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瘴気の森

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 獣道を歩き、倒れた木々を分け入って。
 鳥の声一つ聞こえぬ静寂の森。不気味さと共に強い緊張が広がる。

「……チッ。くせぇな」
 
 ボソリと呟かれた言葉に、他の3人は足を止める。
 言ったのはトマスだ。

「どうしたの?」
「シモン、お前にゃ分からんかもしれんが。ここは、かなりヤバいぞ」

 キョトンとするシモンをよそに、ルイトとイゼベルは小さくうなずく。
 彼が指しているのは、言ってみれば魔法の痕跡。
 魔法は、発動させればその痕跡が残る。それは強大なものになればなるほど、強く濃く感じる事が出来るのだ。
 それは魔力を持つものだけが感じることのできるもので、その感知の仕方は個人差がある。

 特にトマスは、嗅覚きゅうかく (臭い)によっても感じることができるようで。

「ひどい臭いがする。これは相当タチの悪い黒魔法だ」

 なんて顔をしかめている。

「確かに、この辺りから空気が灰色ですね」
「肌がチクチクするな……」

 イザベルとルイトもまた、それぞれ色彩と肌感覚で感知しているらしい。分からぬのは、根っから魔力を持たない剣士のシモンのみだ。
 首をかしげながら、鼻をくんくんさせたり目を凝らしたり。腕の装備を外してみたり。不思議そうである。

「やはりキメラ獣を創った奴らが、この辺りにいるんだろうか」
「そうかもしれませんね、これほどの瘴気しょうきに満ちているのですから」
「ああ、臭いは向こうの方からだ」

 今度は三人が、うんうんとうなずいている時だった。

「なんかボクだけ仲間外れみたい……」

 完全にすねてしまったシモンが、しゃがみこむ。
 しかしこればかりは、生まれ持った体質なので仕方がない。ただ、確かに面白くはなかろうとルイトは彼の肩を軽く叩く。

「気にすんなよ、僕がちゃんと君をアシストしてやるさ」
「ルイトさんっ♡ じゃあボク頑張りますね!」
「お、おう……」
「よーしっ、がんばるぞぉぉっ!!」

 一変して元気になった彼の様子に、ややひき気味だが。
 まぁ、そんなこんなで。四人は邪悪な気配の漂う森を突き進んでいくことになった。

(なんかおかしい)

 ルイトの頭の中に違和感と疑問が広がるのに、そう時間はかからなかった。
 そう広くはない森のはずであったのに、やけに鬱蒼と。そして広大な森。
 そして聞こえてくる奇妙な声は、鳥だろうか。
   
「イゼベル、トマス」
「ええ」
「わかるぜ」

 そう感じていたのは、二人も同じだったようで。
 
「ここは、あの森でしょうか」

 ぽつりと言葉を投げかけたのは、イゼベル。胸のロザリオをにぎりしめ、不安げな顔だ。

「どういう意味だ?」
わたし達……

 空間をこえる――。
 首を傾げた彼に、彼女は言葉を慎重に選ぶように口をひらいた。

「空間、というと少し違うかもしれませんが。少なくても、わたしたちが先程までいた森ではなさそうです」

 どうも曖昧な表現だが、実際イゼベルも状況を判断しかねているようだ。
 しかしその時。
 
「うっ……」
「おい、大丈夫か」

 見ればシモンの顔が青ざめている。今にも膝から崩れ落ちそうな様子で、ガタガタと震えていた。

「シモン!」
「な、なんか……すごく……っ、寒くて……」

 とっさに手を差し伸べれば、あっけなくその場に倒れ込む。その身体は、触れるだけで分かるほどに冷たく。まるで氷のようで。

「どうしたんだ。おい、シモン!!」
「ルイト……さん……ボク……」

 みるみるうちに色を無くす唇。浅い呼吸を繰り返す胸も弱々しく、今にも止まってしまいそうだ。

「おいっ、一体なにがどうしたっていうんだ!?」

 なにか特殊な呪術。つまり魔法攻撃を受けたのか。
 今さっきまで元気にしていたのに。どんどん冷えていく身体に、焦りがつのる。

「ルイトさんっ、離れてください!」

 イザベルが鋭く呪文を唱える。
 まばゆい光が辺りに弾け、彼を包み込んだ。しかし。

「っ、ダメです……これは……っ」

 どんどん弱まる光。
 彼女の放った回復魔法は効かないどころか、逆にその魔力を吸い取られているという。
 そして見れば。シモンの身体から黒い影のような塊が湧き出て、光を包みこまんとして――。

「危ねぇッ!」

 トマスがイゼベルを突き飛ばす。

「きゃっ!?」

 勢いよく転げた彼女がさっきまでいた場所に、黒い火炎が激しく立ち上った。
 あと一瞬遅かったら。たちまち火だるまになり、骨すら残らなかったかもしれない。それだけ邪悪で危険な闇の劫火であった。

「トマス。ありがとう……」
「そんなことより、これはマズイぜ」

 見ればもう、シモンの身体はだらりと弛緩している。わずかに開いた瞼からは、血走った白目が覗いていた。
 誰が見ても尋常ではない。

「なあ二人とも」

 ルイトは森の奥を見すえた。

「もしこれが呪術のたぐいであるんなら、どこかに

 あくまで魔法というのは、掛けるものと掛けられるもの。それが明確になっていることが多い。
 つまり。彼をこんな風にした者がこの森のどこかから、彼らを監視しているのだ。

「君たちは、とにかく彼をなんとか持ちこたえさせてくれないか。そして出来れば、この場から退却しろ」
「ルイトさんは?」
「僕は、少し探索をしてからだ」
「!」

 剣をにぎりしめる。

「そんなっ、危険です!」
「そうだぞ! ここは一旦、退避して立て直さねぇと」

 二人の言葉に首をよこにふる。

「いいや。それじゃあ事態は治まらないだろう」

 よしんばここから逃げおおせたとて、彼にかかった死の呪いは解けないだろう。それは執念深い蛇のように、どこまでも追ってくる黒魔法。
 その恐ろしさはもう今は昔。国に多くを禁じられているのだ。 
 しかし書物や伝聞の中で、その恐ろしささは知られている。

「大丈夫、僕には武器がある。そして、もだ」

 服の下のポケットをそっとたたく。
 そこには幼い娘が気に入って着ていた服の端切れ。長いこと着ていたが、最近小さくなって着れなくなったそれは。宿屋の女主人であるロロがプレゼントしてくれたものだった。

「ルシアの手がかりがあるかもしれない」

 ほんの針の先に灯る光より小さな希望。だとしても、必死につかみ取りたい。
 ルイトの決意に、二人は唇を噛んでうなずいた。

「……ごめんなさい」
「何を謝ることがあるんだ。シモンを頼んだぞ。そして――」
 
 若き冒険者たち。恩人でもあり、もはや戦友なかまでもあった彼らに微笑む。

「死ぬな。生きて、会おう」

 これが冒険者というものだ。
 生きるためとはいえ。村を出てたった一人、身を置いた場所。
 そこで彼は伝説としか知らぬ強大で邪悪とされる存在と、対峙することになる。



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