1333

干支ピリカ

文字の大きさ
33 / 49
新政建武

第八章 褒賞の波紋 1.

しおりを挟む
1.

 八月に入り、新田義貞が上洛した。
 これみよがしに、護良親王が連れ歩くかと思えば、そんな様子はなく、直義はいささか拍子抜けした。
 ならば、と義貞と一緒に京へ来た義助を、直義は六波羅の屋敷に招いた。
 義助は、以前より心持ちふくよかになっていたが、眉間の皺はますます深く見えた。
 目の下も青黒い。

「兄上に一応は言った。護良親王の誘いでなく、帝からの正式な綸旨を待つべきだと」

 義助は挨拶もそこそこに、うつむきかげんに口を開いた。
 直義の勧めに従わなかったことへの、詫びなのだろう。

「いや、それはもういい」

 直義は、義助の話を押し留めた。

「正直、帝の綸旨には時間が掛かりすぎる。実際に、帝に会ってもらった方が早いし、何より間違いがない」

 上洛してもらって良かった、と直義が告げると、義助はほっとしたように肩の力を抜いた。

(こんなに、びくびくした男じゃなかったはずだが)

 直義は内心で訝しく思ったが、言葉を続けた。

「ただ、新田軍を殆ど、こちらへ連れてきていると聞いたが、鎌倉は大丈夫なのか?」

 義助の顔が強張った。
 怒っているような、それでいて怯えているような、複雑な表情になっていく。
 しばし黙っていた義助が、やがてぽつりぽつりと口から出したのは、直義の問いへの直接の返答ではなかった。

「……あの戦の始め、俺達の軍は百五十騎だった」

 それは、直義が思っていた以上に、過酷な数だった。

「だが、軍はすぐに膨れ上がり、お前から託された千寿王軍と合流した頃には、四千騎になっていた」
「そこからは聞いている。新田軍が本気だと分かったので、集まって来たんだろう」

 義助は頷いた。

「俺もそう思い歓迎した。だが集まって来た兵の中に、日にちから考えて、こちらの挙兵の知らせが届いているはずの無い、越後からの兵がいたのだ」

 義助は一旦言葉を切り、唇を舌でしめらせると、途切れ途切れに言葉を繋げた。

「不思議に思い問い掛けた所、連中は……『天狗が来てふれまわった』と言ったんだ。足利が北条を裏切り、新田が加勢して挙兵した――と」

 思いがけない言葉が出て、今度は直義が眉を顰めた。

「他の者からも同じような話を聞かされたが、俺は旅の芸人一座か何かが、噂話を面白おかしく話しただけだろうと思い、大して気にしなかった」

 目の前に、敵が迫っていたしな――と付け加えた義助に、直義はただ頷いた。

「だが、鎌倉を攻めあぐねていた時、『干潮が起きる』と、知らせに来たのが、山伏の装束に鼻の長い異形、『天狗』だったそうだ。今夜、海が干上がるから、稲村ヶ崎から鎌倉に入れると」

 その頃、化粧坂にいた義助は、天狗を直に見ていないとのことだった。
 義貞の従者から聞いた話だと、義助は語った。

「あんな怪しい連中の話を聞くな、と言った者もいたらしいが、鎌倉攻略は手詰まりになっていた」

 鎌倉は護りやすく攻めにくい、天然の要害だ。
 護りにくく攻めやすいので、何度も敵の侵入を許した京とは真逆の、武士の作った戦のための都だった。

「話が嘘でも本当でも、とりあえず戦の用意だけはしておこうと、各所に伝令が来た」

 そして夜になり……果たして、陸と海との境界線から徐々に、潮は引いていった。

「後は一気に勝負がついた。海岸から来ると予想していなかった幕府軍は脆く、あっけなく斃れた」

 義助は、喜ばしい場面を語るのに、あまりふさわしくない、暗い表情だった。

「刺し違える覚悟で兵を挙げた我らが、幕府相手に大勝利を収めた。浮かれて当然なのだが、興奮は長い間収まらず、我らは容赦なく鎌倉の町を蹂躙した」

 通常、戦の興奮は程なく収まる。
 人は血臭に飽く。まともな者ならば。

「おかしいと気づいたのは、足利の兵とぶつかった時だ」

 そう、義助はつぶやいた。

「おそらく足利の者の中には、鎌倉に縁があるものもいたのだろう。大勢が決した後、逃げ惑う民の避難に手を貸したり、燃え上がる町の火を、止めようとしている者がいた」

 鎌倉での戦の様子は、夢窓や他の者からも聴いていたので驚きはなかった。
 だが、こうして実際にその場にいた者の話を聴くと、直義の胸がチリチリと痛んだ。

(全てが終った後に、話を聞いた自分でさえこうなのだ)

 目の前でこわれゆく町を見ていた、足利の兵達の気持ちは察して余りあった。

「火を消すな、と誰かが吠えた。燃やせ、全てを燃やし尽くせ、と言って足利の兵に……味方に手を掛けたのだ。相手に気づいて俺が止めに入った時には、兵達の狂気も抜け落ちていて、己が行為に呆然としていた」

 戦場では仕方ない、と告げようとした直義は、義助の目を見て口を閉じた。
 義助の眼は落ち窪み、憑かれたようにぎらぎらと光っていた。

 事はそれで収まらなかったのだ――と、義助が嘆息した。

「次の日も、また次の日も、狂ったように暴れる兵士が出た。昼日中は兵士が、夜になると異形の群れが、死体を喰らっているという噂が流れた」

 義助は右手で目を覆う。

「……情けないが俺も、東勝寺辺りに、青白い火が浮かんでは消えているのを見てからは、怪異を恐れるなと、強く言えなくなった」

 東勝寺は、北条一族が競って腹を切ったとされる場所だった。

「難儀だったな」

 ようやく、直義が口を挟めた。
 実のところ、異形の話は夢窓からも聞かされていたし、鎌倉に住んでいた身には慣れている部分もある。

(怪異は、淀んだ空気や騒乱を好むというから、新田荘には無縁だったんだろうな)

 ある意味羨ましい話だが、目の前で未だ悶々としている相手に、そう告げる訳にもいかない。
 義助は、顔を覆っていた手を外すと、全身から搾り出すように息を吐いた。

「……こちらも酷い状態だと聞いていたが、思っていた以上の明るい町並みに、俺や兄上、一緒に付いて来た兵士達も、あの戦以来ようやく安らいだ気分だ」

 正直、もう鎌倉には戻りたくない、と義助は暗い目で吐き出した。
 京にも怪異は多いはずだが、ようやく落ち着いた相手を、怯えさせても仕方ない。

「そうか」

 直義は、軽く相槌を打った。
 頭の中では、さてどうするか、と考えながら。

「鎌倉に慣れた者がいるせいか、足利の兵には、それほど恐怖が伝わってなかったと思う」

 義助は、しどろもどろに言い募った。

「また、北条が滅びた後、近隣の豪族が次から次へと駆けつけて来ているので、兵の数は多いし、士気も高かった」

 当面は、あれでしのげよう……と、義助は目を逸らしたまま、弁明するように告げた。

(にわか仕立ての味方が、さて、どこまで信用できるかな……)

 直義は胸の中で盛大にため息をついた。
 近い内に、誰かが鎌倉へ行かねばならないのは確かだった。
 本来なら高氏の役目だが、御所は足利が第二の北条になるのを警戒している。
 実質的な『武家の棟梁』の鎌倉入りを、黙って見送るとは思えなかった。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

処理中です...