殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫

文字の大きさ
16 / 35

第16羽・殿下が可愛い時もある

しおりを挟む
 エミリアは慌てて彼の背中を擦り、
「吐き出して⁉」
と促した。

 彼は小さく首を振り、「飲み込んだ」と答えながらも、まだムセが止まらない。相当強烈だったらしく、彼は少しばかり涙目になって、顔も赤い。

 笑ってはいけないと思いながらも、ついエミリアは口元が緩む。

 ――――やだ。なんだか可愛いわ……。

 いつも自信満々で、派手に着飾っている男であったので、珍しさもあって魅入ってしまう。

 ただ、ランスがエミリアが差し出した物を食べた瞬間、口を押えて激しく咳き込んだ、という光景は、黙って控えていた彼の配下たちに別の事を連想させる。

 ランスは第一王子であり、彼が口にする可能性があるものは厳重な管理が敷かれていた。もしや、毒かもしれないと思ったのだ。

「殿下……っいかがされましたか!」
「貴様、何をした⁉」

 蒼白になって駆け寄った侍従たちに、エミリアはランスから手を放して、彼らの方へと身体を向けた。

「あの……ごめんなさい⁉」
「謝ってすむものではない! 何を笑っていた!」

 エミリアに、怒声が次々に浴びせられる。彼女の顔はみるみる内に青ざめたが、それは侍従たちのせいではない。何しろ彼らも一瞬にして、真っ白になったからだ。

 背後から感じ取った物凄い怒気に、エミリアは背筋が伸びる。今、振り返ってはいけないと思った。生きたがいる気がする。
 それを真っ向から見てしまったらしき侍従たちの顔に浮かんだ恐怖が、全てを物語っていた。
 だが、絶句していた彼らの中でも、少しばかり空気が読めない者がまじっていた。

 滅多に表情を変えなかった王子のかつてない姿など、そうそう拝めるものでは無い。つい吹き出してしまい、両隣にいた者たちから同時にわき腹を肘打ちされた。

 エミリアはそれを見て、ようやく振り返る。彼女に視線を落とした彼は、瞬時に目を和らげたが。

「おい……何がおかしい?」
「ご、ごめんなさい。あなた、顔が真っ赤よ?」
「……ムセたんだ。しょうがないだろう。……それに、甘いと言っていたじゃないか」

 その認識で口にしたら、全く違う強烈な酸味が襲ってきたのだ。エミリアは吐き出せと言ったが、彼女が美味しいと喜んで口にしていたから、そんな真似などしたくない。必死で飲み込んだは良いが、口の中にいつまでも残っていて、まだ彼を苦しめていた。

「お母さんが作った物は甘かったのよ。梅干しは酸っぱいものが殆どよ。これもそうね。だから、止めた方が良いって言ったのに……味見したんじゃなかったの?」
「……それは信貴シギが止めたんだ。そういう事か……」
「だと思ったわ」

 エミリアはくすくすと笑った。ランスはようやく口内の味が消えてきた事もあって表情を和らげたが、目の端でそろそろと逃げていく侍従たちを見逃さない。

 彼はエミリアに、「食事を続けろ」と微笑みかける。そして、元の位置で何事も無かったかのように、しらばっくれて立つ侍従たちの元へ歩いて行った。

 全員横一列になって直立不動になっている姿に、エミリアは規律がとれていると感心していたが、彼らは今、地獄に片足を突っ込んでいた。事の成り行きを見守っていた侍女たちは、もちろん彼らを前面に押し出して、背後に隠れている。

 ランスは冷徹な眼差しで侍従たちを一瞥し、まず真っ先に視線を向けたのは。

「お前……エミリアを貴様と言ったな?」
「あ……あの……殿下、お許し……ひぃいいい!」
「二度と口にするな。次はない」

 睨みつけられただけで、彼はもう泣きそうである。良かった、王子の怒りは彼に向いたと全員が一瞬だけ安心した所に、王子の怒気が襲う。

「エミリアを怯えさせたお前らも同罪だ」

 静かな口調でありながらも、凄まじい威圧感である。いや、彼女が恐れおののいたのは、自分たちよりも殿下では、などという事を口にできる勇者はいない。

 平謝りする彼らを見据え、ランスは唸るように言った。

「分かっていると思うが、俺は今、だ。二度と邪魔するな」

 そんな両者の短い会話の声は、エミリアのところからは聞こえない。半分に割ったおにぎりをお腹に全て入れ、手を拭きながら、何やら縮こまっている侍従たちと、叱責しているらしきランスを見る。

 ランスは部下に笑われて、馬鹿にされたと思ったのだろう。

 ――――でも、ちょっと笑いたくなるわよね。気持ちは分かるわ!
 と、心の中で侍従達を励ました。
しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

転生したら乙女ゲームの主人公の友達になったんですが、なぜか私がモテてるんですが?

山下小枝子
恋愛
田舎に住むごく普通のアラサー社畜の私は車で帰宅中に、 飛び出してきた猫かたぬきを避けようとしてトラックにぶつかりお陀仏したらしく、 気付くと、最近ハマっていた乙女ゲームの世界の『主人公の友達』に転生していたんだけど、 まぁ、友達でも二次元女子高生になれたし、 推しキャラやイケメンキャラやイケオジも見れるし!楽しく過ごそう!と、 思ってたらなぜか主人公を押し退け、 攻略対象キャラからモテまくる事態に・・・・ ちょ、え、これどうしたらいいの!!!嬉しいけど!!!

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました

もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

転生貧乏令嬢メイドは見なかった!

seo
恋愛
 血筋だけ特殊なファニー・イエッセル・クリスタラーは、名前や身元を偽りメイド業に勤しんでいた。何もないただ広いだけの領地はそれだけでお金がかかり、古い屋敷も修繕費がいくらあっても足りない。  いつものようにお茶会の給仕に携わった彼女は、令息たちの会話に耳を疑う。ある女性を誰が口説き落とせるかの賭けをしていた。その対象は彼女だった。絶対こいつらに関わらない。そんな決意は虚しく、親しくなれるように手筈を整えろと脅され断りきれなかった。抵抗はしたものの身分の壁は高く、メイドとしても令嬢としても賭けの舞台に上がることに。  これは前世の記憶を持つ貧乏な令嬢が、見なかったことにしたかったのに巻き込まれ、自分の存在を見なかったことにしない人たちと出会った物語。 #逆ハー風なところあり #他サイトさまでも掲載しています(作者名2文字違いもあり)

悪役皇女は二度目の人生死にたくない〜義弟と婚約者にはもう放っておいて欲しい〜

abang
恋愛
皇女シエラ・ヒペリュアンと皇太子ジェレミア・ヒペリュアンは血が繋がっていない。 シエラは前皇后の不貞によって出来た庶子であったが皇族の醜聞を隠すためにその事実は伏せられた。 元々身体が弱かった前皇后は、名目上の療養中に亡くなる。 現皇后と皇帝の間に生まれたのがジェレミアであった。 "容姿しか取り柄の無い頭の悪い皇女"だと言われ、皇后からは邪険にされる。 皇帝である父に頼んで婚約者となった初恋のリヒト・マッケンゼン公爵には相手にもされない日々。 そして日々違和感を感じるデジャブのような感覚…するとある時…… 「私…知っているわ。これが前世というものかしら…、」 突然思い出した自らの未来の展開。 このままではジェレミアに利用され、彼が皇帝となった後、汚れた部分の全ての罪を着せられ処刑される。 「それまでに…家出資金を貯めるのよ!」 全てを思い出したシエラは死亡フラグを回避できるのか!? 「リヒト、婚約を解消しましょう。」         「姉様は僕から逃げられない。」 (お願いだから皆もう放っておいて!)

処理中です...