上 下
2 / 16

二話 みんな、不幸にしてしまう

しおりを挟む

 天成くんはあれから、私によく話しかけてくる。
 何かに気付いてるのかもとも思ったけど、どうやらそうではないみたいだ。
 学校の中でも、外でも、私にあいさつだけを投げかけては、私が答えるまでじっと待っている。

 それは夏休みを挟んだ今も変わらず。
 夏休みの間は、クラスメイトたちの顔も、天成くんの顔も見ずに、少しの寂しさを感じていたけど。
 それでも、天成くんと関わらない夏休みに安堵していた。

 私が関われば、天成くんは来年の八月には、死んでしまう。
 もう二度と、あんな悪夢は見たくなかった。

 帰る準備をしながら、今日は来なかったと安心した瞬間、天成くんの顔が目に入る。
 探しているつもりはないけど、天成くん曰く、帰る準備をしてる私は探すような視線の動かし方らしい。
 自覚はないけど、もうすでに天成くんに心惹かれてる。
 わかってる。
 だって、天成くんはまっすぐに私を見つめて、名前を呼んでくれる。
 話しかけてくれる。

 クラスメイトたちは遠巻きに、ジトと見つめるだけなのに。
 学校の時間は、天成くんがいないと苦痛で、息が詰まった。

「唯野さん、今日も一緒に帰るよね?」

 私の机に腕を立てて、首をかしげながら決まったことのように口にする。
 私は「いいえ」も「うん」も怖くて言葉にできない。
 だって天成くんはクラスの中でも、かっこいいモテる部類に入る。
 
 それが、こんな疫病神と一緒にいるだけでも気に食わない人は多いだろう。
 クラスの人たちの視線は、いつだって私に冷たい。
 
 それも、当たり前か。
 何か悪いことが起これば、全て私のせいだと言わんばかりにこちらを見つめるのだから。

 発端は遠い記憶すぎて思い出せない。
 小学生の頃に、学校で飼ってるうさぎが病気になった時から?
 その時も、「唯野さんだよね、最後にお世話したの」と責められたことだけは、うっすら覚えている。

 中学高校に上がっても、誰かは私の昔の噂を知っていて、いつのまにかクラス中が遠目に私を見つめるようになっていた。

 だから、自意識過剰だとわかっていても、クラス中の視線が突き刺さる。
 答えないまま、カバンに荷物を詰め込めば、人質のようにカバンを天成くんに奪われた。

「はい、帰ろう」

 ここでも私は「はい」も「いいえ」も答えれずに、ただカバンを追いかけてしまう。
 帰りたくないわけじゃない。
 天成くんと話せることは正直嬉しい。
 でも、私は天成くんの横に立てるような人間ではない。
 私と関われば、天成くんは不幸になってしまう。
 だから、どちらとも答えられない。

 ずるくて、弱い自分に、嫌気が差した。
 もっとはっきり断ればいいのに。
 それでも、ずるずると天成くんとの関わりを求めてしまう。

 校舎を出れば、ジリジリと太陽に肌を焼かれる。
 生徒たちは、帰り道どこにいくかの相談をしながら、跳ねるようにそれぞれの目的地へ進んでいく。

 私たちは、二人で帰るお決まりのルートの途中、いつもの公園へと向かう。
 学校から五分ほど歩いたところにある、小さな公園。

 トイレと、ブランコ、滑り台くらいしかないような公園だ。
 天成くんのお気に入りは、ブランコ。

 いつも、公園に入ったと思えば、一直線に向かっていく。
 そして、ブランコを揺らしながら、天成くんは私に話しかける。
 「高校生にもなってブランコ?」って言ったこともあるけど、「楽しいからいいだろ」と押し切られた。
 それ以来二人で、並んでブランコを揺らすのがお決まりになっていた。

「唯野さんって、明日の夜何してる?」
「何もしてないです」

 できるだけ淡々と答える。
 肩まで伸びた髪の毛が、首筋に触れてくすぐったい。
 ブランコが揺れるたびに、生ぬるい風が体を通り抜けていく。
 
「浴衣とか持ってる?」
「なんでですか?」

 私は、結局天成くんと、雑談する仲になってしまった。
 私が逃げれば逃げるほど、天成くんは私を追いかけ回す。
 嬉しいのと悲しいので、毎日感情がジェットコースターだ。

 浴衣、と言われて思い浮かんだのはピンク色のアヤメが描かれた古めかしい浴衣だった。
 お母さんが学生の頃から着ていたものらしく、おばあちゃんの家に行った帰りにおばあちゃんがこっそりと持たせてくれた。

 私の手に浴衣を押し付けて「いつでも頼っていいからね」と言ってくれた。
 おばあちゃんは何も言わないけど、私の今の状況を知っていたのかも知れない、と最近になって思う。
 だから、会うたびに私を心配して、やたら食べさせたがった。
 おばあちゃんに甘えることは、できなかったけど。

 そういえば、前のお祭りでも私は、ピンク色の浴衣を着て遊びに出かけたんだ。
 そして、迎えにきたお母さんに見つかって、声を上げて怒られた。

「私のものだったのに! お父さんがこんな時にあんたは!」

 浴衣を着て夏祭りに出かけたことではなく、お母さんの浴衣を着てしまったことが気に入らなかったらしい。
 そして、私が楽しんでたことも、イヤだったのかもしれない。

「ゆーめーかー! 聞いてる?」

 伸ばした甘えたような声で、天成くんは問いかける。
 天成くんの方は見ずに、遠くの青い空を見ながら無意識に答えた。
 
「あぁ、ごめん、他のこと考えてた」

 つい、親しい友人のように答えてしまって、ハッとする。
 わざと距離を置くように敬語を使っていたのに。
 
「名前で呼ばれたら、ちゃんと会話してくれるんじゃん」

 天成くんの方を横目で見れば、口を薄く広げて微笑んでいる。
 まるで、本当に嬉しいような表情で、心臓がバクバクと音を立てた。

 名前で呼ばれた事実に、胸が熱くなっていく。
 そして、ハッとする。
 天成くんが誘いたいのは今日の夜のお祭りだ。
 ごまかしていたのに、私は、反応してしまった。

 これ以上仲良くなってしまえば、私はますます天成くんを好きになる。
 だから、気づかなかったふりをしよう。
 わざとらしく、地面を強く蹴り上げて、天成くんから逃げ出す。

「夢香って呼ぼうっと」
「勝手にして」
「どうして、そんなに俺に壁を作るの?」

 少し切なそうな声で、ブランコを止めたまま、じいっと私の方を見上げる。
 私はそんな天成くんに気づかないふりをして、普通の声を出す。
 
 その切なそうな声に、悲しそうな表情に、弱ってしまうから。
 天成くんを不幸にはしたくない。
 でも、悲しい思いをさせたいわけでもない。
 私がもっと強かったら、こんなに惑わすようなことはしなかったのに。
 
「そんなことないです」
「クラスでもそう。遠巻きに寂しそーにしてみんなを見てるの」

 今の私は、天成くんからすれば「寂しそー」に見えるんだ。
 自分の中では、表情に出していないつもりだったのに。

「天成くんは、どうしてそんなに私に構うんですか?」
「旅人」
「はい?」
「旅人って呼んでくれるまで答えません」

 私には、呼びづらいその一言が、胸に棘を作っていく。
 呼べたらどれほど嬉しいだろうか。
 どれほど幸せだろうか。喉から手が出るほど呼びたかった名前に、涙が出そうになった。

「じゃあ帰ります」

 地面に足を踏ん張って、ブランコを止める。
 カバンを肩に掛けて、立ち上がれば慌てた天成くんが私の腕を引っ張った。
 
「うそうそ、帰んないでよ夢香。夢香ってなんか、こうツーンとしてる割に、寂しそうだったり悲しそうな目をしてるのが気になるんだよな」

 寂しい、悲しいは、どこかに置いてきたつもりだった。
 誰にも気づかれないように押し込めて、私は平気ですって作って。

 だって、気づかれたらまたお母さんは悲しそうに「私が悪い」と言って部屋にこもるし、お父さんは「お母さんを悲しませるな」と怒る。
 私の言い分を聞いてもくれない。

 それに、天成くんの眉毛を、悲しそうな八の字にしてしまう。
 だから、誰にも気づかれないように、ぐっと飲み込んだ。

「夢香が悲しそうだと、なんとかしなきゃって思っちゃうんだよね。これって恋だと思う?」

 恋の定義は、なんだろう。
 前に、天成くんが言ってた「相手のためになんでもできちゃうのは愛」が脳裏に浮かんだ。

「愛なんじゃないんですか?」

 自分のことを聞かれていたことを忘れて、素直に答えてしまう。
 天成くんが驚いた顔をしてから、嬉しそうに笑う。

「やっぱ、夢香と俺って繋がってる気がするんだよね」

 ニコニコと私の手を握りしめて笑うから、振り払えない。
 私にとって、最初で最後の大切な居場所だったの。
 天成くんはいつだって私をまっすぐに見つめてくれた。だから、大切で失いたくない。

 私の居場所が無くなることよりも、天成くんがいなくなってしまうことの方が辛い。
 ううん、いなくなったことを知ることの方が辛い。
 だから、私が知らないところで幸せになるなり、不幸になるなりして欲しい。

 これが、何回目かの、もう数えれないくらいの、天成くんとの二人きりの夏祭りだった。
 それでも私は弱いから、天成くんに笑いかけられると、断りきれない。

「じゃあ、俺は夢香ちゃんを愛してるのかもしれない」

 ふと真面目な顔をして、口の中で遊ぶように言葉を転がす。

 他の人から聞いたら、高校生のお遊びのだろう。
 でも、私にとっては本気で、本当の天成くんの言葉だってわかってしまう。

 だって、私たちはもう、何回もこの二年をやってるんだ。
 私たちは、じゃないか。
 私は、だ。

「天成くんは、幸せになってくださいね」

 逃げるように去ろうとする私の背中を、天成くんは追いかけて抱きしめる。
 これまでの二回と同じやりとりに、涙がこぼれた。
 天成くんのいつもの体温が、私にゆっくりと、染み込んでいくみたい。

 私は、天成くんに生きててほしい。
 たとえ、私が隣にいない未来でも。
 天成くんを、不幸にしないためにも、私と天成くんの線は交わらせちゃいけない。

「夢香」

 あまりにも優しい声で呼ばれるから、つい振り返ってしまう。
 ぼやけた視界で、天成くんが微笑む。
 私の一番好きな優しい愛情がこもった目で、笑う。
 やめてよ、好きになりたくない。
 そう思えば思うほど、心臓が好きだと叫び立てる。

「お祭り一緒に行こう? それだけでいいんだ。そしたらもう、夢香には構わない」
「浴衣は着ないよ」
「うん、それでいい。じゃあ、六時頃駅前集合で?」

 私は黙ったまま、答えない。
 行かない。行けない。行けない!

 それでも、天成くんは満足したとばかりに、大きく頷いた。
 そして、スマホを振りながら天成くんが歩いていく。

 バクバクとうるさい心臓をおさえれば、腕が目に入る。
 掴まれた腕には、天成くんがこの場所にいることを示すように、うっすらと跡が残っていた。
 跡を撫でて祈る。
 天成くんに、生きていて欲しい。
 私の命が代わりでもいい。

 なのに、どうやっても、天成くんは、来年の八月には死んでしまう。
 交通事故、医療事故、誰かとすれ違いざまにぶつかって、転落。
 数えきれないくらい、天成くんの死を見てきた。

 だから今回こそは関わらないと決めていたのに。
 天成くんは変わらず優しく私に話しかけて、私を誘ってくれる。
 できることなら、もう関わりたくない。
 大切な人を、私におかえりも、いってらっしゃいも、言葉にしてくれる唯一の人で、愛しい人だから。

 関わるたびに、今回こそは、っていつまでもこの時間が続くんじゃないかって錯覚する。
 そして、失うときになって、また今回もだったって気づくんだ。

 そのあとは、何も見たくないと思いながら、いつも、耳を塞いで時間が通り過ぎるのを待っていた。

 でも、今回やっと気付いたの、私が居場所を求めたのが間違いだったって。

 みんな昔から言ってた、私は疫病神で、生まれてこなかった方が良かった人間なんだって。
 お母さんもお父さんも、私が生まれて不幸になったと言った。
 生まれてこなければよかった、と何度聞かされただろう。
 私がいなければ、お母さんは夢を追い続けていられたし、主婦として向いてない家事を頑張る必要性もなかった。
 それに、愛想も、思いやりもない私のせいで、日々のストレスを抱えることも。

 小学校のお世話してたうさぎも、友だちも私が苦しめた。
 バスケの授業中に、私の投げたバスケットボールに当たり骨折したクラスメイトもいる。
 私と遊びに出かけたら、変なナンパに遭ってしまい、それを彼氏に見られて振られた友だちも。
 私に優しくしてくれた、先輩だってそうだ。
 私と話してるから、クラスメイトや他の先輩たちから嫌われて、いじめに遭って転校してしまった。
 
 私は、数え切れないほどの人を不幸にしてきた。
 
 だから天成くんが死ぬのも、私が疫病神だからだ。

 だから、私が求めることが間違ってる。
 そのせいで、未来が悪夢に染まっちゃうんだよ。
しおりを挟む

処理中です...