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第一章 戌隊長は、今日も寝不足です
おあずけ
翌日の朝、ビアンカは目を覚まし、そして眼前の男の身体に硬直し、顔を上げて、鋭い目で睨まれて顔が引きつった。
「ええと⋯⋯おはよう?」
「気分は」
「悪くないわ⋯⋯すっきり」
「よかったな」
一晩で媚薬の効果は抜けたようだ。
俺は最悪だったと、シグバードは思った。
無防備な姿で眠るビアンカを前に、何度襲いそうになったか分からない。媚薬を盛られたせいなのか、寝言で漏らす声もいちいち色っぽい。
それでも寝ようと試みて、やっと寝入りかけた時に、『シグ』と切なそうに呼ばれたものだから、完全に目が醒めた。
お陰で一睡も出来ず悶々とした夜を過ごしたので、完全に寝不足である。戌の健康を壊すもとだ。
気分爽快のビアンカとは逆に、今度はシグバードの瞼は重くなった。彼女が媚薬から解放されたという安心感もあって、急に眠気が襲ってきたのだ。
一方、ビアンカは全く落ち着かなくなった。何しろ彼の顔を直視できず、視線を彷徨わせた結果、彼のトラウザーズの一部が盛り上がっている事に気付いたからだ。
「シグ⋯⋯バード、あの⋯⋯」
「⋯⋯もう勘弁してくれ。お前のせいで疲れた」
うんざりしたような声に、ビアンカは頷きつつも、顔は真っ赤に染まって、激しく動揺した。
――勘弁しろってなに? 疲れさせたって、なんで⁉ もしかして⋯⋯昨夜、したの⁉
ビアンカは泣きそうになった。
昨夜の記憶は、彼のお腹が枕に丁度良いと思った後、途絶えている。
ただ、その前までの奇行はしっかりと覚えていて、思い出しただけで顔から火が出そうだ。
あれは正気じゃなかった。あんな淫らな言動を自分がするなんて、おかしい。
だとしたら、考えられることはただ一つ――――発情期が来たのだ。
そして、大好きなシグバードに欲望のままに迫ったに違いない。彼はそれを察して、同情して抱いてくれたのだろうか。
――でも覚えていない!
そもそも、自分は男を知らぬ身だ。
初めての時は痛みと出血を伴うとも聞いた事がある。今のところ痛みはないが、あらぬ場所が疼いている感覚はあった。だから、多分そういう事なのか。
――――でも思い出せない!
本気で泣きたい。
かなり疲れた様子で寝入りかけているシグバードを問い詰める訳にもいかないし、今日の昼過ぎには出立しなければならない。
折角彼に触れてもらえたのに、何も覚えていないまま別れるなんて寂しすぎた。
ビアンカは身体を起こして、シグバードの顔を見つめた。静かな寝息を立て始めたのを見て、意を決する。
ちょっとだけ、と言い聞かせ、彼の額に軽くキスを落とした。そのまま離れようとしたとき、突然頭の後ろを手で押さえられ、唇を塞がれた。
「ん⋯⋯っ⁉」
「俺が寝ている内に、出て行けばいいものを⋯⋯もう許さん」
唸るように言うと、彼は身体を捻ってビアンカを押し倒した。
「⋯⋯シグ、待っ⋯⋯」
「断る。お前だって昨夜、待たなかっただろう」
覚えていないと訴えようにも、シグバードは首筋に顔を埋めた。
「あ⋯⋯嘘⋯⋯やめ⋯⋯っ」
「何を今更。俺達は身体を舐めあった仲だろう?」
「子供の頃の⋯⋯話じゃない! それに、舐めたのは毛よ⋯⋯⁉」
毛づくろいをするために、子犬が身体を舐めるのはままある事だ。子供で、しかも幼馴染でもあったから、男女の身体などという意識もなかった。
「同じようなものだ」
ビアンカは頬を染める。ずっと好きだった男が、自分を求めてくれているという事実に、胸のときめきが止まらない。
ただ、彼の手が服を脱がせにかかっているのに気づき、我に返った。
「待って⋯⋯脱がさないで!」
「風呂に一緒に入って、お互い全部見ただろ」
「だから、それも子供だったからよ⁉」
「大人になってもするんだよ」
シグバードは低く笑った。
その甘い声が身体に走り、彼に見惚れてしまう。羞恥でおかしくなってしまいそうだったが、シグバードに触れてもらっていると思うと、嬉しくて仕方がなかった。
――これも⋯⋯発情期のせいかしら。もう何がなんだか⋯⋯分からないわ。
乱れる息のなか、ビアンカはそんな事を思う。
「シグバード⋯⋯」
「我慢するか?」
「なに、を⋯⋯」
「俺に抱かれずに、このままいくかと聞いている」
意地悪げに目を細められ、ビアンカは半泣きになった。今断れば、シグバードは終わらせてくれるようだ。
でも、こんな機会などもう今後は無いだろう。
彼はすぐに新たな恋人を見つけるだろうし、自分は聖都に行く身である。
今なら発情期のせいだと、お互いに言い訳もできる。
自分は狡い女だと思いながら、ビアンカは小さく首を横に振った。
「⋯⋯して――」
シグバードが笑みを深め、軽く額にキスを落とされる。それだけで、ビアンカの心臓の鼓動は跳ね上がり、未知の行為への緊張が高また。
「――くれなくていいわ!」
ビアンカは理性を総動員して、流されそうになった自分を叱りつけながら、慌てて撤回した。
戌の一族は、雌が発情期に入った時に雄と交尾することで子を孕む。シグバードに最後までされて子が出来たら、彼に庶子を作る事になってしまうとも思ったからだ。
シグバードは顔を引きつらせる。
「無防備な姿を晒して、一度応じておいて⋯⋯即座にやめてはねえだろ、ビアンカ」
「だめ⋯⋯だめ、なのよ! だって……子ができる行為だわ」
「⋯⋯っ」
シグバードは、それこそ強硬手段に出る事など幾らでもできた。力も、体格も自分の方が上だ。
昨夜だって、媚薬に酔った彼女を抱けたのだ。煙に巻いて、彼女を押し倒した今も、同意を得るまでは堪えていた。ようやく交われると思いきや、これである。彼女の声に本気の拒絶を感じ取り、呻くしかない。
ただでさえ強情で、自立心も強く、些細な事でも自分に手助けをされる事を嫌がる彼女と、これ以上距離が開くのは困る。
「⋯⋯安心しろ。俺は別にお前と子を作ろうと思ってしてるわけじゃねえからな⋯⋯確実な避妊をする」
「ほんと⋯⋯ねっ?」
「解決したな。いいから、集中しろ」
再びキスをされて、ビアンカは蕩けそうな心地になった。もう一度、彼を拒めそうにはない。
発情期に陥った雌を見ると、男は子孫を残したい雄の本能を触発されるという。シグバードが自分を抱こうとしているのは、恐らくそのためだ。
だから、ビアンカに触れる事は彼の本意ではない。
子を作れる機会だというのに、最初から彼にはその気がなかったという口調が、その裏付けだ。
シグバードを拒絶しながらも、その事実に胸の奥が疼き、またいつもの自分勝手な自分に泣きたくなる。
それでも、シグバードに甘く激しく求められ、散々翻弄されながら体を重ねたビアンカは、全てが終わったとき、やっぱり意地悪だと思いながら意識を飛ばした――。
身体を離したシグバードは、ビアンカの穏やかな寝顔に頭を抱えたくなった。
「⋯⋯おい、また寝たのか?」
もっと煽って、次をねだらせようと目論んだというのに、彼女はすっかり夢の中だ。
ただ、それもビアンカらしいと苦笑して、シグバードは毛布で彼女の身体を優しく包むと、横に寝転がった。
初めての行為を終えたばかりであるし、これは自分が我慢するべきだろうと思ったが、ぼやきは止まらない。
「⋯⋯どうする。また寝れねえぞ⋯⋯」
睡眠不足の頭と、もう止めてやれという理性と、足りないと飢える身体に、彼はしばらく苦悩する事になった。
一時間後、ビアンカは目を覚ました。
しかも、今度はシグバードの硬い胸を枕に、彼に抱き締められるようにして寝ていたものだから、血の気も引く。
シーツは真新しく、服は身に着けていて一瞬夢だったのだろうかと思ったが、あらぬ場所が疼き、更にシグバードは裸のままだ。
「⋯⋯素敵な思い出をありがとう」
先程とは異なり、ぐっすりと寝入っている彼を見つめてビアンカは小さく呟くと、そっと腕の中から抜け出して、部屋を後にした。
シグバードが目を覚ましたのは、夕方に差しかかった頃だった。
隣で眠っていたはずのビアンカがいなくなっていた事に、彼は全く動じなかった。気怠い身体を起こして、浴室で身を清め、着替えを済ませる。
遅すぎる食事を摂りながら、机に置きっぱなしになっていた書簡を開いた。
聖都の守護を務める近衛兵団への異動辞令である。
士官学校に在学中も度々近衛兵団への配属を打診されていたが、シグバードは固辞してきた。
騎士団に入った後もすぐに頭角を現した彼に、何度も同様の誘いがきていたが、それでも頷かなかった。
もちろん、あの忌々しい申を、ビアンカに近づかせないためだ。
ビアンカが独力で借金を返すまで、シグバードは辛抱強く待つつもりでいた。
身を粉にして働く彼女が心配でたまらなかったが、手助けどころか口出しされるのも嫌がるから、見守るしかなかった。
彼女が完済間際に迫る勢いで働いたのは、あの男も誤算だっただろう。
そのせいか、最近では荷駄にわざと違法な物を紛れ込ませて事あるごとにビアンカに絡み、それでも彼女が靡かないと見るや、手段を選ばなくなってきた。
一刻も早く、あの男をビアンカから引き離さなければならない。
その為に、シグバードは聖都に居た時に出来た伝手を使い、彼女に新たな仕事を斡旋した。
自分の紹介だと彼女が知れば絶対に断るから、自分の名は一切出させなかった。
国境警備隊にやりがいを感じていたのか、なかなか決心する様子が無く、やっと応じたと聞いた時には胸を撫で下ろしたものである。
彼女の聖都行きが決まった日、シグバードは近衛兵団の誘いにようやく乗った。
騎士団よりも遥かに待遇が良く、地位も上がる。騎士団で稼いだ金も全て貯めてあった。頑張った彼女を思いっきり甘やかすと決めているからだ。
ビアンカが完済を果たして義務感から解放されたら、少しは心に余裕も出来て、自分の話を聞いてくれるかもしれない。
聖都に行って、全ての憂いが無くなってから触れようと我慢してきたが、彼女のほうから近づいてきてくれたのは嬉しい誤算だった。
まだ自分に気持ちが残っていると確かめられたので、ひとまず安堵して我慢もできた。
それに、春になった。
発情期に陥る雌が圧倒的に多くなる季節だ。ビアンカは年齢的にも申し分ないし、そろそろだろう。
一度発情すると、雄が欲しくて、傍から離れられなくなるという。
意地っ張りな彼女がどれ程乱れるか、考えただけでもたまらない。
「さて――狩るか」
戌には『狩猟』本能がある。
一度己のものと決めた伴侶を、決して逃しはしない。諦めはしない。婚約破棄は必ず撤回させる。
追って、捕らえて、愛するのが、戌の一族である。
「ええと⋯⋯おはよう?」
「気分は」
「悪くないわ⋯⋯すっきり」
「よかったな」
一晩で媚薬の効果は抜けたようだ。
俺は最悪だったと、シグバードは思った。
無防備な姿で眠るビアンカを前に、何度襲いそうになったか分からない。媚薬を盛られたせいなのか、寝言で漏らす声もいちいち色っぽい。
それでも寝ようと試みて、やっと寝入りかけた時に、『シグ』と切なそうに呼ばれたものだから、完全に目が醒めた。
お陰で一睡も出来ず悶々とした夜を過ごしたので、完全に寝不足である。戌の健康を壊すもとだ。
気分爽快のビアンカとは逆に、今度はシグバードの瞼は重くなった。彼女が媚薬から解放されたという安心感もあって、急に眠気が襲ってきたのだ。
一方、ビアンカは全く落ち着かなくなった。何しろ彼の顔を直視できず、視線を彷徨わせた結果、彼のトラウザーズの一部が盛り上がっている事に気付いたからだ。
「シグ⋯⋯バード、あの⋯⋯」
「⋯⋯もう勘弁してくれ。お前のせいで疲れた」
うんざりしたような声に、ビアンカは頷きつつも、顔は真っ赤に染まって、激しく動揺した。
――勘弁しろってなに? 疲れさせたって、なんで⁉ もしかして⋯⋯昨夜、したの⁉
ビアンカは泣きそうになった。
昨夜の記憶は、彼のお腹が枕に丁度良いと思った後、途絶えている。
ただ、その前までの奇行はしっかりと覚えていて、思い出しただけで顔から火が出そうだ。
あれは正気じゃなかった。あんな淫らな言動を自分がするなんて、おかしい。
だとしたら、考えられることはただ一つ――――発情期が来たのだ。
そして、大好きなシグバードに欲望のままに迫ったに違いない。彼はそれを察して、同情して抱いてくれたのだろうか。
――でも覚えていない!
そもそも、自分は男を知らぬ身だ。
初めての時は痛みと出血を伴うとも聞いた事がある。今のところ痛みはないが、あらぬ場所が疼いている感覚はあった。だから、多分そういう事なのか。
――――でも思い出せない!
本気で泣きたい。
かなり疲れた様子で寝入りかけているシグバードを問い詰める訳にもいかないし、今日の昼過ぎには出立しなければならない。
折角彼に触れてもらえたのに、何も覚えていないまま別れるなんて寂しすぎた。
ビアンカは身体を起こして、シグバードの顔を見つめた。静かな寝息を立て始めたのを見て、意を決する。
ちょっとだけ、と言い聞かせ、彼の額に軽くキスを落とした。そのまま離れようとしたとき、突然頭の後ろを手で押さえられ、唇を塞がれた。
「ん⋯⋯っ⁉」
「俺が寝ている内に、出て行けばいいものを⋯⋯もう許さん」
唸るように言うと、彼は身体を捻ってビアンカを押し倒した。
「⋯⋯シグ、待っ⋯⋯」
「断る。お前だって昨夜、待たなかっただろう」
覚えていないと訴えようにも、シグバードは首筋に顔を埋めた。
「あ⋯⋯嘘⋯⋯やめ⋯⋯っ」
「何を今更。俺達は身体を舐めあった仲だろう?」
「子供の頃の⋯⋯話じゃない! それに、舐めたのは毛よ⋯⋯⁉」
毛づくろいをするために、子犬が身体を舐めるのはままある事だ。子供で、しかも幼馴染でもあったから、男女の身体などという意識もなかった。
「同じようなものだ」
ビアンカは頬を染める。ずっと好きだった男が、自分を求めてくれているという事実に、胸のときめきが止まらない。
ただ、彼の手が服を脱がせにかかっているのに気づき、我に返った。
「待って⋯⋯脱がさないで!」
「風呂に一緒に入って、お互い全部見ただろ」
「だから、それも子供だったからよ⁉」
「大人になってもするんだよ」
シグバードは低く笑った。
その甘い声が身体に走り、彼に見惚れてしまう。羞恥でおかしくなってしまいそうだったが、シグバードに触れてもらっていると思うと、嬉しくて仕方がなかった。
――これも⋯⋯発情期のせいかしら。もう何がなんだか⋯⋯分からないわ。
乱れる息のなか、ビアンカはそんな事を思う。
「シグバード⋯⋯」
「我慢するか?」
「なに、を⋯⋯」
「俺に抱かれずに、このままいくかと聞いている」
意地悪げに目を細められ、ビアンカは半泣きになった。今断れば、シグバードは終わらせてくれるようだ。
でも、こんな機会などもう今後は無いだろう。
彼はすぐに新たな恋人を見つけるだろうし、自分は聖都に行く身である。
今なら発情期のせいだと、お互いに言い訳もできる。
自分は狡い女だと思いながら、ビアンカは小さく首を横に振った。
「⋯⋯して――」
シグバードが笑みを深め、軽く額にキスを落とされる。それだけで、ビアンカの心臓の鼓動は跳ね上がり、未知の行為への緊張が高また。
「――くれなくていいわ!」
ビアンカは理性を総動員して、流されそうになった自分を叱りつけながら、慌てて撤回した。
戌の一族は、雌が発情期に入った時に雄と交尾することで子を孕む。シグバードに最後までされて子が出来たら、彼に庶子を作る事になってしまうとも思ったからだ。
シグバードは顔を引きつらせる。
「無防備な姿を晒して、一度応じておいて⋯⋯即座にやめてはねえだろ、ビアンカ」
「だめ⋯⋯だめ、なのよ! だって……子ができる行為だわ」
「⋯⋯っ」
シグバードは、それこそ強硬手段に出る事など幾らでもできた。力も、体格も自分の方が上だ。
昨夜だって、媚薬に酔った彼女を抱けたのだ。煙に巻いて、彼女を押し倒した今も、同意を得るまでは堪えていた。ようやく交われると思いきや、これである。彼女の声に本気の拒絶を感じ取り、呻くしかない。
ただでさえ強情で、自立心も強く、些細な事でも自分に手助けをされる事を嫌がる彼女と、これ以上距離が開くのは困る。
「⋯⋯安心しろ。俺は別にお前と子を作ろうと思ってしてるわけじゃねえからな⋯⋯確実な避妊をする」
「ほんと⋯⋯ねっ?」
「解決したな。いいから、集中しろ」
再びキスをされて、ビアンカは蕩けそうな心地になった。もう一度、彼を拒めそうにはない。
発情期に陥った雌を見ると、男は子孫を残したい雄の本能を触発されるという。シグバードが自分を抱こうとしているのは、恐らくそのためだ。
だから、ビアンカに触れる事は彼の本意ではない。
子を作れる機会だというのに、最初から彼にはその気がなかったという口調が、その裏付けだ。
シグバードを拒絶しながらも、その事実に胸の奥が疼き、またいつもの自分勝手な自分に泣きたくなる。
それでも、シグバードに甘く激しく求められ、散々翻弄されながら体を重ねたビアンカは、全てが終わったとき、やっぱり意地悪だと思いながら意識を飛ばした――。
身体を離したシグバードは、ビアンカの穏やかな寝顔に頭を抱えたくなった。
「⋯⋯おい、また寝たのか?」
もっと煽って、次をねだらせようと目論んだというのに、彼女はすっかり夢の中だ。
ただ、それもビアンカらしいと苦笑して、シグバードは毛布で彼女の身体を優しく包むと、横に寝転がった。
初めての行為を終えたばかりであるし、これは自分が我慢するべきだろうと思ったが、ぼやきは止まらない。
「⋯⋯どうする。また寝れねえぞ⋯⋯」
睡眠不足の頭と、もう止めてやれという理性と、足りないと飢える身体に、彼はしばらく苦悩する事になった。
一時間後、ビアンカは目を覚ました。
しかも、今度はシグバードの硬い胸を枕に、彼に抱き締められるようにして寝ていたものだから、血の気も引く。
シーツは真新しく、服は身に着けていて一瞬夢だったのだろうかと思ったが、あらぬ場所が疼き、更にシグバードは裸のままだ。
「⋯⋯素敵な思い出をありがとう」
先程とは異なり、ぐっすりと寝入っている彼を見つめてビアンカは小さく呟くと、そっと腕の中から抜け出して、部屋を後にした。
シグバードが目を覚ましたのは、夕方に差しかかった頃だった。
隣で眠っていたはずのビアンカがいなくなっていた事に、彼は全く動じなかった。気怠い身体を起こして、浴室で身を清め、着替えを済ませる。
遅すぎる食事を摂りながら、机に置きっぱなしになっていた書簡を開いた。
聖都の守護を務める近衛兵団への異動辞令である。
士官学校に在学中も度々近衛兵団への配属を打診されていたが、シグバードは固辞してきた。
騎士団に入った後もすぐに頭角を現した彼に、何度も同様の誘いがきていたが、それでも頷かなかった。
もちろん、あの忌々しい申を、ビアンカに近づかせないためだ。
ビアンカが独力で借金を返すまで、シグバードは辛抱強く待つつもりでいた。
身を粉にして働く彼女が心配でたまらなかったが、手助けどころか口出しされるのも嫌がるから、見守るしかなかった。
彼女が完済間際に迫る勢いで働いたのは、あの男も誤算だっただろう。
そのせいか、最近では荷駄にわざと違法な物を紛れ込ませて事あるごとにビアンカに絡み、それでも彼女が靡かないと見るや、手段を選ばなくなってきた。
一刻も早く、あの男をビアンカから引き離さなければならない。
その為に、シグバードは聖都に居た時に出来た伝手を使い、彼女に新たな仕事を斡旋した。
自分の紹介だと彼女が知れば絶対に断るから、自分の名は一切出させなかった。
国境警備隊にやりがいを感じていたのか、なかなか決心する様子が無く、やっと応じたと聞いた時には胸を撫で下ろしたものである。
彼女の聖都行きが決まった日、シグバードは近衛兵団の誘いにようやく乗った。
騎士団よりも遥かに待遇が良く、地位も上がる。騎士団で稼いだ金も全て貯めてあった。頑張った彼女を思いっきり甘やかすと決めているからだ。
ビアンカが完済を果たして義務感から解放されたら、少しは心に余裕も出来て、自分の話を聞いてくれるかもしれない。
聖都に行って、全ての憂いが無くなってから触れようと我慢してきたが、彼女のほうから近づいてきてくれたのは嬉しい誤算だった。
まだ自分に気持ちが残っていると確かめられたので、ひとまず安堵して我慢もできた。
それに、春になった。
発情期に陥る雌が圧倒的に多くなる季節だ。ビアンカは年齢的にも申し分ないし、そろそろだろう。
一度発情すると、雄が欲しくて、傍から離れられなくなるという。
意地っ張りな彼女がどれ程乱れるか、考えただけでもたまらない。
「さて――狩るか」
戌には『狩猟』本能がある。
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