『浜家の物語 — 永明が築いたパンダの王国』

小川敦人

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「浜家の絆 —— 竹を咥え、子孫を残し、心を繋ぐ永明の旅路」

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『浜家の物語 — 永明が築いたパンダの王国』

空は澄み切った青色で、和歌山の海風が優しく吹いているだろうか。アドベンチャーワールドでは、「浜家(はまけ)」と呼ばれる永明(えいめい)の子孫たちが今日も多くの人々を癒しているに違いない。永明自身はもうここにはいない。2023年2月に中国へ返還され、2025年1月25日に32歳でその生涯を閉じたのだ。


伝説の始まり

永明が初めて日本の土を踏んだのは、もう遥か昔のことになる。1992年9月14日に中国・北京動物園で生まれた永明は、1994年9月、わずか2歳でアドベンチャーワールドにやってきた。関西国際空港が開港して3日目のことだった。当初は誰も、この一頭のパンダが日本におけるパンダ繁殖の父となり、多くの命を育むことになるとは思っていなかった。しかし永明はすぐに人々の心を掴み、そして何より、彼独特の「こだわり」で飼育員たちを驚かせることになった。


「浜家」の系譜

「浜家(はまけ)」——この言葉を聞いたことがあるだろうか。これは永明を中心としたアドベンチャーワールドのパンダファミリーに付けられた愛称だ。永明と彼のパートナーだった梅梅(めいめい)と良浜(らうひん)、そして彼らの間に生まれた16頭の子どもたち、さらにはその孫たち。現在では世界で40頭以上にも上る大家族となっている。

パンダの名前に共通する「浜(ひん)」は、彼らが暮らす白浜町にちなんだものだ。浜家の子どもたちは「雄浜」「隆浜」「秋浜」「幸浜」「愛浜」「明浜」「梅浜」「永浜」「優浜」「桜浜」「桃浜」「結浜」「彩浜」「楓浜」など、それぞれ個性的な名前を持っている。

永明の子孫たちは世界各地の動物園で暮らしているが、その多くは中国・四川省の成都ジャイアントパンダ繁育研究基地に戻り、新たなファミリーを形成している。例えば永明の長男・雄浜は、中国に返還された後、5頭のメスパンダとの間に15頭もの子どもをもうけた。さすが永明の血を引く子だけのことはある。


パンダ飼育の革命児

永明の貢献は、単に人気者だったというだけではない。彼は文字通り、パンダの飼育・繁殖技術の革命を日本にもたらした功労者だった。

特に画期的だったのは、彼の食事内容を見直したことだ。それまでの「パンダ団子」と呼ばれる穀物やタンパク質を含んだ食べ物から、良質な竹を主体としたエサへと変えていったのである。これによって、永明は本来のパンダらしい生活リズムを取り戻すことができた。竹をたくさん食べるためには体を動かす必要があり、一日の3分の1もの時間を食事に費やすようになったのだ。

竹へのこだわりは厳しいものだった。飼育員たちは彼のために二週間に一度、大阪まで特別な竹を調達しに行かなければならなかった。そして永明は、まるでソムリエのように一本一本を選り分け、気に入らなければ横に放り投げた。「永明様のご機嫌を取るのは大変なんですよ」と、ベテラン飼育員の声が聞こえてきそうだ。

また、健康管理における協力的な姿勢も特筆すべきものだった。通常、パンダの健康診断は全身麻酔をかけて行われる。体重測定、採血、血圧測定、超音波検査——これらすべてのために麻酔が必要だった。しかし永明は違った。彼は飼育員たちとの深い信頼関係を築き、麻酔なしでこれらの検査を受けることを許したのだ。

この方法は後に「永明メソッド」と呼ばれ、世界中のパンダ飼育施設に広まっていった。麻酔による負担がなくなったことで、より頻繁な健康チェックが可能になり、パンダの寿命延長や繁殖成功率の向上にも貢献したと言われている。

子孫を増やす技
永明の最も偉大な功績は、やはり「繁殖王」としての実績だろう。パンダは動物園での繁殖が難しいことで知られるが、永明はそんな常識を打ち破った。彼は「梅梅(めいめい)」と「良浜(らうひん)」という2頭のメスパンダをパートナーとして、計16頭もの子どもをもうけたのである。

中でも特筆すべきは、2014年に「現在の飼育下で自然交配し、繁殖した世界最高齢のジャイアントパンダ」となったことだ。パンダのオスの生殖年齢は20歳までと考えられていた常識を遥かに超え、飼育下での自然繁殖という難しい条件の中で記録を更新した。2020年11月には「楓浜(ふうひん)」が誕生し、さらにその記録を更新することになった。

永明は「パンダ界のレジェンド」「ビッグダディ」など様々な異名を持ち、「イケメンパンダ」「パンダ界の光源氏」とも称されるほどメスパンダへのアプローチがスマートだったという。一般的にパンダはオスとメスの交尾に至るまでの道のりが難しいと言われるが、永明は違った。穏やかでありながらも確かな存在感を放つ永明の魅力は、パンダだけでなく人間の心も掴んで離さなかった。

奈緒子さんへのメッセージ
「奈緒子さん、誕生日おめでとう。アドベンチャーワールドの自作パンフレットです」

私がこの誘いを持ちかけたのは、昨年の7月だった。奈緒子さんとは仕事上のお付き合いの他、時々ランチをすることがあった。とても理知的で素敵な女性だ。

「えっ、アドベンチャーワールドですか?」思った通り、彼女の目は輝きに満ちた。

「この前、ランチしているときにパンダが好きと言っていましたね。ここからだと少し遠いですが、日帰りでも行けますよ」

「本当ですか?でも、かなり遠いですよね?時間的に厳しくないですか?」奈緒子さんは少し心配そうな表情を浮かべた。

「移動時間はかかりますが、計画を立ててみました。早朝に出発して、パンダだけに絞れば2時間程度はゆっくり見られます。パンダエリアは『パンダラブ』という専用施設があって、そこを中心に回れば効率的です」

「2時間あれば、永明さんのその子供たちをじっくり見られますね!」彼女の声には期待が高まっていた。

「ほかの動物は少し駆け足になりますが、パンダをメインに考えています。大阪万博の見学も考えていたけど、今回はパンダを見に行きましょう。永明の子供たちもとても可愛いそうですよ」

奈緒子さんは少し黙ってから、にっこりと笑顔を見せた。「ありがとうございます。ぜひ行きましょう!誕生日プレゼントにこれ以上のものはないです!パンダのために早起きします!」

しかし、様々な事情で延期となり、私たちは結局行けないままだった。
そして今年1月末、中国から悲しい知らせが届いた。永明が旅立ったのだ。


パンダと政治

パンダが国家間の外交カードとして利用されることは、「パンダ外交」としてよく知られている。中国政府は、自国と友好関係を結びたい国々にパンダを貸し出すことで、相互理解と協力関係を深める手段としてきた。

永明たちの返還も、単なる動物の移動ではなく、政治的な文脈の中で捉えられることがある。時に友好のシンボルとして、時に外交的圧力の道具として。しかし、私はそうした政治利用ではなく、彼らが本来持つ価値——種の保存と人々に与える喜びこそが大切だと思う。

パンダたちは国境を越えて人々の心を結びつける力を持っている。日本と中国の間にはさまざまな政治的緊張関係があるかもしれないが、永明と浜家の存在は、純粋な友情と協力の象徴であってほしい。そう願わずにはいられない。


永明の遺産

2023年2月、永明は娘の桜浜、桃浜と共に中国・成都ジャイアントパンダ繁育研究基地へと旅立った。その後も専門スタッフのもとで手厚いケアを受けながら穏やかな日々を過ごしていたが、2025年1月より倦怠感や食欲不振が見られ、懸命な治療が続けられたものの、最終的には多臓器不全により静かに旅立ったのだ。32歳。人間でいうと90歳を超える高齢だった。

永明の生涯は、ジャイアントパンダの保護と繁殖に多大な貢献を果たし、日中友好の架け橋としても重要な役割を担った。彼は単なる展示動物ではなく、日中友好の象徴であり、絶滅危惧種保全の旗手であり、そして何より、多くの人々に夢と希望を与えてきた生き物だった。


エピローグ:新たな世界

永明は旅立ってしまったが、彼の子孫たちはまだ日本にいる。そんな会話を最近、奈緒子さんとしていた。

「奈緒子さん、日本ではパンダを見ることができなくなりそうですね」

「ええ...」奈緒子さんの声は優しく穏やかなだった。「とても残念で悲しいことです」

「うん、でも6月までは結浜、彩浜、楓浜...今もアドベンチャーワールドのパンダ専用施設『パンダラブ』やブリーディングセンターで暮らしています」

「そうですね...」奈緒子さんの声に少し明るさが戻った。「永明さんの子供たちに会いに行きましょう」

電話を切った後、私は自分の机の上に置かれたパンダの図鑑を見つめた。これは奈緒子さんに勧められて買ったものだ。以前の私なら、パンダはただの白黒の愛らしい動物というイメージしかなかった。しかし奈緒子さんと知り合ってから、私の世界は大きく広がった。

彼女のパンダへの深い愛情と知識は、私に新たな興味をもたらした。永明の竹へのこだわり、健康管理における革新的な姿勢、繁殖への貢献、そして「浜家」という大家族の歴史。これらすべてを知ることができたのは、奈緒子さんのおかげだ。

彼女と知り合うまで、私はこんなにも奥深い世界があることを知らなかった。単なる可愛らしい動物の向こう側に、壮大な物語が広がっていたのだ。奈緒子さんは私に多くの刺激を与えてくれた。パンダの世界はその一つに過ぎないが、それは私の人生を豊かにしてくれるものになった。

「いつ行きましょうか?」と、もう一度電話をかけてみる。

「ゴールデンウイーク後にいきましょう」

「はい、ぜひ行きましょう!」奈緒子さんの声には、もう迷いはなかった。

窓の外を見上げると、夕日に染まった雲が流れていた。永明がこの世を去った今、彼の子供たちがその遺志を継いでいる。そして私も、奈緒子さんから受けた刺激と知識を胸に、パンダと人間の共存について考え続けていきたい。

永明の生き方から学べることは多い。彼は決して性急なことをせず、自分のペースを守り、食べ物にこだわり、そして愛すべき存在に深い愛情を注いだ。そんな永明の生き方こそ、現代に生きる私たちが見習うべきものではないだろうか。

「さようなら」ではなく「ありがとう」。永明への感謝を、そして新たな世界を教えてくれた奈緒子さんへの感謝を胸に、私たちはアドベンチャーワールドへと向かうだろう。そこには永明の遺産が、しっかりと受け継がれているはずだから。







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