恋の続きは原稿で

SuiuS

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恋の続きは原稿で

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 顔合わせ当日。
 
「柊役を演じます、黒木聖です。よろしくお願いします」

 ドラマ化にあまり興味のなかった遥は、監督と俳優陣の自己紹介をぼんやりと聞き流していた。けれど、聖の声が耳に届いた瞬間、思わず顔を上げていた。

 ――『月夜に堕ちて』の主役・柊は、遥が理想を詰め込んで描いたキャラクターだ。だからこそ、どんな人物が彼を演じるのか、密かに気になっていたのだ。

 黒い髪、切れ長の目。整った鼻筋と端正な顔立ち。

(……好みすぎる)

 まるで遥の原稿の中からそのまま抜け出してきたような男が、そこに立っていた。つい見惚れていると、不意に目が合ってしまう。



 初顔合わせを終え、控室に戻って荷物をまとめていた遥の元に、ノックの音が響いた。

「失礼します」

 入ってきたのは、さきほどの黒木聖だった。遥の心臓が不意に高鳴る。

(……これは、まずい)

 動揺する遥の内心など知る由もなく、聖は一歩前に出て口を開いた。

「先生、ずっとあなたに憧れてました。覚えてないかもしれないけど、8年前の撮影現場で……助けられたんです」

 8年前――。遥の作品が初めてドラマ化された年だ。でも、まったく記憶にない。

「……ごめん。そうだったかな」

 一瞬だけ、聖の目の奥に影が差す。それでもすぐに笑顔を取り戻して言った。

「大丈夫です。俺が覚えてますから。それに、これから俺のこと知ってもらえたら、それで十分です」

 真っ直ぐな瞳。遥は視線を逸らすことができなかった。



 ドラマの撮影は順調に進み、遥も何度か現場を見学していた。

 ある日、撮影が終わった頃。

「先生、もう遅いので、送りますよ」

「え?いいよ。疲れてるんじゃないの?」

「疲れてても関係ないです。先生と一緒にいられるなら」

 まるで相手の心の揺れを見透かすように、聖は穏やかに笑った。

「撮影は、順調?」

「はい。ただ、次のシーンの台詞で、少し先生に確認したいところがあって」

「ん?いいよ、どこ?」

「できれば台本を見ながら話したいので……少しだけ、先生の家にお邪魔してもいいですか?」

 一瞬、迷いが走る。二人きり。しかも自宅で。

 だけど、仕事の話だし――と、遥は心の中で自分を説得し、静かに頷いた。

 聖は、その頬をわずかに緩ませた。



 部屋に入った聖は、壁一面の本棚を見て目を輝かせた。

「先生の作品、全部読みました」

「……ありがとう」

 まっすぐに向けられる言葉に、自然と顔が熱くなる。

「次の作品って、もう考え始めてるんですか?」

「いや……最近は、なかなか浮かばなくて」

「じゃあ、俺をモデルにしてください」

「え……?僕が書くの、恋愛小説ばっかりだけど……?」

「知ってます。だから――俺と、恋愛してほしいんです」

「はっ……!?」

 遥は信じられないというように目を見開いた。鼓動が耳の奥まで響く。

 そんな遥の動揺をよそに、聖は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
 ソファに座る遥に、逃げ道はなかった。聖の左手が遥の頬に触れ、親指が唇の輪郭をなぞる。

「……だめですか?」

 甘く低い声が、肌を撫でるように降ってくる。

 遥は必死に体を押し戻そうとするが、華奢な腕ではびくともしない。

 そのとき、唇が触れそうな距離で、遥が口を開いた。

「……恋愛すると、書けなくなるんだ」

「え?」

 ぴたりと、聖の動きが止まる。さっきまでの強引さが嘘のように、穏やかな沈黙が訪れた。

「恋をすると、なぜか筆が止まってしまう。頭の中がいっぱいになって、何も書けなくなる。それが……怖いんだ」

 遥の目には、怯えたような光が宿っていた。
 聖はその視線を真っ直ぐに受け止める。

 少しの間を置いて、優しく言った。

「……じゃあ、なおさら俺をモデルにしてください。もし書けなくなっても、書けるようになるまで、俺がずっとそばにいます。だから、俺を拒絶しないで」

 そう言って、聖はもう一度、遥の頬に触れた。

 そのとき、遥は気づいた。
 ――この人を、拒絶できない。

(僕は……こんなにも、惹かれていたんだ)



 その後も撮影は進んでいった。遥もときおり現場に足を運ぶ。

 カメラの先で演じる聖は、私生活の彼とはまるで別人だ。
 クールで、強くて、けれどどこか脆くて――柊そのものだった。

 シーンの中、聖の目から一筋の涙が流れる。
 好きな相手を想って流す涙――物語のクライマックス。

 その姿を見た瞬間、遥はふいに記憶を取り戻した。



 8年前。あの日は曇り空だった。

 初めてのドラマ化に緊張していた遥は、現場の片隅でひっそりと休憩していた。
 そのとき、近くで小さなすすり泣く声が聞こえた。

 音の方へ歩いていくと、一人の少年がしゃがみ込んでいた。
 顔を上げたその子は、さっき監督に叱られていた子供役の少年だと気づいた。

「どうしたの?」

「……うまく演技できなくて……」

「演技のことはよく分からないけど、僕は君の演技、良いと思ったよ。あの役にすごく合ってて、頑張ったんだなって。一生懸命やってることって、絶対伝わるから。」
  
 遥はくしゃっと笑った。ほんの短い会話。
 でも、それは聖の俳優人生の中でずっと忘れられない記憶だった。



「先生、俺の演技、どうでした?」

 ――あの少年が、こんなふうに成長して。

 遥はどこか感慨深く彼の顔を見つめる。

「すごく良かった。……特に、泣くシーンが」

「先生に褒めてもらえるなんて、頑張った甲斐があります。じゃあ、もう俺のことモデルにしてくれますよね?」

「君をモデルにするのは……君が僕の“理想”になったら、かな」

 恋をすることは、怖い。
 遥にとって「書くこと」は「生きること」そのものだから。

 でも、彼を失うことは――それと同じくらい、いや、それ以上に怖い。

「もう俺は先生の理想でしょ。……顔にそう書いてありますよ」

 聖がそっと顔を近づける。今度は、もう拒まなかった。

「大好きです、先生。……8年前から、ずっと」

「僕も……君が好きだよ」

 ふたりの唇が、そっと、重なる。

(君を失いたくない………)



 しばらく小説を書けなかった遥は、久しぶりに原稿を開いていた。
 キーボードを打つ指先が、心地よいリズムを刻む。

 そこには、黒髪で真っ直ぐな瞳を持つ男が登場していた。まだ名前はない。

(彼をモデルにした物語なら書けるかもしれない)

 机の上に、現場でもらった花束と、添えられたメモ。

 《次の撮影が終わったら、デートですよ。約束です。》

 遥はふっと笑い、再びパソコンに向かう。

 物語は、ゆっくりと動き出していた。

 
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