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追憶への乖離1
アスファルトに薄桃色の花びらが散るまでは、まだ少し先の話だろう。
固い蕾がようやくほころび始めた木々を眺め、泰村 明帆はぼんやり考えた。
今年は特に冬の寒さが厳しかったらしい。
入学式がもうすぐだというのに、まだ咲く気配のない桜。
しかし今週は暖かいからあっという間に開花するだろう、なんて。昨夜見たテレビの天気予報で言っていたことを思い出した。
「明帆ったら、なにボーッとしてんのよ」
「え……あ、ごめん」
声をかけられて、初めて存在に気がつく。
振り返れば、少女がふくれっ面でこちらを見ている。
彼女は明帆の幼なじみにして、同級生。
人懐こそうな大きな瞳に、ふっくらとした唇。
ふわふわとクセのある髪を肩の当たりで揺れている。
一体どこのアイドルかと思わんばかりの可憐さを持ち合わせたこの少女は、彼と同じ学校に通う女子高生だ。
「さっきから何回も話しかけてるのに!」
「あー、ごめんごめん」
「真剣さが足りない」
言葉だけは怒ってるが、その表情は柔らかい。いつもそうだった。彼女は朗らかで明るくて、まるで春の陽気のような娘である。
対して彼は、未だに咲くことなく固く結んでいる桜の蕾に自らを重ね合わせていた。
「どうしたの、もうすぐ新学期じゃないのよ」
「それがなぁ」
明帆が、憂鬱にて苦手とするもののひとつに環境の変化がある。
進級にクラス替え、入学卒業。そのたびに人間関係は入り乱れ、新しい事が始まる。絶対無理というほどではないが。毎日の普遍的な繰り返しが望ましい彼にとって、あまり歓迎すべきことではない。
「つまり感傷的ってことでしょ、カッコつけちゃってさぁ!」
「君のデリカシーの皆無さがたまに、めちゃくちゃ羨ましくなるよ。僕は」
豪快に笑い飛ばす彼女にゲンナリとした表情を向けた。
この竹を割ったような性格の少女は、いつもみんなの中心だ。しかし彼に言わせると、単なる光に集まる羽虫の如くで。その為に、彼女が被るトラブルも少なくはなかった。
そして幼なじみのよしみと、憎めない関係性の為に共に奔走することが多々あって。
「あははっ、しけた面しちゃって。今度、一緒にジム寄ってく?」
「誘い文句としては、最悪だな」
仮にもクラスの人気者女子からのお誘いにも、彼は苦々しい表情を返すだけだった。
なぜなら彼女の一番のマイブームは、筋トレだから。
運動神経はそれなりでも、暑苦しい筋肉趣味には興味皆無の明帆にとって、喜ばしいことではない。
「明帆はもっと、ちゃんと鍛えた方がいいよ! ほら言うでしょ? 健全なる精神は健全なる肉体に宿るって」
「それ、意味違うらしいぜ。あと、僕は健全じゃなくていいから」
「んもぉ! そーゆーとこだぞっ」
「どういうとこだよ……ったく」
ぺたぺた腕やら腹を触ってくる手を退けながら、明帆は歩き出す。
「えぇっ、ちょっと待ってよぉ!」
「なに可愛こぶってんだよ。知ってんだぞ。君がまた、暴力沙汰起こしたって」
「暴力沙汰って、ひどぉい! あれは、せーとーぼーえ? ってやつで――」
「はいはい。正当防衛、な」
この前近くの商店街で、ひったくり事件があった。
早い話、偶然通りすがった彼女がその犯人を追いかけてとっ捕まえたのだ。
「あ、あれは。あの男が無駄抵抗をするから悪いんだもん」
「だからって思い切り締め上げて、骨にヒビ入らせるヤツがあるかっての」
「力加減、ムズカシイヨ……」
「なんで突然カタコトになるんだ」
性格良しの器量良し。そしてスポーツ万能で力持ち。そしてなぜか吹奏楽部。
しかしお世辞にも頭脳明晰とは言えず、むしろ天然気味で加減知らず。これが彼女がトラブルに巻き込まれる所以であった。
そんな彼女を、明帆は幼なじみという腐れ縁と純粋なる友情で放っておけないわけだが。
「もーっ、この話題止めよ! せっかく久しぶりに会えたのにぃ」
「僕が呼び出されただけだがな」
今は春休み中。
家に引きこもっていた彼に、再三にわたって誘いのメッセージや電話が来たのは昨日のこと。
「で、何買いたいんだよ」
「ええっとぉ……」
なにやら親戚のお兄さんだかに、プレゼントを贈りたいとかで一緒に選んで欲しいという内容だった。
(てか。アイツが男にプレゼントか)
珍しいこともあるものだと、素直に思う。むしろ珍し過ぎて、明日は雪でも降るのではないだろうかとも。
「その親戚のお兄さん、ってヤツは何歳なんだ?」
「え……」
彼の問いに固まる少女。
「え、じゃない。大体の年齢くらいわかんないと、選びようがないだろ。社会人か?」
「う、ううん」
「じゃあ学生か。大学生?」
「あー……ううん」
煮え切らない返事。まさかプレゼントを贈りたい程に、気になっている (であろう)男の年齢くらい大体知らないのだろうか。
(しかも親戚――ん? でもアイツにそんな付き合いのある親戚いたのか)
家族ぐるみでの関わりのある幼なじみのことである。今まで聞いた事がない話に、内心首を傾げる。
「高校生か」
「う……」
「なるほど」
お兄さん、と言ってもそう離れていないらしい。
明帆は軽くうなずくと、再び歩き出した。
「あ、明帆!」
「まず適当に見に行ってみようぜ」
慌てた様子で小走りしてくる幼なじみが、少しだけ可愛らしく思える。
俯いて足元ばかり見ている彼女だが、その耳は一目見てわかるほどの真っ赤に色付いていた。
「おい。転けるぞ」
「ゔっ……あ!?」
老婆心で声をかければ、驚かせてしまったらしい。何も無いところでつまづいた彼女は、アスファルトの地面にバランスを崩し倒れ込んで――。
「言わんこっちゃない」
「あ、明帆……」
咄嗟に出した手で、身体ごと支えた。
服越しでようやく分かるしなやかな筋肉に、彼は少し眉をよせる。
(僕も少し鍛えてみようかな、なんて)
ぶっちゃけ、悔しかったのであった。
「あのっ」
「ん?」
手を離そうとすれば、切羽詰まった声。顔を向ければ、大きな目を少し潤ませて赤面した彼女の顔が目に入ってきた。
「わ、わたし……」
「どうした。熱でも――」
「ちゃんと聞いてよっ! わたしね、実は……」
その時だ。
「明帆さん」
後ろから腰に抱きついてくる身体。彼より小柄で細く長い腕に、姿を見ずとも分かる。
「お、泰親じゃないか」
返事の代わりに、背中に顔を擦り寄せられた。まるで甘えんぼうの子どもか、猫のようだと小さく笑う。
「珍しいなぁ。そっちも春休みだろう?」
「うん……」
すりすりすりすりすり、背中を擦られる。学校が休みになって、こうやって姿を見るのは久しぶりだった。
(相変わらずだよなぁ、泰親は)
穐山 泰親、近くの学校に通う中学生。
ひょんなことから明帆と知り合い、それから何かと懐いてくるようになった。
「ほら、ちゃんとこっち向けってば」
「明帆!?」
ひっつき虫のような少年に向き直り、視線を合わせた。
鼻白んだ様子の彼女の声もお構い無しに、彼のもっさりと長い前髪をかきあげる。
「すぐ伸びるなぁ。また切ってやろうか」
「やだ。明帆さん、ヘタクソだから」
「おいおいおい。ひでぇな! 結構良い感じにカット出来てただろうがよ」
「普通にパッツンは、ない」
「うるせぇ。大人しく、僕の練習台になりやがれ!」
やいのやいのと言いながらも、明帆は泰親の身体をさりげなく触っていた。
別にセクハラ目的だとか、そういうアレな理由ではない。
(また少し痩せたな。それに、ここに触れると少し痛そうな顔をする……服の下に痣があるかもしれない)
言ってみれば観察である。
なぜなら、泰親はいわゆる被虐待児だから。
まず出会いが少々特殊だった。遡ること三ヶ月ほど前の夜中、勉強に疲れ切った頭を冷やそうと外に出た明帆はある光景を目の当たりにした。
大きな橋から飛び降りようとする、黒い影。
その足元には靴と、恐らく遺書だろう。キチンとそろえられたそれを見て、思わず飛び出した。
欄干から引きずり下ろし、馬乗りになる。その時の彼の顔が、今でも忘れられない。
色の悪い顔色に、表情のごっそり抜け落ちた空虚な瞳。ポカンと開いた口元。
不気味なのと同時に、強い胸の痛みを感じた。
これが『胸が締め付けられる』という事なのだと、後に理解する。
――しかし明帆が、自殺の原因を訊ねることはなかった。むしろアレが自殺未遂なのかと、問いただしたことすらない。
ただ黙って、抱きしめただけ。震えを止めたいのは相手なのか自分なのか。
真夜中の橋の上、男二人で抱き合う。
それからは不器用でコミュ障な少年と、自然体で接する高校生と。友情なのかなんなのか、よく分からない関係は続いた。
とはいっても、特別なことはない。
顔を合わせれば言葉を交わし、たまに公園や河原やバス停などで肩を並べて時間を過ごす。
他愛のない雑談や、居心地の悪くない沈黙。こうやってじゃれ合うこともある。
でもその時に知ったのだ。彼が、兄から身体的な暴力をうけていることを。
(イジメもあるんだろうな)
泰親の口から直接聞いたことはない。しかし、語らずとも明白だった。
地元で、しかも彼自身も通っていた中学校だ。ちょっとしたウワサくらいは耳に入ってくる。
小さい頃からいじめられっ子で、不登校は当たり前。そして家庭環境もこうとなれば、死にたいと願う事もそれを実行に移そうとすることも。仕方の無いことなのかもしれない。
同情はしたくないが、やはり胸が痛むのだ。
「ねぇ明帆ってば!」
ぷぅぅ、と頬を膨らませた彼女が声を荒らげる。
「買い物付き合ってくれるんでしょ!?」
「っと……あぁ、そうだったな」
腕を引かれ、その予想外の強さに身体が引っ張られる。こう見えてやはり腕力はすごいのだ。
さすが吹奏楽部なのに運動部からスカウトされるだけの事はある。
「明帆さん」
それでもまだ腰にくっついて離れない泰親。
彼女の方をチラリとも見ず、上目遣いで見つめてくる。
「ぼくも、一緒に行っていい?」
「えっ。でも良いのかよ。用事とか――」
「無いから。明帆さんと一緒に居られる以上の大切な用事なんてこの世に存在しないから」
「お、おぅ……」
即答で返され、しかも真剣そのものな表情にタジタジとなる。
そうこうしているうちに、更に強く腰を抱き寄せられた。
「お願い、明帆さん」
「だ、だけど……」
一瞬だけ彼女の方を見ると、まさに鬼の形相。いつもは朗らかな色の瞳には、あからさまな敵意が滲んでいる。
(さすがにまずいか)
幼なじみが自分との約束の中で、勝手に年下の友達を連れてきたら気まずいかもしれない。
実際は『違う、そうじゃない』ってところなのだが。彼にはそれが分からない。
明らかにバチバチの空気の二人を見ながら。
(やっぱり体育会系とは合わないのかね)
などと見当違いの事を考えつつ、首をかしげていた――。
固い蕾がようやくほころび始めた木々を眺め、泰村 明帆はぼんやり考えた。
今年は特に冬の寒さが厳しかったらしい。
入学式がもうすぐだというのに、まだ咲く気配のない桜。
しかし今週は暖かいからあっという間に開花するだろう、なんて。昨夜見たテレビの天気予報で言っていたことを思い出した。
「明帆ったら、なにボーッとしてんのよ」
「え……あ、ごめん」
声をかけられて、初めて存在に気がつく。
振り返れば、少女がふくれっ面でこちらを見ている。
彼女は明帆の幼なじみにして、同級生。
人懐こそうな大きな瞳に、ふっくらとした唇。
ふわふわとクセのある髪を肩の当たりで揺れている。
一体どこのアイドルかと思わんばかりの可憐さを持ち合わせたこの少女は、彼と同じ学校に通う女子高生だ。
「さっきから何回も話しかけてるのに!」
「あー、ごめんごめん」
「真剣さが足りない」
言葉だけは怒ってるが、その表情は柔らかい。いつもそうだった。彼女は朗らかで明るくて、まるで春の陽気のような娘である。
対して彼は、未だに咲くことなく固く結んでいる桜の蕾に自らを重ね合わせていた。
「どうしたの、もうすぐ新学期じゃないのよ」
「それがなぁ」
明帆が、憂鬱にて苦手とするもののひとつに環境の変化がある。
進級にクラス替え、入学卒業。そのたびに人間関係は入り乱れ、新しい事が始まる。絶対無理というほどではないが。毎日の普遍的な繰り返しが望ましい彼にとって、あまり歓迎すべきことではない。
「つまり感傷的ってことでしょ、カッコつけちゃってさぁ!」
「君のデリカシーの皆無さがたまに、めちゃくちゃ羨ましくなるよ。僕は」
豪快に笑い飛ばす彼女にゲンナリとした表情を向けた。
この竹を割ったような性格の少女は、いつもみんなの中心だ。しかし彼に言わせると、単なる光に集まる羽虫の如くで。その為に、彼女が被るトラブルも少なくはなかった。
そして幼なじみのよしみと、憎めない関係性の為に共に奔走することが多々あって。
「あははっ、しけた面しちゃって。今度、一緒にジム寄ってく?」
「誘い文句としては、最悪だな」
仮にもクラスの人気者女子からのお誘いにも、彼は苦々しい表情を返すだけだった。
なぜなら彼女の一番のマイブームは、筋トレだから。
運動神経はそれなりでも、暑苦しい筋肉趣味には興味皆無の明帆にとって、喜ばしいことではない。
「明帆はもっと、ちゃんと鍛えた方がいいよ! ほら言うでしょ? 健全なる精神は健全なる肉体に宿るって」
「それ、意味違うらしいぜ。あと、僕は健全じゃなくていいから」
「んもぉ! そーゆーとこだぞっ」
「どういうとこだよ……ったく」
ぺたぺた腕やら腹を触ってくる手を退けながら、明帆は歩き出す。
「えぇっ、ちょっと待ってよぉ!」
「なに可愛こぶってんだよ。知ってんだぞ。君がまた、暴力沙汰起こしたって」
「暴力沙汰って、ひどぉい! あれは、せーとーぼーえ? ってやつで――」
「はいはい。正当防衛、な」
この前近くの商店街で、ひったくり事件があった。
早い話、偶然通りすがった彼女がその犯人を追いかけてとっ捕まえたのだ。
「あ、あれは。あの男が無駄抵抗をするから悪いんだもん」
「だからって思い切り締め上げて、骨にヒビ入らせるヤツがあるかっての」
「力加減、ムズカシイヨ……」
「なんで突然カタコトになるんだ」
性格良しの器量良し。そしてスポーツ万能で力持ち。そしてなぜか吹奏楽部。
しかしお世辞にも頭脳明晰とは言えず、むしろ天然気味で加減知らず。これが彼女がトラブルに巻き込まれる所以であった。
そんな彼女を、明帆は幼なじみという腐れ縁と純粋なる友情で放っておけないわけだが。
「もーっ、この話題止めよ! せっかく久しぶりに会えたのにぃ」
「僕が呼び出されただけだがな」
今は春休み中。
家に引きこもっていた彼に、再三にわたって誘いのメッセージや電話が来たのは昨日のこと。
「で、何買いたいんだよ」
「ええっとぉ……」
なにやら親戚のお兄さんだかに、プレゼントを贈りたいとかで一緒に選んで欲しいという内容だった。
(てか。アイツが男にプレゼントか)
珍しいこともあるものだと、素直に思う。むしろ珍し過ぎて、明日は雪でも降るのではないだろうかとも。
「その親戚のお兄さん、ってヤツは何歳なんだ?」
「え……」
彼の問いに固まる少女。
「え、じゃない。大体の年齢くらいわかんないと、選びようがないだろ。社会人か?」
「う、ううん」
「じゃあ学生か。大学生?」
「あー……ううん」
煮え切らない返事。まさかプレゼントを贈りたい程に、気になっている (であろう)男の年齢くらい大体知らないのだろうか。
(しかも親戚――ん? でもアイツにそんな付き合いのある親戚いたのか)
家族ぐるみでの関わりのある幼なじみのことである。今まで聞いた事がない話に、内心首を傾げる。
「高校生か」
「う……」
「なるほど」
お兄さん、と言ってもそう離れていないらしい。
明帆は軽くうなずくと、再び歩き出した。
「あ、明帆!」
「まず適当に見に行ってみようぜ」
慌てた様子で小走りしてくる幼なじみが、少しだけ可愛らしく思える。
俯いて足元ばかり見ている彼女だが、その耳は一目見てわかるほどの真っ赤に色付いていた。
「おい。転けるぞ」
「ゔっ……あ!?」
老婆心で声をかければ、驚かせてしまったらしい。何も無いところでつまづいた彼女は、アスファルトの地面にバランスを崩し倒れ込んで――。
「言わんこっちゃない」
「あ、明帆……」
咄嗟に出した手で、身体ごと支えた。
服越しでようやく分かるしなやかな筋肉に、彼は少し眉をよせる。
(僕も少し鍛えてみようかな、なんて)
ぶっちゃけ、悔しかったのであった。
「あのっ」
「ん?」
手を離そうとすれば、切羽詰まった声。顔を向ければ、大きな目を少し潤ませて赤面した彼女の顔が目に入ってきた。
「わ、わたし……」
「どうした。熱でも――」
「ちゃんと聞いてよっ! わたしね、実は……」
その時だ。
「明帆さん」
後ろから腰に抱きついてくる身体。彼より小柄で細く長い腕に、姿を見ずとも分かる。
「お、泰親じゃないか」
返事の代わりに、背中に顔を擦り寄せられた。まるで甘えんぼうの子どもか、猫のようだと小さく笑う。
「珍しいなぁ。そっちも春休みだろう?」
「うん……」
すりすりすりすりすり、背中を擦られる。学校が休みになって、こうやって姿を見るのは久しぶりだった。
(相変わらずだよなぁ、泰親は)
穐山 泰親、近くの学校に通う中学生。
ひょんなことから明帆と知り合い、それから何かと懐いてくるようになった。
「ほら、ちゃんとこっち向けってば」
「明帆!?」
ひっつき虫のような少年に向き直り、視線を合わせた。
鼻白んだ様子の彼女の声もお構い無しに、彼のもっさりと長い前髪をかきあげる。
「すぐ伸びるなぁ。また切ってやろうか」
「やだ。明帆さん、ヘタクソだから」
「おいおいおい。ひでぇな! 結構良い感じにカット出来てただろうがよ」
「普通にパッツンは、ない」
「うるせぇ。大人しく、僕の練習台になりやがれ!」
やいのやいのと言いながらも、明帆は泰親の身体をさりげなく触っていた。
別にセクハラ目的だとか、そういうアレな理由ではない。
(また少し痩せたな。それに、ここに触れると少し痛そうな顔をする……服の下に痣があるかもしれない)
言ってみれば観察である。
なぜなら、泰親はいわゆる被虐待児だから。
まず出会いが少々特殊だった。遡ること三ヶ月ほど前の夜中、勉強に疲れ切った頭を冷やそうと外に出た明帆はある光景を目の当たりにした。
大きな橋から飛び降りようとする、黒い影。
その足元には靴と、恐らく遺書だろう。キチンとそろえられたそれを見て、思わず飛び出した。
欄干から引きずり下ろし、馬乗りになる。その時の彼の顔が、今でも忘れられない。
色の悪い顔色に、表情のごっそり抜け落ちた空虚な瞳。ポカンと開いた口元。
不気味なのと同時に、強い胸の痛みを感じた。
これが『胸が締め付けられる』という事なのだと、後に理解する。
――しかし明帆が、自殺の原因を訊ねることはなかった。むしろアレが自殺未遂なのかと、問いただしたことすらない。
ただ黙って、抱きしめただけ。震えを止めたいのは相手なのか自分なのか。
真夜中の橋の上、男二人で抱き合う。
それからは不器用でコミュ障な少年と、自然体で接する高校生と。友情なのかなんなのか、よく分からない関係は続いた。
とはいっても、特別なことはない。
顔を合わせれば言葉を交わし、たまに公園や河原やバス停などで肩を並べて時間を過ごす。
他愛のない雑談や、居心地の悪くない沈黙。こうやってじゃれ合うこともある。
でもその時に知ったのだ。彼が、兄から身体的な暴力をうけていることを。
(イジメもあるんだろうな)
泰親の口から直接聞いたことはない。しかし、語らずとも明白だった。
地元で、しかも彼自身も通っていた中学校だ。ちょっとしたウワサくらいは耳に入ってくる。
小さい頃からいじめられっ子で、不登校は当たり前。そして家庭環境もこうとなれば、死にたいと願う事もそれを実行に移そうとすることも。仕方の無いことなのかもしれない。
同情はしたくないが、やはり胸が痛むのだ。
「ねぇ明帆ってば!」
ぷぅぅ、と頬を膨らませた彼女が声を荒らげる。
「買い物付き合ってくれるんでしょ!?」
「っと……あぁ、そうだったな」
腕を引かれ、その予想外の強さに身体が引っ張られる。こう見えてやはり腕力はすごいのだ。
さすが吹奏楽部なのに運動部からスカウトされるだけの事はある。
「明帆さん」
それでもまだ腰にくっついて離れない泰親。
彼女の方をチラリとも見ず、上目遣いで見つめてくる。
「ぼくも、一緒に行っていい?」
「えっ。でも良いのかよ。用事とか――」
「無いから。明帆さんと一緒に居られる以上の大切な用事なんてこの世に存在しないから」
「お、おぅ……」
即答で返され、しかも真剣そのものな表情にタジタジとなる。
そうこうしているうちに、更に強く腰を抱き寄せられた。
「お願い、明帆さん」
「だ、だけど……」
一瞬だけ彼女の方を見ると、まさに鬼の形相。いつもは朗らかな色の瞳には、あからさまな敵意が滲んでいる。
(さすがにまずいか)
幼なじみが自分との約束の中で、勝手に年下の友達を連れてきたら気まずいかもしれない。
実際は『違う、そうじゃない』ってところなのだが。彼にはそれが分からない。
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