【R18】二重の執愛〜花枯らしの歌姫と呪われた王〜【完結】

双真満月

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第一幕:彼岸花に呪われた王

1-3:訪れた時

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 シュトリカが簡単な読み書きすらできるのは、実母のおかげだ。難しい文字になるとつまずくが。ただそれだけでなく、大抵の作法や勉学、その基礎ができていることにまずサミーが、そして自分自身が驚いた。

「語学だけでなく、礼儀の基礎も教えられているとは」
「た、正しいかどうかわかりませんけど……どうでしょうか? 母の教育で……」
「若干乱れている部分もありますが、おおむねできていることに正直、驚いております」

 よかった、と胸を撫で下ろし、机の上にある本を手でなぞった。

 ここは図書室だ。仮眠をとらせてもらって、今は昼過ぎ。窓から入る陽射しは程よく、外から聞こえる小鳥の鳴き声が耳に心地よい。初夏という季節柄、気温は肌に優しかった。

 一階にあるここからは、隣接している庭園も見える。紫を主にした季節の花々が、新緑の色に眩しい。時折、紺色の軍服を着た男性たちが剣を腰に、周辺を行き来しているのがわかる。多分、ディーンが言っていた親衛隊というものなのだろう。

「そういえばここって、ポラートとの国境付近に近い場所……ですよね」
「元々は、処女神フェレネの神殿があったところです。避暑地の一つでもあります」
「危なくはないんでしょうか?」
「確かに。二十年前、ポラートが一時期占領した領地、というのがここでしたが。十数年前に返還され、先王様や他の貴族様も分けられた区分を使っておられまして、陛下も好んでここを使用していたようです。陛下の温室もありますが……見に参りましょうか?」
「い、いいんでしょうか。わたしが出回っても。迷惑になるんじゃ……」
「息抜きも必要です。それに、ディーン様からは何も言われておりませんので」
「……なら、ちょっとだけ。お願いします」

 微かに口元をほころばせるサミーの言葉に、シュトリカは甘えることにした。

 雑技団にいた頃、ほとんど自由がなかった。水仕事や針子の担当は大抵自分の役割で、一人で町を見て回ることは許されずにいた。それが、今やどうだろう。広い館内どころか、立派な庭園にも行くことができるなんて。信じられない僥倖ぎょうこうだ。

 だが、使用人たちが自分を見るたびかしこまるのには、未だ慣れない。高尚な人間なんかじゃないことを、シュトリカ自身がわかっている。それでもここでは『廃嫡はいちゃくされていた伯爵令嬢』の仮面を被らねばならない。自分の失態は、エンファニオの秘密の露見に繋がる。

 心の中で謝罪しながら、精一杯背筋を正す。サミーが教えてくれた令嬢の歩き方を真似て、シュトリカは外に出た。

 爽やかな空気を胸に吸いこむ。緑の、馴染みのある匂いにほっとした。見知らぬ花の香りが鼻をつく。空には雀が鳴き声を上げて飛んでいて、実に平和だ。

 サミーと共に庭園を歩きながら、高揚した気持ちが思わず口を滑らかにする。

「あの、国王様も花を手入れなさったりするんですか?」
「陛下は薬草学を幼いときより学んでおります。花にもお詳しいでしょう。将来、薬草を使う医者になりたかったそうで」
「王子様が、お医者様を目指す……?」
「ベルカスターは議会選挙で王を決める国ですよ、シュトリカ嬢。先王のご息子と言えど、次の王位に就けるとは限りません」
「そうだったんですね。お医者様……」

 案外、医者の方が似合うのではないか。そんな不謹慎なことを考えてしまい、慌てて頭を振った。でも、エンファニオの優しい医者姿を想像してみれば、しっくりと馴染む。

 色々なことを考えつつ、サミーに導かれるように四阿あずまやまで来た、そのときだ。

「あっ、サミーさん。こんにちは」

 朗らかな青年の声がして、シュトリカは思わず近くにあった樫の木を見た。親衛隊の一人だろうか。柔らかそうな赤毛を風に晒す青年が、地面に座ったままこちらを見ている。

「コル様、またこのような場所で。見回りの仕事を放ってらっしゃいますね」
「あは、ばれたら仕方ないや。ディーン様には内緒にしてよ?」

 屈託なく笑う青年――コルの顔は、中性的で幼く見える。細い赤目がサミーからシュトリカへ移動し、興味という光に輝いた。

「もしかしてその方が陛下のお相手?」
「シュ、シュトリカと申します」

 立ち上がり、こちらに向かってくるコルへ、シュトリカは習った作法で礼をした。

「僕に敬語なんて使わないで下さいよ。多分僕が、あなたの専属の護衛になると思うから」
「わたしに、護衛?」
「ディーン様は何も仰っておられませんでしたが」
「何も聞いてない? 僕が今回親衛隊に入ったのは、陛下のお相手を守るためだよ」

 悪戯っぽく笑うコルが、小首を傾げる自分の前で静かに膝をついたものだから、一瞬びくりとした。努めて外には出さなかったが。

「コル=リーバ。シュトリカ嬢、この身を賭けてあなたを守ることを誓います」

 突然忠誠を誓われ、サミーの方を見た。サミーは黙ってうなずく。

「で、では、よろしくお願いします……」
「はい。ならば、忠誠の口付けを手に」
「コル様、戯れが過ぎますよ。騎士ではないのですから、そこまでする必要はありません」
「少しくらい格好つけさせてくれてもいいのに。ケチだなあ、サミーさんは」

 唇を尖らせ、姿勢を正すコルは、どこまでも残念そうだった。一方のシュトリカはほっとする。軟膏を丁寧にすりこまれたとはいえ、荒れた手はまだ治っていない。雑技団に所属していたことを知ってはいるのだろうが、人前に晒す手ではないと感じていたから。

 長い袖とフリルで手を隠した刹那、鳥の鳴き声が聞こえた。雀ではない、別の鳥のものだ。頭上を見ると、瑠璃色の小鳥が旋回していた。それは滑空の後、静かにシュトリカの肩に止まった。長い冠羽は白く、青紫の目は丸っこくて可愛らしい。

「あ、陛下の鳥。仕事見張りに来たのかな」
「あるいはそうでしょう。コル様、そろそろ戻らなければディーン様に言いつけますよ」
「怖いなあ、もう。それじゃあシュトリカ嬢、サミーさん、また後で」

 シュトリカが小さくうなずくと、コルは思ったより俊敏な動きで駆け出していく。その背中を見つめていた自分の頬に、小鳥が柔らかな頭頂を押しつけてくるものだから、思わず笑みがこぼれた。

「シュトリカ嬢、その方がいいですよ」
「え……?」
「笑顔の方がよい、ということです」

 サミーに言われて、少し赤面する。笑顔を浮かべたことは、人前で歌うときくらいしかなかった。強面の笑顔になっていないだろうか、心配になって、手で顔に触れてしまう。

「それは陛下の鳥で、とても賢いのですよ。陛下もまた、軍神ゾーレと処女神フェレネの神話を聞いて育ちましたからね。興味を惹かれたのは、二人の魂を結びつけたという鳥に向いたようですが」
「地上と天で二人を導いた鳥、ですよね? 確かに青い鳥だとは話にありました」

 再び歩きはじめるサミーのあとを追うも、鳥は自分の肩から離れようとしない。すっかり懐いたみたいだ。小さく鳴く姿が健気で、そのままにしておく。

「それにしても、コル様の怠け癖は直っていませんね。あれでどうして護衛になるのか」
「あんなに若いのに親衛隊に入れたなんて、凄いと思いますけど……」
「騙されてはなりません。あんな顔でも二十六、陛下と同い年です」

 シュトリカは意地悪く笑むサミーの言葉に、目を瞬かせた。自分と同じかもっと下、下手をすれば十代後半だと思っていたくらいだ。全く、人は見かけによらない。

「それでも確かに、シュトリカ嬢の仰る通りです。腕は立つとディーン様が」
「でも、わたしに護衛なんて……」
「シュトリカ嬢、あなたの身に何かあれば、それは陛下にも危機が及ぶということ。ただでさえ今の陛下は、精神的に安定していないのですから。……花枯はながらしの歌姫、ではなく、見初められたご令嬢を守る。それがコル様に与えられた役割なのです」
「そ、そうですね。ごめんなさい」
「わかって下さればいいのです。それと、慣れないとは思いますがいい加減、あたくしやコル様のことは呼び捨てにするように。陛下のことも、国王様ではなく陛下か名前を」
「……はい……」

 うなだれ、呟いた。心の中で、そっとエンファニオ様、とささやいてみる。何か違う気がして、陛下呼びにすることを決めた。名前を呼ぶということは、と温室を間近に考える。

 名前を呼ぶのは、相手へ親しみを抱くことであり、関係性を深めることだ。呼べば呼ぶほど愛着がわく。けれど自分は令嬢ではない。見初められたことも嘘、全てが仮初め。だから、軽々しく彼の名前を呼んではいけない。

 呪いを解くことができれば、エンファニオとは別れる。そのとき、特別な感情なんて抱いてはならないのだ。寂しさも、悲しさも、微塵も出さずに温かなまなざしと手を、ただの思い出にしなければ――

 そこまで考え、サミーが辿り着いた温室の扉を開けた刹那。

「サミー!」

 背後から、ディーンの声が届いた。声に驚いてだろうか、小鳥が肩から羽ばたいていく。

 ディーンの顔は険しさが増しており、前に見たときよりも厳めしい。

「どうなさったのですか、ディーン様……まさか」
「その、まさかだ」

 こちらに大股で近づくディーンは、いわおのような視線でシュトリカを射貫く。直感がひらめく。これはきっと、陛下に何かあったのだろう、そう感じた。

「……陛下がお呼びだ、シュトリカ嬢」
「わかりました」

 自分が呼ばれる意味。それを理解して唇を引き締める。

 令嬢ではなく、歌姫としての出番が、思ったより早くやって来た。
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