
 互いの立ち位置を変えて、魔王の隙をうかがっていたのだ。

「くっ、汚いヤツらが……ッ」
「おやおや。魔王である、貴方が言いますか」

 大仰に呆れる素振りをして、口の端を歪める。
 それを見てアレックスは思う。
『コイツもたいがい、性格が悪い』と。
 なぜなら。シセロが奪った能力を使うことによって、ニアは強制的に魔王と対峙させられた。
 そりゃあ、まるで敵わないわけだ。

「それにしてもすごいものだな。そうだと分かっていても、ニアがお前にしか見えなかったぞ」
「そうでしょう。これは、なかなか興味深い能力ですよ。使い勝手も良いですし」
「おい。味をしめて、むやみやたらに使うなよ」

 彼もまたアレンを独り占めする為に、力を使うようになったらどうだろう。
 アレックスは苦々しい顔をする。敵に回したくない男が、増えただけだった。

「……ぼくを、殺すのか」

 この至近距離だ。どんな初心者魔法使いであっても、この男にトドメを刺すのは雑作ないだろう。
 顔面蒼白を前に、彼らは顔を見合わせる。

「どうします?」
「あー、どうしたものかな」

 実際。殺してしまうのが一番だった。魔王がアレックスを騙し討ちで殺そうとしたように。
 結局、誰もが自分の身が可愛いのだ。
 しかしアレックスはどうも踏ん切れない。そう首をひねった時。

「お、おい……君たち……」

 苦しげな声で、振り返る。

「あ。忘れてましたね」
「!」

 シレッと酷い事をのたまうドSと、素直に驚く男と。
 その視線の先にはら相変わらずつた雁字搦がんじがらめにされたヒロイン――もといアレンが鬼の形相で唸っていた。

「僕の゙ごと、忘れ゙るなぁぁぁ」
「アレン」

 アレックスは慌てて駆け寄る。痛いし苦しいし、妙に快感になってきてるし、と泣いてるのかキレてんのか分からない彼をそのいましめごと抱きしめる。

「ぐげっ」

 満身創痍とはいえ、力任せの抱擁。潰れたような悲鳴が上がる。

「す、すまん」
「ごの゙っ、馬鹿力!」

 怒鳴りながらも、すんすんと鼻を擦り寄せる様が愛らしい。
 
(ああ。俺の嫁、最高)

 つかの間の幸せを噛み締める。
 この瞬間のために、アンデッドやら死神やらバニーガール変態男やらと関わるハメになったのだとすら思う。
 でもだからこそ、もう離したくない。

「は、はやく、助けて」
「おお。よしよし」

 強く張り巡らされたそれに、手を掛ける。
 しかしビクともしない。それどころか、魔力の痕跡が、手に熱傷を作る始末。
 すぐに忌々しげに、舌打ちをした。

「おい、魔王。とりあえずアレンを解放しやがれ」
「……そうすれば、ぼくを助けてくれるのか?」

(命乞いしてやがるのか)

 アレックスは、なぜか無性に腹が立つ。それがどこから来るもので、どういう感情か。いまいち分からない。
 しかしそれは多分、失望に似ていると思った。

「ええ。貴方の命くらいは助けてやっても良いでしょう。ただし今後一切、アレン・カントールの前に姿を現さないと約束して頂けるのなら、ね」

 さっきとはまるで反対だ。
 そんな皮肉な状況に、魔王は唇を噛む。

「そうか。それは――」

 指がパチン、と鳴らされた音。
 
「!?」

 その瞬間。また状況がひっくり返る。

「だが、断る」
「ぐあ゙ァァァッ!!!」

 魔王の言葉と共に、獣のような声をあげて崩れ落ちたのはアレックスだった。
 胸に深々と刺さるのは鋭利な光。鋭い切っ先のナイフである。

「っ、な、なんだ、と!?」

 自らの手を染める鮮血。それは真新しく、まだ生温かい。
 酸素に触れて、赤黒く変色していくのを目の当たりにした男は呆然と目を見開いた。

「あ、アレ、ンは……」

 そう。目の前にいたはずの愛しい人の姿は消え失せ、そこには人形めいた少女が一人。

「命乞いをするのは、どちらかな」

 魔王がわらった。

 

 
 


 
 

 
 

 

 
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