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四話 運命は覆らない

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 迎えに来たお母さんは、見たことのない私の浴衣を見て、とびきり大きいため息をついた。
 でも、何も指摘しないのはお父さんのことが心配だからだろうか。

 お父さんの一番大切なお母さん。
 お母さんは、お父さんが大切なんだって、わかる。
 一番ではないかもしれないけど、それなりに。
 私は、誰の一番でもないけど。

「お父さん、帰りの駅のホームで落ちたんだって」

 淡々と状況説明を私にするお母さんには、先ほどの電話ほどの熱量はなかった。
 取り乱して、疲れたのかもしれない。

 言い訳をすれば、もっと機嫌を損ねてしまうから。
 黙ってあいづちを打つ。
 カバンの中でスマホが何件も続く通知を知らせるようにバイブレーションしてる。
 手の中で振動を感じながら、きっと天成くんだなと思った。

「聞いてるの?」
「聞いてます……」
「自分が楽しければ家族はどうだっていいんだろうね。そんなもんなんだよね、あんたにとっての家族って」
「違います……」

 言い訳をしちゃダメ、自分に言い聞かせて唇を噛みしめる。
 お母さんは何を言っても不機嫌になってしまう。
 私はもう二度と「産まなければ良かった」の一言は聞きたくないのに。

 私にとっての家族は大切だ。
 でも、お母さんにとっては私は家族じゃないみたいな扱いなのに。
 ぐっと息を飲み込んで、耐え忍ぶ。

 私は昔から、お父さんとお母さんにとっていらない子だった。
 お母さんが、お父さんに「夢香がいなければ、私があそこに立ててた!」と泣き喚いていたのは覚えている。
 小学二年生くらいのことだった。
 あそこ、がどこかはわからないけど、テレビのニュースを見た後だった。

 聞いていた私を見つけて、キィっと睨んで「部屋に戻りなさい!」と怒鳴られたことも、記憶にある。

 産んでくれなんて頼んでない、って言い返せるくらい強かったら、何か変わったのかな。
 ううん、きっと、変わらない。
 だって、私は周りを不幸にしてしまうできそこないだから。

「ほら、もう着くから、お父さんのとこ行くよ」

 市立病院は大きくて、こんな時間に見ると少し不気味だ。
 ごくんっと飲み込んだツバが、喉に引っかかる気がする。

 夕方の病院は受付時間は終わってしまっているようで、いつものように待ってる人の姿はない。
 ホラー映画の始まりみたいで、体が震えた。

 寒気がして、天成くんが運ばれた病室がフラッシュバックする。
 天成くんが事故にあった時も、階段から落ちた時も、ここに運ばれてきた。
 そして、温かった体温がどんどん冷たくなっていて……

 悪い夢の結末は、毎回高校二年生の八月三十日。
 夏休みが終わる一日前だった。
 今から、だいたい一年後。

 私が天成くんと関わり続けたのが間違いだって、わかったから。
 今回こそはもうしない。
 固く胸に決めて、うなずく。

 それできっと天成くんは大丈夫だ。
 今回こそは、この悪夢を断ち切れるはず。

***

 「旅人、大丈夫? ねぇ! 旅人!」

 目を閉じて開けない旅人に何度も声を掛けても、反応はない。
 担架に乗せられて運ばれていく旅人に、私は何できなくて、力なくただ声をかけ続けた。
 旅人の体は温かい。
 まだ生きてる。
 まだ、生きてるんだよね?

 本当に……?

 私は何回旅人が死ぬ瞬間を見なくちゃいけないの?
 悪い夢だと思って、同じ運命を辿って、私が悪いんだ。
 私が旅人を好きになったから、こんなことになったんだ。

 手術室に入ってく旅人を見送って、涙が溢れ出してきた。
 今回もきっと旅人は死ぬ。
 道路を避ければいいと思った。

 それなら大丈夫だ。
 何もなければただの夢だったって笑い飛ばせばいいんだから、とか考えていた私がバカだった。

 私が死ぬから、旅人を生かしてよ、神様。

 何度目か分からない祈りを、一生懸命唱える。
 そしたら私はどうなったていい。
 死ぬより辛くたっていい。

 どうして、旅人なの?

 神様がいるんだったら、私がこんな何回も悪い夢を見るんじゃなくて。
 いっそ幸せな夢の中で、死なせて欲しかった。
 これ以上、この地獄の中で生きていたくない。
 
***

 病室から出てきたお父さんは、包帯を足に巻いて松葉杖をついていた。

「お父さん!」

 お母さんが声を張り上げて、お父さんに駆け寄る。
 私も一緒に近づけば、ひょこひょこと片足跳びのようなお父さんはお母さんの方に寄りかかっていた。

 私だけ、手持ち無沙汰なまま、お父さんに寄り添う。

「お父さん、大丈夫?」

 お父さんにそっと声をかければ、すぐさまお母さんの怒鳴り声が返ってくる。
 
「大丈夫なわけないでしょ!」
「あぁ」

 どの意味とも取れるお父さんの「あぁ」に、涙を堪えた。
 お父さんの目はいつだってお母さんに向いている。
 お母さんの目はいつだって、過去のお母さんに向いていた。

 薄暗い静かな病院を通り抜けて、駐車場に向かう。
 カタン、カタンと一歩ごとに音を鳴らす松葉杖が不気味だ。

 お父さんを支えながら、お母さんの車までやってきた。
 お父さんを後頭部座席に座らせてから、お母さんは運転席に乗り込む。
 私も、自由に動けないお父さんを支えようと後頭部座席に乗れば、お母さんが何か言いたげだ。
 また、深いため息をつく。

 それでも、何も言わずにシートベルトを締めて、車を発進させる。

「悪かったな」

 運転中のお母さんに、聞こえるか聞こえないかの声でお父さんが謝る。
 何のことかわからなくて、首を傾げればまた小さい声。

「お祭りに行ってたんだろ。見たことない浴衣だけど。母さんが買ってくれたのか?」

 無駄なお金を使って、と怒られるかと思ったけど。
 貰ったと言っても、怒られる気がする。
 なんで答えていいかわからなくて、ただ首を横に振った。

「この時間なら、お父さんのせいで途中で帰ってきたんだろ」
「家族の方が大切だから」

 お母さんがずっと教えてくれたことだ。
 私の心の中に刻み込まれてる。
 お父さんに寄り添いながらも、窓の外を眺めてみれば、お祭りに行く人、帰る人。
 それぞれが楽しそうな表情で、行き交っていた。

「友だちと行ったのか?」

 ぽつり、ぽつりとお父さんが小声で尋ね続ける。
 こんなに話しかけてくるのは珍しくて、ちょっとだけ驚く。
 それでも、小さい声で私も言葉を返す。

「うう、うん?」

 友だち、だった人。
 だから、答えに困ってうん、とも、ううん、とも取れる返事になってしまった。

 お父さんの方をちらりと見れば、気にしていないように運転中のお母さんをずっと見てる。

「お父さんは、お母さんが大好きだよね」

 つい出てしまった言葉は、思ったより大きな声だった。
 お母さんにも聞こえたらしく、目だけを一瞬こちらに向けられる。
 いつもより優しい顔だった気がする。

「そうだな、だから結婚したんだしな」
「もう、やめてよお父さん」

 幸せそうな二人の声色に、怖くなってきて口をつぐむ。

 ――私のことは?

 聞きたくなってしまう。
 大好きだって、言ってもらえたら私の不安は吹っ飛ぶんだろうか。
 そんな答えが、返ってくるわけもないのに。

 怖くて、思いついたその質問は、聞けそうになかった。

 それ以来、車の中には重い沈黙が流れ続ける。
 お父さんは相変わらず、運転するお母さんを見つめているし、お母さんはしっかり前を見据えて運転していた。
 そのまま、家に着いてしまう。

 外は完全に夜が深まっていて、夏だというのにひんやりとした風が吹いていた。
 聞くチャンスだったのかもしれない。
 けど、聞きたくない気持ちの方が強い。

 お父さんの体を支えながら、車を降りようとすればすごく小さい声で「お前もだよ」と言われた気がした。
 気のせいかもしれないけど、それだけで今回の夢は終わってもいいやと思える。

 本当に言ったかどうかは、もうどうでもよかった。
 妄想でも夢でもなんでもいい。
 ただ、大切だと思ってくれてると信じ込めるだけで幸せだ。

*  *  *

 足をケガしたお父さんは通勤もできないから、テレワークというものに切り替えたらしい。
 朝起きて食卓につけば、珍しくお父さんも座っていた。

 久しぶりの三人での朝ごはんに、お母さんのテンションも上がっているようだ。
 お父さんがいる毎日は少しだけ、気持ちが楽だった。
 変な質問をされて、気まずくなることもあったけど。

「夢香は、友だちと遊びに行ったりしないのか?」
「この子いないのよ、こんな性格だから」
「そうか」

 私が答える前にお母さんが大体全部答えちゃうから、私は否定も肯定もせずに出されたままのご飯を食べる。
 お父さんはいつも話題を探してるように、思いついた質問を何個も口にした。

 他の悪夢の時もそうだったけ?
 ううん。
 そんなことなかった。
 また、私の毎日が、少しだけ変わった、気がする。

 お父さんを病院まで一緒に迎えに行ったからの変化、なのかな。
 今までは、私はお母さんからの電話に気づかず、天成くんとお祭りを楽しんでしまっていたから。
 今更罪悪感が胸に募って、ちくんと心を痛めた。

 ケガをするなど大きな事は変えられなくても、ちょっとしたことは変わるのかもしれない。
 そんな期待を持って、パンを食べる。
 でも、すぐさま、その期待を捨てた。

 そんな期待を持つから悪いんだ。
 だから、お父さんもケガをした。
 期待を持ってしまえば、また、天成くんは死んでしまう。
 ちょうど、来年の八月に。

 コーンスープをすすれば、甘い味がしてちょっとだけ心が落ち着く。
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