稲穂ゆれる空の向こうに

塵あくた

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稲穂ゆれる空の向こうに

いつも一緒だよ

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野山を赤く照らし、稲穂の海も赤く照らしていた。

胸が締め付けられ、息ができないほどの切なさ。
心を引き裂かれ、破裂してしまいそうな痛み。



「茜音・・・

お願い、僕を一人にしないで、置いていかないで・・・

あの時のようにまた、僕だけを残して逝ってしまわないでよ。
茜音がいっちゃったら、僕は今度こそ一人になっちゃうよ」

繋いだ手を離すまいと、蒼音は裸足のまま庭に出て、茜音の手を強く握り締めた。



『蒼音、もう一人じゃないよ。
友達たくさん出来た。
お父しゃん、お母しゃん、時バアいるよ。

あたちいなくても、もう大丈夫。

あたち、いつでもいるよ、蒼音が思い出ちてくれたら、いつでも心の中にいる。
だから忘れないで、時々思い出ちてね。


そうすればいつでも一緒。

みんな大好き!』


『ミャー・・・』




「茜音・・・・・!」



茜音は飛び立とうとしていた。

小町と一緒に、夕陽が沈みゆくあの空の彼方へ、夕焼けと共に消え去ろうとしていた。

しっかり繋ぎあった手から、徐々に茜音の感触がなくなり、茜音と小町は、夕焼け空に同化し始めた。




夕陽に溶け込み、残像が霞んでいった。







『蒼音・・・ありがと・・・』














最期に一声を残して、茜音はとうとう逝ってしまった。

夕陽が地平に沈んでしまうと、空の様子は移ろい、今度は星達が夜空を支配しはじめた。


夕闇迫る黄昏時、蒼音はその場に立ち尽くし、茜音が逝ってしまった空をいつまでも見上げ続けていた。





(・・・また会えるよね?

茜音・・・

心の中で会えるんだよね)






長くて短い一日が終わろうとしていた。

そしてまた、楽しかった夏休みも終わりを迎えていた。





夏休み最後の翌八月三一日、蒼音は自宅に戻った。

誰の気配もない家の中は、一日留守にしていただけで、ひっそりと空気が澱み沈んでいた。
蒼音はリビングの窓を全開にして風を取り込んだ。


そしてまもなく・・・


庭の片隅に横たわる、小町の亡骸を見つけた。


花壇に植えられた芍薬の幹には、まだまだ立派な葉が残っていた。

その茂みの足元を死地に選び、ひっそりと姿を隠すように、小町は息絶えて冷たくなっていた。
死に花を咲かすように、最期は茜音の元にやって来てくれた小町。


茜音と一緒に逝くつもりで、きっと・・・
茜音の記憶が戻るまで、頑張って命を繋いでいてくれたのだろう。


「お母さん・・・
小町は幸せだった?
僕の家に飼われて幸せだった?」

蒼音は涙を流して、小町の真っ白い身体を優しくさすってやった。

自分が生まれた時から、小町は主のように家に棲んでいた。
だからいつも一緒だった。いるのが当たり前になっていた

蒼音の孤独をいつも慰めてくれたのは、小町の存在だった。

「幸せやった、とお母さんは信じるよ。

小町は、茜音の気配を感じ、ずっとずっと前から友達やったんやろうな。
だから、茜音も小町も最期は一緒に逝けてよかったと思うよ。

この芍薬の木、時バアのところから株分けしてもらった小さな木。
茜音が死んでしまったあの時季も、大きくて白い立派な花を咲かせてたな。
真っ白で純真無垢で・・・

この木に自分を委ねたんやね小町は・・・」


蒼音は小町の亡骸を荼毘に付さず、花壇の片隅に丁重に埋葬した。

頼めばペットを火葬してくてる業者もあった。けれども、弔いは自分達の手でしてやりたかった。


墓前に線香を備え、厳かな気持ちをこめて野辺送りにした。

蒼音は、ゆっくりと天にくゆる線香の煙を見上げ、心に祈りを捧げた。


(小町のことよろしくね茜音。
茜音のこと頼んだよ小町・・・)




そして・・・・



夏休みも終わった九月後半・・・

蒼音は十歳になっていた。



残暑が幾分か和らぎをみせた頃をみはかり、蒼音と琴音と涼介はどんぐり山の頂上に立っていた。

秋晴れの空の下、爽やかな風が吹き抜けている。

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