彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫

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27.俺たちに未来はない

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 アッシュとセシリアは、一度家に戻った。ルーフス軍にラズを利用される前に、この地を見つけ出される前に、なんとしても助け出さなければならない。失敗すれば、ロイはラズを殺させるために刺客を送り込むに違いなかった。

 幸いにして、ロイはアッシュが奪還に動くことを認めている。まずはラズを救出し、セシリアと共にルーフス軍の目をひきつけて、集落から引き離そうと二人で相談して決めた。

 身体を休め、朝を迎えると、まず二人が向かったのは、セシリアの従者や侍女達が暮らす家だ。二十人の大所帯になるため、家の外に集まってもらった。

 滅多にない事だけに、近くで暮らしている飛竜たちも何事かと顔を上げているなか、アッシュとセシリアは従者たちに事情を説明する。いきなりセシリアが行方を晦ましてしまったら、彼らが心配すると思ったからだ。

 一通り話を終えると、沈痛の面差しをしている一同に、セシリアは更に言った。

「心配しないで。今すぐにここにルーフス軍が来るわけじゃないわ。彼らはもう私にだけ関心があるようだし、姿を消してから時間も経っているから、貴方たちの顔を見知っている者も、うろ覚えになっているはずよ」

 万が一、敵軍が迫り、この地を離れざるをえなくなったとしても、以前よりは逃げられる可能性は高い。

 セシリアは自身の不安や葛藤を表に出さないよう、励ますように彼らに告げる。自分の苦悩はアッシュが受け止めてくれた。従者たちのなかには、強張った顔で産まれた我が子を抱きしめているキャロルや、そんな妻を心配そうに見つめるコールの姿もあったからだ。

 騒めく彼らを見て、アッシュも声をかけようとした。聞き耳を立てている飛竜の数も増えている。動揺が集落全体に広がってもまずいと思ったからだ。

 だが、アッシュが口を開く前に、飛竜達が軒並み怯えたような声を漏らした。ロイが妻のリンを伴って、やって来るのが見えたからだ。

 ロイは人々や竜たちを見て、事情を知った様子である事を察した。アッシュとセシリアの前に立つと、淡々とした口調で言う。

「ルーフス軍が動き出したそうだ。こちらへ向っている」
「⋯⋯⋯⋯。森を越えても、険しい谷が続いているから、簡単には辿り着かないはずだ。夜を待って奪還に動く」

 アッシュは更に、セシリアと共にルーフス軍を引き付けるとロイに説明したが、彼は黙って首を横に振った。

「それよりも、もっと効果的な事があるだろう」
「ラズを殺せと言うのか?」
「セシリアもだ」

 一気に空気が凍りつき、ロイへ強い視線が集中する。もっとも怒りを露わにしたのは、アッシュだ。彼の目が据わり、セシリアを抱き寄せた。一身に敵意を浴びる夫を見て、リンも小さくため息を吐いた。

 ただ、ロイは殺気を滲ませるアッシュを見据え、冷淡に言い放つ。

「ラズが死ねば、道案内をするものがいなくなる。セシリアが死ねば、ルーフス軍は目的を達成する。双方の死が、群れに再び安定をもたらすだろう」
「⋯⋯お前は、それを本気で言っているのか」

 唸るようにアッシュが迫っても、ロイは動じない。

「お前が番に執着するのは分かる。本能的なものだ、仕方がない」
「⋯⋯っ俺は――」
「竜の番は、転生がかなうという話を知っているか」

 目を見張るアッシュに、ロイは静かに続けた。

「たとえ身体が死んだとしても、番の竜が魂を取り込んで守る事で、再び産まれることができる。どれほどの時間がかかるかは個人差がある上に、再び赤子から生まれるというが、ただ死ぬより遥かにマシだろう。それで手を打て」
「⋯⋯俺に諦めろと言う気か?」

「そうだ。どちらの子もな」
「貴様⋯⋯」

 ロイは知っているのだ。ラズと――セシリアのお腹にいる、もう一人の子の存在を。
 戦慄くアッシュに、ロイは冷笑し、彼にもっとも言ってはいけないことを告げた。

「お前はそれができる男のはずだぞ」

 アッシュの顔から、血の気が引いた。今なお忘れる事のできない深い傷が、抉られる。
 彼が返す言葉を失うなか、毅然とした態度で声を上げたのは、セシリアだった。

「私たちは、諦めないわ。何もせずに死んでいくなんて、嫌よ」
「⋯⋯処刑されるのを待つだけだった女の台詞ではないな」

 強い眼差しを向けるセシリアを見て、ロイは驚きを隠せない。ただ、彼女を守るように抱きしめていたアッシュの目に、再び生気が戻ったのにも気づいた。

「セシリアの言う通りだ」
「⋯⋯⋯⋯」

「俺はもう二度と、誰も見捨てたりしない」

 アッシュはセシリアに結婚を迫ったが、式を挙げる余裕などなく、まだ正式な妻となったわけではない。ラズとも血の繋がりはなかった。それでも、自分の大切な家族だ。かけがえのない、大切な存在だ。
 決して譲らないと言わんばかりのアッシュを見返し、ロイは小さくため息を吐く。反面、リンの顔に笑みが浮かぶなか、黙っていられなかったのは、従者達である。

 真っ先に声を上げたのは、キャロルだった。

「お嬢様、荷造りを始めますわ! 貴方、急いで!」
「わ、分かった!」

 コールが何度も頷けば、他の人々も口々に言う。

「お嬢様が出て行かれると言うのなら、我々も参ります!」
「そうですわ。冬を越せただけでも十分です!」

 この地で暮らすのが、セシリアの命と引き換えだというのなら、彼らは出て行く道を選ぶという。もともと帰る故郷もなく、家族も失われているなかで、生き延びていることが奇跡なのだ。セシリアが必死で動いたからこそだと、彼らは知っていた。

 そして、声を上げたのは人間達だけではなかった。

 ラズの乳母となっていた飛竜が突然鳴き声をあげると、周囲の竜たちまでも次々に続く。人々には彼らの意思は分からなかったが、ロイら飛竜には想いが届く。

 アッシュが出て行くのなら、自分達も去ると、彼らも言った。

 戦に敗れ、地竜に喰い殺されるところを、アッシュに救われて生き延びてきた。アッシュへ深い恩を感じ、今こそ返す時だと、訴える。厳しい冬も無事に越えられたのは、人間達のおかげだとも。

 人と竜、そのどちらもが、アッシュとセシリアに味方する光景を、ロイは黙って見つめた。アッシュは仲間達に感謝の視線を送った後、ロイに向かって言った。

「元に戻るだけだ」
「⋯⋯⋯⋯」

「お前はヴェルークの役にたちたい。そもそもの目的を果たそうとしているのは分かる。でも、俺は家族や仲間を守りたい。だから、またみんなで暮らせる地を探す。目的が違うのなら、道を違えるまでだ」

「どちらか折れなければ、そうするしかないな」
「あぁ。だが、俺は引き下がらないぞ」

「先に言うな」

 苦い顔をして睨みつけてくるロイに、アッシュはもう怯まない。今なお腕のなかにいてくれるセシリアの温もりが、彼を支えた。

 セシリアは夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きる事も、全て諦めてきた。それでも、アッシュと共に生きようと勇気を振り絞ってくれている。

 彼女の信頼に、自分は全力で応えよう。かつて抱いた想いは、やはり変わらなかった。

 そして、弱い存在である人間達を気にかけるのか、アッシュには今、ようやく分かる。

「お前はヴェルークのために、強い竜を求め続けている。でも、そのヴェルークはかつて弱い人間に味方して、竜族と戦っただろう」
「ヴェルーク様の恩を忘れ、私欲に走り、信頼を裏切ったのは人間の方だぞ」

「そうだな。人は昔も今も争ってばかりだ。竜族も驕って弱者を見下している」
「⋯⋯⋯⋯」

「人間は竜族より遥かに弱くても、俺たちにはないものがある。共に生きていくなかで、互いに学べることがあるはずだ。ヴェルークは竜族の支配で凝り固まった世界に新しい道を見出したからこそ、人に手を貸したんじゃないのか」
「⋯⋯それは⋯⋯」

 ロイは息を呑み、言葉を噤んだ。沈黙は肯定しているに他ならない。ヴェルークの腹心として共に戦い、誰よりも彼の想いを理解しているロイの、最も痛い所を突いたといえる。

 アッシュは一同を見つめた。

 飛竜は弱い者を見捨てることがある種だ。だからこそ無類の強さを誇ってもいる。だが、人間は違う。小さな命も慈しめる。弱く未熟な子を、長い時間をかけて守りながら大切に育てる種だからかもしれないと、アッシュは思う。

「弱者を見捨て続ける限り、俺たちに未来はない」

 共に戦うべきだ。共にあるべきだ。

 アッシュは今、心からそう思った。

 長い沈黙の末、ロイは静かに告げた。

「いいだろう。お前の覚悟、確かに受け取った。好きにさせてやる」
「ラズとセシリアに手は出すな」
「分かった」

 一斉に安堵の声を上げ、人々はアッシュやセシリアの元に駆け寄った。竜達も騒ぎだし、その声は離れて暮らすロイの部下たちの耳も届いたようで、遠くからも竜の鳴き声がする。

 ひとり苦虫を噛み潰した顔をしているロイに、リンはくすくすと笑った。

「お前の負けだな。珍しい事もあるものだ」
「⋯⋯ヴェルーク様を思い出した。愚かだと、さんざん竜族から罵倒されても、人に味方した」

「すべての人間が、愚かではない。すべての竜が、正しくなかったように」
「⋯⋯そうだな。しかし、アッシュも挫けない奴だ。根が単純だからか? こんな状況でも、あいつは妙に元気だな」

 もはや呆れるしかないロイに、リンは澄ました顔で言った。

「あぁ、眠り薬を盛らなかったからだろう。いちいちお前の指図を聞く私と思うな」
「そんな事だろうと思って、私が入れ直した――あと、捨てた」

「なに?」
「目覚めた時、間違いなく大暴れするだろう。そちらの被害の方が甚大だと思い直してな。ならばアッシュを追い込んで、焚きつけた方がいい。あいつは気が優しすぎるからな。ルーフス軍には知恵者が紛れ込んでいる。迷えば命取りになりかねない」

「それだけか」
「他に何がある」

 ロイは表情一つ変えなかったが、リンがじっと見ていると、気まずげにぷいと顔を背ける。
 リンは思わず噴き出した。

「お前も損な男だ」
「うるさいぞ」

 苦々し気に言いながら、ロイはアッシュを呼んだ。
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