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午
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その日の夜のこと。
帰ってきた二人は各々部屋に荷物を置きに行った。一人になった途端、忽ち不安と孤独感に襲われるような、足が宙に浮いたままのような、そんな気持ちだった。もうすぐ火葬するかどうかの答えを葵に聞くため再び施設に望月が訪れるからだ。まるで時間が止まったように思えたが、部屋に置いてあった砂時計は無慈悲に滴り落ちていく。確実に望月の足音が近づいているに違いない。
「いいか。落ち着いて、さっき話したこと言うんだぞ」
施設に帰ってきて青谷が用意してくれてた夕食を食べていた。望月のことで頭がいっぱいで、ろくに味を感じることも出来ず喉も通らない。テレビも点けていないので、時計が毎秒を刻む音や匙が皿と衝突する硬い音しか聞こえない。その静かな状況が今の緊張を余計に煽り、胸が騒いでいるのがよく分かる。二人の間に会話はない。
そんな静寂を切り裂くようにインターホンが鳴った。二人は無意識に目を合わせた。
「きたぞ」
「うん」
固唾を呑みこんだ葵の顔は引きつっていた。
「家には入れないように」
玄関の取っ手に汗ばむ手をかけた。
「はい」
「望月です。一昨日の返事を聞きにやって参りました」
まるで血の通わない凍りついたような笑顔を二人に向けた望月の目の奥は死んでいる。
一昨日会った時とは違う。もう薫と葵の目には、容疑者の望月としか映らなかった。
怖気付いたのか一歩後ずさった二人を前にして、望月は高圧的に話を続けた。
「二日間も考える猶予はあったんです。勿論返事は聞かせてもらえるんですよね?」
「あぁ、はい・・・・・・」
返事を聞けるとなると、さっきまで光を失っていた望月の瞳は今や爛々としている。
「火葬のことなんですけど、色々と調べて臓器提供とかで死後も役に立つと知ったので火葬はしないことにします」
葵はハッキリ伝えた。
すると、さっきまでの笑顔が嘘のように目の色を変えた。
「はい?それ考えたとは言わないですよ。絶対ダメです。そんなこと君の母親は望んでいない、きっと悲しむから・・・・・・!」
望月は分かりやすく焦っていた。
「死体に感情なんてありません」
今の文言に形があるならば、切れ味抜群の刀で一刀両断と言ったところか。焦って口調と息遣いが荒々しくなる望月を前にしても、葵は怯むことなく落とし込んだ。
「じょ、冗談じゃない・・・・・・そんなのさせるか!」
みるみるうちに望月の額に血管が浮き出てきた。後ずさる葵と薫。
「コイツは危ない。後ろに下がってろ」
葵の前に腕を突き出した薫は、望月との距離をとろうとした。その時、逆上した望月は内ポケットから拳銃を出しては銃口を二人に向けたのだ。
「おい、これが何か分かるだろ」
ほんの少しだけ時間はかかったが、目に映ったものが本物の拳銃であると認識した途端、まるで心の中で嵐を飼っているように二人は動揺した。
「君たさたちに考える余地を与え返事を待った。だけど君たちの選択肢は初めから一つしかなかったんだよ」
不敵な笑みを浮かべている。
どうすればいいのか分からない。ただこの状況で確かなのは一つだけある。それは逆らったりヘタな事をすれば間違いなく殺されるということだ。つまり何も手出し出来ないということ。
「何故そこまでして火葬を勧めるんだ」
今にも飛び出そうな心臓に蓋をして、気になっていたことを咎めた。
「うるさい!こうなった以上そんな事どうでもいい。今や世間は俺のことで騒いでるからなぁ、これはこれで悪くないよ」
望月の悪事が露わになって後悔どころか少しの反省も見られなかった。
「まさか十五年前に起きた弾轢き逃げ事件の犯人が望月さんだったなんて。よくそれで今まで葵に顔を見せれましたね」
今まで抑えてきた憤怒や憎悪の感情が爆発した。
「貴方みたいな犯罪者が時効によって世間に野放しにされたままなんてたまったもんじゃない。事件の全てと目的を話してもらいましょうか」
望月のことが憎たらし過ぎて、突きつけてくる銃への恐怖よりも闇の中に葬りかけられている事件を解明したいという気持ちが勝ったのか、恐れることなく望月の言葉を引き出そうとした。
「いいだろう。その代わりと言っちゃなんだが、僕のことを知ってしまった君たちはいつ警察に通報するか分からない。だから全て曝け出した後この手で君たちを始末する」
「始末・・・・・・」
聞き慣れない言葉を自分に当て嵌めてみるように想像してみると、サーっと顔から血の気が引いた。
「なんだ?怖いのか」
フッと鼻で嘲笑いながら望月は話を続けた。
「まぁそりゃそうだよな。本物の銃を向けられてるんだから。でも変な真似をせずに素直に従ってくれれば俺だって何もしないさ」
それは薫と葵に選択肢など無いことを意味していた。
「裏庭の竹林を抜けて岬まで出る、ついてこい。少しでも変なことしたら銃口が火を噴くからな」
「わ、わかった」
波打つ息を深く吐いて葵と手を繋いだ薫は、誘導されるがまま望月の後を尾けた。恐怖からか葵の手は冷たく震えている。顔や唇も血が通っていないくらいに青ざめていた。
よく通っていた施設の裏の林道。ここがこんなにも長く感じたのは初めてである。点々と道を露わにさせる街灯の明かりが、今や死へのカウントダウンにも感じる。
「岬に出たらどうするつもりだ」
嫌な答えしか返ってこないだろうと予想はつくが、あまりに心臓が暴れるので思わず質問をした。
「さっき言っただろう。始末するまでだ」
葵が手をぎゅっと握り返してきた。相当不安なのだろう。
葉擦れや足音がやけにざわめいて聞こえた。前を向くと常に銃口がこちらを睨んでいるではないか。目を合わせたくないからと顎を引くと、風が吹くたび光と影が踊っていた。
その時、薫のポケットの中で携帯が震えていた。
「誰だよ、こんな時に」
携帯を取り出そうとしたら、薫の独り言に反応した望月が目の色を変えて迫り寄ってきた。
「おい!何を勝手なことしているんだ」
「携帯が鳴ってて」
「画面を見せろ」
自分が見る間もなく、言われた通りに液晶の部分を見せた。
「誰だよ、青谷って。まぁ誰でもいい。放っておけ」
青谷さんからの着信だった。何か用があって電話してきたのだろう。
やがて鳴り続けていた薫の携帯は抜け殻のように動かなくなった。
岬に着くまでにどうにかせねば。
おそらく葵は解決策どころじゃなく、自我を保つのに精一杯なのだろう。薫は必死に思考を張り巡らせた。
結局、答えの出ぬまま竹林道を抜けた一行は岬へと出てしまった。
「海に背中を向けて、その柵の際々に立て」
ノーとは言えない立場だ。言われた通りに足を進めた。
柵の向こうは断崖絶壁。下を見れば夜のせいで暗闇の世界。そこからは岩場に打ちつける荒れ狂った嵐のような波の音が聞こえてきた。
柵を隔てていても下が見えなくても足が竦むような、そんな場所だった。
「さぁて、残された時間は五分と言ったところか。君たちの始末に時間を費やすほど私も暇じゃないんでねぇ」
憎たらしさが毎秒増えていく。
「その五分をどう過ごす?事件の全貌を聞くか、はたまた遺言を遺すか。どっちがいいかはお前らで決めろ。一分だけやる、話し合え」
薫は葵の赤くなった溺れる眼を見て、落ち着かせるように優しく聞いた。
「どっちがいいかって決まってるよな」
髪型が乱れるほど頭を縦に振った。
「望月さん貴方が何の目的で火葬を早く勧めていたのか、全てを教えろ!」
望月の口角がやや上がった。
「威勢がいいな、いいだろう教えてやる」
この時ばかりは話に聞き入っているからか、無意識に震えが止まっていた。
「それはな、早く火葬してもらわないと困る理由があるからだよ」
「どういうことだ」
「そもそも高崎美奈を事故死させたのもニュースになっている通り、この私だ。出勤途中で轢いた私は気が動転してそのまま病院に逃げるように白衣を着た。周りには事件を起こした事実が顔に出ないよう隠すのに必死だったよ」
「その同じ日のことだ。轢いたことを忘れようと業務に励んでいると一人の患者が運び込まれてきた。それがボロボロになった高崎美奈だった。調べてみると事故の衝撃で頭を強くコンクリートに打ち付け、病院に運び込まれた時には遺体となっていた。この時の私は自分がやったことを隠そうと考えを巡らせてたよ。そこで思い付いたのが、解剖と研究って銘打って遺体を引き受けるということ」
やがて話すのに夢中になっていて、こちらを睨んでいた銃口は下を向いていた。
「解剖と研究って伝えていた約十五年間、そんなこと何一つせず葵さんの母親である美奈さんの遺体を利用させてもらったよ。そのおかげで女には困らなかったね。酒だって飲みたい時に飲めた。けど何か物足りなかった」
割って薫が入った。
「遺体を利用したって何だよ」
嗤いながら答えた。
「遺体を解体し取り出して保存した内臓を少しずつ闇市場に売ったのさ。腐らないようにホルマリン漬けにしてね」
薫は心臓の鼓動が一瞬止まったように思えた。死んだ母のことを考えると居た堪れない気持ちになった葵は顔色を失う。
そして化学反応のようにショックから憎悪に変わった。
「人の命を何だと思ってるんだ!それでも医者か!」
「うるさい!医者だって苦しいんだよ。国やお偉いさんの言いなりになって、少しでも医療過誤をすれば実質殺人と同じになる。正直キツいんだよ。そりゃあ手術を成功すれば家族や本人からも感謝されるけど、そんなもん言葉だけだ。成功が金になるわけでも名誉として残るわけでもない」
望月の拳が、更に赤く鬱血し骨張った。
「話を戻すが、ある日気づいたんだよ。心を埋めるための何が必要かって。金だった。金さえあれば何でも出来るんだよ、この世の中は。内臓は売れば高い金になる。心臓は九百万を超えて、肝臓なんか優に一千万を超える。それで得た金は、心を満たしてくれた賭博に費やし、夜な夜な酒と女と賭けで豪遊し回した」
憐れなやつだ、そう薫は心の中で唾を吐いた。
「そんなことしても心に空いた穴は埋まらないでしょ」
「黙れ!」
望月は聞く耳を持たない。
葵による魂の糾弾は響いていなさそうだ。
「あと一ヶ月も逃げさえすりゃ時効の発生で俺は晴れて自由の身さ。全てを知ってしまった君たちをここで始末してから、まだ金も有り余っていることだし海外に姿を晦ますつもりだ。これが全てさ」
「医者どころか、人間も失格じゃないか。ふざけやがって!」
「あぁそうだよ、私は人間失格さ!けどね日本を出て時効さえ迎えれば、私も普通の人間と一緒の暮らしを始めれる。もう失うものは何も無い。今なら人を殺すことも怖くない」
それはまさに今から行われることを示唆していた。
「あ、いい事を思い付いた。二つの選択肢をやる」
そう唐突に言うと、銃を構える反対の左手を掲げ小指と薬指を順番に立てた。
「一つは予定通り殺されることだ。もう一つの選択肢は、警察に申し立てた抽選の不服申し立てを取り消すこと」
あまりにも意外な選択肢すぎて困惑した。
「別に抽選結果の申し立ては貴方には関係ないだろ!」
「それが実は関係あるんだよ。今は理由を言えないが、君が不服申し立てをしてくれれば互いにウィンウィンだと思うよ」
何を言っているんだこの人は。
「俺にとってのウィンは葵と同じ星で暮らすことなんだよ。どっちかが離れてしまったら意味が無い。そんなことより言えないって理由はなんだ!」
「言えないから言わないんだろ。それより君は後々に後悔すると分かっていても、不服申し立ての件は取り消さないんだね」
変に冷静な望月が言い返した。
「あぁそうさ」
「なら仕方ない」
そう言うと表情をギラリと変えた。
「さぁそろそろ時間だ。このまま殺すのもいいが、私もそこまで鬼じゃないんでねぇ。最後に言い残すことはないか」
もはや万事休すか。
返事をするまでの刹那、回り灯籠が頭の中に浮かんだ。
「あぁ、ある」
生きてきた約十八年、あっという間で苦しかったけど、施設の弟達や今隣にいる葵にも出逢えた。そしてなんといっても青谷さんのお陰で幸せに暮らすことが出来た。この運命が人生辛いことだけじゃないと教えてくれたのだ。
「ありがとう」
面と向かって一度でも言っておけば良かった。今ここでそう呟いたが、死ぬほど感謝しても届かないうえに遅いのは分かっている。不謹慎だろうか。いや、もう死ぬんだ。そんなこと今やどうだっていい。
色んな想いを噛み締めていると、再び嫌悪感を抱くアノ男の声が聞こえた。
「いいだろう。それがお前の最期の言葉だ。葵さんだっけな、君はいいのかい?」
もう怖すぎて声が出ないのだろう。後ろに隠れる葵の震える手が、薫の手をギュッと強く握り直した。
「よし、時間だ」
ガチャという音と共に照準が薫の方に向けられた。
「じゃあな、ガキ共」
もう終わりだ。
目を強く瞑り歯を食いしばった、その時だった。
帰ってきた二人は各々部屋に荷物を置きに行った。一人になった途端、忽ち不安と孤独感に襲われるような、足が宙に浮いたままのような、そんな気持ちだった。もうすぐ火葬するかどうかの答えを葵に聞くため再び施設に望月が訪れるからだ。まるで時間が止まったように思えたが、部屋に置いてあった砂時計は無慈悲に滴り落ちていく。確実に望月の足音が近づいているに違いない。
「いいか。落ち着いて、さっき話したこと言うんだぞ」
施設に帰ってきて青谷が用意してくれてた夕食を食べていた。望月のことで頭がいっぱいで、ろくに味を感じることも出来ず喉も通らない。テレビも点けていないので、時計が毎秒を刻む音や匙が皿と衝突する硬い音しか聞こえない。その静かな状況が今の緊張を余計に煽り、胸が騒いでいるのがよく分かる。二人の間に会話はない。
そんな静寂を切り裂くようにインターホンが鳴った。二人は無意識に目を合わせた。
「きたぞ」
「うん」
固唾を呑みこんだ葵の顔は引きつっていた。
「家には入れないように」
玄関の取っ手に汗ばむ手をかけた。
「はい」
「望月です。一昨日の返事を聞きにやって参りました」
まるで血の通わない凍りついたような笑顔を二人に向けた望月の目の奥は死んでいる。
一昨日会った時とは違う。もう薫と葵の目には、容疑者の望月としか映らなかった。
怖気付いたのか一歩後ずさった二人を前にして、望月は高圧的に話を続けた。
「二日間も考える猶予はあったんです。勿論返事は聞かせてもらえるんですよね?」
「あぁ、はい・・・・・・」
返事を聞けるとなると、さっきまで光を失っていた望月の瞳は今や爛々としている。
「火葬のことなんですけど、色々と調べて臓器提供とかで死後も役に立つと知ったので火葬はしないことにします」
葵はハッキリ伝えた。
すると、さっきまでの笑顔が嘘のように目の色を変えた。
「はい?それ考えたとは言わないですよ。絶対ダメです。そんなこと君の母親は望んでいない、きっと悲しむから・・・・・・!」
望月は分かりやすく焦っていた。
「死体に感情なんてありません」
今の文言に形があるならば、切れ味抜群の刀で一刀両断と言ったところか。焦って口調と息遣いが荒々しくなる望月を前にしても、葵は怯むことなく落とし込んだ。
「じょ、冗談じゃない・・・・・・そんなのさせるか!」
みるみるうちに望月の額に血管が浮き出てきた。後ずさる葵と薫。
「コイツは危ない。後ろに下がってろ」
葵の前に腕を突き出した薫は、望月との距離をとろうとした。その時、逆上した望月は内ポケットから拳銃を出しては銃口を二人に向けたのだ。
「おい、これが何か分かるだろ」
ほんの少しだけ時間はかかったが、目に映ったものが本物の拳銃であると認識した途端、まるで心の中で嵐を飼っているように二人は動揺した。
「君たさたちに考える余地を与え返事を待った。だけど君たちの選択肢は初めから一つしかなかったんだよ」
不敵な笑みを浮かべている。
どうすればいいのか分からない。ただこの状況で確かなのは一つだけある。それは逆らったりヘタな事をすれば間違いなく殺されるということだ。つまり何も手出し出来ないということ。
「何故そこまでして火葬を勧めるんだ」
今にも飛び出そうな心臓に蓋をして、気になっていたことを咎めた。
「うるさい!こうなった以上そんな事どうでもいい。今や世間は俺のことで騒いでるからなぁ、これはこれで悪くないよ」
望月の悪事が露わになって後悔どころか少しの反省も見られなかった。
「まさか十五年前に起きた弾轢き逃げ事件の犯人が望月さんだったなんて。よくそれで今まで葵に顔を見せれましたね」
今まで抑えてきた憤怒や憎悪の感情が爆発した。
「貴方みたいな犯罪者が時効によって世間に野放しにされたままなんてたまったもんじゃない。事件の全てと目的を話してもらいましょうか」
望月のことが憎たらし過ぎて、突きつけてくる銃への恐怖よりも闇の中に葬りかけられている事件を解明したいという気持ちが勝ったのか、恐れることなく望月の言葉を引き出そうとした。
「いいだろう。その代わりと言っちゃなんだが、僕のことを知ってしまった君たちはいつ警察に通報するか分からない。だから全て曝け出した後この手で君たちを始末する」
「始末・・・・・・」
聞き慣れない言葉を自分に当て嵌めてみるように想像してみると、サーっと顔から血の気が引いた。
「なんだ?怖いのか」
フッと鼻で嘲笑いながら望月は話を続けた。
「まぁそりゃそうだよな。本物の銃を向けられてるんだから。でも変な真似をせずに素直に従ってくれれば俺だって何もしないさ」
それは薫と葵に選択肢など無いことを意味していた。
「裏庭の竹林を抜けて岬まで出る、ついてこい。少しでも変なことしたら銃口が火を噴くからな」
「わ、わかった」
波打つ息を深く吐いて葵と手を繋いだ薫は、誘導されるがまま望月の後を尾けた。恐怖からか葵の手は冷たく震えている。顔や唇も血が通っていないくらいに青ざめていた。
よく通っていた施設の裏の林道。ここがこんなにも長く感じたのは初めてである。点々と道を露わにさせる街灯の明かりが、今や死へのカウントダウンにも感じる。
「岬に出たらどうするつもりだ」
嫌な答えしか返ってこないだろうと予想はつくが、あまりに心臓が暴れるので思わず質問をした。
「さっき言っただろう。始末するまでだ」
葵が手をぎゅっと握り返してきた。相当不安なのだろう。
葉擦れや足音がやけにざわめいて聞こえた。前を向くと常に銃口がこちらを睨んでいるではないか。目を合わせたくないからと顎を引くと、風が吹くたび光と影が踊っていた。
その時、薫のポケットの中で携帯が震えていた。
「誰だよ、こんな時に」
携帯を取り出そうとしたら、薫の独り言に反応した望月が目の色を変えて迫り寄ってきた。
「おい!何を勝手なことしているんだ」
「携帯が鳴ってて」
「画面を見せろ」
自分が見る間もなく、言われた通りに液晶の部分を見せた。
「誰だよ、青谷って。まぁ誰でもいい。放っておけ」
青谷さんからの着信だった。何か用があって電話してきたのだろう。
やがて鳴り続けていた薫の携帯は抜け殻のように動かなくなった。
岬に着くまでにどうにかせねば。
おそらく葵は解決策どころじゃなく、自我を保つのに精一杯なのだろう。薫は必死に思考を張り巡らせた。
結局、答えの出ぬまま竹林道を抜けた一行は岬へと出てしまった。
「海に背中を向けて、その柵の際々に立て」
ノーとは言えない立場だ。言われた通りに足を進めた。
柵の向こうは断崖絶壁。下を見れば夜のせいで暗闇の世界。そこからは岩場に打ちつける荒れ狂った嵐のような波の音が聞こえてきた。
柵を隔てていても下が見えなくても足が竦むような、そんな場所だった。
「さぁて、残された時間は五分と言ったところか。君たちの始末に時間を費やすほど私も暇じゃないんでねぇ」
憎たらしさが毎秒増えていく。
「その五分をどう過ごす?事件の全貌を聞くか、はたまた遺言を遺すか。どっちがいいかはお前らで決めろ。一分だけやる、話し合え」
薫は葵の赤くなった溺れる眼を見て、落ち着かせるように優しく聞いた。
「どっちがいいかって決まってるよな」
髪型が乱れるほど頭を縦に振った。
「望月さん貴方が何の目的で火葬を早く勧めていたのか、全てを教えろ!」
望月の口角がやや上がった。
「威勢がいいな、いいだろう教えてやる」
この時ばかりは話に聞き入っているからか、無意識に震えが止まっていた。
「それはな、早く火葬してもらわないと困る理由があるからだよ」
「どういうことだ」
「そもそも高崎美奈を事故死させたのもニュースになっている通り、この私だ。出勤途中で轢いた私は気が動転してそのまま病院に逃げるように白衣を着た。周りには事件を起こした事実が顔に出ないよう隠すのに必死だったよ」
「その同じ日のことだ。轢いたことを忘れようと業務に励んでいると一人の患者が運び込まれてきた。それがボロボロになった高崎美奈だった。調べてみると事故の衝撃で頭を強くコンクリートに打ち付け、病院に運び込まれた時には遺体となっていた。この時の私は自分がやったことを隠そうと考えを巡らせてたよ。そこで思い付いたのが、解剖と研究って銘打って遺体を引き受けるということ」
やがて話すのに夢中になっていて、こちらを睨んでいた銃口は下を向いていた。
「解剖と研究って伝えていた約十五年間、そんなこと何一つせず葵さんの母親である美奈さんの遺体を利用させてもらったよ。そのおかげで女には困らなかったね。酒だって飲みたい時に飲めた。けど何か物足りなかった」
割って薫が入った。
「遺体を利用したって何だよ」
嗤いながら答えた。
「遺体を解体し取り出して保存した内臓を少しずつ闇市場に売ったのさ。腐らないようにホルマリン漬けにしてね」
薫は心臓の鼓動が一瞬止まったように思えた。死んだ母のことを考えると居た堪れない気持ちになった葵は顔色を失う。
そして化学反応のようにショックから憎悪に変わった。
「人の命を何だと思ってるんだ!それでも医者か!」
「うるさい!医者だって苦しいんだよ。国やお偉いさんの言いなりになって、少しでも医療過誤をすれば実質殺人と同じになる。正直キツいんだよ。そりゃあ手術を成功すれば家族や本人からも感謝されるけど、そんなもん言葉だけだ。成功が金になるわけでも名誉として残るわけでもない」
望月の拳が、更に赤く鬱血し骨張った。
「話を戻すが、ある日気づいたんだよ。心を埋めるための何が必要かって。金だった。金さえあれば何でも出来るんだよ、この世の中は。内臓は売れば高い金になる。心臓は九百万を超えて、肝臓なんか優に一千万を超える。それで得た金は、心を満たしてくれた賭博に費やし、夜な夜な酒と女と賭けで豪遊し回した」
憐れなやつだ、そう薫は心の中で唾を吐いた。
「そんなことしても心に空いた穴は埋まらないでしょ」
「黙れ!」
望月は聞く耳を持たない。
葵による魂の糾弾は響いていなさそうだ。
「あと一ヶ月も逃げさえすりゃ時効の発生で俺は晴れて自由の身さ。全てを知ってしまった君たちをここで始末してから、まだ金も有り余っていることだし海外に姿を晦ますつもりだ。これが全てさ」
「医者どころか、人間も失格じゃないか。ふざけやがって!」
「あぁそうだよ、私は人間失格さ!けどね日本を出て時効さえ迎えれば、私も普通の人間と一緒の暮らしを始めれる。もう失うものは何も無い。今なら人を殺すことも怖くない」
それはまさに今から行われることを示唆していた。
「あ、いい事を思い付いた。二つの選択肢をやる」
そう唐突に言うと、銃を構える反対の左手を掲げ小指と薬指を順番に立てた。
「一つは予定通り殺されることだ。もう一つの選択肢は、警察に申し立てた抽選の不服申し立てを取り消すこと」
あまりにも意外な選択肢すぎて困惑した。
「別に抽選結果の申し立ては貴方には関係ないだろ!」
「それが実は関係あるんだよ。今は理由を言えないが、君が不服申し立てをしてくれれば互いにウィンウィンだと思うよ」
何を言っているんだこの人は。
「俺にとってのウィンは葵と同じ星で暮らすことなんだよ。どっちかが離れてしまったら意味が無い。そんなことより言えないって理由はなんだ!」
「言えないから言わないんだろ。それより君は後々に後悔すると分かっていても、不服申し立ての件は取り消さないんだね」
変に冷静な望月が言い返した。
「あぁそうさ」
「なら仕方ない」
そう言うと表情をギラリと変えた。
「さぁそろそろ時間だ。このまま殺すのもいいが、私もそこまで鬼じゃないんでねぇ。最後に言い残すことはないか」
もはや万事休すか。
返事をするまでの刹那、回り灯籠が頭の中に浮かんだ。
「あぁ、ある」
生きてきた約十八年、あっという間で苦しかったけど、施設の弟達や今隣にいる葵にも出逢えた。そしてなんといっても青谷さんのお陰で幸せに暮らすことが出来た。この運命が人生辛いことだけじゃないと教えてくれたのだ。
「ありがとう」
面と向かって一度でも言っておけば良かった。今ここでそう呟いたが、死ぬほど感謝しても届かないうえに遅いのは分かっている。不謹慎だろうか。いや、もう死ぬんだ。そんなこと今やどうだっていい。
色んな想いを噛み締めていると、再び嫌悪感を抱くアノ男の声が聞こえた。
「いいだろう。それがお前の最期の言葉だ。葵さんだっけな、君はいいのかい?」
もう怖すぎて声が出ないのだろう。後ろに隠れる葵の震える手が、薫の手をギュッと強く握り直した。
「よし、時間だ」
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もう終わりだ。
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