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しおりを挟む桜が舞うグラウンドを横目に、榎本千景は朝から走っていた。誰もいない玄関で肩を弾ませて、昨日から新しい場所になった自身の靴箱に向かう。そこから出した内履きの踵を潰して履きながら、脱いだローファーを靴箱に投げ入れる。ピカピカと光る新品のそれは千景の扱いに抗議するように大きな音を立てた。しかし千景は目もくれず廊下を走り出し、階段を一段飛ばしで登っていく。途中吐きそうになりながらもなんとか「2-1」と書かれた教室に着き、やっと息を整えた。中ではすでに担任の声とクラスメイトの囁き声が聞こえる。
なんで今日に限って先生はチャイム前に来てんだよ。悪態を吐きそうになる口を必死で抑えて、代わりに深呼吸をすると千景は意を決して教室の扉を開いた。一瞬だけ教室がしんと静まり返り、
「遅刻だぞ……って、今日は俺が早かったのか」
という担任のしょうもないボケにクラスのお調子者が笑った。誘われるように教室中から笑い声が聞こえ、千景は顔が熱くなるのを感じた。クラス中に苦手な空気が流れて千景の頬をかすめる。
「すみません」
「いいから、早く座りなさい」
何事もなかったように朝のホームルームが再開された教室の後ろで千景が背中を丸めながら自分の席に座ると、前の席に位置する瀬戸がからかうように振り向いた。
「寝坊した?」
嘘を言ってもしょうがないので素直に頷くと、瀬戸はさらに目を細めてニヤニヤと笑う。今日一日千景をからかう材料が増えていかにも満足そうである。姿勢を戻した瀬戸を見ながら、千景は勘弁してくれよと背もたれに寄りかかった。
ホームルームが終わった途端、案の定目の前の瀬戸はくるりとこちらを振り返ってきた。
「真面目なお前が遅刻なんてな」
「うるさい。あと俺は別に真面目じゃない」
「じゃあ、不真面目な千景くんは昨日の夜ナニしてたわけ?」
こいつめ。俺がそういう話題に苦手なのを知ってわざと言っている。
「セットしてたアラームが鳴らなくて寝坊したんだよ!」
「はいはい。そういうことにしといてやるよ」
反論したところで大した意味はない。こいつはただ俺をからかいたいだけなのだから。
一限は現代文か。訂正するのも気が失せて、通学鞄から数冊の教科書とノート、ペンケースを取り出す。無視して授業の準備を始めていると瀬戸はムッと眉をひそめた。千景の態度が気に入らないらしい。
「こんなに髪の毛ボサボサにしてまで走ってきて。まあおかげでギリセーフだったわけだ」
直す時間のなかった寝癖と走ったせいで乱れた髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜられる。さながら犬にするような触り方に、千景はイラついた。
「……触んなよ」
「なんだよ、これくらい普通だろうが」
手を払いのけると、瀬戸はあからさまに顔を顰めた。軽く叩いただけなのに、ひどく傷ついたように右手をもう片方の手でさすっている。一々言動が大袈裟すぎる。
「にしても鬱陶しい前髪。切らねえの?」
なんとなく理由は知っているだろうに聞いてくる瀬戸に腹が立つ。同時にこんな方法でしか伝えられない自分に嫌気が差す。視界を狭くさせる長い前髪を整えながら、千景は鬱屈とした気分で「切らない」と答えた。
今日の最後の授業はLHRだった。この日は一年間の係や委員会を決める日で、千景にとってはどうでもいい時間のはずだった。クラス内の係は瀬戸が一緒に立候補しようと楽そうなものを選んでくれたし、委員会も図書委員をもう一度するつもりだった。しかし、最後の委員会決めは千景の期待を大きく裏切り、気分は地の底まで落ちた。
「なんで立候補がこんな多いんだよ……」
去年は不人気だった図書委員会がなぜか今年は志望する女子生徒が多く、「ジャンケンで決めるから立候補したやつは前出てこい」という担任の声に千景は立つことができなかった。誰かに睨まれたとか、文句を言われたとかではない。ただ、闘志を燃やした女子たちの目に気圧された。彼女らの隠れた圧力は恐ろしい。千景は挙げた手を下げ、諦めざるを得なかった。
図書委員の主な仕事は昼休みと放課後の図書当番だ。貴重な休み時間を取られたくないと普通の学生は思うので、去年はことごとくジャンケンに負け余ってしまった千景が不本意ながら図書委員になったのである。しかし、本人や周りが思った以上に図書委員の仕事は千景に合っていた。千景の高校では漫画の持ち込みは禁止だが、図書室には漫画コーナーがある。静かな空間で誰にも邪魔されず漫画を読み、五分前のチャイムが鳴ったら当番は終わり。その後の授業に多少遅れても、図書当番だったと先生に言えば許してもらえる。千景にとって図書当番は学校生活の一番心休まる時間だった。
だから今年も同じ委員会にしようと画策していたのに、どうしてこうなってしまったんだ。教室の前で立候補した女子たちの壮絶なジャンケン勝負が始まる。力のこもった掛け声のあとに、歓喜と落胆の悲鳴が上がった。輪の中には一年の頃に同じクラスだった女子もいる。彼女は確か去年は保健委員だったっけ。頬を赤く染めて嬉しそうにパーを掲げている。どうやら彼女が今年の図書委員らしい。あえなく敗れた他の女子は口々におめでとうと言いながら、羨ましそうに浮かれた女子生徒を睨んでいる。
「なあ、千景はどの委員会にすんの?」
前の席に座っていた瀬戸の声に、千景は視線を教壇から逸らした。
「決めてない。本当は図書委員が良かったんだけど」
「あー、そういえば去年してたんだっけ」
「そう。去年は不人気だったからすぐ決まると思ってたのに」
瀬戸がちらりと前の女子たちを見て、不憫そうに笑った。
「あれはどうやったって無理だな。空気を読まずに立候補したら次の日から女子の間で何を言われるか分かったもんじゃない」
「だろ」
結局千景は図書委員となった女子生徒と交換するかのように保健委員となり、LHRは終了した。職員会議があるからと、担任は簡単に明日の連絡を済ませて「気をつけて帰れよ」と教室から出ていく。放課後になった途端教室はさらに騒がしくなり、千景と瀬戸はぼんやりと席に座ったまま人が教室から流れていくのを待つ。
「なんで図書委員はあんなに人気だったんだろ」
千景がふと気になったことをつぶやくと、瀬戸はすぐに答えてくれた。
「女子から聞いたんだけど。この学年にイケメンがいて、そいつが図書委員に立候補するって話したからみたいだぜ」
「はあ? じゃあ、女子はそいつとお近づきになりたいからあんなに群がってたってことか」
なんということだ。たった一人のイケメンのせいで、自分の計画が全て狂ってしまった。理不尽なような、言いようのない怒りが一瞬だけ膨れ上がる。しかしすぐに、おそらく悪意のない他人に怒りを向けるのも違う気がして、どこにもぶつけることのできない不満を持て余した。
「あ、ほら。ちょうど廊下にいるあいつだよ」
瀬戸がついと指を動かす。つられて廊下側の窓を見ると、いかにもカースト上位と言えそうな見た目と態度をした男子生徒数人が歩いていた。ちょうど隣のクラスから出てきたらしい。千景はどいつだと目を凝らして、すぐに誰のことを指差していたのかわかった。
あいつだ。田舎にいるのが場違いのようなスタイルの良さと、整った目鼻立ち。遠くからでも瀬戸の言う『イケメン』とはあの男子生徒だと、嫌でもわかった。彼は騒がしい軍団の後ろにいて、涼しげな表情で長い足を闊歩させている。
千景は彼をどこかで見た気がして――目立つ存在だから当然と言えばそれまでかもしれないが――あっと思いつく。それこそ去年の図書委員会で見たのではないか。委員会ではもちろん、図書当番もかぶらなかったから全く会話はしなかった。相容れない存在だと思っていたし、彼も俺のことなんか一欠片も気にしないだろうと見限っていた。
なんとなく見つめていると、一瞬だけ彼と目が合った気がした。気のせいかと眺めていれば、どういうわけか視線が一向に外れない。まさか自分の怒りが滲み出て伝わってしまったのだろうかと慌てたが、
「五十嵐っ!」
彼は誰かに勢いよく後ろから抱きつかれて千景の視界から消えた。髪の長い女子が悪戯が成功した子どものように笑っている。五十嵐と呼ばれた彼は抱きつかれたまま、困ったように笑っている。そうしながら、彼は友人たちと一緒に廊下を歩き、姿が見えなくなった。
突然、千景の中でくすぶり続けていた不平不満が波のように襲ってきた。悪意がないからと思っていたが、どの委員会にするか聞かれたら一体どうなるか彼は考えなかったのだろうか。同じ委員会をやりたいと考える女子がいないとでも思わなかったのだろうか。沸々と怒りが湧き、あいつのせいで平穏な生活が崩されたと思うと胸の中で轟々と暗いものが渦巻いた。
目の前では瀬戸が、千景が聞きたくないのを知っていながら最近別れた彼女のことを延々と愚痴っている。騒がしい教室で、千景だけが眉をひそめて廊下の先を睨んでいた。
嫌なことばっかりだ。何も悪いことはしていないのに、俺ばかり悪い目に遭う。顔が良くて、他人を気にしない奴らが結局一番いいところを掻っ攫っていく。理不尽だ。今は瀬戸の声も、教室のうるさい音も神経に障る。千景は耳を塞いで思い切り叫んでやりたい衝動に駆られた。もちろんそんなことできるはずもなく、瀬戸の椅子を蹴るだけに留めた。
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