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第四章
4-3 Side C
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「レジーナ様とリオネルは婚約者同士だったんですよ?」
たどり着いたのは二十階層にある放棄された騎士団の拠点。かつてのダンジョン調査の置き土産であるその場所には、水の貯蔵タンクが残されていた。
クロードは、部屋の隅の椅子に腰を下ろし、レジーナが浄化した水を皆に配るのを眺めていた。そのクロードに近づいて来たエリカが、隣に腰を下ろす。そうして告げた言葉に、クロードの胸に一瞬、何かしらの感情が湧いた。怒りか悲しみか。とうに忘れてしまったはずの冷たい何かがクロードの心臓に触れた。
「ほら、ですから、今もああやって、よくお話もされますし。あの二人の間には、他の人には入り込めない空気があるんです」
「……」
クロードの視界の先で、リオネルがレジーナに何かを話しかけた。レジーナは、無表情ではあるが、その言葉に何かを答える。それから、右手を開いてみせた彼女はその手をヒラヒラと振った。
「リオネルは優しいですから、ずっとレジーナ様の怪我を心配していたんです。……それに、ひょっとしたら、レジーナ様はまだリオネルのことをお好きなのかもしれません」
エリカの言葉をぼんやりと聞きながら、クロードはレジーナをじっと見つめていた。やがて、リオネルとの話を終えたレジーナがこちらを振り向く。が、怯んだような様子を見せた彼女はそのまま部屋の反対へと行ってしまった。クロードは立ち上がり、レジーナの後を追う。
「あ!クロード様、待ってください。お話がまだ……!」
エリカが後ろをついてくるが、クロードは振り返ることはせずに部屋を横切り、レジーナの元へと向かった。部屋の隅、他の皆から離れた場所に積まれた木箱に腰を下ろす彼女の名を呼んだ。
「レジーナ……」
呼んだ名に、レジーナは困ったような顔でクロードを見上げ、それから、クロードの隣へと視線を向ける。
「……エリカと話をしていたのではないの?」
「いや……」
特に意味のある会話をしていたわけではない。首を振ったクロードの横から、エリカが口を挟んだ。
「レジーナ様の好きな人の話をしていたんです」
「……何ですって?」
エリカの言葉に、レジーナの顔が不快に歪む。それを気にすることなく、エリカの楽し気な声が続いた。
「レジーナ様はまだリオネルのことがお好きなのではないかと……」
「馬鹿なことを。そんなことあるわけがないでしょう」
そうきつく言い放ったレジーナの赤い瞳が、けれど僅かに揺れていることにクロードは気づく。レジーナと目が合ったが、クロードが何かを言う前に、その瞳はそっと伏せられてしまった。
「……くだらないことを言っていないで。あなたもさっさと休憩したらどう?」
レジーナのその言葉に、エリカは「すみません」と答えるが、その場を動こうとはしない。代わりに、「ああ、それとも」と声を潜めた。
「レジーナ様のお好きなのは、シリルくんでしょうか?」
「……くだらない」
エリカの言葉を切って捨てたレジーナは、そのままフイと顔を逸らし、エリカを視界から追い出した。それきり黙ってしまったレジーナの隣に腰を下ろすが、彼女はこちらを見ようとしない。クロードはレジーナの瞳を見たくて、その横顔をじっと見つめた。
「……私、ずっと考えていたんです」
レジーナの拒絶など無かったかのように話を続けるエリカ。クロードは彼女を見上げ、その真意を探ろうとしたが、彼女はただ微笑しているだけだった。
彼女の向こうに視線を向ければ、部屋の中央にあるテーブル、ずっとこちらを気にして視線を送って来ていた男と目が合う。クロードと目が合った途端、立ち上がった男がこちらへと向かって来た。
レジーナの前からエリカを連れ去って欲しい。その一念でリオネルを見ていたクロードを、近づいて来た彼は不快げな視線でジロリと見下ろす。
「エリカ。必要以上に、彼らと馴れ合う必要はない。向こうへ……」
「ええ。でも、その前に、レジーナ様に確かめたいことがあって」
リオネルに笑って答えたエリカが、再びレジーナに視線を向けた。
「あの時、レジーナ様はなぜ私の指輪を盗ろうとしたのでしょうか?」
「……」
「……以前にも同じようなことがありましたよね?」
レジーナが答えないと見て取ったエリカがそう言葉を続け、クロードを見た。
「以前、私がシリルくんに貰ったブレスレットを、レジーナ様に捨てられたことがあったんです」
「あれは……!」
思わずと言った風に反論しかけたレジーナだったが、結局、それ以上は言わずにまた口を噤む。クロードの目に、彼女が唇を噛むのが見えた。
「ですから、今回の指輪もシリルくんの贈り物だとご存じの上で、嫉妬から奪おうとなさったのではと……」
「……違うわ」
そう否定してフルフルと首を振ったレジーナは疲れ切っているように見えた。クロードは咄嗟に立ち上がり、彼女を横抱きに抱き上げる。
「ク、クロード!?」
「……部屋で休んだ方が良い」
レジーナが嫌がるのを承知の上で、クロードはそのまま彼女を個室に運ぼうと歩き出す。そんなクロードを引き留めるように、レジーナを抱えた腕に触れる指があった。
「……クロード様、レジーナ様をお連れするのでしたら、先にお怪我の治療をさせてください。でなければ危険です。レジーナ様を落とされでもしたら」
「……」
「どうか、私に治療をさせてください」
繰り返されるエリカの申し出は、既に断ったはずだ。サンドワームの歯はクロードの皮膚一枚傷つけていない。だから、クロードはもう一度「不要だ」と告げてその場を去ろうとした。
「待て、クロード」
呼び止めたのは、フリッツだった。クロードが彼へと視線を向ければ、フリッツは苛立たし気に自身の髪をかき上げる。
「俺を庇って負った傷だ。そのままにされては寝覚めが悪い。……怪我をしているかどうかを含めて、一度エリカにきちんと診てもらえ」
彼の不機嫌は、クロードに庇われたことによるものなのか。それが自身の役目と認識しているクロードは、例え怪我を負おうと気にはしないのだが――
「……クロード様、私も以前、大怪我を負ったことがあります」
エリカの言葉に、腕の中のレジーナの身体が強張るのが分かった。
「怪我の直後は身体が興奮していて気づかないこともあります。……後から、その怪我に苦しめられることも」
クロードの腕に触れるエリカの手が、彼の腕を撫でるような動きを見せた。
「ですから、どうか……」
「……」
クロードを見上げるエリカの瞳が潤む。懇願せんばかりの彼女の姿に、クロードは首を横に振った。
「不要だ。……必要であれば、レジーナに頼む」
「っ!」
クロードの言葉に、エリカが瞳を見開く。次いで、「どうして」と声を震わせた彼女の向こうから、フリッツの「いい加減にしろ」という苛立たし気な声が聞こえた。
「レジーナに義理立てしてるのかは知らんが、治癒の腕はエリカの方が遥かに上だ。俺の兄も彼女に命を救われている。下手な意地を張らずに、さっさと治してもらえ!」
その言葉にもう一度首を振ったクロードは、触れて来るエリカの腕を振り払うようにして歩き出した。背後から、フリッツの怒声が聞こえる。
「クロード!お前はその女の本性を知らんのだ!」
フリッツの言葉に、腕の中のレジーナが震えた。背後でフリッツを諫める声が聞こえる。
「フリッツ、君が熱くなってどうする。落ち着け」
「お前は黙っていろ、アロイス!おい、クロード!」
その声にクロードが振り返れば、立ち上がったフリッツが、こちらに指先を突き付けた。
「さっき、エリカが言った大怪我ってのはな、レジーナがやらかしたことなんだよ!そいつは、エリカを階段から突き落としやがったんだ!」
「……」
クロードが腕の中を見下ろせば、青ざめた顔のレジーナが震える口を開く。
「違います。私はエリカを傷つけるようなことはしていません」
か細い声。それでも、はっきりと否定したレジーナの言葉に、フリッツが益々いきり立った。
「違わんだろうが!?シリルが隣で見ていた!俺もアロイスも、エリカが落ちた瞬間をこの目でしっかり見ているんだ!」
クロードの腕の中で固く目を閉じたレジーナがフルフルと首を横に振る。その怯えきった姿に、クロードは後悔した。さっさとこの場を去るべきだった。
レジーナを抱く腕に力を込め、「心配ない」そう言葉にならない声で伝えて、クロードはその場を後にした。
たどり着いたのは二十階層にある放棄された騎士団の拠点。かつてのダンジョン調査の置き土産であるその場所には、水の貯蔵タンクが残されていた。
クロードは、部屋の隅の椅子に腰を下ろし、レジーナが浄化した水を皆に配るのを眺めていた。そのクロードに近づいて来たエリカが、隣に腰を下ろす。そうして告げた言葉に、クロードの胸に一瞬、何かしらの感情が湧いた。怒りか悲しみか。とうに忘れてしまったはずの冷たい何かがクロードの心臓に触れた。
「ほら、ですから、今もああやって、よくお話もされますし。あの二人の間には、他の人には入り込めない空気があるんです」
「……」
クロードの視界の先で、リオネルがレジーナに何かを話しかけた。レジーナは、無表情ではあるが、その言葉に何かを答える。それから、右手を開いてみせた彼女はその手をヒラヒラと振った。
「リオネルは優しいですから、ずっとレジーナ様の怪我を心配していたんです。……それに、ひょっとしたら、レジーナ様はまだリオネルのことをお好きなのかもしれません」
エリカの言葉をぼんやりと聞きながら、クロードはレジーナをじっと見つめていた。やがて、リオネルとの話を終えたレジーナがこちらを振り向く。が、怯んだような様子を見せた彼女はそのまま部屋の反対へと行ってしまった。クロードは立ち上がり、レジーナの後を追う。
「あ!クロード様、待ってください。お話がまだ……!」
エリカが後ろをついてくるが、クロードは振り返ることはせずに部屋を横切り、レジーナの元へと向かった。部屋の隅、他の皆から離れた場所に積まれた木箱に腰を下ろす彼女の名を呼んだ。
「レジーナ……」
呼んだ名に、レジーナは困ったような顔でクロードを見上げ、それから、クロードの隣へと視線を向ける。
「……エリカと話をしていたのではないの?」
「いや……」
特に意味のある会話をしていたわけではない。首を振ったクロードの横から、エリカが口を挟んだ。
「レジーナ様の好きな人の話をしていたんです」
「……何ですって?」
エリカの言葉に、レジーナの顔が不快に歪む。それを気にすることなく、エリカの楽し気な声が続いた。
「レジーナ様はまだリオネルのことがお好きなのではないかと……」
「馬鹿なことを。そんなことあるわけがないでしょう」
そうきつく言い放ったレジーナの赤い瞳が、けれど僅かに揺れていることにクロードは気づく。レジーナと目が合ったが、クロードが何かを言う前に、その瞳はそっと伏せられてしまった。
「……くだらないことを言っていないで。あなたもさっさと休憩したらどう?」
レジーナのその言葉に、エリカは「すみません」と答えるが、その場を動こうとはしない。代わりに、「ああ、それとも」と声を潜めた。
「レジーナ様のお好きなのは、シリルくんでしょうか?」
「……くだらない」
エリカの言葉を切って捨てたレジーナは、そのままフイと顔を逸らし、エリカを視界から追い出した。それきり黙ってしまったレジーナの隣に腰を下ろすが、彼女はこちらを見ようとしない。クロードはレジーナの瞳を見たくて、その横顔をじっと見つめた。
「……私、ずっと考えていたんです」
レジーナの拒絶など無かったかのように話を続けるエリカ。クロードは彼女を見上げ、その真意を探ろうとしたが、彼女はただ微笑しているだけだった。
彼女の向こうに視線を向ければ、部屋の中央にあるテーブル、ずっとこちらを気にして視線を送って来ていた男と目が合う。クロードと目が合った途端、立ち上がった男がこちらへと向かって来た。
レジーナの前からエリカを連れ去って欲しい。その一念でリオネルを見ていたクロードを、近づいて来た彼は不快げな視線でジロリと見下ろす。
「エリカ。必要以上に、彼らと馴れ合う必要はない。向こうへ……」
「ええ。でも、その前に、レジーナ様に確かめたいことがあって」
リオネルに笑って答えたエリカが、再びレジーナに視線を向けた。
「あの時、レジーナ様はなぜ私の指輪を盗ろうとしたのでしょうか?」
「……」
「……以前にも同じようなことがありましたよね?」
レジーナが答えないと見て取ったエリカがそう言葉を続け、クロードを見た。
「以前、私がシリルくんに貰ったブレスレットを、レジーナ様に捨てられたことがあったんです」
「あれは……!」
思わずと言った風に反論しかけたレジーナだったが、結局、それ以上は言わずにまた口を噤む。クロードの目に、彼女が唇を噛むのが見えた。
「ですから、今回の指輪もシリルくんの贈り物だとご存じの上で、嫉妬から奪おうとなさったのではと……」
「……違うわ」
そう否定してフルフルと首を振ったレジーナは疲れ切っているように見えた。クロードは咄嗟に立ち上がり、彼女を横抱きに抱き上げる。
「ク、クロード!?」
「……部屋で休んだ方が良い」
レジーナが嫌がるのを承知の上で、クロードはそのまま彼女を個室に運ぼうと歩き出す。そんなクロードを引き留めるように、レジーナを抱えた腕に触れる指があった。
「……クロード様、レジーナ様をお連れするのでしたら、先にお怪我の治療をさせてください。でなければ危険です。レジーナ様を落とされでもしたら」
「……」
「どうか、私に治療をさせてください」
繰り返されるエリカの申し出は、既に断ったはずだ。サンドワームの歯はクロードの皮膚一枚傷つけていない。だから、クロードはもう一度「不要だ」と告げてその場を去ろうとした。
「待て、クロード」
呼び止めたのは、フリッツだった。クロードが彼へと視線を向ければ、フリッツは苛立たし気に自身の髪をかき上げる。
「俺を庇って負った傷だ。そのままにされては寝覚めが悪い。……怪我をしているかどうかを含めて、一度エリカにきちんと診てもらえ」
彼の不機嫌は、クロードに庇われたことによるものなのか。それが自身の役目と認識しているクロードは、例え怪我を負おうと気にはしないのだが――
「……クロード様、私も以前、大怪我を負ったことがあります」
エリカの言葉に、腕の中のレジーナの身体が強張るのが分かった。
「怪我の直後は身体が興奮していて気づかないこともあります。……後から、その怪我に苦しめられることも」
クロードの腕に触れるエリカの手が、彼の腕を撫でるような動きを見せた。
「ですから、どうか……」
「……」
クロードを見上げるエリカの瞳が潤む。懇願せんばかりの彼女の姿に、クロードは首を横に振った。
「不要だ。……必要であれば、レジーナに頼む」
「っ!」
クロードの言葉に、エリカが瞳を見開く。次いで、「どうして」と声を震わせた彼女の向こうから、フリッツの「いい加減にしろ」という苛立たし気な声が聞こえた。
「レジーナに義理立てしてるのかは知らんが、治癒の腕はエリカの方が遥かに上だ。俺の兄も彼女に命を救われている。下手な意地を張らずに、さっさと治してもらえ!」
その言葉にもう一度首を振ったクロードは、触れて来るエリカの腕を振り払うようにして歩き出した。背後から、フリッツの怒声が聞こえる。
「クロード!お前はその女の本性を知らんのだ!」
フリッツの言葉に、腕の中のレジーナが震えた。背後でフリッツを諫める声が聞こえる。
「フリッツ、君が熱くなってどうする。落ち着け」
「お前は黙っていろ、アロイス!おい、クロード!」
その声にクロードが振り返れば、立ち上がったフリッツが、こちらに指先を突き付けた。
「さっき、エリカが言った大怪我ってのはな、レジーナがやらかしたことなんだよ!そいつは、エリカを階段から突き落としやがったんだ!」
「……」
クロードが腕の中を見下ろせば、青ざめた顔のレジーナが震える口を開く。
「違います。私はエリカを傷つけるようなことはしていません」
か細い声。それでも、はっきりと否定したレジーナの言葉に、フリッツが益々いきり立った。
「違わんだろうが!?シリルが隣で見ていた!俺もアロイスも、エリカが落ちた瞬間をこの目でしっかり見ているんだ!」
クロードの腕の中で固く目を閉じたレジーナがフルフルと首を横に振る。その怯えきった姿に、クロードは後悔した。さっさとこの場を去るべきだった。
レジーナを抱く腕に力を込め、「心配ない」そう言葉にならない声で伝えて、クロードはその場を後にした。
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