世界を救った勇者ですが童帝(童貞)の嫁になるようです

田中 乃那加

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タナトスの墓標1

 目の前の光景が、スローモーションで流れていく。
 まるで夢の中のように。決して思い通りの結末を迎えることなく、途切れてしまう悪夢のように。
 その男は狂気と、渇きを伴う愛に取り憑かれていたのだろう。
 報われぬ、と言うにはあまりにも惨たらしい恋を手に入れようと躍起になった末路。

「アレン!」

 聖女は叫んだ。
 届かないと分かっていても、その手を伸ばさざる得なかった。
 目に見えぬ風という名の鋭利な刃が、彼の身体を引き裂いたのだから。
 
 ――緩やかに手を広げた青年に、覆い被さるよう抱きついた異形の者。
 そんな二つの肉体を貫通させたのは、数十分も前に放たれた攻撃魔法だ。
 アレン・カントールの唯一使用できる魔法。
 非常に発動条件の難しいものであった。
 同じ場所にて適切なタイミングで発動させる必要のある、限定的な時戻しの力タイプリープ。タイミングを間違えれば決定的なダメージを負わせる事はおろか、自らの致命傷になりかねない。
 
「な、なんてこと……まさか、自分をおとりにするなんて」

 震える声で立ち止まり、崩れ落ちた彼女に目もくれず。アレックスはそのまま走り続けた。
 ゆっくりと脱力して地に伏していく彼を、強く抱きとめるために。

(くそっ)

 折り重なるように倒れた姿。
 魔王の身体を乱暴に足で蹴り倒し、その下のアレンを抱き起こす。
 ぐにゃりと弛緩した四肢も、不自然に預けた形になった頭部も。
 まるで生気を感じない、人形のようだ。

「ああ、そんな……なんてこと……」

 後ろで嘆く声が聞こえる。しかしアレックスは腹立たしげに舌打ちした。
 そんなに悲しんで。まるで彼が死んだようではないか、と。

(アレンがオレを置いて、死ぬわけがないだろう)

 しかも、まるでこの男と心中するかのような死に方なんて。
 
「おい! 目ぇ開けろよ」

 責めるような言葉になってしまう。もっと優しく起こしてやりたいのに。
 甘いキスでもして愛を囁いてやれば、勝気な瞳を見せてくれるのか。
 だが、どんなに揺すっても宥めても意識が戻ることはなく。
 ともすれば消えてしまいそうな命を前に、アレックスは混乱する頭を懸命に巡らせた。
 
「マリア、何をしている! はやく魔法かけてくれ」
 
 そうだ。
 この世界には魔法という便利な力がある。それを使えば怪我は瞬く間に治るし、状態異常だって解消できるのだ。
 しかし聖女はそんな彼の希望にも、弱々しく首を横に振るだけ。

「残念ですが――」
「何故だ。早くしなければ、彼が死んじまうじゃないか!」
「アレックス……」

 か弱い女性でなければ、きっとアレックスは胸ぐらを掴んで怒鳴り散らしていただろう。
 地面に膝をつけ、彼女は項垂れた。

「魔法も万能ではありませんわ」
「な、なんだと?」

 どういうことだと鬼気迫る形相で迫る男に向けられた、哀しみの目。

「アレンはもう、長くはもたないでしょう。傷が、ダメージがあまりにも深すぎます。それにこれは――」

 確かに回復魔法は、掛けられた者の傷や状態異常を治癒することが出来る。
 しかしそれは、あくまで単純な外傷や事象に対しての事で。
 そこに複雑な呪術や魔法が絡んだ場合には、非常に難しくなるのだ。
 元は魔王の攻撃魔法であっても、そこにさらにアレンの魔法がかかった。言わば二重にかけられた呪術のようなもので、例え傷自体を奇跡的に治せても根本的な所での回復は困難となるのだ。
 これは魔法、というものがいかに難解であるかということである。
 杖を振り呪文を唱えれば、何も考えず願いが叶う――そんなモノはこの世界において存在はしない。
 そこにもやはり物事のことわりも、摂理も存在する。
 確かに魔法は、己の肉体の働き以上の事を成すことは可能だ。しかしその代わりに差し出す対価や負担は、莫大であることを忘れてはいけない。
 事実。この世界において、元々寿命のそう長くないとされる人間種族は魔法の使用により、さらに短命になると魔法研究の一説にあった。

「そう、なのか……」

 魔力を持たぬアレックスは、その事を深く知らなかった。
 知る必要がなかったのだ。
 ただ涙をたたえた目を伏せるマリアを見て、奥歯を噛み締める。

「しかしまだ、アレンは死んじゃいねぇぜ」

 腕の中の青年は弱々しいながらも、微かに息をしていた。
 しかしそれも風前の灯。今にも消えてしまいそうな、儚い命である。

「なぁアレン、目を開けてくれ。頼むから」

 懇願するが色と体温を失いつつある瞼は、ピクリとも動かない。
 これが死なのか。大切な者を目の前で失う、ということなのか。アレックスはいっそうのこと、自らの心臓を引き裂いてしまいたい衝動に駆られた。

(このまま彼と――)

「アレックス、いけませんよ」

 彼のこめかみに軽く口付ければ、鋭い声が飛んでくる。
 考えていることは見通されているらしい。

「アレンが何を思って、こんな行動に出たのかお分かりですか?」
「……」
「皆の命を救うため、だと。彼は勇者です。正義の為に、自分の身を差し出したのですわ」

 彼女の言葉に返事もせず、なだらかな線を描くひたいにキスを落とす。
 繊細で童顔なつくりの容姿は、髪を伸ばし化粧をすれば少女と見まごうばかりだった。

(そういえば女の格好をしてるのも、可愛かったな)

 土で少し汚れた頬を、拭ってやりたい気分になりながら。右手の欠損したこの身を、歯がゆく思う。

「アレックス。彼もまた、運命を受け入れたのです」
「運命……」

 こんな酷い結末が、運命か。神様とやらが用意したシナリオならば、これほど出来の悪い悲劇はない。しかしそんなことをつらつら考えていても、彼の胸には怒りは湧いて来なかった。
 ただひたすら深い哀しみと、絶望。まだ上手く実感出来ていないのかもしれない。
 アレンがこれから死ぬ、ということに。

「人は、いいえ。エルフである、わたくし達とて死はいつか来ます」
「だから――我慢しろ、ということか?」
「いいえ、いたみましょう。そうするしか、術はないのです」

 引きずり込まれぬ前に、と躊躇いがちに口にしながら。マリアは歩み寄り、そっとアレンの手に触れた。
 
「守ってあげられなくて、ごめんなさい」
「本当に、もう駄目なのか」

 呼吸音も苦しげに上下していた胸も。徐々に平坦に、弱くなっていく。
 やはり確実に死を迎えるのか。たまらず、アレックスは色の無い唇と己のそれを重ね合わせた。

「っく……」

(頼む。助けてくれ)

 悪魔でも天使でも、神だって構わない。誰でもいいから、手を差し伸べて欲しい。
 そうやって号泣し、泣き喚きたいのを必死でこらえる。
 ――と、ふと頭に差し込んできた思考。

(神、か)

 神は神でも、死神である。
 刹那。彼の心臓は大きく跳ねた。とんでもない切り札を忘れてはいたのだ。

「おい、マリア」
「……なんでしょうか」

 もしや後追い自殺でもするのでは、と心配そうな彼女にアレンを支えているように頼む。

「すっかり失念してたぜ」
「アレックス!? な、何をするんですか!」

 咎めるような声も仕方ない。なにせ彼が手にしていたのは、自らの右腕だった。
 でろり、と端の溶け始めたグロテスクな物体。もはや、指の半分は濁った白色の骨が覗いている。
 持ち上げれば、ゼリー状の組織が小さく震えた落ちた。
 マリアは不快そうに眉をひそめる。

「オレの右拳で治ったものは、左拳で直せる」
「そんなの無茶です! だってそれはもう――」

 もう拳と呼べるか分からぬ部位。しかも、彼の能力は生き物には効かないはずである。
 アレックスは小さくうなずいた。

「やってみねぇと、分かんねぇだろ」
「そ、それはそうですけど……」

 だからといって、その醜い肉塊でアレンを殴るのかという顔。
 気でも狂っているのかと思ったのだろう。

「足掻いてみるぜ」

 そう呟き、そっと右腕の一部を彼の身体に押し当てる。
 ぐにちゃぁ、と粘着質な音と糸を引く様が奇怪だ。
 彼女の表情は、驚きから嫌悪の多少混じった哀しみに。それでもアレックスは試さず、後悔したくはなかった。

「すまねぇな。アレン」

 汚してしまった、いまわの際の青年。つのる罪悪感と焦りに息を吐く。

「ほんの少しだけ我慢してくれよ」

 手を取り、甲に口付けた。
 それでもなんの反応を返さない彼に、胸が痛む。

(これで目を覚まさなかったら――いや、考えるだけ無駄ってものだ)

 入り込んできた嫌な考えは、首を振って誤魔化した。今は出来ることをするだけだ。
 切れるカードは、全て切ってしまう。それだけのこと。
 アレックスがを左手に握り込み、彼に腹をそっと拳で叩こうとした時であった。

『……ぼく、の゙……ア゙レン゙……』
「!」
「ま、魔王がっ!?」

 音も気配もなく、背後から現れた黒ずくめの男にマリアが悲鳴をあげる。
 まるで溶け始めた影のような出で立ちで、不自然に関節の折れ曲がった身体でアレックスに掴みかかってきた――。
 
 




 
 
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