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50.母
その後暫くして裸のまま横になっていた朔の元に制服や下着、荷物等が乱雑に投げ付けられた。
柏木はそのまま朔に言葉をかけることもなく無言で部屋を出ていってしまった。朔はゆっくり起き上がり、力なく衣服を身につけていった。
鞄の中のスマホを目にすると、哲史や母から何件かメッセージが入っていた。
『朔、大丈夫か?』
『手術したのか?』
『早く元気になってくれよ』
哲史から身を案じるような連絡が何件も入っていた。
『本当に友達の家なの?』
『朔のこと信用してるから煩くは言わないけど、最近ちょっと心配です』
母親からも心配する連絡が入っていた。
そのままメッセージを遡るとやはり柏木の言う通り勝手に連絡を送ってる形跡があった。指紋認証で開けられたのだろうか。どちらにせよ、もう携帯を替えようとそのメッセージに目を通しながらぼんやり考えていた。
柏木の部屋から出て拓人の部屋の前を通り過ぎる。やはり今も物音1つなかった。玄関までたどり着くと自分の靴が用意されていた。
リビングもまた静けさを保っていて、いつの間にかあの間中という女性も居なくなっているようだった。
朔はふらつく足元に力を込めて玄関に出てくる気配の無い柏木を少し気にしつつもそのまま家を後にした。
柏木の家を出て大通りでタクシーを拾い家に着いたのは24時近くだった。自分の家に着くと窓から電気の明かりが漏れていた。今日は母親が家にいる日だった。思わず気まずさと緊張を感じる。
朔はタクシーを降りて改めて自分の身なりを見える範囲で確認する。怪しまれないように、悟られないように、絶対にバレないように──。
それを意識して玄関のドアを開けると、その音を聞きつけた母が勢い良く玄関にかけてきた。
「朔!こんな時間に…連絡も全然返さないし、何してたの!」
母は珍しく怒っているようだった。朔はその様子に一瞬怯む。母親には、あの事件以降怒られた記憶が無かった。
「…ごめん…。普通に友達と盛り上がって。」
朔は俯いたまま靴を脱ぎ母の隣を通り過ぎようとした。
「待って朔。あなた顔色とても悪いわ。それにそのおでこの傷や頬の腫れはどうしたの?ねぇ、本当はどこに居たの?」
いつもなら詮索してこない母親が珍しく食い下がってくる。朔も思わず戸惑った視線を母親に向けた。母親は真剣で不安そうな眼差しで朔を見つめ返してきた。その視線を見ると、やはり過去のあの、見つかってしまった瞬間や母親の憔悴しきった様子を思い出して罪悪感と息苦しさで心が押し潰されそうだった。
「……彼女…出来たんだ……」
朔はその視線から逃れたい一心で、つきたくもないしょうもない嘘をつくしか無かった。
「…そうなのね。それは良かったけど……」
母親は一瞬驚いた表情を見せた後、どこかほっとしたような表情を見せた。でも完璧に納得はしていない、どこか腑に落ちない様子だった。
「…だから……、色々あんだよ…。これ以上はいいだろ…」
朔はそれ以降の嘘をつき通す自信が無く言葉を濁した。そして本当の事なんて言える筈もなく嘘をつかざる得ない状況なのは重々承知だが、ひどい罪悪感に襲われた。
そのまま母親を振り切るように進み自室に篭った。
久しぶりに帰ってきた自分の部屋に安堵し、緊張が一気に解けてドアの前で脱力ししゃがみこむ。
さっき母親に彼女がいると言った時、母親は安心していた。それに気づいてしまった時の罪悪感と自己嫌悪。
母は朔が過去のトラウマを乗り越えたと勘違いをして安堵していたのだろう。
母親は全て知っている。
あの事件の経緯を全て知っている数少ない人物。
全て知っているのは、母親、拓人、母の友人の精神科の先生だけだった。
朔がどんな目に遭ったのかを全て知っているからこそ、「彼女」という存在に安堵したのだ。
朔と拓人の関係を一番初めに疑ったのは母親だった。最初は朔の兄のように接してくれ頼りになる存在の拓人に深い信頼を寄せていた。でも日に日に2人の様子に違和感を感じ始めた母親は、ある日疑いたくは無かったが、朔の部屋の前で様子を伺っていた。そして二人の関係を知った。
そこからは朔にとっても母にとっても地獄のような日々だった。
朔は許容しきれない出来事にパニックを起こし毎日泣いて怯えて過ごしていた。その時の曖昧な記憶は朔にも残っている。
そして朔は事件のせいで男性恐怖症のような症状を見せるようになった。そのせいで学校へは通えなくなった。
ちょうど事件が明るみになったのは春休み前。そこから休みまでの間は学校にも行けず朔は塞ぎ込み、泣き、怯え、そのまま自分の命を絶ちかねない程の危うい精神状態だった。
見かねた母親は、精神科で女医をしている学生時代の友人のいる病院に朔を通院させた。今住んでいる街から車で40分程と決して近い距離ではなかったが、母親は週4、5日という高い頻度でそこに朔を通院させ送り迎えをした。その間仕事もセーブした。朔の通院をサポートしていたタイミングで母親は父とも離婚していた。母にとって第一優先は朔だった。
朔も春休み期間で通院し、カウンセリングを受けていくと少しづつ冷静さを取り戻していった。それと同時に防衛本能かのように、拓人との出来事が思い出せなくなっていった。朔は、その記憶を失うことの対価として精神の安定を得ることが出来た。
ただ、どうしてもふとした時に記憶が蘇りそうになる事はよくあった。特に寝起きや暇な時間、勉強机に向かっている時間等に急にフラッシュバックするように記憶の波がなだれ込んできそうになった。
朔はそれらを掻き消すために春休み明けから人が変わったようになった。
明るくて誰とも分け隔てなく接していた性格のせいで事件に巻き込まれた。そう思った朔は休み明けから人を寄せ付けない、無気力な性格へと変わった。そして過去の自分と決別するきっかけに髪を染め敢えて非行グループに入り悪事を働く事で暇な時間を減らし勉強から離れ記憶を、過去を無かった物とした。
朔は部屋の中を見渡す。
この部屋は当時と別の部屋。今は元父の部屋を自分の部屋とした。それは朔の意向というより母親の取り計らいだった。
母親はとにかく必死だったように見えた。記憶を一切封じ込めるように、朔の悪事にもただ学校に頭を下げに行き、勉強をせず無気力で悪さしかしない朔を黙って見守っていた。決して朔を責めることはしなかった。
そして、ぼんやり思い出せる母との記憶から、事件後の母親はどこか朔から一歩引いたような対応をするようになった気がする。深く追求しない、怒らない、責めない。そしてたまに何か考え込むように朔を見ていることを、朔は知っていた。
追求されないことで有難いことも多かったが、どこかやるせない気持ちを抱くことも時々あった。結局今までもこれからも母親へは迷惑しか掛けていないということか、と自分を責める気持ちが沸いた。
高校に入学すれば少しでも恩が返せると思ったのに、結局こんなことになってしまって朔は途方に暮れていた。
朔は制服をハンガーに掛け、服を着替えてそのままベッドの上に横になった。何にも怯えず眠れるのが懐かしいとさえ思った。
空腹もあったが、今はとにかく眠りたかった。
朔はベッドに横になるとすぐに眠気に襲われる。眠る前に柏木の家に監禁される前に願掛けをしたお守りの存在が頭の中を過ぎった。結局願掛けをしても酷い目に遭った。それは願掛けの効果が無いのか、はたまた願掛けのおかげで殺されずに済んだのか…もう、それすら考える気力も無い。それでも何かに縋りたくて朔は眠気で意識が朦朧とするなかで、平穏な日常を願いながら瞳を閉じた。
柏木はそのまま朔に言葉をかけることもなく無言で部屋を出ていってしまった。朔はゆっくり起き上がり、力なく衣服を身につけていった。
鞄の中のスマホを目にすると、哲史や母から何件かメッセージが入っていた。
『朔、大丈夫か?』
『手術したのか?』
『早く元気になってくれよ』
哲史から身を案じるような連絡が何件も入っていた。
『本当に友達の家なの?』
『朔のこと信用してるから煩くは言わないけど、最近ちょっと心配です』
母親からも心配する連絡が入っていた。
そのままメッセージを遡るとやはり柏木の言う通り勝手に連絡を送ってる形跡があった。指紋認証で開けられたのだろうか。どちらにせよ、もう携帯を替えようとそのメッセージに目を通しながらぼんやり考えていた。
柏木の部屋から出て拓人の部屋の前を通り過ぎる。やはり今も物音1つなかった。玄関までたどり着くと自分の靴が用意されていた。
リビングもまた静けさを保っていて、いつの間にかあの間中という女性も居なくなっているようだった。
朔はふらつく足元に力を込めて玄関に出てくる気配の無い柏木を少し気にしつつもそのまま家を後にした。
柏木の家を出て大通りでタクシーを拾い家に着いたのは24時近くだった。自分の家に着くと窓から電気の明かりが漏れていた。今日は母親が家にいる日だった。思わず気まずさと緊張を感じる。
朔はタクシーを降りて改めて自分の身なりを見える範囲で確認する。怪しまれないように、悟られないように、絶対にバレないように──。
それを意識して玄関のドアを開けると、その音を聞きつけた母が勢い良く玄関にかけてきた。
「朔!こんな時間に…連絡も全然返さないし、何してたの!」
母は珍しく怒っているようだった。朔はその様子に一瞬怯む。母親には、あの事件以降怒られた記憶が無かった。
「…ごめん…。普通に友達と盛り上がって。」
朔は俯いたまま靴を脱ぎ母の隣を通り過ぎようとした。
「待って朔。あなた顔色とても悪いわ。それにそのおでこの傷や頬の腫れはどうしたの?ねぇ、本当はどこに居たの?」
いつもなら詮索してこない母親が珍しく食い下がってくる。朔も思わず戸惑った視線を母親に向けた。母親は真剣で不安そうな眼差しで朔を見つめ返してきた。その視線を見ると、やはり過去のあの、見つかってしまった瞬間や母親の憔悴しきった様子を思い出して罪悪感と息苦しさで心が押し潰されそうだった。
「……彼女…出来たんだ……」
朔はその視線から逃れたい一心で、つきたくもないしょうもない嘘をつくしか無かった。
「…そうなのね。それは良かったけど……」
母親は一瞬驚いた表情を見せた後、どこかほっとしたような表情を見せた。でも完璧に納得はしていない、どこか腑に落ちない様子だった。
「…だから……、色々あんだよ…。これ以上はいいだろ…」
朔はそれ以降の嘘をつき通す自信が無く言葉を濁した。そして本当の事なんて言える筈もなく嘘をつかざる得ない状況なのは重々承知だが、ひどい罪悪感に襲われた。
そのまま母親を振り切るように進み自室に篭った。
久しぶりに帰ってきた自分の部屋に安堵し、緊張が一気に解けてドアの前で脱力ししゃがみこむ。
さっき母親に彼女がいると言った時、母親は安心していた。それに気づいてしまった時の罪悪感と自己嫌悪。
母は朔が過去のトラウマを乗り越えたと勘違いをして安堵していたのだろう。
母親は全て知っている。
あの事件の経緯を全て知っている数少ない人物。
全て知っているのは、母親、拓人、母の友人の精神科の先生だけだった。
朔がどんな目に遭ったのかを全て知っているからこそ、「彼女」という存在に安堵したのだ。
朔と拓人の関係を一番初めに疑ったのは母親だった。最初は朔の兄のように接してくれ頼りになる存在の拓人に深い信頼を寄せていた。でも日に日に2人の様子に違和感を感じ始めた母親は、ある日疑いたくは無かったが、朔の部屋の前で様子を伺っていた。そして二人の関係を知った。
そこからは朔にとっても母にとっても地獄のような日々だった。
朔は許容しきれない出来事にパニックを起こし毎日泣いて怯えて過ごしていた。その時の曖昧な記憶は朔にも残っている。
そして朔は事件のせいで男性恐怖症のような症状を見せるようになった。そのせいで学校へは通えなくなった。
ちょうど事件が明るみになったのは春休み前。そこから休みまでの間は学校にも行けず朔は塞ぎ込み、泣き、怯え、そのまま自分の命を絶ちかねない程の危うい精神状態だった。
見かねた母親は、精神科で女医をしている学生時代の友人のいる病院に朔を通院させた。今住んでいる街から車で40分程と決して近い距離ではなかったが、母親は週4、5日という高い頻度でそこに朔を通院させ送り迎えをした。その間仕事もセーブした。朔の通院をサポートしていたタイミングで母親は父とも離婚していた。母にとって第一優先は朔だった。
朔も春休み期間で通院し、カウンセリングを受けていくと少しづつ冷静さを取り戻していった。それと同時に防衛本能かのように、拓人との出来事が思い出せなくなっていった。朔は、その記憶を失うことの対価として精神の安定を得ることが出来た。
ただ、どうしてもふとした時に記憶が蘇りそうになる事はよくあった。特に寝起きや暇な時間、勉強机に向かっている時間等に急にフラッシュバックするように記憶の波がなだれ込んできそうになった。
朔はそれらを掻き消すために春休み明けから人が変わったようになった。
明るくて誰とも分け隔てなく接していた性格のせいで事件に巻き込まれた。そう思った朔は休み明けから人を寄せ付けない、無気力な性格へと変わった。そして過去の自分と決別するきっかけに髪を染め敢えて非行グループに入り悪事を働く事で暇な時間を減らし勉強から離れ記憶を、過去を無かった物とした。
朔は部屋の中を見渡す。
この部屋は当時と別の部屋。今は元父の部屋を自分の部屋とした。それは朔の意向というより母親の取り計らいだった。
母親はとにかく必死だったように見えた。記憶を一切封じ込めるように、朔の悪事にもただ学校に頭を下げに行き、勉強をせず無気力で悪さしかしない朔を黙って見守っていた。決して朔を責めることはしなかった。
そして、ぼんやり思い出せる母との記憶から、事件後の母親はどこか朔から一歩引いたような対応をするようになった気がする。深く追求しない、怒らない、責めない。そしてたまに何か考え込むように朔を見ていることを、朔は知っていた。
追求されないことで有難いことも多かったが、どこかやるせない気持ちを抱くことも時々あった。結局今までもこれからも母親へは迷惑しか掛けていないということか、と自分を責める気持ちが沸いた。
高校に入学すれば少しでも恩が返せると思ったのに、結局こんなことになってしまって朔は途方に暮れていた。
朔は制服をハンガーに掛け、服を着替えてそのままベッドの上に横になった。何にも怯えず眠れるのが懐かしいとさえ思った。
空腹もあったが、今はとにかく眠りたかった。
朔はベッドに横になるとすぐに眠気に襲われる。眠る前に柏木の家に監禁される前に願掛けをしたお守りの存在が頭の中を過ぎった。結局願掛けをしても酷い目に遭った。それは願掛けの効果が無いのか、はたまた願掛けのおかげで殺されずに済んだのか…もう、それすら考える気力も無い。それでも何かに縋りたくて朔は眠気で意識が朦朧とするなかで、平穏な日常を願いながら瞳を閉じた。
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