伯爵令嬢の婚約解消理由

七宮 ゆえ

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一章

2話

「ルナメリア嬢はいつも笑っているよね」
「……え?」

その日はいつものように、パトリックと婚約者として会って、話して、ただそれだけの時間を過ごす予定だった。
何の変哲もない、代わり映えのしない日のはずだった。
私は突如かけられた言葉に、一瞬固まりかけたがすぐさま笑みを浮かべて取り繕うと、そうでしょうかと首を傾げた。

「うん、笑ってるよ。……疲れないの?」
「……それは、どういう意味でしょうか?」

投げかけられた言葉に私は今度こそ固まってしまう。
この人は今、私になんて言ったの?
疲れないの?そう、言った?
なんで、どうして……。

「無理してるみたい」

パトリックは、そう言って私の顔を覗き込んだ。
周りの大人は、皆そんなことに気が付かなかったのに。
誰一人として、私の笑顔が偽物だと気付く者はいないはずだった。
でも、気付かれた。この男に、パトリックに。
私は気が付いたら席を立っていた。そして、そのまま庭園へと飛び出していた。
そんなこと淑女にあるまじき行為だ。ましては婚約者がいる時に、相手を無視してしまうなんて。
けれども私は今それどころではなかった。
頭の中が混乱して、真っ暗になっていた。

(どうして、どうして気づかれたの?気付かれるはずがない、のに……誰も、気が付かなかったことなのに)

私はとにかくその時は混乱していた。
混乱して、一体何に対してそんなにも混乱しているのかが分からなくなってしまう程に。
その時、ドレスにポタリと雫がたれてきた。

「……?」

初め、私は雨が降ってきたのかと思った。あれだけ今日はどんよりとした曇り空だったのだ。いつ雨が降ってもおかしくはないだろう。
けれども、空を眺めても雨が降っている様子は無かった。
ならばこれは一体何なのだろう……と再びドレスの裾へと視線を下げようとして、頬に何かが伝っていったのを感じた。
私はその場所を拭って、伝うものを取ろうとした。だが、いくら拭っても、私の頬は濡れる一方だった。
そしてようやく気がつく。自分が泣いているのだということに。

「……ふっ、…ぅ」

それに気が付いたら、余計に涙を止めることができなくなって。
そしていつの間にか嗚咽を漏らし始めていた。
どうしてだろう。どうして、私は泣いているのだろうか。
泣いている理由が、自分でもさっぱりだった。
でも、これだけは言える。
どうしてか、私はその時とても悲しかったのと同時に、とても嬉しかったのだ。
……嬉しかった。そう、嬉しかった。
本当は、自分を見ているようで見られていないことが悲しかった。
表面上だけの『私』で判断されることが、とても辛くて寂しかった。
だから、私は今泣いている。気付かれるはずのないことを、当たり前のように気が付いてくれたから。

「ふぇ、……っ、ぅ」
「ルナメリア嬢!」

それからそう時間が経たず、パトリックの声が聞こえてきた。
随分と必死そうなその声に、私は泣きながらもほんの少しだけ笑ってしまう。
きっと、パトリックは探しに来てくれていたのだ。
今私のいる場所は、分かりにくい場所にあるので見つけるのに手間取っているのだろう。
私を見つけるため必死になっている彼に、私はここよと声を掛けてしまおうかとも思ったのだが、でも、今はまだ顔を合わせられないなぁ、と私は内心で苦笑しながら泣き続けた。
心が落ち着くまで、そこで泣き続けた。
でも、落ち着かせるにはまだまだ時間が必要で、結局私が泣いているうちにパトリックには見つかってしまったけれど。
でも、多分それで良かったんだと思う。
パトリックは自分の言葉が悪かったと謝っていたけれど、私は無言で首を振って、それからほんの少しだけその場で私の心の内を語った。
パトリックは、黙って私の気が済むまで付き合ってくれた。
その時間が、私にはとても心地よくて、きっとこれまでの中で一番心が休まった瞬間だったのだと思う。
私が落ち着く頃には、すっかり日が傾いてしまっていた。

「……ごめんなさい、パトリック様。私の所為で長時間外に出させてしまって」

その頃には普段通りの私が戻ってきていて、それまでの気恥ずかしさから顔を赤くしながらも申し訳ないと謝罪しようとすると、パトリックは「秘密基地みたいで楽しかったよ」と、悪戯をしたあとの子供のような表情で笑った。
この時、私は心の底から笑えた、と思う。
私の心を溶かしてくれたのはパトリックだった。
それから、私達はこれまで以上に頻繁に合うようになり、十五歳になる頃にはお互いに、私はパトリックと、パトリックは私のことをルナと呼ぶようになった。
パトリックと私はいつしか婚約者としても、一人の友人としてもお互いに居心地の良い存在になりつつあった。




そして私達が十七歳になる頃に、それは唐突に起こった。

「————え?パトリックが王命でリンドラル王国に?」

思わず持っていたティーカップを落としそうになった私は、しかしすんでのところでテーブルの上に戻すことが出来た。
私は動揺を隠しきれないまま不安になってパトリックを見つめる。

「だって、リンドラル王国は今西のローデラン帝国と戦争中じゃ……」
「だからこそなんだ。国王陛下は友好国であるリンドラル王国に援軍をだすことにしたんだよ」
「でも、だからって……」

パトリックは十六歳——丁度一年前——から王立騎士団へと入団していた。
その腕は確かなもので、パトリックはあっという間に騎士団の中でもトップを誇る特別部隊の副隊長へと上り詰めたのだ。
優秀な人材しか入団することが出来ない特別部隊は、数多くの騎士達の間で憧れの部隊でもある。
そんな優秀な部隊だからこそ、今回の王命がくだったたのだろう。
それはとても名誉のあることだ。もしも隣国の手助けをしたとなれば、確実に我がエルドア王国は今以上に力をつけることとなる。勿論リンドラル王国とも、今以上に友好な関係を築いていけることだろう。
リンドラル王国には、質の良い宝石やエルドア王国にはない食材などがある。
これからも友好関係を築き上げていく上でプラスになることはあってもマイナスになることはそうそう無いのだ。
そして、騎士団の株もこれまで以上に上がることだろう。隣国をも救った勇敢なる騎士として。
でも、それでもそれは〝国〟としての話だ。〝私個人〟の話ではない。

「パトリックは、公爵家の嫡男なのよ?もしも貴方が亡くなったりなんてしたら、ラディスラス家はどうするの?他に兄弟もいないのに……」

違う、そういうことが言いたいんじゃない。
家のことなんて、正直私にとってどうでも良かった。私はただ、パトリックが死んでしまうのが嫌なだけなのだ。
けれどもそれを上手く伝えられない私に、しかし全てを理解してくれたパトリックは苦笑しながら私の髪を触った。慈しむような、そんな風に。

「家のことはもしもの時には従兄弟が継いでくれるから大丈夫だよ。でも……」

そこで、一旦パトリックは言葉を区切った。何かを言い淀むその姿は、更に私の不安を掻き立てる。
そして、私の予想は結果的に当たってしまうのだ。

「ルナ。俺たち婚約を解消しようか」
「……え?」

私は自分の耳を疑った。
今、解消するって言った?ねえ、解消しようかって、あなたが言った?
私は微かに体を震わす。

「……どういう、こと?」

なんとか絞り出した声は、しかし震えを隠せずにいた。
そんな私の様子に気が付きながらも、パトリックは困ったように笑うだけでその言葉を撤回しようとはしなかった。
私は首を振る。

「いや……いや、よ、……婚約を解消なんて、したくない……」

まるで駄々っ子のようにいやだを繰り返す私。
それでも、パトリックは何も言わない。ただ穏やかに微笑んで私を見つめていた。
それは何故か、全てを諦めているように見えて。
私はなんでパトリックがそんな表情をするのかが分からなかった。

「ルナ、もしも俺が死んでしまったら君はどうするんだ?もしかしたら俺を待っている間に婚期を逃してしまうかもしれないんだよ?」
「あなたがきちんと私の元へ帰ってくればいいだけの話じゃない……!!」

それではまるで、パトリックはもうどこにもいなくなってしまうと言っているようではないか。
そんなの、そんなのって……。
気が付くと私の瞳は潤み始めて、そしてポタリ、ポタリと手元に落ちた。
私は震える手でパトリックの手を掴む。

「お願いっ……解消しようなんて、言わないで……」
「ルナ……」
「私は、貴方じゃなきゃ駄目なの……。パトリックじゃないと嫌なの……!!」

この七年間、パトリックと過ごしてきた時間はとても有意義で、枯れていた心に水を注いでくれた。
いつしか私は、私の心はパトリックで大半を占めていたのだ。パトリックを、愛していたのだ。
それなのに、パトリックを失ってしまったら私は今度こそ空っぽになってしまう。
私はそれが嫌で、また、涙が零れ落ちた。
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