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五話 決意を鈍らせる

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 お父さんが家にいてくれるおかげで、少しずつ話せるようになった。
 最近は、朝ごはんの時間の食卓が苦痛じゃなくなってきてる。
 お父さんがずっと家に居てくれれば、お母さんも私も幸せな気持ちでいられるのに。

 そんなことを思いながら、登校の準備をする。

 学校はやっぱり、行きたくない気持ちが強い。
 お祭り以来、天成くんに会ってない。
 でも、会ったら、きっと話しかけてくると思うし。

「いってきます」

 お母さんとお父さんに見送られながら、家を出る。
 足には、重たい気持ちは足にまとわりついていた。
 引きずるように歩き出せば、生ぬるい風が通り抜けていった。

 周りでは仲の良さそうな子たちが、笑いながら学校へ向かっている。

 私が、誰かと仲良くなることは叶わない。
 だって、私と仲良くなってくれた子を、不幸にしたくない。

 お父さんも友だちはいないのか? とか聞いてくるのは心配してくれるんだと思う。
 それでも、私は友だちを作る権利がない。
 一人で、ぎゅむとカバンを握りしめて学校へ向かう。

 私の体の重さとは正反対に、太陽は歩いてる学生たちをキラキラと煌めかせる。
 風が吹きつけて、今にも飛んでしまいそうだった。
 それでも、踏ん張って、学校へと向かう。
 通学路の道端には、青々と緑が生い茂って、生命力をアピールしていた。

 通学路は、まだいい。
 学校の休み時間や、授業の時間が苦痛だった。
 一人で過ごすには、学校の時間はあまりにも長すぎる。

 最近は、天成くんがよく話しかけてくれていたから……あっという間だったのに。

 気づけば校門前で、遠く前に天成くんの背中が見えた。
 見ないふりをして、極力歩くペースを落とす。
 話しかけないで、関わってこないで、というオーラを出しながら。

 私の作戦が功を奏したのか、天成くんは私に気づかない。
 そして、友だちと話しながら、学校に入っていってしまった。

 靴を履き替えて、ひんやりとした廊下を歩く。
 クラスが近づくたびに、心臓がバクバクと嫌な音を立て始めた。
 クラスに入れば、イヤでもクラスメイトの声が耳に入ってくる。

「天成くん、最近来なくなったよね」
「飽きたんでしょ、地味子に」
「当たり前じゃん、ただの気まぐれでしょあの子に構ってたのなんて」

 ヒソヒソと話し声がする方に顔を向ける。
 二人の女の子が、机を挟んで話し合っていた。
 私の視線に気づいて、フッと笑ってから、スマホに目を移す。
 
 天成くんに話しかけられるたびに、強い視線を私に投げかけてきた子たちだった。
 多分、天成くんのことを好きなんだと思う。
 だから、私が気に食わなかったんだ。

 大丈夫だよ、と声にしないで呟く。
 だって、天成くんと私はもう関わらないから。

 視線を逸らして自分の机に近寄れば、隣の子がガタンと音を立てて机を遠ざけた。

 一人はやっぱり寂しいけど、人を不幸にするよりは断然いい。
 天成くんのことはまだ好きだ。
 見つめるだけで、胸が張り裂けそうになる。
 それに、天成くんの声を聞くだけで耳は熱を持つ。
 でも、時間が経てばこんな気持ちはきっと薄れてくれる。
 
 だって、天成くんが生きててくれる方がよっぽど大切だ。
 だから、私は何があっても一人で過ごす。
 そう決めた。

 のに……

「おはよう、夢香」

 天成くんがわざとらしく私の目の前で、手を振る。
 無視をするように、左側を向けば見覚えのある顔がニコニコと微笑んでいた。

「初めまして! 夢香ちゃん」

 キレイなネイルに、バッチリと施されたメイク。
 私とは、一生縁がないと思っていた人。
 その後ろには、天成くんといつも一緒にいる双見くん。

 今回も来たか、という気持ちと、罪悪感が胸の中でチリチリと炎を燻らせる。
 それでも、反対側に顔を逸らす。
 今までは、天成くんと付き合ってから紹介されていたのに。

「私、旅人の幼なじみで、雲明カエデっていうんだけど」
「俺は、カエデの彼氏の双見琉助」
「でね、旅人が紹介したい子がいるっていうから来たんだ」

 二人のあいさつにも答えないようにすれば、クラスのざわざわが大きくなった気がした。
 感じが悪いと思われてるんだろう。
 でもそれで、いい。
 私は誰とも仲良くならないから。

「ね、夢香。俺はダメでもさ、この二人は?」
「そうそう、夢香ちゃんどういうことが好き? 私とお話ししてみない?」

 こんなに感じの悪い私にもカエデは、優しくて、つい気が緩みそうになる。
 私の机に腕をついて、私を上目遣いで見る仕草は、やっぱり可愛い。
 私の憧れを詰め込んだみたいな、優しくて可愛い女の子。

 私が釣り合わないって不安になった時は「メイクする?」「ファッション? 私そういうのしかわからないけど、一緒に考えよ!」と、いつも味方になってくれた。

 いつだって、私の親友はカエデだった。
 天成くんと、出会ってから毎回。

 だから、涙が出そうになってグッと堪える。
 諦めて、帰って欲しい。
 私の気持ちも、決意も、カエデを見るだけで、こんなに簡単にグラグラと揺らいでるんだから。

 目線を合わさないように、手元をじっと見つめふ。
 唐突に、両手を握りしめられた。
 キラキラしたネイルには、お気に入りの楓模様。
 名前がカエデだから、お気に入りだって言ってた。

 忘れられない。
 私たちのプリクラや、メッセージには決まって楓の絵文字が登場していたんだから。

「私さ、本当は夢香ちゃんのことずっと知ってたの」

 「字がキレイな子がいるな」でしょう。
 知ってるよ。
 私がどんな性格とか、「疫病神とか言われてるのなんてどうでもいい」ってまた言ってくれるんでしょう?
 知ってるよ。

 知ってるから、やめてよ。

「なぁ、夢香。この前の約束は、ナシだよな? だって、仕方ないとはいえ、速攻で帰ったもんね」

 天成くんの言葉に、ぐっと息を飲み込む。
 確かに、「お祭りだけは付き合う」という約束だった。
 その約束を私は破った。
 お父さんがケガをしたから、しょうがなかったけど。
 
 パッと、つい天成くんの顔を見てしまった。
 嬉しそうに頬を緩ませて、「やっとこっち見た」なんて言う。
 どうして、こんな私に天成くんは構ってくるの?

 その理由が分かれば、突き放せる?
 もう関わらないでいられる?

「カエデだって、琉助だって、いいやつなんだよ。俺はいいから二人と仲良くしてみてよ。まぁ、のちのち俺とも仲良くして欲しいけど」
「なんで?」

 つい返事をしてしまって、慌ててカエデの手を振り払う。
 カエデは、それでも嫌な顔ひとつしない。
 そして、もう一度優しく私の右手を掴んだ。
 私を見つめて、優しい目をする。

「なんで? って、夢香ちゃんのことが気になるから、かな」

 そんな抽象的な答えで、納得できるはずもない。
 だから、もう一度手を、振り払わなきゃいけないのに。
 私の体は、カエデの優しさが染み渡って、緩んでしまっていた。
 
 繋がれた手が、ぐいっと引っ張られる。
 そのまま、なす術もなく立ち上がってしまった。

 カエデが私の背中を押しながら、「お邪魔しましたー」と言いながら教室を出ていく。
 抗わなきゃと思えば思うほど、懐かしい柔らかさに、体が、固まってしまう。
 
 これから、どこに連れて行かれるか、すぐにわかってしまった。

 行きたくない。
 あそこは、あまりにも思い出が多すぎる。
 この三人との。

 走って逃げようとすれば、力強い天成くんの手に腕を引かれる。
 力強いくせに、私が痛くないように絶妙に優しい掴み方をしてた。
 そんなところが、嫌い。
 嫌い、大嫌い。
 
 いつだって、危ない時はそうやって、優しく掴んで私を抱きしめた。
 この腕が、大嫌いだ。

「夢香の悩みを教えてよ、いつも悲しそうな顔して。俺は夢香が笑っててくれるなら別に俺じゃなくていいんだよ……」

 掠れるような声で、八の字に眉毛を下げるから。
 天成くんが泣き出しそうな気がして、逃げることができなかった。

 俺じゃなくていい、と思ってない顔をしてるくせに。
 あまりにも、ずるい。
 素直に思ってることを、あたかも当たり前のことように言える天成くんが羨ましい。

 引きずられるように空き教室に入れば、懐かしい埃っぽい匂いがした。

「夢香ちゃん泣きそうじゃん、旅人、もうやめてあげなよ」

 今にも泣き出しそうな顔で、カエデが天成くんの手を離させた。

「痛かった? いやだった? ごめんね、急に言われてもそうだよね」

 私の両手をぎゅっと握りしめて、目線を合わせてくれる。
 小さい子にするような仕草に、自分自身が恥ずかしくなってきた。

「ちが、違います」

 乱雑に積まれた机、イス、それと隠されるように置かれているブランケットや、漫画の数々。
 天成くんやカエデたちの、秘密の隠れ場所。
 何回も授業をサボったし、放課後に四人でここで、おしゃべりをした。
 私たちは、いつだって四人で仲良く過ごしていたんだ。

 過去のループを思い出して、内頬を噛み締める。
 そうしないと、頬が緩んで、涙が出てきそうだった。

「ここ、私たちはいるけど他には人が来ないから、逃げたくなったら使っていいよ」

 すぅっと息を吸って、カエデが言いづらそうに、続きを口にする。

「旅人のせいでクラスでも、気まずい思いをしてるでしょ?」

 天成くんは気づかないで無邪気に、私に絡んできてるんだと思い込んでいた。
 でも、気まずい思いをしてるのもわかっていても、それでも、私に話しかけてきていた?
 カエデの話ぶりからすると、気づいてたんだ。
 クラスで遠巻きに、嫌な視線で見られていたこと。
 
 いつだってここに来るのは、この三人との秘密の時間だけだった。
 でも、カエデは明確に「逃げてきていいよ」と口にした。

 他の時はどうしてここに呼ばれたんだっけ?
「旅人の彼女なら、私たちの仲間だから!」ってカエデに連れてこられた気がする。
 ここが、逃げ場として使ってるのは、今までのループの中で聞いたことがなかった。

 それは、私が知らなかっただけなのか。
 私のために、そう言ってるだけなのかはわからない。

 クッションが敷かれたイスをポンポンっと叩いて、双見くんか座れと主張する。
 いつのまにか積み重なれていたイスを解いて、机まで用意したらしい。
 見覚えのある四人が向き合うような給食スタイルに、胸が締め付けられた。

 いつだって、ここでたくさんの話をした。
 楽しかった映画、次のお出かけの約束、誰かの内緒話。
 カエデのプレゼントの相談。

 思い出すだけで、懐かしさと愛しさで涙がぽつり、とこぼれてきた。

「わー、泣かないで! ごめんね、怖かった?」

 カエデが目の前でブンブンと手を振って、焦った表情をする。
 そして、ポケットからシワシワのハンカチを取り出して、私の目に押し当てた。
 相変わらず、そういうところがガサツなんだから。
 
「旅人、だから急に距離詰めるのやめとこって言っただろ。俺たちみたいなのは、怖がられるんだって」

 机とイスを黙々と用意していた双見くんが、口を開く。
 私とは目を合わせないように、そぉっとハンカチを差し出すところが双見くんらしくてますます涙が出てきた。

 双見くんのハンカチは受け取らず、カエデのハンカチからも離れる。
 そしめ、ポケットから自分のハンカチを取り出して、涙を拭いとる。
 完璧な笑顔を貼り付けて、全員の顔を見回すフリをした。
 窓に焦点を当てて、全員の顔をぼやけさせる。
 
 顔を見てしまえば、きっとまた縋ってしまうから。

「大丈夫です。ちょっと悲しいことがあって、私は大丈夫なので戻りますね。お友だちには、なれません」

 キッパリと初めて言葉にできた。
 天成くんとの関係を突き放せなくて、なぁなぁにしてきたのに。

 やっと言えた。

 ここは、私の弱いところを受け入れてくれる唯一の場所だった。
 だからこそ、踏ん切りがついたのかもしれない。

 三人の反応を確認する前に空き教室を出ようとすれば、授業が始まるチャイムが鳴り響く。
 廊下を歩く先生の足音が、聞こえてきた。

「やべ、夢香こっち」

 天成くんに腕をぐいっと引っ張られて、積み上げられてる机の裏に連れていかれる。
 しゃがみ込んで通り過ぎる足音を聞きながら、息を潜めた。

 音が遠ざかっていき、天成くんはため息をついて立ち上がる。

「ふぅ」
「ふぅじゃなくて! サボりになっちゃったじゃないですか!」

 この学校はゆるいから、親に連絡が行くことはないけど。
 授業を欠席することは、ほとんどなかったのに。 

 隣で安心したように、ぐうーっと伸びる天成くんを睨みつける。
 天成くんが睨まれたのに嬉しそうに笑って、隣の机の山に隠れていた二人もくすくすと笑い出す。

「そっちの方が、いいよ」
「そうだよー、言いたいことは素直に言ってる方が私はいいな、とおもった!」

 天成くんも、カエデも、勝手なことを言う。
 自分勝手で、人を不幸にする私にはそんな権利は持っていない。

 自分勝手で他人に迷惑をかける人間は、普通じゃないのだ。
 お母さんが小さい頃から言っていた。
 私は、「他の人よりも、人に不快な思いをさせるんだから、ワガママなんてもってのほか」って。

 言いたいことを素直に言える人なんて、カエデみたいにキラキラで、可愛くて誰からも愛される普通の人だけ。

 私には、できない。
 私は、しちゃいけない。

 大親友と思っていたはずなのに、勝手にカエデと比較して、どんどん惨めな気持ちになっていく。
 逃げるために立ちあがろうとした瞬間に、頭がグンっと引っ張られる。

 適当に後ろで結んだ髪の毛が、横にいた天成くんのブレザーの第一ボタンに引っかかっていた。
 頭を動かしてみても、簡単には解けそうにない。

「うわ、やば。ちょっと待って」
「髪引っかかってんじゃん、琉助、ハサミ持ってきてたよね?」
「あるある」

 立ち上がった双見くんが、ハサミを天成くんに渡す。
 天成くんが躊躇なく、ばつんっと音を立てて切り落とした。
 自分のブレザーのボタンを。

「何やってるの……?」
「え、ボタンを切っただけだけど?」

 当たり前のことのような顔で、ボタンを両手で摘んで持ち上げる。
 私の髪の毛なんか、切ってよかったのに。
 願掛けして伸ばしてるとは言え、ボタンをわざわざ切る必要なんてなかった。

 私の髪の毛を引きちぎれば、数本引っかかただけなんだからすぐに終わった話なのに。

「私の髪の毛を引きちぎればよかったのに……」
「だめだよ。せっかくこんなに伸ばしてるのに」
「そうそう、絶対丁寧にケアしてるんだろうなって思ってたの。夢香ちゃんの髪の毛めちゃくちゃキレイだから」
「カエデいつも、言ってたもんな。あの子の髪の毛キレイって」

 カエデが髪の毛をくるくると回しながら、羨ましそうな顔で私を見つめている。
 羨ましそうな、顔?
 私なんかを?

 でも、その表情には見覚えがあった。
 双見くんとお揃いのリングが欲しいと、私のリングを見つめて「羨ましいなぁー!」って呟いていた時と同じ表情。

「どうして?」
「どうして、って何が?」
「なんで、私に構うの、私はあなたたちとは違う」

 首を横に振って、少しずつ扉へと近づく。
 廊下に出たら先生にバレてしまうだろうか。
 また、何か悪いことが起こるだろうか。

 普通、じゃないことをしてしまった。
 授業をサボるのは、当たり前じゃない。

 ここから今すぐ離れたいのに、怖くて一歩が踏み出せない。

「なぁ、夢香ちゃん、だっけ? 何がそんなに怖いの? 何がそんなにイヤなの?」

 双見くんが机に腰掛けて、腕を組んで私を見つめていた。
 せっかく用意したイスは、使わなかったらしい。
 低い声に、体が震える。
 双見くんが怖い人じゃないことは、知ってた。

 不器用ながらに優しさをくれたのは、双見くんだった。
 ただ静かに寄り添ってくれる優しさ。

「怖い?」
「なんか、俺たちに関わるのがイヤってより、怖いように見えたから。怯えてるみたいな?」

 双見くんは、このメンバーの中で一番観察力が高かったね。
 天成くんが悩んでる時も、私が天成くんとのことをクラスメイトに色々言われた時も。
 気づいてくれたのは、双見くんだった。
 そして、私から無理矢理に聞き出そうとはせずに、ただ寄り添って、ペットボトルの飲み物を差し出してくれたり、お菓子を渡してくれたね。

 それなのに、彼女のカエデのことに関しては考えすぎて、わからなくなって一人でから回る。
 カエデと何度もケンカしていたところも見ていたし、カエデに怒られてオロオロと困ったように動いてるのも知ってる。
 
 そんな双見くんが、可愛らしいと私は思ってた。
 あの、悪夢の中では。
 でも、今は、少しだけ怖い。
 まだ私と、双見くんは他人だ。

 双見くんは、仲間に優しいだけで、他人には少し厳しいところがあった。

「怖く、ないよ」
「そんなにさ、壁を作る理由を俺らに話してみない? この二人なら言えない? 俺はダメでも」

 天成くんが、手を差し出すから。
 私はまた、ミスを犯したくなる。
 でも、天成くんが死ぬのを見るのは、もうゴリゴリだから。

「わかんないんだよ、他人だから」

 天成くんが、吐き出すように急な言葉を言うから。
 びくり、と肩が揺れた。

「だから、言ってよ。なんで俺と仲良くするのそんなにイヤなの? 言ってくれたら納得できたら、諦めるから。こいつらがダメな理由も教えてよ」

 馬鹿正直に、あなたは来年の八月に死ぬんです。
 って口にすればいいの?
 それを覆したくて、関わるのをやめました、って?

 誰がそんな荒唐無稽こうとうむけいな話を信じるの。
 たかだか、今日初めて会った人間の。

 そんなことを考えながら、この人たちは違う、って何回も繰り返した私の胸が言ってる。
 わかってる。
 だからこそ、言いたくない。
 だって、言ったら、もう突き放せない。

 信じて伝えて、今までみたいに四人で仲良く過ごす。
 そして、また天成くんが、私の前で死んでいく。
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