彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫

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26.一緒に行こう

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 セシリアは、アッシュへロイと話したことを全て伝えた。ロイはアッシュの上役でもある。どちらの立場も鑑みて、自分の感情をまぜるのではなく、できるだけありのままの事実を伝える。

 ずっと彼女を抱きしめたまま、静かに話を聞いていたアッシュは、話し終えたセシリアを抱く腕を強くした。

 セシリアは、ロイの立場と性格も理解していた。そして、群れを守りたいという言い分も分かるから、彼を責めるような言動を一切しなかった。群れの中でのアッシュの事を想い、だからこそ、再び自己犠牲の道を選びかけたのだ。

 それでも、最後は踏みとどまり、戻って来てくれたことに、アッシュは安堵と喜びを覚えた。

「⋯⋯確かに、俺がたとえラズを助け出したとしても、ルーフス軍に飛竜とお前の存在が知られた以上、奴らは捜索の手を緩めないかもしれないな」
「ここを知られるわけにはいかない。貴方が⋯⋯犠牲になってしまうわ」

 また新たな涙が落ちたのを見て、アッシュは顔を曇らせた。

「俺もお前を追いつめたな。すまない」
「⋯⋯いいえ。私たちを助けるために、してくれたことだから」

 竜の番への愛情は深い。庇護を渋ったロイを説得するために、アッシュもまた身を投げ出していた。

 ただ、深い悲しみを滲ませるセシリアに、アッシュは思いを新たにする。

「言い訳になるとは思うが、俺は死ぬ気はなかったんだぞ。確かにロイの部下は、封印を破って力尽きた。でも、俺は乗り越えられる可能性だってあるはずだ。若いし、体力もあるからな。あの後、ロイにはお前は単純バカだから、意外にいけるかもしれないとも言われた。それは関係ないだろ、と今でも思う」

 わざとらしく顔をしかめて見せると、セシリアがようやく小さく笑った。

「貴方は馬鹿じゃないわ。とても真っすぐよ。だから⋯⋯私も一緒にいて安心するのね」

 セシリアはアッシュのシャツを握り締め、彼の温もりに身を委ねた。自分の手の甲を見れば、いつの間にか竜の紋章は再び色濃くなっている。

「セシリア。お前は俺の番だ。でも、それだけが俺を魅せているわけじゃない。お前の健気さや、聡明さ――それに、同じ人間だけじゃなく、異種の竜に対しても、深い情をもって接している。稀有なことだと思う。だから、番として、一人の女として、俺はお前が好きだ」

 月明りの下で、セシリアの耳が薄っすらと赤く染まる。アッシュが名を呼ぶと、そっと顔を上げたセシリアの頬もだ。優しく微笑むアッシュを見つめ、セシリアもまた笑みを零した。

「⋯⋯私も、人としても、竜としても、貴方を尊敬しているわ。一緒にいて、楽しくて⋯⋯キャロル達が心穏やかに暮らして、ラズや貴方と共に過ごせて、幸せだと思ってる。みんな、貴方のおかげよ。貴方が好きだから、きっとこんな気持ちになるのね」

 穏やかな眼差しを向けるセシリアに、アッシュは目を見張り、そして心底嬉しそうな顔をして、堪えきれずにキスをした。彼女が素直に受け止めてくれたことで、よりいっそう想いは深くなり、唇を離しても、腕は抱きしめたままだ。

「ラズを助けて、旅に出るか」
「どこに⋯⋯?」

 セシリアの国は滅びた。飛竜が自由に暮らせる地はない。それでも、アッシュを見上げれば、彼の目に絶望や悲観するような思いはなかった。新たな選択肢を見つけ、彼は進もうという。その強い眼差しに、セシリアは何度も励まされ、慰められた。

「どこまでも。一緒に行こう」
「⋯⋯えぇ。貴方となら、どこにでも行くわ」

 あてもなく放浪しても、一緒に生きられるのなら、きっと幸せなのだとセシリアは思った。そして、視線を下に落とし、柔らかく笑った。

「家族がいれば、何も怖くないわね」
「そういうことだ。ラズは俺たちの子どもだからな」

「えぇ。いいお兄ちゃんになるわ」
「⋯⋯ん?」

 不思議そうなアッシュの声に、セシリアは顔を上げ、言葉の意味を考えている彼に、「まだ定かではないけれど」と前置きをした上で、もう一つの事実を告げた。

「貴方はもう一人の子の、父親になるのよ」

 セシリアは生涯、その時のアッシュの顔を忘れなかった。

 目を真ん丸にして固まった後、驚きのあまり頭を掻きむしり、セシリアから腕を離してしまったことに気付いてすぐに抱きなおしたかと思えば、慌てて力をゆるめた。

 すさまじい動揺ぶりである。

「⋯⋯っセシリア!」

 アッシュは弾けるような笑顔を浮かべて、セシリアの頬や額に何度もキスをして、大きく息を吐いた。そして、心配そうに彼女を見つめて、更に続けた。

「悪い。ずっと強く抱きしめていたな。大丈夫か?」
「えぇ。そんなに気にしないで」

 アッシュの腕に包まれている方が安心するから、セシリアはそう告げたが、アッシュは冷や汗を滲ませた。

「⋯⋯っ⋯⋯だめだ、壊しそうだ」
「おおげさだわ」

「飛竜はどんなに弱い種でも、人間にしてみると怪力なんだぞ。俺だって子供の頃、まったく力の加減ができなくて、木をへし折ったり、よその家の壁に穴をあけたりしていた」
「まぁ、元気ね」

 くすくすと笑うセシリアに、アッシュは情けない顔になる。

「笑いごとじゃねえぞ。この先ずっと、俺は挙動不審になる自信がある。ラズにもよく言い聞かせておかねえとな。あいつは、すぐお前に抱きつきたがる」

「確かにそうだったわね。身体が大きくなってきて抱き上げられなくなったけど、今より小さい時はよく飛びつかれて、押し倒されたり⋯⋯」

 苦笑していたセシリアの言葉が途切れた。アッシュもまた息を呑み、ほろ苦い笑みを零した。

「あいつはもう、気づいていたのかもしれないな。産まれてからずっとお前に甘えて、傍にいたから」
「⋯⋯だから、私が抱き上げようとすると⋯⋯嫌がったのね」

 アッシュは大きく頷いた。

「俺からしか餌を食べなくなったのも、お前に食糧を与えたいと思ったからだろう。飛竜としてはありえない行動だがな」

 限られた生活環境であることは、ラズも理解していたはずだ。特に冬の間は食料も少ない。弱者を見捨てることもある飛竜という種ならば、自分が生き残ることを優先し、弱者に食料を分け与えるような情を抱かないはずだった。

 だが、ラズは圧倒的な弱者である人の温もりと愛情を受けながら育った。キャロル夫妻や従者たちにもよく遊んでもらっていたし、自分と同時期に産まれた夫妻の赤子がまだ立ち上がれない弱弱しさであることも目にしている。

 今、アッシュが過剰なほどセシリアを案じているように、ラズもまた、大切な母親の身を想ったのだ。

 涙を落としたセシリアに、アッシュは微笑んだ。

「あいつは、思いやりのある、賢い子だ」

 そして、かけがえのない我が子だと、二人は心から思った。
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