世界を救った勇者ですが童帝(童貞)の嫁になるようです

田中 乃那加

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屍肉喰いの蝶と朽ちた右腕

 荒れ果てた森を、猛然と突き進む。その表情はピクリとも動かない。

「おやまあ。足元に注意してくださいね」
 
 その隣には可憐な女性。
 男の早足に平然とついて行く、シスター・マリアは困ったように笑っている。

「アンタこそ」
「うふふ。ご心配頂き、どうも」

 聖女のスパルタ的 (!)魔法において。アレックスはその特異体質にも関わらず、見事な回復力をみせたのだ。
 
(あの野郎、許さねぇ。ぶっ飛ばしてやる)

 欠損した右腕を横目で見て、奥歯を噛み締める。
 寄りにもよって、大切な腕を。これでは彼を抱きしめるのにも、少々足りないではないか。

「すごい顔なさってますわ」
「……そうかい」

 一見すれば無表情だが、その瞳は激しい怒りに満ち溢れている。
 しかし彼の憤怒はもっぱら、魔王がその場で命を奪わなかったことによる屈辱からであった。
 まるで瀕死の小鳥に興味を失った猫のように、その場に打ち捨てて立ち去ったのだ。
 アレックスが勇者や戦士でなくとも、憤りを感じるのは当たり前である。コケにされれば、腹も立つ。しかもそれが、恋敵であれば尚更。

(アレンは無事だろうか)

 絶望に身を震わせていた姿を思い出す。
 あとは頼む、なんて。そして、らしくない告白の言葉も――思い出すだけで胸が痛くなる。
 アレックスとて、彼を戦わせたい訳ではない。むしろ高貴な姫につかえる騎士のように、ずっと守り続けたい。
 しかし彼が求めるものが違うのであれば、話は別。
 元とはいえ、勇者として数々の試練や戦いを乗り越えて魔王を倒した。
 その矜恃きょうじやプライドは、言わば一般人であるアレックスには計り知れないだろう。だからこそ、彼に寄り添ってやりたかった。
 戦うのなら、共に。出来れば、死ぬ時も共にありたい。

(だからって殺して死ぬ思考にはならんが)

 そこまでメンヘラってはいないのだ。あくまで、この長いようでいて短い人生を愛する人と肩を並べて歩む。それがささやかな、この男の願いである。

「アレンのこと、愛してるのですね」
「当たり前だ」

 一目惚れではあるが、それは単なるきっかけ。その勝気な瞳を覗き込むたびに、自分が深みにはまっていくような気がしていた。
 どんな感情も。彼のそれであれば、喜んで受け止めたい。しかし一方で、貪るほどに愛したいのも確かで。

「彼は、どこにいるのだろうか」

 広い森の中である。
 不気味な程に静寂を保った空間。見上げれども、灰色の雲の渦巻く空には小鳥一羽も飛んではいない。

「あっ!」

 突然声をあげたのは、マリアだった。
 思わず立ち止まる。

「あれは」

 草の茂る道に点々と続く、赤い痕。それは緑に強く映えた、鮮血の色だ。

「血、でしょうか」
「!」

 嫌な予感がする。この血液は一体だろう。
 それ以上、妙なことを考えたくなくて。彼は、やにわに走り出した。

「アレックス!」

(まさか彼が……)

 怪我をしたのか。命に関わるものでは無いのか。
 道に印を付けるほどだ。かすり傷程度ではないだろう。焦燥と不安がどんどんつのっていく。
 
(頼む)

 助かっていて欲しい、無事であって欲しい。そう信じてもいない神に祈ってしまうほどだった。
 自分の命すら要らないから。彼を助けて下さい、と。

「落ち着いてくださいっ、アレックス!」
「っ……」

 この全速力にも普通に付いてくる、マリアの身体能力が驚異的であるが。そんなことも考えていられないほど、今のアレックスには余裕も冷静さもない。
 息があがるが頭は冷えず。目の前の緑と赤のコントラストを目印に、ひた走る。
 毒々しい色だ。酸素にさらされ、どす黒く変色して絶望を深めていく。

(この先に、彼がいたら――)

 そんな想像をして、足を止めろと心が言う。しかし止めるなと別の声がする。
 アレンが血まみれで倒れていたら。そこであの男がわらっていたら。
 気が狂ってしまうかもしれない。

「アレックス! 待って。少し待ってください」
「邪魔をするな」

 後ろに強く手を引かれ、思わず立ち止まる。
 叱りつけるような声に苛立ちが隠せない。だから、振り向きもせず吐き捨てた。
 なぜ止めるのか。自分は、確かめなければならない。この血が愛しい者のものでは無い、と。

「気持ちは分かりますわ。でも、大丈夫。恐れてはいけませんよ」
「気持ちは分かる? ……テメェに何が分かる」

 ずっと探し続けた。愛する人のものかもしれない血痕を、悲しみと不安の中で辿っていかなければならない状況が。
 もう二度と会えないのが、たまらなく恐ろしい。
 彼はこれ以上ないほどに動揺し、怯えていたといってもいい。顔色は悪く、相変わらず無表情であった。ただ、揺れた瞳が全てを物語っている。
 そんな彼を見ていたマリアは、優しくうなずいた。

「ええ、分かりますとも。でも忘れてもらっては困りますわねぇ。わたくしとて、彼と苦楽を共にした仲間。大切な存在なのです」
「……」
「こういう時こそ、信じるのです。を」

 聖職者らしい言葉というべきか。思わず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるが、彼女は小さく笑った。

「ふふっ。神の言葉を伝える、聖女わたくしの言葉が、信じられませんか」
「ふん、神やら仏やら。そういうのオレは苦手だし、信じちゃいねぇよ」
「ほと……?」
「いや、聞き流せ。だが確かに――オレが悪かった」

 目を伏せて息を吐く。ほとんど八つ当たりだと気がついたのだ。
 彼女に食ってかかっても仕方がない。これでは怯えて差し伸ばされた手に噛み付く、野犬と同じではないか。
 アレックスは静かに恥じ、低い声で謝罪の言葉を口にした。

「いいえ、良いのですよ。愛ゆえに、ですもの」

 憂いを帯びたようにも見える碧眼へきがんを、柔らかく細める。
 
(聖女ってのは、これほどまで強いのか)

 信仰とは、かくも心を強くするのか。
 自らや弟までもが魔王の攻撃をうけたというのに、絶望に打ちひしがれるどころか涙ひとつ流さないマリアに驚いた。

「あれは……」

 突然、何かを見つけた彼女は血の跡を指し示す。
 よく見れば草の上に何か落ちている。まるで雑に放り出されたそれは、鮮やかな緑の上では異物であった。
 土色に変色した腐肉の塊、としか形容することのできない物体。
 すでにこの森に生息する、モルデ・プシューケ屍肉喰いの蝶が群がっている。
 この虫は、キラキラとした鱗粉が特徴の赤い蝶だ。その可憐で美しい見た目に反して、動物性タンパク質を好む。
 つまり獣や人間の遺体を啄むように食すのだ。
 現に今も。肉塊に集まった彼らは小さいが刃物のように鋭い口で肉を少しづつ削ぎ、食べている。
 すでに露出しかけている骨の形から、これが腕から指さきの人間の手であることが分かった。
 そう、アレックスの右腕である。

「ひでぇな」
「これはもう――」

 マリアは顔をしかめた。自然の摂理とはいえ、なんとも残酷な光景である。

「うむ」
「あっ、何をするんですか!?」
 
 相変わらず眉ひとつ動かさず、真っ直ぐ腕に近付いていく。
 食事を邪魔する者がいる、と蝶たちはギィギィと抗議の声をあげるが。それもお構い無しだ。
 アレックス大きく左腕を振るうと蝶を追い払い、右手を取り上げた。

「アレックス……」
「これはオレのだぜ」
「そ、それはそうですけど」

 すでに指先の肉はボロボロと崩れている。
 この蝶は肉を削り取るだけでなく、タンパク質や皮膚組織などを溶かす唾液だえきも出すのだ。
 一部分、ぷるぷるとまるでのようなモノに変化していた。普通の感覚なら、触れるのもためらわれるだろう。

「ひゃっ、これ持っていくんですか!?」
「もちろんだ」

 ドン引き顔のマリアをよそに、アレックスはそれを左手に抱えて歩き出した。
 別に何か感傷や計画があったわけではない。単に『なにか使えるかもしれない』と思っただけだ。
 そこらの材木を拾ったくらいの感覚だろう。

「うげぇぇ。ばっちぃですよ」
「酷い言い様だ。しかし興味深いぞ」
「うぎゃっ! コッチ近づけないでくださいぃぃ」

 この蝶はなんせ珍しく、アレックスも文献でしか目にしたことはない。
 元々、好奇心は旺盛な方なので。物珍しさの方が先に立つ。

「ふむ」
「よくそんなに見れますね……」

 彼女の視線と口調が、完全にゲテモノ好きの変人を見る目になった時だった。

「!」
「な、なんですか!?」

 森に響きわたる、獣の咆哮。
 しかも狂気と怒りを孕んだ、絶叫である。そして数秒遅れで、物凄い豪風が吹き荒れた。

「くっ」

(まさかこれは)

 灰色の空に、さらに暗く渦巻く暗雲が立ちこめる。
 禍々しい空気。ただごとではない。

「……こっちか」
「あ、アレックス!」
 
 再び走り出した男と、慌てて後を追う女。
 彼の胸の中にも黒い不安が差し込んでくる。
 
(アレン、無事でいてくれ)

 焦りと不安のあまり、強く握りしめた右腕がぐじゅと音を立ててひしゃげた。
 

 
 
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