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第三回 インビジブル・ウィーズル(下)
彦蔵が動き出したのは、あけりが死んで十日後だった。
すぐに動かなかったのは、彦蔵なりの用心でもあったし、町奉行所の探索を見守っていた事もある。しかし下手人は未だ捕縛されておらず、それで彦蔵は自ら探索に乗り出したのだ。
まず、あけりが働いていた佐賀町の小料理屋に顔を出した。
屋号は〔福寿庵〕という。二階建てで、奥の庭には離れもある。小料理屋というが、料亭というのが相応しいと、彦蔵は思っている。
福寿庵の主は宗吉という若い男で、二年前に店を継いだばかりの二代目だった。何度か顔を合わせた事もあり、かつ〔きせ〕が深川では名の通った店であるので、すぐに話は通った。
彦蔵は座敷の一つに通され、宗吉が応対に現れた。客はいるようだが、まだ昼間なので忙しくはなさそうだ。
「彦蔵さんがあけりと遠縁だったなんて初耳でしたよ」
「そうなんですよ。私の母親とあけりの母親が親戚でしてねぇ。それが縁で何気なしに助けていたのです」
そういう事にした。男女の仲という事はいずれ探索によって明かされるだろうが、わざわざそれを言いたくない。下手すれば、自分が疑われる事もある。
「なるほど。ならなおの事、今回は……」
「ええ。あんな善い娘が、何故殺されなければならないのか。私には怒りしかありませんよ」
「全くです。店でもよく働いてくれていました。明るくて、客当りもこなれていましたし」
「そうですか。何か問題を抱えていたとか?」
「いえ。勤め振りも真面目て、お客さんにも好かれていました」
「では、男関係で何か? あんな可愛い娘ですから、ちょっかいを出す男はいたでしょう。前の男の件もありますし」
「男ですか……」
「決まった男はいたんですか?」
「さぁ。誘ってくる客はいましたが、あけりはちゃんと断っていましたよ。勿論、しつこいようなら、私が止めていましたけども」
「なら逆恨みかもしれませんね」
「それは、何とも」
宗吉が表情を曇らせた。どうやら役人でもないのに、根掘り葉掘り聞く事を訝しんでいるのだろう。
(潮時かな……)
あまりにもしつこいと、自分に疑惑の目を向けられる一因となる。なにせ、〔きせ〕と福寿庵は商売敵なのだ。
彦蔵は礼を言って立ち上がると、宗吉に名を呼ばれた。
「もしや、ご自身で捕まえよいうという思っているんで?」
「まさか。ただ、自分を納得させたいだけですよ」
「そうですか。お気持はお察しできますが、ご無理をなされないように」
彦蔵は頷いて客間を出ると、女が控えていた。年の頃は十六か七。彦蔵に目を向け何か言いたげであった。
「どうしたのかね?」
そう声を掛けると殆ど同時に、
「お種、何をしているんだい」
と、宗吉が声を被せてきた。
「旦那様……」
「ぼけっとしている暇なんてないんだよ。ほら、さっさとお行き」
お種と呼ばれた女は、慌てて頭を下げると、何か言いたげな面持ちを残してその場を立ち去っていった。
「いやぁ、お恥ずかしい所をお見せしてしまって」
「いえいえ。若い奉公人の躾は難しいものですよ。うちも難儀しております」
「まさか、〔きせ〕さんは躾が行き届いているという話じゃございませんか。もう評判ですよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「よう」
そう声を掛けられたのは、あけり殺しの下手人探索を開始して五日後の事だった。
万年町に向かう為に渡った相生橋の袂である。
振り返る。すると、そこには長身で馬面の男が立っていた。
南町奉行所本所見廻の大佛丹次郎である。いつもは岡っ引きの餅屋の松吉を引き連れているが、今日は一人だった。
彦蔵は、全身が硬直するのを感じた。幾ら足を洗ったとはいえ、盗賊は盗賊。役人に対しての警戒心が消える事は無い。
「こりゃ、〔きせ〕の彦蔵じゃねぇか」
「これはこれは、大佛様」
「浜五郎に仕事を押し付け、お前は散歩かい?」
「へぇ、まぁ」
「天気もいいしなぁ」
と、ニヤニヤとしながら近付いてくる。彦蔵は丹田に力を込めた。
この大佛という男は、普段こそ賄賂をせびる事しか考えていないように見えるが、その実かなりの切れ者だと彦蔵は思っている。身のこなしといい、時折投げかける言葉選びといい、大佛には剃刀を思わせる鋭さがある。
「しかし、散歩にしちゃコソコソし過ぎきゃねぇか?」
「コソコソ? 私がでしょうか」
「お前以外にいるかよ」
「さて……」
「しらばっくれてんじゃねぇや。福寿庵へ行ったり、中川町の裏店へ行ったり。お前、あけりってぇ女の下手人を探してんじゃねぇのか?」
大佛が、顔を寄せて耳打ちした。
「……」
「お前があけりの男ってこたあ、もうとっくに調べがついてんだよ」
その一言が、彦蔵の肺腑を突いた。
やはり、わかったか。想定していたが、そこから言い逃れる術を思いつかないでいた。
大佛が、厭らしく笑む。彦蔵は表情こそ崩さなかったが、背に冷たいものを感じた。
「何とか言ったらどうなんだ?」
「確かに……。私の、女でございました」
「そうかい。で、別れ話が縺れて殺したのか? それとも悋気に嫌気がさしたか?」
「そんな事はございません」
「本当かよ。石を抱かせてもいいんだぜ」
「大佛様。私は自分の女を殺した奴を探し出したいだけですよ」
すると、大佛は欄干に身体を預け、掘割に目をやった。
「死んだ女房に義理立てして、男やもめを続けていると思ったがね」
「相変わらず、皮肉がお上手で」
「ふん。人間らしくていいと褒めてんだよ」
「……」
「彦蔵、下手人は既に掴んでんだよ」
「本当でございますか?」
大佛が頷いて応えた。
「では、もうお縄に?」
「そうはならねぇだな、これが。まっ、世の中の倣いってもんかねぇ」
「そんな」
「世の中に、人を殺しても罪にならねぇ人間もいるのさ」
それは侍だ。その言葉が、喉元まで出かかった時、大佛が言葉を続けた。
「巣鴨に慈寿荘という寮がある」
大佛が顔を戻した。そこには、世の中を斜に構えて見ている、いつもの人を小馬鹿にした表情は無い。
「益屋という大店の寮でね。そこに、お前が求める答えがある。だがよ、行けば今度こそ、二度と引き返せぬ裏の道を歩む事になるぜ」
「今度こそとは」
「せっかく足を洗って堅気になったのになぁ、鼬目天の彦蔵さんよ」
その言葉に、したたかな衝撃を覚えた。この男は、自分の過去を知っている。知った上で、今まで何度も〔きせ〕で飲み食いをしていたのか。
「それをどこで……」
「慈寿荘の主からだよ」
彦蔵は俯き、固く拳を握りしめていた。
「江戸の闇は深いや。底が見えねぇよ」
そう言うと、大佛は踵を返し片手を挙げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
月の無い夜だった。
あけりが殺されて、一か月と半が過ぎている。彦蔵は、大身旗本・土井家の屋根の上にいた。
この屋敷に住まう土井讃岐守こそ、あけりを殺した下手人であると、彦蔵は益屋淡雲に明かされた。
淡雲が言うには、福寿庵の離れで土井がさる旗本の妻と密会していたのを、あけりは偶然見てしまったのだという。宗吉は土井が密会に使う事は知っていた。故に誰も近寄らぬよう言い付けていたのだが、その時あけりは女将の頼みで買い出しに出ており、宗吉はその時に女将から伝えられたと思い込んでいたのだ。
不義密通は死罪である。土井は何としてもあけりを抹殺するよう始末屋に命じ、そして実行された。
「その外道を始末してくれるかい?」
淡雲は、その事実を伝えた上で訊いた。当然、彦蔵にそれを断るつもりはなかった。ただ、疑問はあった。淡雲が商人の皮を被った、裏の首領である事は理解した。しかし、見ず知らずの娘が一人殺されたぐらいで、何故そこまでするのか。一歩間違えれば獄門。しかし、成功しても淡雲が得られるものは何もないではないか。
「どうして、斯様な真似をしておられるので?」
返事をする前に、彦蔵は淡雲に訊いてみた。
「私もお前さんと同じでございますよ」
淡雲がそう告げると、穏やかに笑った。小太りで中背。終始笑顔で人の善さそうな印象を受けるが、目の奥は笑ってはいない。それだけで、この男が厳しい裏の界隈で生きてきた事が窺い知れる。
「お前さんは、侍嫌い。私は、外道嫌い。どうにもこうにも、許せねぇだけだよ」
その後、彦蔵は淡雲の話が本当であるかどうか独自に調べてみたが、おおよそ話の通りだった。あの日、福寿庵で彦蔵に話し掛けようとした、お種も同じ事を証言してくれた。また、密会はこれだけではない。土井という男は他にも人妻と密会していて、その殆どは無理矢理手籠めにした挙句、その事で脅し関係を迫っていたようだ。あけりが見た旗本の妻というのも、その口だった。これ以上ない、畜生外道である。淡雲に土井の始末を依頼したのも、そうして脅された人妻達なのかもしれない。
(やっぱり、侍ぇは嫌ぇだ)
彦蔵は鼻を鳴らした。あけりを手にかけた始末屋は始末した。全てを知っていて隠していた宗吉も始末した。二人は淡雲が依頼した標的ではないが、そうしなければ気が済まなかった。残るは、土井だけである。
彦蔵は、音もたてず瓦を滑り降りた。〔鼬目天〕の渾名に違わない敏捷な動きで屋敷に侵入すると、土井を難なく縛り上げ猿轡を噛ませた。
「お前のせいで、俺は裏に戻る羽目になっちまった。でも、仕方ねぇよ。お前はそれほどの事をしでかしたんだぜ」
土井が真っ赤な顔でもがいている。彦蔵はそれを無視し馬乗りになった。
「俺はこれから益屋の走狗になって、外道を狩らなきゃならねぇ。それが約束だからよ。だが不思議と、後悔はねぇんだ。だって、貴様みたいな侍を殺れて銭を貰えるんだ」
懐の匕首を引き抜くと、土井の首筋に当てた。思わず嗤いが込み上げて来た。そういえば、妹を斬った磯貝もこうして殺したものだった。
「お前は俺の女を殺りやがったんだ。文句は言わせねぇ」
彦蔵は満面の笑みを湛えたまま、首に当てた匕首の刃をゆっくりと引いた。
〔了〕
すぐに動かなかったのは、彦蔵なりの用心でもあったし、町奉行所の探索を見守っていた事もある。しかし下手人は未だ捕縛されておらず、それで彦蔵は自ら探索に乗り出したのだ。
まず、あけりが働いていた佐賀町の小料理屋に顔を出した。
屋号は〔福寿庵〕という。二階建てで、奥の庭には離れもある。小料理屋というが、料亭というのが相応しいと、彦蔵は思っている。
福寿庵の主は宗吉という若い男で、二年前に店を継いだばかりの二代目だった。何度か顔を合わせた事もあり、かつ〔きせ〕が深川では名の通った店であるので、すぐに話は通った。
彦蔵は座敷の一つに通され、宗吉が応対に現れた。客はいるようだが、まだ昼間なので忙しくはなさそうだ。
「彦蔵さんがあけりと遠縁だったなんて初耳でしたよ」
「そうなんですよ。私の母親とあけりの母親が親戚でしてねぇ。それが縁で何気なしに助けていたのです」
そういう事にした。男女の仲という事はいずれ探索によって明かされるだろうが、わざわざそれを言いたくない。下手すれば、自分が疑われる事もある。
「なるほど。ならなおの事、今回は……」
「ええ。あんな善い娘が、何故殺されなければならないのか。私には怒りしかありませんよ」
「全くです。店でもよく働いてくれていました。明るくて、客当りもこなれていましたし」
「そうですか。何か問題を抱えていたとか?」
「いえ。勤め振りも真面目て、お客さんにも好かれていました」
「では、男関係で何か? あんな可愛い娘ですから、ちょっかいを出す男はいたでしょう。前の男の件もありますし」
「男ですか……」
「決まった男はいたんですか?」
「さぁ。誘ってくる客はいましたが、あけりはちゃんと断っていましたよ。勿論、しつこいようなら、私が止めていましたけども」
「なら逆恨みかもしれませんね」
「それは、何とも」
宗吉が表情を曇らせた。どうやら役人でもないのに、根掘り葉掘り聞く事を訝しんでいるのだろう。
(潮時かな……)
あまりにもしつこいと、自分に疑惑の目を向けられる一因となる。なにせ、〔きせ〕と福寿庵は商売敵なのだ。
彦蔵は礼を言って立ち上がると、宗吉に名を呼ばれた。
「もしや、ご自身で捕まえよいうという思っているんで?」
「まさか。ただ、自分を納得させたいだけですよ」
「そうですか。お気持はお察しできますが、ご無理をなされないように」
彦蔵は頷いて客間を出ると、女が控えていた。年の頃は十六か七。彦蔵に目を向け何か言いたげであった。
「どうしたのかね?」
そう声を掛けると殆ど同時に、
「お種、何をしているんだい」
と、宗吉が声を被せてきた。
「旦那様……」
「ぼけっとしている暇なんてないんだよ。ほら、さっさとお行き」
お種と呼ばれた女は、慌てて頭を下げると、何か言いたげな面持ちを残してその場を立ち去っていった。
「いやぁ、お恥ずかしい所をお見せしてしまって」
「いえいえ。若い奉公人の躾は難しいものですよ。うちも難儀しております」
「まさか、〔きせ〕さんは躾が行き届いているという話じゃございませんか。もう評判ですよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「よう」
そう声を掛けられたのは、あけり殺しの下手人探索を開始して五日後の事だった。
万年町に向かう為に渡った相生橋の袂である。
振り返る。すると、そこには長身で馬面の男が立っていた。
南町奉行所本所見廻の大佛丹次郎である。いつもは岡っ引きの餅屋の松吉を引き連れているが、今日は一人だった。
彦蔵は、全身が硬直するのを感じた。幾ら足を洗ったとはいえ、盗賊は盗賊。役人に対しての警戒心が消える事は無い。
「こりゃ、〔きせ〕の彦蔵じゃねぇか」
「これはこれは、大佛様」
「浜五郎に仕事を押し付け、お前は散歩かい?」
「へぇ、まぁ」
「天気もいいしなぁ」
と、ニヤニヤとしながら近付いてくる。彦蔵は丹田に力を込めた。
この大佛という男は、普段こそ賄賂をせびる事しか考えていないように見えるが、その実かなりの切れ者だと彦蔵は思っている。身のこなしといい、時折投げかける言葉選びといい、大佛には剃刀を思わせる鋭さがある。
「しかし、散歩にしちゃコソコソし過ぎきゃねぇか?」
「コソコソ? 私がでしょうか」
「お前以外にいるかよ」
「さて……」
「しらばっくれてんじゃねぇや。福寿庵へ行ったり、中川町の裏店へ行ったり。お前、あけりってぇ女の下手人を探してんじゃねぇのか?」
大佛が、顔を寄せて耳打ちした。
「……」
「お前があけりの男ってこたあ、もうとっくに調べがついてんだよ」
その一言が、彦蔵の肺腑を突いた。
やはり、わかったか。想定していたが、そこから言い逃れる術を思いつかないでいた。
大佛が、厭らしく笑む。彦蔵は表情こそ崩さなかったが、背に冷たいものを感じた。
「何とか言ったらどうなんだ?」
「確かに……。私の、女でございました」
「そうかい。で、別れ話が縺れて殺したのか? それとも悋気に嫌気がさしたか?」
「そんな事はございません」
「本当かよ。石を抱かせてもいいんだぜ」
「大佛様。私は自分の女を殺した奴を探し出したいだけですよ」
すると、大佛は欄干に身体を預け、掘割に目をやった。
「死んだ女房に義理立てして、男やもめを続けていると思ったがね」
「相変わらず、皮肉がお上手で」
「ふん。人間らしくていいと褒めてんだよ」
「……」
「彦蔵、下手人は既に掴んでんだよ」
「本当でございますか?」
大佛が頷いて応えた。
「では、もうお縄に?」
「そうはならねぇだな、これが。まっ、世の中の倣いってもんかねぇ」
「そんな」
「世の中に、人を殺しても罪にならねぇ人間もいるのさ」
それは侍だ。その言葉が、喉元まで出かかった時、大佛が言葉を続けた。
「巣鴨に慈寿荘という寮がある」
大佛が顔を戻した。そこには、世の中を斜に構えて見ている、いつもの人を小馬鹿にした表情は無い。
「益屋という大店の寮でね。そこに、お前が求める答えがある。だがよ、行けば今度こそ、二度と引き返せぬ裏の道を歩む事になるぜ」
「今度こそとは」
「せっかく足を洗って堅気になったのになぁ、鼬目天の彦蔵さんよ」
その言葉に、したたかな衝撃を覚えた。この男は、自分の過去を知っている。知った上で、今まで何度も〔きせ〕で飲み食いをしていたのか。
「それをどこで……」
「慈寿荘の主からだよ」
彦蔵は俯き、固く拳を握りしめていた。
「江戸の闇は深いや。底が見えねぇよ」
そう言うと、大佛は踵を返し片手を挙げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
月の無い夜だった。
あけりが殺されて、一か月と半が過ぎている。彦蔵は、大身旗本・土井家の屋根の上にいた。
この屋敷に住まう土井讃岐守こそ、あけりを殺した下手人であると、彦蔵は益屋淡雲に明かされた。
淡雲が言うには、福寿庵の離れで土井がさる旗本の妻と密会していたのを、あけりは偶然見てしまったのだという。宗吉は土井が密会に使う事は知っていた。故に誰も近寄らぬよう言い付けていたのだが、その時あけりは女将の頼みで買い出しに出ており、宗吉はその時に女将から伝えられたと思い込んでいたのだ。
不義密通は死罪である。土井は何としてもあけりを抹殺するよう始末屋に命じ、そして実行された。
「その外道を始末してくれるかい?」
淡雲は、その事実を伝えた上で訊いた。当然、彦蔵にそれを断るつもりはなかった。ただ、疑問はあった。淡雲が商人の皮を被った、裏の首領である事は理解した。しかし、見ず知らずの娘が一人殺されたぐらいで、何故そこまでするのか。一歩間違えれば獄門。しかし、成功しても淡雲が得られるものは何もないではないか。
「どうして、斯様な真似をしておられるので?」
返事をする前に、彦蔵は淡雲に訊いてみた。
「私もお前さんと同じでございますよ」
淡雲がそう告げると、穏やかに笑った。小太りで中背。終始笑顔で人の善さそうな印象を受けるが、目の奥は笑ってはいない。それだけで、この男が厳しい裏の界隈で生きてきた事が窺い知れる。
「お前さんは、侍嫌い。私は、外道嫌い。どうにもこうにも、許せねぇだけだよ」
その後、彦蔵は淡雲の話が本当であるかどうか独自に調べてみたが、おおよそ話の通りだった。あの日、福寿庵で彦蔵に話し掛けようとした、お種も同じ事を証言してくれた。また、密会はこれだけではない。土井という男は他にも人妻と密会していて、その殆どは無理矢理手籠めにした挙句、その事で脅し関係を迫っていたようだ。あけりが見た旗本の妻というのも、その口だった。これ以上ない、畜生外道である。淡雲に土井の始末を依頼したのも、そうして脅された人妻達なのかもしれない。
(やっぱり、侍ぇは嫌ぇだ)
彦蔵は鼻を鳴らした。あけりを手にかけた始末屋は始末した。全てを知っていて隠していた宗吉も始末した。二人は淡雲が依頼した標的ではないが、そうしなければ気が済まなかった。残るは、土井だけである。
彦蔵は、音もたてず瓦を滑り降りた。〔鼬目天〕の渾名に違わない敏捷な動きで屋敷に侵入すると、土井を難なく縛り上げ猿轡を噛ませた。
「お前のせいで、俺は裏に戻る羽目になっちまった。でも、仕方ねぇよ。お前はそれほどの事をしでかしたんだぜ」
土井が真っ赤な顔でもがいている。彦蔵はそれを無視し馬乗りになった。
「俺はこれから益屋の走狗になって、外道を狩らなきゃならねぇ。それが約束だからよ。だが不思議と、後悔はねぇんだ。だって、貴様みたいな侍を殺れて銭を貰えるんだ」
懐の匕首を引き抜くと、土井の首筋に当てた。思わず嗤いが込み上げて来た。そういえば、妹を斬った磯貝もこうして殺したものだった。
「お前は俺の女を殺りやがったんだ。文句は言わせねぇ」
彦蔵は満面の笑みを湛えたまま、首に当てた匕首の刃をゆっくりと引いた。
〔了〕
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どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。