幼馴染の戌騎士は、婚約破棄を断固として認めない

黒猫子猫

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第二章 戌騎士は、今日もお怒りです

重い戌

 昔から派手好きで、見栄っ張りだった両親の散財は酷かったが、最近では賭博に夢中になっていた。借金を一人娘に押し付けて逃げた彼らは、今もどこかで新たな借金を作っているかと思うと気が滅入る。

 ランスは優しい顔に愉悦の笑みを浮かべ、容赦なく追い打ちをかけた。

「そちらの期限は一週間後になります。お父様の借金の方は猶予を与えてあげましたから、もう温情はかけられませんよ。耳を揃えて全額返してください。できなければ、延滞の利息が膨れ上がっていくだけですよ」
「⋯⋯⋯⋯」
「悪徳でしょう? よく言われます」

 蒼白になっているビアンカに、ランスは容赦なく言い放つが、彼を見返してきたビアンカの目は詰るものではなかった。

「⋯⋯借りたものは返すべきだと思います。貴方の提示した条件で頷いたのは両親ですし、私は⋯⋯必ずお返しすると約束しました。貴方も慈善事業をしているわけではないでしょうし、当然の言い分です」
「⋯⋯⋯⋯。では、また一週間後の同じ時刻に、ここでお待ちしていますよ」
「分かりました」

 ビアンカは借用書を彼に返すと、丁寧に頭を下げて帰っていった。そんな彼女の後姿を見つめ、ランスは苦笑する。

「本当にあの子は真面目ですねぇ⋯⋯連帯保証人になっているわけでもないのですから、断ればいいものを。あの目障りな戌男の入れ知恵にも耳を貸さず、まぁ健気なものです」

 控えていた彼の秘書は強く頷いた。

 申の一族は、昔から智慧が回る者が多い事で知られていた。それもあって財を蓄える事が得意で、ランスも例外ではなく、様々な事業を多角的に経営している大金持ちだ。そのランスが自ら取り立てに行く必要など当然なく、ビアンカが必死で返したお金とて、彼にしてみればはした金である。

 だが、彼はビアンカにだけ厳しい。その理由をもう周囲の者は嫌というほど知っている。

「もっといじめたくなるじゃありませんか」

 愉悦の笑みを浮かべ、歪んだ方向に走るランスに、秘書はそっと溜息をついた。とんでもない男に見初められ執着されて、あの戌の女性も気の毒にと心から同情した。


 一方、威勢よく啖呵を切ったビアンカだが、店を出て早々に頭を抱えた。

「あああ⋯⋯どうしよう」

 返せない、待ってくれなど、到底言えなかった。

 完済した借金とて本来の期日はとうに過ぎていたのを、頼み込んで待って貰ったのだ。ランスがしびれをきらすのも当然である。だが、無い袖は振れない。

 一週間後までに大金を作るには、どうしたらいいだろうか。

 家に帰れば間違いなくシグバードがやって来る。彼にこの話をしたら、今度こそ全額自分が払うと言ってきそうだ。
 婚約破棄した身でも、同郷のよしみで食事の世話をしてくれている彼は、つくづく面倒見がいい。
 近衛兵団に引き抜かれるほど前途有望な彼を借金騒動などに巻き込みたくもない。

 とても家に帰れず、ビアンカは街中を当てもなくふらふらと歩いたが、どうしても顔をしかめた。

 近頃の街は、匂いも雰囲気も異質だ。

 発情期に陥った雌は独特の匂いで満ち、それを嗅ぎ取った雄も性欲を高める。どちらも相手がいればいいが、そうではない者も当然いる。
 その場合、欲望のはけ口を求めて色街に行ったり、誰かれ構わず声をかけたりする事が多い。色街では合法となっているが、素人相手に一夜を金で買うというのは違法行為だ。それでも、発情期ともなると互いに性欲が昂ぶっていることもあって、この時期は黙認されている面もある。
 行為を望まない者は家で大人しくしているのが一番だが、今ビアンカはそれどころではない。

 頭を抱えていたビアンカに、一人の若者が声をかけた。
「ねえ、そこのお嬢さん。良い話があるんだけど――――」



 数時間後、夕暮れの聖都を、ビアンカは一人とぼとぼと歩いていた。

「や⋯⋯やってしまったわ」

 ビアンカは震える手で斜め掛けにしたポシェットの上を撫でた。
 真面目にコツコツが座右の銘であったというのに、追い詰められる余り甘言に乗ってしまった自分が悪いと分かっていても、もう遅い。

 あぁ、おてんとうさまに顔向けできない。
 清廉実直なシグバードにはもっと会いたくない。

「おい、どうした?」

 背後から聞こえた声にビアンカは飛び上がり、振り返って絶望した。勤務服を着たシグバードが怪訝そうな顔をして、そこに立っていたからだ。

「なんでここにいるの⁉」
「だから、俺の職場だと言っているだろう」
「あ⋯⋯」

 何という事だ。
 さ迷い歩くうちに、向かった先は職場だ。現実逃避はなはだしいが、職場に行くとなると駐在所の前を通ってしまう。

「今日は休みだろう」
「そ、そうね。だから捕まえないでちょうだい⁉ 発情期だからよ! お金が必要なの!」
「は⋯⋯?」

 怪訝そうな顔をした彼に、ビアンカは半泣きになった。

 ――思考が滅茶苦茶だわ。黙れ、自分。

「今日は疲れたから、帰って寝る事にするわ! 夕ご飯はいらないわ! 朝も起こしにきてくれなくていいわ! お弁当も要らないわ!」

 今にも泣き出しそうな顔でビアンカは絶叫し、シグバードが呆然として返事も出来ずにいることをいいことに、逃げるようにして帰って行った。

 それを見ていた周囲の者達は呆れ半分、冷やかした。

「お前⋯⋯そんな事もしていたのか」
「惚れすぎだろ。重いわ!」

 軽口を叩いた同僚達だが、次の瞬間、全員が一斉に顔を引きつらせた。

 シグバードの殺気たるや、凄まじいものがあった。彼は黙って中に入り、自分の机に立てかけてあった剣を手にすると、蒼白になっている上司の元に向かった。

「帰らせてください。あのクソザルが俺のビアンカに何かやったようですので⋯⋯殺りにいきます」
「う、うむ⋯⋯? いや、待て! 落ち着け!」

 駐屯所の人々は、殺気立つ新入りを総がかりで宥める羽目に合い、結局それに時間を取られたシグバードは、申の青年を取り逃がしてしまった。
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