ぺトリコール

皓 气

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「そこまでだ!」
拡声機を通した声が辺りに轟いた。目を凝らして望月の後ろの方を見ると三人の警察官が姿を見せたのだ。
しおさい公園を抜けて奥の岬まで追いやられていた薫と葵には、逃げ場など残っていなかった。後ろは崖、柵から身を乗り出して下を覗けば荒れ狂う波が激しい飛沫をあげている。
とりあえず葵が巻き込まれるのだけは避けたかった。
「危ないから俺から離れてろ」
そう言ったのに、葵は怖かったのか繋いだ手を離すどころか腕を強く握り返した。
放っておけない性格の葵は、薫の命も狙われていると知って余計に佇んでいる。
こうなると葵は何を言っても動かない。
くそ、落ち着け、考えろ。どうすればいい。どうすれば今を打破できるんだ。
脳内で策を探し回っているのが表情に出ていたのか、望月はフッと鼻で笑ってみせて口を開いた。
「今さら逃げたって意味は無いぞ?」
不気味に笑って見せた望月は位置のズレた丸メガネを中指で戻して、こちらに少しずつ歩み寄ってくる。
あまり動揺していない様子から、警察がやって来ることは想定内だったことを意味していた。
「さぁ、そのベンチにでも腰掛けて話し合おうじゃないか」
顎で二人の左手にあるベンチに座るよう促した。
「従うもんか」
「本当に世話を焼かせるねぇ。そんなに拒んだら強行策に出るしかないじゃないか。そんな恐ろしい真似を私にさせないでくれ、これでも一応だが心が痛むんだよ」
「お前一人に屈するもんか!今や警察だってお前のことを狙っているんだぞ」
「ん?何か勘違いをしていないか?」
どういうことだ、眉を顰めると同時に眩むほどの強い光が薫の目に差し込んできた。
「これは何だ!」
今は夜のはずなのに真っ昼間のように明るい。人影さえも風景に溶けてしまっている。いきなり目の前に現れたこの明るさに慣れるまで、そう長くはかからなかった。
反射的に掌を林道の方に向け両目を遮っていた右手を徐に下ろすと、迷彩柄にヘルメットを被った数十人もの軍人が銃を構えて睨んでいた。
「驚いたか?」
はははと笑い飛ばした丸腰でスーツ姿の望月は、堂々たる仁王立ちを見せつけている。まるで虎の威を借る狐だ。
「申し訳ないが、警察や国の特殊部隊は君たちの味方ではない」
目玉をひん剥いて、そう吐き捨てた。
「私はね、裏で警察と手を組んでいるのだよ。だから事件の件についても僕のことを信じて疑わないのさ」
警察が望月と手を組んでいるなら為す術もなさそうだ。
その時、また拡声機から警察の声が飛んできた。
「早く銃を捨てて降伏しなさい!」
その場に流れた一寸の沈黙は、望月も含め薫や葵にとって、警察が謳っている意味を理解するには短過ぎた。
「は!?おいおい警察さんよ、話が違うじゃないか!今日呼んだのも抽選に不服を申立てた高崎薫を月へ連れていくために身柄拘束するんじゃなかったのか?俺に何の用があるんだ!」
さっきまでの鷹揚な態度は跡形も無く、分かりやすいほどに狼狽している。
「我々は以前と変わらず高崎薫を追っているのは事実だ。しびれを切らした国からの指示でな」
「じゃ、じゃあ何故この私が降伏しなければならないんだよ!」
食い気味に警察側の頭は口を開いた。
「今日だけは用が違う。望月稔さん、十五年前の轢き逃げ事件の容疑者として身柄を拘束しにきた」
「は・・・・・・?いや、待てよ。確かに俺は容疑者として浮上している。けど警察と手を組んで協力だってしている。それでも俺を疑うのか?」
望月の情けない説得に微塵も心が動かない警察の頭は、険しい顔で話した。
「充分な証拠は揃っているんだ。望月さん、もう我々は貴方の味方ではない」
完全にブーメランである。人は誰かを裏切ろうとする時に、同時に何かを失うものだ。まさに典型的な事例だ。
「くそっ・・・・・・まぁいい。もう俺には失うものなんてないんだ、何も怖くない」
二重人格かのように裏の顔を見せ始めた。
三人の警察官は望月を、無数に銃を構えている後方の特殊部隊は薫と葵を狙っていた。
腹を空かせた狼が眼を光らせて獲物を狙うように、無数の銃口がこちらを向いていた。
「最後に問う。お前の答えは何だ」
望月の問いかけに対し、腹を括ったように薫は答えた。
「勿論、俺は考え直す気なんてない」
その瞬間だった。
遠くの方で耳を劈くほどの凄まじい爆発音が轟いた。
「今のは一体なんだ!」
「確認中です!」
辺りは騒然としている。
燃え盛る混乱の中、油を注ぐように一人の隊員が顔を真っ青にして叫んだ。
「国が発射した対空ミサイルで間違いありません!」
「なんだと!?」
完全に特殊部隊や警察側も気が動転している。
「もう一発ミサイルが飛んでくる模様です!」
「まだ俺たち特殊部隊がここにいることを本部は知らないのか!」
「それはありえません!我々の現在地はGPSで常に本部へと発信し続けられています」
「なんだと・・・・・・」
巡査部長は何かを悟ったのか、妙に落ち着いた口調で続けた。
「つまり時間が無いという理由で、我々諸共ターゲットを吹き飛ばそうってことこか」
「そのようです」
さっきまでの良い威勢はどこへやら、完全に軍は萎れてしまっている。この様子だと、ミサイルの話など聞かされておらず裏切られた同然であった。
「時間がありません!」
さらに焦燥を焚きつける部下に巡査部長は苛立ちを隠しきれない様子だ。暫くすると望月は腹を括ったような表情でこちらを向いた。
「今は対立している状況じゃないらしい。お前、あのミサイルどうにか出来るか」
僕らに向かって飛んでくる弾道ミサイル。
撃ち落とすことが出来なければ、ここにいる全員が死を待つのみになる。しかし、あんなにも大きく脅威的なものをどうしろと言うのだ。
突然投げかけられた難題に狼狽える薫の焦点は合わずにいた。
おそらく五分も経たない内に、ここにいる全ての命が灰になってしまう。万が一標的が葵一人に向けられてしまっても僕が身体を壊してまで守ってやらなくちゃいけない。結果的に無理であっても策を編み出してもがいてやる。
どうやら何かを思い付いたのか、目の色を変える。周りをキョロキョロと見渡して再び前を向いた薫が薄紫色の唇を開いた。
「望月さん、さっき煙草を吸っていましたよね?ライターお持ちですか?それとパトカーの鍵も」
「あぁ持ってるさ。それがどうした」
「少し貸してください、必要なんです」
「ライターひとつとパトカーであのミサイルに対抗するつもりか?」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに嘲笑した望月は、胸ポケットに潜ませていたライターとパトカーの鍵を薫に投げた。
両手で受け取り足早にパトカーに向かう薫を望月が止める。
「おい待て」
「なんですか、時間が無いんです」
不安と焦燥でいっぱいの風船のような薫の心に、望月の言葉の針が触れる。
「パトカーに乗って自分だけ逃げようって考えじゃないだろうな」
「まさか、そこには守るべき人が残されているんですよ」
「じゃあ一体それを使ってどうするって言うんだ」
「説明している時間は無いので見ててください。出来るかどうかはやってみないと、もうこれしか方法はありません」
「まだは信用できない」
「ならば一緒についてきてください」
そう促された望月は薫の後を付いてパトカーへと向かった。

葵からは遠すぎてパトカーの前で薫と望月の話している内容が分からない。薫が離れて一人となった途端に不安と恐怖が波のように押し寄せる。震える身体を抑えるのに必死だった。
やがて二人はパトカーに乗り込み、林道へと消えていった。
「おい!嘘だろ逃げたのか」
葵の監視を命じられた部下達が、薫たちが自分たちを置いて逃げたと混乱し騒いでいた。
まるで薫が責められている感覚に陥ったのか、その状況を見て叫んだ。
「薫が逃げたりなんかしない!」
ギュッと拳を握りしめ瞼を閉じた葵が顔を上げると、絶望の色した彼らの目からは棘ついた視線が伸びていた。
もう今は何を言っても裏切られたことによる人間の形をした憎悪の塊でしかないと、葵は悟った。しかし葵も心の隅っこには見捨てられた可能性が静かに蠢いていた。
「ん?なんだあの光」
未だ葵に銃口を向け続ける部下の一人が、林道の奥の方を指して言った。
その言葉に惹かれ葵も目線を林道の奥へとやる。
「なんかやけに明るくないか?」
誰かが何かの異変に気がついた。
すると死の足音が近づく暗闇の中から、夜行性の猫の眼のような二つの光が林道の奥から見え隠れしていた。じっと凝視しているとその光が大きく強くなり始め、やがてその光は一つに溶けた。
「薫?」
そう葵が呟いたのは、先ほど薫と望月が乗り込んだパトカーが凄まじいスピードを出して姿を現したからだ。車で逃走中の犯人を追跡しているくらいの速さだろうか。
さらに今気付いたが妙に明るかったのは、車内が燃え盛っているからだ。
葵をはじめ部下たちも全員、二人が何をしているのか分かっていない様子だ。
林道を勢いよく走る火だるまのパトカーを見て寒気がした葵は思った。このままのスピードじゃ崖から落ちるんじゃないかと。いや、もう手遅れだ。今からブレーキを踏んでも間に合わなさそうだ。薫がいなくなる、直感的に思った葵の目では涙が湧いていた。
「もう私を、私を一人にしないで!」
無意識に叫んだ瞬間、林道を抜け岬に出たパトカーはフロント部分に草木や枝を乗せたまま鳥が飛び立つように崖を羽ばたき、大爆発を起こした。
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