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第1章 働かなくてもいい世界 〜 it's a small fairy world 〜

帰ってきた死神さん

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ヒメちゃんとの新生活が始まった。

 朝。ヒメちゃんが先に起き、隣に寝ているセミルを叩いて起こす。二度寝したがるセミルの抵抗が面白いのか、ヒメちゃんは笑いながらセミルをベッドから引っ剥がす。セミルはちょっと不機嫌になるが、無邪気な様子のヒメちゃんを見て諦めたようにため息をついて起床する。

 起床後、二人はリビングで食事の支度をする。このときにゴミが溜まっていれば、家の外に放り出しておく。後でモモモが回収するだろう。俺は二人と朝の挨拶を交わす。ヒメちゃんが料理を覚えたがっていたので、セミルが手ほどきをしてやる。俺もこの世界の料理に興味があるので傍で見ていることが多い。野菜かお肉かよくわからない物体を切ったり焼いたりして味付けしたら完成だ。物体は取寄せたものなので、セミルも由来は知らないという。変なもので無ければ良いが。彼女は自身を料理下手と言っていたが、そこまで下手なようには見えない。味付けも問題ないようで、ヒメちゃんは美味しいと言っていた。セミルは特に感想もなく料理を口に運んでいた。

 食事後、ユリカと暮らしていたときは思い思いに過ごしていたが、ヒメちゃんと暮らし始めてからはこの時間はお勉強タイムであった。ヒメちゃんは端末のチュートリアルを進めたり、怪我の再生方法やこの世界の知識についてセミルから教わっている。ついでに俺も一緒になって教わっている。質問ばかりしていたら、悪霊さんのせいで話が進まないと注意を受けてしまった。今では反省して、質問は三回までに留めている。

 お勉強タイムが終わったら、自由時間だ。みんなが好きなことを好きに行う。セミルは絵を描いたり昼寝することが多い。ときたまふらーと居なくなったりもする。ヒメちゃんはセミルに触発されたのか、スケッチブックに色鉛筆でいろいろ描いている。ただ最近は飽きてしまったのか、スケッチブックを放り出して外で遊んでいることが多い。マダム屋敷に行ったり、ムラの他のヒトについてったりしているようだ。好奇心旺盛なようで、もうムラのヒトから名前を覚えてもらっている。この世界に生まれてまだ数日だが、おそらく俺よりも友達は多いだろう。

 夕方になると、外に出ていたヒトが帰ってくる。食事が嗜好の意味合いしかもたないからだろうか、昼食の習慣はない。夕飯があるかないかもセミルの気分で変わる。朝は気分をリセットするために毎日作ってるんだとか。眠気覚ましの意味もあるかもしれない。

 食事後は雑談の時間。異世界の話をしたり、ヒメちゃんが今日の報告をしたりする。みんなでわいわいといった感じだ。ときどき、セミルがヒメちゃんに端末の記事を読み聞かせたりもする。ヒメちゃんには読める文字と読めない文字があるようで、読めない文字に突き当たったところでセミルの出番というわけだ。二人して仲良く端末を見ている。端末は小さいが、目が悪くは……ならないんだろうな。

 適当なところで雑談を切り上げたらお風呂タイム。お風呂タイムは乙女の秘密。紳士な俺はリビングで瞑想に励む。ときおり黄色い声が聞こえてくるが、我慢我慢。

 風呂上がり後、リビングで一服したら遊び疲れたヒメちゃんが船を漕ぎ始める。セミルが彼女を抱きかかえ、ゴートゥーベッド。俺はセミルが不埒な真似をしないように、二人が寝入るまで見張りを行う。寝息を確認すると俺はひとりリビングに戻り瞑想を行う。これが大体の一日の様子だ。

 特にやることもないからという理由で始めた瞑想であるが、これがなかなか楽しいし奥深い。沸々と生じる思考の奔流を第三者の視点で観測し続ける。すると、思考がだんだんと高速かつ並列に走りだす。いかにその状態をキープできるかが勝負どころだ。頭の回転速度は上昇を続け、気がついたら視覚と聴覚の情報が相対的に小さすぎて些事となる。沸いた思考がさらなる思考を連鎖的に生み続け、感覚が圧縮される様子が自覚でき、それでも思考の加速は止まらない。まるで、いつまでも走り続けられることが分かったかのような、ランナーズハイに近い楽しさがある。

 集中がちょっとでも途切れてしまうと、思考の濁流に自我が呑み込まれ、あっという間に際際の思惟の世界から遠のいてしまう。視界が戻り、静寂の音が聞こえる。ふぅーと、心持ち息を吐く。呼吸の必要はないのだが、大きくため息をつきたくなるほど緊張していたのが分かる。うん、今回もいいところまで行けた。少し休憩したらもう一回始めるか、と思ったところで、声をかけられた。

「悪霊さん、悪霊さん。ちょっといいですか」

 リビングの隅の方から小声で呼びかけられた。

(! びっくりしたー。死神さんじゃないですか。久しぶりですね)

 小声で俺も答える。うるさくしてセミルたちを起こすわけにはいかない。

「あんまり驚いているようには見えませんね」
(ちょっといま疲れてたので。あ、話すなら外に行きませんか? もう住人が寝てしまっているので)
「そうですね。そうしましょうか」

 俺達二人は外に出る。外は真暗であるが、俺の目は何も見えなくなるということはない。なので、死神さんの姿も見えないということはなかったが、

「これじゃ私の姿も見えないですよね」

 死神さんはそう言って、周囲に火の玉を3つ散らす。途端に世界が明るくなり、彼女の姿が赤みを帯びた。

(おー。さすが死神ですね)
「えへへ。すごいでしょー。それにしても、本当に暗いですね」
(月も星も、雲に覆われてて何も見えないですからね。街頭もないですし)
「そうみたいですねー。あ、目立つのもアレなんで、ちょっと家から離れましょうか」

 死神さんはそう言って家から離れ始めた。俺も彼女に着いていく。

「うーん、こうして二人で歩いていると……」
(……歩いていると?)
「なんだか夜のデートみたいで照れちゃいますねー」

 えへへー。と死神さんは笑う。デートか……。デートはいいけれど、相手が俺でいいのだろうか。

「悪霊さんは私のこと可愛いって言ってくれましたし、…‥吝かでは、ないですよ」

 こっちを見てらんないのか、ちょっとそっぽを向いて彼女は言う。本当に可愛いなこの死神さんはもう。

(あー、えっと、ですね。そういえば最近ご無沙汰でしたよね。あれですか? 上司の説得が大変だったんですか?)

 俺まで少し恥ずかしくなったので、俺は話題を変えることにする。

「あ、上司の説得は大分前に終わってまして。悪霊さんの事情も分かってくれたようです。目標達成人数なんですが、10人はダメでしたけど20人まで減らすことができました。今4人ですから、これくらいならできるだろう、と」
(おお。100人から20人まで減りましたか。それなら何とかなりそうです)

 少なくともすべてのニンゲンを尋ね回ってもミッション達成できない事態は避けられそうだ。10人まで減らせればもっと良かったが、そこは上司がちゃんと考えて目標人数を設定したんだろうな。

(ん? でも上司の説得が大分前に終わってたなら、どうして最近は来れなかったんですか? 何回も死神さんのこと呼んだんですけど……)
「あー、えーと、それはーですね……。有給取ってました」

 ちょっと言いづらそうにした後、死神さんはボソッと答える。
 え、というか、有給とかあるの?

「あったりまえじゃないですか。社会人なら有給を持っているのは当然です」

 えー、えー、あれー? 俺の死神さんのイメージが崩れていく。死神ってなんかこう、生まれ持った性質とか種族的なもんじゃないの? 曲がりなりにも神の一柱でしょ? 神の世界って会社ありきの経済なの?

「あー、それはだいぶ時代遅れですね。こっちの世界だって進歩しているのですよー。有給20日! ボーナス3ヶ月分、年2回!」

 随分と現代社会っぽいワードが聞こえてきた。しかも微妙にホワイトである。そういえば、死神さんの上司からのメッセージも随分と会社染みてたし、どうやら本当なんだろうな。

「こっちの世界担当になってから、残業休出しまくりなんで上司に休めと言われまして……。休出してた分の休暇と有給をまとめてとってました」
(なるほど。それで休んでたんですね。何かお疲れ様です)

 ずっと俺のこと見張っていたのだろうな。でも、長期休暇の前には連絡ほしかったな。いくら呼んでも出てこないから、最近は見放されたのかと思っていた。

「すみません。ちょっと、タイミングがありませんでした。死神さんと連絡取ろうと思ったらこっちの世界に来るしかなくて、それはちょっと大変なので……」
(神のお告げとかは……)
「あー、あれ私はできないんですよ。もっと上司の方でないと」

 あー。流石に上司を顎で使うのは無理だな。うん、できない。

(それで、有給とって何やってだんですか?)
 
 世間話のつもりで俺は軽く訊いてみた。だが、これが間違いだった。みるみるうちにしゅーんと縮こまる死神さん。え、え、俺何か悪いこと訊いちゃった?

「……悪霊さんは何も悪くありませんよー。私が悪いんです、私がぁ……」

 態度はおろか声も明らかに気落ちしている。

(えっと、すみません。何か悪いこと訊いちゃったみたいで……。俺で良ければ話、聞きますよ)
「…‥聞いてくれる?」
(もちろんですよ)
「本当に?」
(本当ですとも)
「じゃあ」

 そう言って、死神さんはふところから何か液体の詰まったビンのようなものを取り出した。そしてキャップを捻ると内容物をラッパ飲みする。

「ぷはー、これがないとやってらんねーぜー!」
(えっと、死神さん? 何をしてらっしゃるので?)
「飲まないと、話したくない」
(え?)
「話、聞いてくれるって言った」
(言いましたが)
「飲まないと、話したくない」

 あ、これ面倒くさいやつだ。というか、死神さん、もしかして酔ってらっしゃる?

「そんなこたぁ、気にするな。ゴクゴクゴク、ぷはー。あーあぁ。まったく、なんだよあいつらはもう、むかつくなー、ヒトのこと馬鹿にしやがって」

 えっと、別に馬鹿になんてしてませんよ?

「悪霊さんじゃないよ。別のやつ。クソみたいなナンパヤロー共。友人たちと久しぶりに休暇が合ったからさー。海辺にバカンスに行ったの。水着買ってさあ、ナンパとかされちゃうかもーて、冗談言い合ったりして。で、ないならないで、別にいいんだけどさ。ナンパしたがりが来るわ来るわ。あいつら、私がちょっと離れてるスキに友人たちは誘うくせに、私が戻るとすーぐ消えやがって。そんなに私に魅力がないのかー!」

 あー、なるほど。ちょっとは話が見えてきた。
 ぐびぐびとビンの中の酒を飲みきる死神さん。懐から二本目を出して蓋を開ける。まだまだ飲むらしい。そんなに一気に飲んで大丈夫なのかな。

「し、しかも、私のこと『妹さん?』だとー! 『俺達、あっちのお姉ちゃんたちに用があるから、ゴメンね』じゃないわボケェ。私のほうが歳上だっつうのガキどもが! まったく……。ねえ、悪霊さん。聞いてる?」
(はい、聞いてますとも)
「で、翌日もやっぱりハイエナ共が来るわけさ。わんさかわんさか。私の居ないときに。で、ジュース買って戻ってきたら私、友人たちにすら置いてかれてやんの。ゴメンねっていう書き置きとともに。笑っちゃうよねー。あっはっは。
(あ、あは、あははは)
「久しぶりにバカンスに来たにもかかわらず、一人寂しく砂浜ロンリネス! で、挙句の果てに知らないガキンチョ共に遊びに誘われて一緒に砂のお城を作る始末。どうするよこれ。これが■■歳の休暇とはね。夏休みかっつーの。もう笑うしかねー。あっはっは」
(あはははは)
「何笑ってんの? 悪霊さん」

 途端に真顔でキレられる俺。これは理不尽。
 このヒト、酒飲むと性格変わりすぎでしょ。飲ませちゃダメなタイプだ。くそう。何とかして逃げたいが、このヒトからは逃げられる気がしない。俺の実態のない体を掴めるんだもの。どうしよう。

「っていうか、私が居ない間にトモダチを二人も増やして、女の子と一緒に暮らして、いーご身分ですね。もう6人ですか。ミッションが順調で何よりですねー。まったく、羨ましいですよ」

 二本目のビンも空ける死神さん。三本目も取り出した。くそう、なんとか逃げねば一晩中拘束される気がする。無音移動ならなんとか逃げられ……、ん? このヒト、今友達6人って言わなかったか?

 セミル、マダム、バイダルさん、マッド、ヒメちゃん。

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