彼だけが結婚に熱心だった

黒猫子猫

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私、やらかしたわ

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 深夜。
 ティナは一人、目を覚ましていた。
 とはいえ、ベッドに横たわったままなのは、彼がティナを抱きしめたまま寝ているせいだ。これで抜け出そうとしようものなら、勘のいい彼はすぐに目を覚ましてしまう。

 ベッドは少しばかり手狭だ。二人用のものだが、彼が長身で体格も良いせいか、いささか物足りない。

 一緒に暮らし、夜も共にするようになって、関係は深まる一方だ。彼への違和感が増していたティナだが、自身にも異変が起こっていた。

 窓のカーテンの隙間から僅かにベッドに差し込む月明りを頼りに、ティナは手の甲を見つめた。

 そこには薄っすらと《竜》の紋章が現れていた。

 雄々しく翼を広げるその姿は、おそらく《飛竜》だろう。

 竜を模した紋章を抱く国は、現在二つある。水の中に生きる《水竜》と、地を駆ける《地竜》の紋だ。
 かつて空を飛ぶ《飛竜》の紋章を掲げる国があったが、《地竜》を抱くルーフス王国に滅ぼされている。

 以来、飛竜は亡国の証として忌避されていたが、ティナの手に刻まれているそれはどこをどう見ても、他の竜には見えない。唯一の救いは、国章とは異なるデザインであったことだが、こんなものが手に現れているとなったら大騒ぎになる。

 だから、ティナは彼にも両親にも、誰にも言えずにいる。

 ――――まただわ。困ったわね……どうしたものかしら。

 朝目を覚ますと消えている事も多かったが、同衾している彼にはいつ見られるか分からない。いつものごとく悩んでしまったが、不意に彼がぎゅっと抱きしめてくる。

「……ティナ……」

 寝言だろうと声ですぐ分かったが、それでも愛おしいという思いがにじみ出るような優しい声だ。こんなにも完璧で優しい婚約者を疑い、大事な事を黙っているなんて、と罪悪感がこみあげてくる。

 やはりマリッジブルーに違いない。明日悩みを打ち明けようと、目を閉じたのだが。

「……俺が殺してやるからな」

 衝撃のあまり、全身が凍りついた。温厚で優しい笑みを崩さなかった好青年の言葉とは到底思えないものだったが、間違いなく彼の声だ。

 一瞬呼吸を忘れ、だが短い言葉は耳にこびりついて離れず、何度も頭の中を巡り、それと共に脳裏に失われていた《記憶》が蘇ってきた。

 滅びゆく祖国。燃え盛る王都。次々に倒れていく騎士や、王宮の人々。
 なだれ込んだルーフス王国の騎士たちによって、再興の芽を摘むために王家に連なる血筋の者は徹底的に追いまくられた。

 密かに王都を脱出した者達も全員が討ち取られ、最後に残った王族は――――まだ幼かった国王の一人娘だけになった。

 ――――つまり、私である。

 全てを悟ったティナは、一声、漏らした。

「……困ったことになったわね」

 最初に零した感想は、それである。

 動転するとか、騒ぐとか、ない。一介の村娘なら絶望して泣き叫んだかもしれないが、一国の王女として厳しく育てられた女であり、自分でも嫌になるほど冷静である。

 幸いにして今まで村娘として暮らしてきた間の知識も残っていたから、すぐに蘇った記憶と一緒に擦り合わせて、現状を理解する。

 ティナの祖国は《飛竜》を国章にするほど飛竜に縁深い国だったが、その関係はそれだけに留まらない。

 祖国には実際に空を飛ぶ《飛竜》が存在し、国軍と共に戦ってくれていた。だが、地を駆ける《地竜》を有するルーフス王国に屈し、滅びの道を歩んだ。

 ティナの祖国を滅ぼしたルーフスだが、その後領土の占領に苦心したのは、村娘であったティナの記憶からも良く知る所だ。

 主を失った《飛竜》は激怒し、ルーフス王国に一匹たりとも従属せずに飛び去ってしまったというのだ。貴重な戦力として見ていたルーフスは焦った。

 王族が生きていたら、飛竜は従うかもしれぬ。
 いや、王族がまだ生き残っているから、従わないのだ。

 意見は真っ向からぶつかり、未だに解決していない。
 ただ、飛竜を制御出来る者をルーフスは血眼になって探し、何としても手中に収めようとしていた。

 ティナは小さくため息をついた。
 将来の国主として育てられたティナは、無論、幼い頃から飛竜と触れ合って育っていた。仲の良い飛竜も沢山いた。
 何よりも、ティナは竜の言葉が分かるという、王家に時々現れる異才の持ち主でもあった。

 ルーフス王国が何が何でも手に入れたい相手であろうし、役に立たないのであれば是が非でも抹殺したい相手だろう。

「……やらかしたわ」

 ティナは自身を絡めとり、何としても結婚しようとしている男を見上げ、呻いた。

「あなた……ヴェルークじゃないの」

 かつて憎悪と激怒を秘めた瞳で、まっすぐに己を見返してきた男である。
 これは一大事だ。

 一刻も早く、婚約を解消しなければ、私はこの男に何をされるか分からない。
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