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恋の続きは原稿で
しおりを挟む顔合わせ当日。
「柊役を演じます、黒木聖です。よろしくお願いします」
ドラマ化にあまり興味のなかった遥は、監督と俳優陣の自己紹介をぼんやりと聞き流していた。けれど、聖の声が耳に届いた瞬間、思わず顔を上げていた。
――『月夜に堕ちて』の主役・柊は、遥が理想を詰め込んで描いたキャラクターだ。だからこそ、どんな人物が彼を演じるのか、密かに気になっていたのだ。
黒い髪、切れ長の目。整った鼻筋と端正な顔立ち。
(……好みすぎる)
まるで遥の原稿の中からそのまま抜け出してきたような男が、そこに立っていた。つい見惚れていると、不意に目が合ってしまう。
*
初顔合わせを終え、控室に戻って荷物をまとめていた遥の元に、ノックの音が響いた。
「失礼します」
入ってきたのは、さきほどの黒木聖だった。遥の心臓が不意に高鳴る。
(……これは、まずい)
動揺する遥の内心など知る由もなく、聖は一歩前に出て口を開いた。
「先生、ずっとあなたに憧れてました。覚えてないかもしれないけど、8年前の撮影現場で……助けられたんです」
8年前――。遥の作品が初めてドラマ化された年だ。でも、まったく記憶にない。
「……ごめん。そうだったかな」
一瞬だけ、聖の目の奥に影が差す。それでもすぐに笑顔を取り戻して言った。
「大丈夫です。俺が覚えてますから。それに、これから俺のこと知ってもらえたら、それで十分です」
真っ直ぐな瞳。遥は視線を逸らすことができなかった。
*
ドラマの撮影は順調に進み、遥も何度か現場を見学していた。
ある日、撮影が終わった頃。
「先生、もう遅いので、送りますよ」
「え?いいよ。疲れてるんじゃないの?」
「疲れてても関係ないです。先生と一緒にいられるなら」
まるで相手の心の揺れを見透かすように、聖は穏やかに笑った。
「撮影は、順調?」
「はい。ただ、次のシーンの台詞で、少し先生に確認したいところがあって」
「ん?いいよ、どこ?」
「できれば台本を見ながら話したいので……少しだけ、先生の家にお邪魔してもいいですか?」
一瞬、迷いが走る。二人きり。しかも自宅で。
だけど、仕事の話だし――と、遥は心の中で自分を説得し、静かに頷いた。
聖は、その頬をわずかに緩ませた。
*
部屋に入った聖は、壁一面の本棚を見て目を輝かせた。
「先生の作品、全部読みました」
「……ありがとう」
まっすぐに向けられる言葉に、自然と顔が熱くなる。
「次の作品って、もう考え始めてるんですか?」
「いや……最近は、なかなか浮かばなくて」
「じゃあ、俺をモデルにしてください」
「え……?僕が書くの、恋愛小説ばっかりだけど……?」
「知ってます。だから――俺と、恋愛してほしいんです」
「はっ……!?」
遥は信じられないというように目を見開いた。鼓動が耳の奥まで響く。
そんな遥の動揺をよそに、聖は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
ソファに座る遥に、逃げ道はなかった。聖の左手が遥の頬に触れ、親指が唇の輪郭をなぞる。
「……だめですか?」
甘く低い声が、肌を撫でるように降ってくる。
遥は必死に体を押し戻そうとするが、華奢な腕ではびくともしない。
そのとき、唇が触れそうな距離で、遥が口を開いた。
「……恋愛すると、書けなくなるんだ」
「え?」
ぴたりと、聖の動きが止まる。さっきまでの強引さが嘘のように、穏やかな沈黙が訪れた。
「恋をすると、なぜか筆が止まってしまう。頭の中がいっぱいになって、何も書けなくなる。それが……怖いんだ」
遥の目には、怯えたような光が宿っていた。
聖はその視線を真っ直ぐに受け止める。
少しの間を置いて、優しく言った。
「……じゃあ、なおさら俺をモデルにしてください。もし書けなくなっても、書けるようになるまで、俺がずっとそばにいます。だから、俺を拒絶しないで」
そう言って、聖はもう一度、遥の頬に触れた。
そのとき、遥は気づいた。
――この人を、拒絶できない。
(僕は……こんなにも、惹かれていたんだ)
*
その後も撮影は進んでいった。遥もときおり現場に足を運ぶ。
カメラの先で演じる聖は、私生活の彼とはまるで別人だ。
クールで、強くて、けれどどこか脆くて――柊そのものだった。
シーンの中、聖の目から一筋の涙が流れる。
好きな相手を想って流す涙――物語のクライマックス。
その姿を見た瞬間、遥はふいに記憶を取り戻した。
*
8年前。あの日は曇り空だった。
初めてのドラマ化に緊張していた遥は、現場の片隅でひっそりと休憩していた。
そのとき、近くで小さなすすり泣く声が聞こえた。
音の方へ歩いていくと、一人の少年がしゃがみ込んでいた。
顔を上げたその子は、さっき監督に叱られていた子供役の少年だと気づいた。
「どうしたの?」
「……うまく演技できなくて……」
「演技のことはよく分からないけど、僕は君の演技、良いと思ったよ。あの役にすごく合ってて、頑張ったんだなって。一生懸命やってることって、絶対伝わるから。」
遥はくしゃっと笑った。ほんの短い会話。
でも、それは聖の俳優人生の中でずっと忘れられない記憶だった。
*
「先生、俺の演技、どうでした?」
――あの少年が、こんなふうに成長して。
遥はどこか感慨深く彼の顔を見つめる。
「すごく良かった。……特に、泣くシーンが」
「先生に褒めてもらえるなんて、頑張った甲斐があります。じゃあ、もう俺のことモデルにしてくれますよね?」
「君をモデルにするのは……君が僕の“理想”になったら、かな」
恋をすることは、怖い。
遥にとって「書くこと」は「生きること」そのものだから。
でも、彼を失うことは――それと同じくらい、いや、それ以上に怖い。
「もう俺は先生の理想でしょ。……顔にそう書いてありますよ」
聖がそっと顔を近づける。今度は、もう拒まなかった。
「大好きです、先生。……8年前から、ずっと」
「僕も……君が好きだよ」
ふたりの唇が、そっと、重なる。
(君を失いたくない………)
*
しばらく小説を書けなかった遥は、久しぶりに原稿を開いていた。
キーボードを打つ指先が、心地よいリズムを刻む。
そこには、黒髪で真っ直ぐな瞳を持つ男が登場していた。まだ名前はない。
(彼をモデルにした物語なら書けるかもしれない)
机の上に、現場でもらった花束と、添えられたメモ。
《次の撮影が終わったら、デートですよ。約束です。》
遥はふっと笑い、再びパソコンに向かう。
物語は、ゆっくりと動き出していた。
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人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。
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